学習のすすめ












(五)史的唯物論について

 〈学習のすすめ〉第一節の前文で紹介した「マルクスをもう一度読み直そう」という目的で出版されたマルクス本の中の一冊『マルクスと哲学―方法としてのマルクス再読―』の著者(マルクス主義哲学者)は、その大作の「まえがき」の中で、はっきりと次のように書いている。「マルクスと哲学、という本書のタイトルを見た読者はおそらく、弁証法的唯物論、や、史的唯物論、あるいは、唯物論的歴史観、などといった言葉を思い起こされたことだろう。では、マルクスは、弁証法的唯物論、とか、史的唯物論、唯物論的歴史観、などといった言葉を、一度も使っていない、と申し上げると、たいへん驚かれるのではないだろうか。……マルクスは弁証法的唯物論などとは(史的唯物論とか、唯物論的歴史観とも)一言も言っていないのである。そもそもマルクスは、自分の哲学的見解として、何かを論じたのではない」と。

 右のこの一文を見ただけで、この著者もふくめた多くのマルクス主義学者が、如何にマルクス主義を知らず、理解できず、まさにマルクス読みのマルクス知らずであるかがわかる。ここに、われわれがはじめから指摘しているとおり、ソ連や東欧の社会主義崩壊を敗北主義的に受けとめた結果としての、思想上の敗北主義が生み出した現代の「敗北的修正主義」がある。それはつまり勝手気ままなマルクス主義論であり、修正し、ねじ曲げたマルクス論なのである。敗北的修正主義の本質については〈学習のすすめ〉第二節で詳しく論じたとおりである。したがって、今さらここでくどくどと論ずる必要はない。ただわれわれはこれを反面教師として、マルクス主義哲学の根本理論を、改めてわれわれ自身が再確認したいのである。
マルクスとエンゲルスは、二人の共著『ドイツ・イデオロギー』(一八四五年)で、はっきりと、明確に「弁証法的唯物論」と、「史的唯物論」を展開している。これがわからないようではマルクス主義者たりえないであろう!
 史的唯物論とは、弁証法的唯物論という哲学科学思想によって世界と人類の歴史をみつめ、とらえ、判断し、解明するという科学的歴史観のことであり、実践と行動のための思想原理である。このことを、エンゲルスがいろいろなところで言っているように「唯物史観」ともいう。そしてマルクスとエンゲルスが歴史上はじめて、理論的に、体系的に、歴史的にこの史的唯物論を世界に向かって展開したのが『ドイツ・イデオロギー』であった。このことについてエンゲルスは後ではっきりと定式化している(あとで詳しく紹介するように『反デューリング論』、『経済学批判・序論』で)。この『ドイツ・イデオロギー』の中でマルクス・エンゲルスは次のことを強く主張している。「人間は歴史を作る。しかしその歴史創造の大前提はまず生きることであり、そのためには何をおいてもまず食わねばならない。そして衣と住も必要である。原始時代はそのすべてを大自然から獲得していた。やがて生産することをおぼえ、生産力は人間の生きる要求から発展し、前進していった。生産力の発展(道具や機械の発達)によって、それに応じて、生産関係(分配と処分のための機構としての国家と社会構造)が変化し、発展していった。こうして人間の歴史の変化と発展の土台には生産力と生産関係が存在しつづける。人類の歴史全体を貫くのは生産力と生産関係である。そして生産力は無限に発展、前進していくが故に、生産関係と人間の歴史もまた無限に発展し、前進していく。この歴史観、つまり「史的唯物論」が『ドイツ・イデオロギー』の中で詳しく展開されている。それを整理、まとめると次のようになる。
(1)生産力こそが人類社会発展のエネルギー(力)である。
 人間は生きるために食わねばならない。そのために生産活動がある。生産活動は労働力(人間の労働能力)と生産手段(道具、機械、土地、建物、原料)が結びついて可能となる。この二つの側面のうち労働力こそが決定的要因であり、これは人間の生きるためのエネルギーがその力の源泉になっている。そしてこのエネルギー(生きる意欲)によって生産力は常に向上、発展、前進、成長という特質をもっている。この生産力は必然的に社会的性格を帯びざるを得ない。なぜなら、生産力はそれに携わる人びとの協力と共同と連携という社会性なしには成立しないし、生産目的もまた多くの人びとと社会のためという社会的な性格を高めるからである。
(2)生産力と生産関係という総体が現実の土台であって、そのうえに人間の思想・意識が上部構造として成立していく。
 故に唯物論哲学の示すとおり、存在が意識を決定していく。そしてその存在としての生産力と生産関係は常に変化・発展・成長していくのである限り、上部構造としての人間の思想意識も変化・発展・成長していく。生産力と生産関係はその運動の過程では互いに矛盾する関係である。なぜなら、生産力の発展はますます社会的になる(人間関係も、生産目的も)にもかかわらず、所有と分配を支配するのは生産手段と生産物を占有する一部の階級(人間の集団)によって左右されていくからである。ここから生産物(富)をめぐる分裂と対立、紛争と抗争、つまり階級対立と階級闘争が発生する。その反映としての思想と意識、理念と理論、イデオロギーの分野にも対立と抗争が激しくなる。
