学習のすすめ












(四)マルクス主義哲学は「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」によって構成されている。エンゲルスとレーニンもはっきり確認しているとおりである。ところが敗北的修正主義はこのことが理解できない。ここにも彼らの浅くて、薄っぺらな(浅薄な)典型がある。反面教師としてここからもわれわれは学ばねばならない!

 〈学習のすすめ〉『序論』で紹介したとおり、最近「マルクスをもう一度読み直そう」として出版されている多くのマルクス本の中身は、驚くほどマルクス読みのマルクス知らずに満ちている。その典型的な一例として、〈学習のすすめ〉第三節(一)(二)(三)で『フォイエルバッハにかんするテーゼ』をとりあげ、くわしく論じておいた。これをみればわかるとおり、敗北的修正主義のマルクス論は、敗北主義であるが故に、徹底した修正主義であり、勝手気ままなマルクス主義の解釈に終始している。

 彼らのマルクス論の特徴は、マルクス自身がその『フォイエルバッハにかんするテーゼ』で強く主張しているところの「いろいろと解釈したり、解説したりするのではなく、その問題の本質を深くつかみ、それにもとづいて実践し、行動することである」というこの哲学的思想認識がなく、まさに「いろいろと解釈したり、解説するだけ」なのである。いまここでとりあげる「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」の問題も同じであって、マルクスとエンゲルスとレーニンを統一的に認識し、理解し、深く学びとることのできない、浅薄さの典型がここにもある。『マルクスのアクチュアリティ』や『マルクスと哲学』の著者たちがあちこちで、マルクス主義には「弁証法的唯物論」や「史的唯物論」などなどという言葉はない、と書いている。こういうマルクス主義哲学についての無知についてはすでにこの第三節でくわしく論じておいたのでもうあれこれ言う必要はない。そこでここでは、反面教師として、われわれ自身がもう一度この問題について、はっきり、しっかり認識するために、改めてその基礎的なことを明らかにしておきたい。

 なおマルクス主義を深く、広く、正確につかむためには、マルクスとあわせてエンゲルスとレーニンを学ばねばならない。エンゲルスは<学習のすすめ>第一節(その生涯)で明らかなように、この二人は生涯を通じて協力と共同と一体であった。だからエンゲルスの言うことはマルクスの言うことである。そしてレーニンは、メンシェビキや、第二インターの修正主義と闘い、マルクス主義を守り通し、実際にロシア革命の勝利によって、マルクス主義を歴史上初めて実現したというこのことによって、歴史がレーニンを第一級のマルクス主義擁護者たらしめたのである。したがって、マルクス、エンゲルス、レーニンを統一的に学ぶことによって、より深く、より広く、より正確にマルクス主義を認識することができる。こうしてこそ浅薄さを克服することができるのである。
 さて本論に移る。
弁証法的唯物論について!
 まず弁証法とは何か。弁証法とは、古代ギリシャ哲学用語「ディアレクティク」が語源である。その意味は、真理に到達するための唯一の方法は、互いに対立し、異なる双方の考えや、意見や、その矛盾を大いに闘わせ、論争し、双方の矛盾を暴き出し、その中から新たな飛躍と発展にもとづく真理(正当性)に到達させる。そういう思想方法論のことである。こうして以後ヨーロッパの哲学は自然成長性、形而上学、機械論的唯物論などを経てドイツ哲学のヘーゲル(一七七〇―一八三一)弁証法と、フォイエルバッハ(一八〇四―一八七二)の唯物論へ到達した。こうして哲学はマルクスとエンゲルスによって、ヘーゲルの弁証法とフォイエルバッハの唯物論が止揚され、その結果としてのマルクス主義哲学「弁証法的唯物論」として完成したのである。この歴史的経過については<学習のすすめ>第一回、第二回、第三回でくわしく論じたとおりである。この歴史を正しく認識すれば「弁証法的唯物論」がマルクス主義哲学の基本であることがわかる。

 つまり、マルクス主義哲学は、十九世紀に到達したドイツ古典哲学の最高峰としてのヘーゲル弁証法と、フォイエルバッハの唯物論を統一させ、この二つにある共通の弱点たる観念論を克服したこと、つまりはこうして弁証法的唯物論が完成したということなのである。そしてこの哲学思想を体系づけて世に出したのが、マルクスとエンゲルスの共著による『ドイツ・イデオロギー』(一八四五年)であった。だから『ドイツ・イデオロギー』をよく読めば、そこにはヘーゲルの弁証法と、フォイエルバッハの唯物論が統一的に、しかも完全に観念論が徹底的に克服されているのが理解できる。だから敗北的マルクス主義者が弁証法的唯物論を否定するのはこの『ドイツ・イデオロギー』が読めないのであり、読んでもわからないのである。

