学習のすすめ











 <学習のすすめ>『序論』で紹介したとおりマルクス主義を読み直そうという目的で、最近多くのマルクス主義に関する出版物が出ているが、その中の代表的な力作として三冊を紹介した。そのうちの一冊『マルクスのアクチュアリティ』には著者によるつぎの一文がある。「東欧革命とソヴィエト連邦の崩壊によってマルクス主義が一つのオーソドクシーとしての地位を失い、さらに冷戦構造が解体して<帝国>と呼ばれる世界規模の経済的・政治的状況が生まれてから、十数年が経過した。二一世紀に入って、このような状況の変化に対応するマルクス研究の新しい傾向もまたようやく明確になってきたようである」と。

 また別の一冊『マルクス主義と哲学』の中ではその著者はつぎのように書いている。「この本は<もう一度>マルクスを読む試みである。<もう一度>というのは、言うまでもなく、ソ連型社会主義体制の生成と展開と大崩壊という二〇世紀の歴史の現実をふまえて、<もう一度>という意味である。あたかも何事もなかったかのように、マルクスを読むことではない。正反対なのである。再読は当然、これまでの読み方への異議申し立てに至りつくだろう。その意味で言えば、この本は、マルクス像の変革を目指していると言い換えてもよい」と。


 以上のように、この著者たちの文を読めばよくおわかりのように、ソ連や、東欧の社会主義国家はみな敗北して失敗をした。社会主義と共産主義は敗北した。しかしこれはマルクス主義そのものの誤りではなく、マルクス主義を正しく理解していなかったからだ。だからもう一度、始めからマルクス主義を読み直そう、というのである。こういう立場、こういう観点、こういう歴史観が実は敗北主義なのである。負けた、失敗した、などというのが敗北主義なのだ。そういう敗北主義から出発しているから、これらの本の中身はすべてマルクス主義の修正と、自己流の勝手気ままなマルクス主義の解釈に終わってしまった。なぜそうなったのか。結局これらの本の執筆者たちには、マルクス主義の根本原理たる唯物論がなく、その思想理念たる弁証法的歴史観もなく、科学的歴史観としての史的唯物論もなく、『共産党宣言』で示されているマルクス主義の政治上(理論上)の原則もない(これを政治思想として身につけていない)結果である。だからそこにあるのは誠に敗北的で、後退的で、思想的には敗北的修正主義になってしまった。
 これとはまったく反対に、われわれ正統マルクス主義は、ソ連・東欧・中国などの社会主義崩壊は歴史の進歩であり、発展であり、前進であるとみる。つまり社会主義と共産主義が最終的に勝利するための必要なステップであり、歴史の必然性をめざす偶然性であり、労働者階級と人民は最後の勝利のために、もう一度原点に帰れと求めた巨大な歴史的産物としてみる。巨大な事件ほど、その内部には重大な真理がかくされている。それはどういうことかということをこれから考察する。

(一)歴史的事件をどうみるかの教科書は『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(マルクス、一八五一―五二年)である。つまり歴史的事件を哲学原理(歴史科学)と『共産党宣言』から演繹的にみるとき、ソ連・東欧の崩壊の根源、元凶はフルシチョフの「スターリン批判」という名の修正主義によって、党と権力が変質し、マルクス主義が完全に放棄された結果であった。すべては権力問題であり、すべては哲学的内因論にある!

 まず最初の出発点は、ソ連・東欧などの社会主義崩壊というこの存在(事実)をどう見るかということである。哲学(唯物論)的にどうみるのか。マルクス主義の原点・原理たる唯物論的にみるとはどういうことか。それは@客観的な存在、その事実を観照的、現象的、表面的に見るのではなく、その本質をしっかりつかむ。Aその本質とは、マルクス主義の政治上・理論上の原則(それは『共産党宣言』の核心たる、すべては権力問題である。すべては階級対立と階級闘争である。すべてはプロレタリア独裁が解決する、という政治上・理論上の原則)から導き出す。Bこの本質をつかんで「革命的実践活動」(『フォイエルバッハにかんするテーゼ』でマルクスが強調したこの活動)を重視し、実践する。これが唯物論の原理であり、この立場から一切を支配しなければならない。

 こうしてみるとき、ソ連・東欧・中国の社会主義崩壊の本質、その根本原因、その元凶は、あのフルシチョフによる「スターリン批判」という名の修正主義によって、中国ではケ小平によるあの「白猫・黒猫」論に代表される修正主義(経済主義)によって、その党と権力が変質し、マルクス主義が完全に放棄された結果であった。すべては思想問題であり、すべては権力問題であり、すべては哲学的内因論にある。そして歴史的事実と各種の証言で明らかなとおり、ソ連や中国がおかしくなったのは、みなフルシチョフや、ケ小平以後であった。
 修正主義に毒されるまでの社会主義は偉大であった。くわしくは第四・五節で述べるのでよく学習していただきたいが、ここではその代表的一例を述べておく。