(3)生産力の発展と向上と成長は必然的に生産関係をそれに合致させるよう促し、それに照応させていく。
 生産力の発展と向上は人間関係をいよいよ社会化させる。人びとの協力、共同、連携は必然となり、生産目的もまた広く社会的目的を帯びていく。したがって生産力の発展と向上は現存する生産関係(人間相互の関係、生産物の支配と分配を支配する国家と社会構造)と矛盾していく。ここから経済上、政治上の矛盾(分裂、対立、抗争)が生まれる。階級対立と階級闘争である。この矛盾を解決するには生産力の発展に合致した生産関係(国家と社会構造)にする以外にはない。歴史の発展法則はこのことを求めて激動する。そして最後は爆発と収れん(革命)によってこれは達成される。
(4)生産力の成長発展は自然発生的であるが、生産関係の成長発展(変革)は爆発と収れんである。
 生産力の発展、前進、成長は自然発生的である。それは人間の労働能力は学習と経験の積み重ねであり、生産手段の発達と向上も研究と改良の積み重ねであるからである。それに比べて、生産関係(人と人の相互関係、国家と社会制度)の変革は、人間の感情、思想意識が介在しており、人間の感情と思想・意識による対立と抗争は激烈が必然的とならざるを得ない。こうして人類の歴史は、その転換期に必ず暴力、戦争、内乱が付きまとう。人類社会の発展、前進、転換は爆発と収れんである。
(5)生産力の発展に伴う生産関係(国家と社会)の変化、転換、そのときの爆発と収れんは思想的理論的核としての前衛の存在とその力が決定的に作用する。
 生産関係の変更は革命的転換である。人類の歴史(原始制社会―奴隷制社会―封建制社会―資本主義社会―独占と帝国主義時代―社会主義社会)はみなこのように、生産力の発展に伴う生産関係の変化という法則の結果である。そしてよく理解しなければならないのは、歴史上の国家と社会制度の変化と発展は常に爆発と収れん(戦争と暴力、革命的手段と方法)であったということである。それは自然科学の世界では核爆発であり、社会科学の世界では核としての前衛と、それに結合した大衆の力(闘争)である。それは歴史が示しているとおり科学的必然性をもって展開されていく。
マルクスと一心同体であったエンゲルス、マルクス主義の最大擁護者として歴史が証明したレーニンは、はっきりと、明確に「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」をその哲学用語として確認している。エンゲルスとレーニンの文献をよく読め!
 オイゲン・デューリング(一八三三―一九二一)はドイツにおける有名な哲学者であり、経済学者で、一八六三―七七年にかけてはベルリン大学の講師を勤めた。彼はマルクスの学説に反対する独自の哲学・社会主義論を展開した。それは革命ではなくて改良であり、階級闘争ではなく資本と労働の協調による社会改革をとなえた。これはドイツ労働運動に一定の動揺をあたえ、『ゴータ綱領批判』(マルクス、一八七五年)を生み出した事件、革命的アイゼナッハ派と改良的ラッサール派の妥協による合同(ゴータ合同大会)を引き起こしたのである。マルクスとエンゲルスは黙っているわけにはいかなくなり、二人は共同してデューリング批判を展開した。その内容は哲学、経済学、社会主義に至る広範囲にわたり、ドイツ社会民主党(共産党の前身)の機関紙に、一八七七年から七八年にかけて連続して発表された。それが一八七八年八月に『オイゲン・デューリング氏の科学の変革』と題した一冊の本となった。これがエンゲルスの『反デューリング論』である。そしてその内容からみて、これは『共産党宣言』、『資本論』と並ぶ基本文献と位置づけられた。

 ところでエンゲルスはこの論文を書くとき『共産党宣言』の場合と同じように、常にマルクスと相談し、協力して書いた。とくに経済学の部分についてはマルクス自身が筆を執った。だからその内容はまさに、マルクスとエンゲルスの共同の意思なのである。そして、その中の社会主義に関する理論上の問題と実践的課題の部分を、多くの社会主義運動家の求めに応じて、別の小冊子として出版されたのが『空想から科学への社会主義の発展』(一八八〇年)である。エンゲルスはこの本の中で、第一に労働者階級と人民は革命運動を通じて何よりも権力を獲得しなければならない。すべては権力が決定すること。第二は労働者階級と人民は権力を運用し、執行することを通じて国家と社会を労働者階級と人民のものに変革する。第三は資本主義とは利益追求だけの盲目的無政府主義である。社会主義は社会的要求と人民の要求を満たすための計画的経済である。第四は生産力の向上と発展に応じて、肉体労働と知的労働の差、工業と農業の差、都市と農村の差が解消されたとき、社会主義は共産主義に成長転化する。第五に、人類社会は生産力の発展の帰結として共産主義に到達したとき、階級社会は消滅し、必然の結果として国家は消滅する。国家は「廃止される」のではなく「死滅する」のである。以上のことをマルクスとエンゲルスは詳しく論じているが、これが唯物史観、つまりは史的唯物論なのである。