 マルクスは『資本論・第二版・後記』(一八七二年)の中でつぎのように書いている。「私の弁証法は根本的にヘーゲルのそれとは違うだけでなく、その正反対である。ヘーゲルにあっては現実、存在とは理念・思考の産物とみる。私のはその反対に、理念・思考とは人間の頭脳に反映・転移された物質的存在なのである」と弁証法に唯物論を結合させている。そしてマルクスは『フォイエルバッハについて』(一八四五年)の中で「フォイエルバッハをふくめた古い唯物論は、あらゆる現象をただ感覚的にとらえるだけで、問題を本質的に、弁証法的運動の歴史上の産物としてみない。そして批判的に、実践的にとらえることができない」と論破している。エンゲルスは『ルードヴィツヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』(一八八六年)の中で、ヘーゲルとフォイエルバッハを批判してつぎのように書いている。「かれは哲学者としてもまた中途半端であって、下半身は唯物論で、上半身は観念論者であった。……われわれは、現実の事物を絶対的概念のあれこれの段階の模写と見ないで、再び唯物論的にわれわれの頭脳のうちにある概念を現実の事物の映像と見た。このことによって弁証法は科学となった。……この弁証法的唯物論はわれわれの最良の道具となり、武器となった」と書き、そして『反デューリング論』(一八七六―八年)の中でつぎのように書いている。「唯物史観は、すべての社会的変化と政治的変化は一生産、交換様式の変化のうちに求められるべきものである」。「歴史の中での諸事件の外観的な偶然性を支配しているのと同じ弁証法的唯物論の法則が、自然においても、無数の変化の紛糾のうちに自己を貫徹している」と。すなわち、一切の現象の中に、偶然性の中に、弁証法的唯物論の必然性が貫徹されている、といっているのである。

 「弁証法的唯物論」を体系的に述べたのがエンゲルスの『自然弁証法・序論』(一八七五年)である。この論文の中でエンゲルスはつぎの諸点をくわしく論じている。@大自然と人類社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって絶え間なく運動し、発展する物質世界である。Aあらゆる物質と運動は相互に関連しており、統一的に、止揚されつつ前進していく。B発展と前進は内部の矛盾と対立物の闘争(内因論)であり、その運動の量的変化が質的な変化を促していく。量から質への転化の法則。C質的転化は根本的で、全面的で、革命的なものであり、故に爆発であり、力が作用する。D発展と前進の一段階毎の終結は、常に爆発と収れんであり、破壊と建設であり、対立物の相互転移であり、これが物質運動の法則である。そしてエンゲルスは弁証法の中につぎの有名な言葉で唯物論を説いている。「全自然が、最小のものから最大のものに至るまで、砂粒から太陽に至るまで、原生物から人類に至るまで、一切が永遠の発生と消滅のうちに、絶え間なき流転のうちに、休みなき運動と変化のうちに存在する」と。

 そして、だからこそ、レーニンはその著作『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』(一九一三年)の中でつぎのように主張した。「マルクスは十八世紀の唯物論にとどまってはいないで、哲学をさらに前進させた。彼はドイツ古典哲学、特にヘーゲルの体系の諸成果によって哲学を豊かにしたのである。そしてこの体系はまたそれとしてフォイエルバッハの唯物論へと導いていったのである。これらの成果の主要なものは弁証法である。すなわち、最も完全な、深い、一面性をまぬがれた形での発展についての学説、永遠に発展していく物質の反映をわれわれにあたえる、人間の知識の相対性についての学説である。自然科学の世界における最新の発見は、マルクスの弁証法的唯物論の正しさを立派に確証した」と。さらにレーニンは『唯物論と経験批判論』(一九〇八年)の中で強く、つぎのように主張した。「マルクスは常に弁証法的唯物論よりも弁証法的唯物論をより多く強調した。そして史的唯物論よりも史的唯物論をずっと強く主張した」と。まさにマルクス主義哲学とは「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」なのである。このことをはっきりと確認しよう。