 人類の歴史上はじめてマルクス主義にもとづく社会主義を実現させたのはレーニンであった。レーニンほど徹底的にマルクス主義の原理・理念・理論上の原則を守りぬき、実践した革命家は他にいない。それは第二インターとカウツキーに対する徹底的な闘争をみればわかる。これがあったから十月革命は勝利したのである。

 そして一九一八年から一九二二年までの五年間にわたる外国干渉軍と国内反乱軍との戦いとその勝利である。若いソビエトに国外から帝国主義と資本主義の十六カ国がいっせいに攻め込んできた。それに呼応して国内の反乱軍も蜂起した。歴史上このような過酷な戦争があっただろうか。一五〇〇万人の犠牲を出してソビエト社会主義は勝利した。偉大な社会主義と共産主義は勝利したのである。

 レーニンのあとを引き継いだスターリンは社会主義建設五カ年計画を連続して実施、おくれた農業国のロシアを、近代的重工業国家に仕立てあげた。その急速な計画経済の成功については当時の世界経済統計をみてもはっきりしている。そして一九七一年代のアメリカ経済学会の会長で、アメリカ経済界の大御所であり、米国の知性の代表として知られたジョン・K・ガルブレイスもその出版物でソビエトの発展と成長を高く評価している。そして日本においては、第一級の知識人にして、反マルクス主義の闘将として名高い小泉信三も、その出版物『マルクス死後五十年―マルクシズムの理論と実践―』(一九三三年出版)のなかで、マルクス主義の理論問題では激しく批判しつつ(もちろんこの批判は的外れ的笑い話にすぎないが)、それでもソビエト社会主義建設の巨大な成功には目を見張り、自分の認識不足を反省し、スターリン以下のソビエト幹部の指導力に脱帽しているのである。

 そして第二次世界大戦中に、アメリカ軍の戦略諜報機関「OSS」の幹部としてヨーロッパ戦線で活動し、戦後はアメリカの「CIA」監察官になったジョン・H・ウォラーが書いた『見えない戦争』(日本語版は『ヒトラー暗殺計画とスパイ戦争』として、二〇〇五年一月に、鳥影社が出版)では「スターリンの大粛清事件」の背景が明らかにされている。第二次世界大戦前夜のヨーロッパは各国の諜報・スパイ活動が入り乱れていた。その中でアメリカ諜報機関はソビエト赤軍内の反乱計画もつかんだ。後でOSSもこれを確認した。それは、ソビエト赤軍の最高幹部で、参謀総長のトハチェフスキー元帥がナチス・ヒトラーと手を結び、ドイツがソ連に進攻したときにあわせて、ソビエト内で反革命軍の蜂起を謀る、というものであった。だがこのことはやがてソビエト諜報機関も二重スパイを通じて掌握するに至った。そして独・ソ開戦前(一九三七年六月)にスターリンとソビエト政府は、軍と政府と党の内部に組織されていたトハチェフスキーに連なる旧帝政時代の生き残り組を中心にした反革命組織を一連の芋づる式摘発によって一網打尽にした。このことをブルジョアジーたちは「スターリンの大粛清事件」という。しかしこの問題の本質は、「OSS」のウォラー氏の記録にもあるとおり、これはまったく明らかなように、まさに独・ソ戦の前しょう戦だったのである。スターリンはこの前しょう戦に勝利したから、一九四一年六月二十二日にナチス・ドイツのソ連進攻にはじまる独・ソ戦の本戦に、ソビエト政権は党・政府・赤軍の三位一体によって勝利したのである。この問題については第五節で詳しく書いてあるとおり、イギリスの軍事科学者リデル・ハートも認めているのである。スターリンの粛清とは、ナチスと外国軍と結んだ国内の反革命軍に対する戦いであって、帝国主義による侵略的弾圧とは質が異なる。この階級的性格がわかるか、わからないか、これは革命か反革命かの分水嶺(れい)である。歴史が証明するとおりスターリンは偉大であった。

 レーニン、スターリンのソビエト社会主義はマルクス主義の原理・理念・原則に忠実であったが故に勝利した。そしてフルシチョフ、ケ小平の変質によって党と権力がマルクス主義の原理・理念・原則を放棄したときにそれは敗北した。歴史はこのことをわれわれに教えた。ここに歴史の教訓があり、ここにマルクス主義の偉大さがある。