 この本の中でエンゲルスは(マルクスと共に)徹底してその哲学、つまり弁証法的唯物論を説き、唯物史観(唯物論的歴史観)を説き、そして史的唯物論を説いている。敗北的修正主義者たちがどんなに泣きわめいても、マルクスとエンゲルスはこの本の中で、はっきりと弁証法的唯物論と唯物史観と史的唯物論を説いている。そしてエンゲルスは次のとおり、明確に主張している。この本の一八八二年に書いた第一版の序文では「唯物史観の、プロレタリアートとブルジョアジーのあいだの現代の階級闘争への適用は、ただ弁証法によってのみ可能であった」(唯物論と弁証法は結合してのみ、つまりは弁証法的唯物論としてのみ階級闘争の世界に通用するのである)と書いている。また本論の(二)の項では「現代の唯物論は本質的には弁証法的である」と書いている。そしてエンゲルスは一八九二年に書いた『英語版への特別の序文』の中で次のように書いている。「この本はわれわれが史的唯物論と呼んでいるものを擁護している。私が史的唯物論という用語を使っても、イギリスのお上品な人びとがあまりひどく衝撃を受けないよう希望する」と。エンゲルスはマルクスの同意のもとで書いた論文のいたるところで、弁証法的唯物論、唯物史観、史的唯物論という言葉をはっきりと使っているのである。

 だからレーニンはマルクス主義哲学の原理を守り通して反マルクス主義と徹底的に闘った。ロシアにおける哲学と経済学会の重鎮で、哲学の世界にプラグマティズムを持ち込んでレーニンと対立したボグダーノフ(一八七三―一九二八)に向かってレーニンはその名著『唯物論と経験批判論』(一九〇八年)の中で次のように言っている。「この人たちはみな、マルクスやエンゲルスが何十回となく自分の哲学的見解を弁証法的唯物論と呼んだことを知らないはずがない」(つまり、マルクスやエンゲルスはその哲学を弁証法的唯物論だと言っていることをみな知っているはずだ。マルクス主義哲学とは弁証法的唯物論なのだ)と。そしてレーニンはつづけて次のことを強く主張している。「マルクスとエンゲルスは一貫して、すべては運動する物質であるという原理から、弁証法的唯物論よりも、弁証法的唯物論をより多く強調した。そして史的唯物論よりも史的唯物論をずっと強く主張した」(同上)と。このようにエンゲルスとレーニンは弁証法的唯物論と史的唯物論こそマルクス主義哲学の根本だということをいたるところで主張しているのである。
「史的唯物論」を定式化したマルクスの『経済学批判・序言』
 マルクスは大著『資本論』のための準備として『経済学批判』のための『序論』を一八五九年に執筆したが、エンゲルスにその書評を書くように頼んだ。エンゲルスは喜んで執筆した。この文書『カール・マルクスの経済学批判・書評』(一八五九年)でエンゲルスは次のように書いている。「この本は根本において唯物史観にもとづいており、この史観、史的唯物論の要綱はその序文のうちに簡潔に述べられている」と。この一文こそ、エンゲルスが規定したマルクス主義の「史的唯物論」の定式化である。その全文は次のとおりである〈次が大月書店発刊(一九六四年)大内兵衛、細川嘉六監訳『マルクス=エンゲルス全集第13巻『経済学批判・序言』の中の一節の全文である〉

 『人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。
 これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえ立ち、そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する。

 物質的生産の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。

 社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激にくつがえる。

 このような諸変革の考察にあたっては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的に正確に確認できる変革と、それで人間がこの衝突を意識するようになり、これとたたかって決着をつけるところの法律的な、政治的な、宗教的な、芸術的または哲学的な諸形態、簡単にいえばイデオロギー諸形態とをつねに区別しなければならない。ある個人がなんであるかをその個人が自分自身をなんと考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期の意識から判断することはできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならない。

 一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地をもち、この生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されてしまうまでは、けっして古いものにとって代わることはない。それだから、人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。なぜならば、もっと詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、つねに見られるであろうからだ。

 大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成のあいつぐ諸時期として表示されうる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる』