学習のすすめ












 (二)歴史科学、社会科学としてのマルクス主義経済学について!

 十九世紀の世界に近代労働者階級が巨大な勢力として歴史の舞台に登場した。近代資本主義の発展はそれに対応して働く人びと、労働者を大量に生み出す。彼らは労働という実践と経験の中から現実の矛盾に突き当たる。この階級的矛盾とその矛盾からの脱出を求めて運動と闘いに決起する。そのとき、同時に、これと併行して、マルクスの頭脳が(その頭脳労働が)労働者階級の運動と闘いへの灯台・羅針盤としての思想と理論を生み出した。これがマルクス主義である。その歴史的経過は〈学習のすすめ〉第一回でくわしく紹介したとおりである。そしてその中の経済学の分野は『資本論』(一八六七年)に代表される。

 だがここでよく知らねばならないことは、マルクスはその大著『資本論』に到達するまで、多くの頭脳を使って予備的著作を発表している。むしろ『資本論』を正しく理解するためにこそ、この予備的著作をよく読まねばならない。その著作とは『ヘーゲル法哲学批判』(一八四三―四四)、『聖家族』(一八四四)、『独仏年誌』(一八四四)、『ドイツ・イデオロギー』(一八四五)、『経済学批判・要綱』(一八五七―八)、『経済学批判・序言』(一八五九)、『経済学批判』(一八六一―三)、こうして『資本論』に到達した。そしてさらにその補完的著作としての『反デューリング論』(一八七八)、『空想から科学への社会主義の発展』(一八八二)、などエンゲルスの著作がある。

 そして重要なのは、マルクスの著作『経済学批判についての書評』(一八五九年に執筆したエンゲルスの一文)にあるつぎの言葉である。「マルクスの経済学は本質的に唯物論的歴史観(史的唯物論)にもとづいている。この歴史観の要点は、マルクスの『経済学批判・序言』のなかで簡潔にのべられている」というこの一言である。

 エンゲルスのこの言葉をよくかみしめて理解しなければならない。つまり、マルクス主義経済学(経済学一般に共通する学問)の根幹は『史的唯物論』(人間の生活と生きたその歴史)でなければならない、ということである。その核心を一言で言えば「人間が生きるための力、その生産力の発展が、人間の相互関係、国家と社会制度を変化させていく」という科学的法則である。経済学とは『史的唯物論』にもとづく人間の歴史、その経済史でなければならない。その基本的概略はつぎのとおりである。

 (註・『史的唯物論』を定式化したマルクスの『経済学批判・序言』の中の有名な一節は〈学習のすすめ〉第三節・五の項で全文が紹介されている)
(1)生産力がなく、したがって生産活動もなかった人類最初の社会は、すべてが大自然を相手にした共同採集経済であり、それを土台にした共同体・コミュニティー社会、社会的人間道徳の世界であった!
 マルクスは前記『史的唯物論』の最初の書き出しでつぎのように言う。「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志とは関係なく、独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる」と。つまり、人間は人間としてはじめて存在したそのとき、目の前にある、自然的条件が提供した生活(経済的条件)に遭遇するのである。だから経済学はここから出発しなければならない。

 だからマルクスとエンゲルスは共同で執筆した『ドイツ・イデオロギー』(一八四五―六年)の中でつぎのように言う。「われわれはあらゆる人間的な存在の、したがってまたあらゆる歴史の第一の前提、すなわち人間たちは歴史を作り出すために生きることができなければならないという前提を確認することからはじめなければならない。ところで、生きるためには何をさておき、食、飲、住、衣、その他のことがなくてはならない。したがって最初の歴史的行為はこれらの必要な充足のための諸手段の産出、物質的生活そのものの産出であり、しかもこれは、今日もなお何千年前と同じように、人間たちをただ生かせておくだけのために、日々刻々、果たさねばならない一つの歴史的行為であり、あらゆる歴史の根本的条件である」と。つまり人間はまず食わねば生きていけないのだから、経済学とはいかにして食うのか、ということから出発しなければならない、という。

 さて、生きるためには食、衣、住を生産しなければならない。生産活動のためには生産力(生産する力)がなければならない。生産力とは何かについて、マルクスは『資本論』第二巻、第一章、第二節ではつぎのように書いている。「生産の社会的形態がどうあろうと、労働力と生産手段とはいつでも生産要因である。およそ生産がおこなわれるためには、この両方(この二つ)が結合していなければならない。この結合が実現される特殊な段階は、そのことによって時代の社会的構造、その経済上の時代を区別していく」と。

 つまり、経済活動、生産活動、物を生産するためには労働力(人間の働く力、能力、エネルギー)と、生産手段(道具類、機械類、土地、建物、交通機関)という、この二つが結合しなければならない、ということである。そして重要なことは、この「生産力」の度合い(発展段階)が、その時代の歴史的段階(生産関係、国家と社会制度)を性格づける、ということなのである。マルクスのこの短い一文をよく理解し、認識しなければならない。これが出発点である。

 では人類は地球上に出現した当初、生きるためにどのようにして食、飲、衣、住を手にしていたのであろうか。このことについてマルクスは『経済学批判・要綱』(一八五七―八)のなかでつぎの諸点を明らかにしている。

 「原初の生産的条件は、それ自体は生産されたものではありえない。つまり生産の結果ではない。自然と人間の物質代謝の自然的条件と、生きて活動する人間とが、一体をなしている姿は説明を要することでもない」

 「労働の主な客観的条件はそれ自体労働の生産物として現れるのではなく、自然として見い出される。彼の活動に前提されているのは、ちょうど彼が生きていくプロセスで、彼の皮膚や感覚器官を前提としているのと同じようなものである」

 「生産の原初的条件には、果実、動物などのように、生産的労働せずとも、直接消費できる素材が自然に含まれていたのである」と。つまり、人類が人間として存在するに至った原初、その原始時代には、生産活動はなかった。道具類や機械類はまだ発明されておらず、せいぜい大自然から得た石器類や、木材が使われていた。つまり生産力はなかった。この生産力の未発達という条件が、原始時代の生産関係(人間の相互関係、国家と社会制度)を規定していった(生産力が生産関係を規定した)のである。

 このことについてマルクスとエンゲルスは『ドイツ・イデオロギー』の中でつぎのように言っている。「人類の原初、最初の所有形態は部族の共同所有である。これは人びとが狩猟と漁労で、牧畜で、あるいはせいぜいのところ農耕で食っているような生産の未発達な段階に対応する」と。

 このことについて日本では小学館発行の『日本大百科全書』のなかの縄文時代(原始時代)について、つぎのように記述している。「当時まだ国家というものは成立しておらず、部族社会が中心で、狩猟、採集、漁労にもとづく獲得経済であった」。「縄文時代の生業は狩猟、漁労、木の実類など採集中心の経済で、人びとは自然の産物に生活をゆだねていた」と。これは日本考古学界の定説「縄文時代は国家も権力もなく、共同体社会で、戦争もない平和な社会であった」というのと完全に一致している。

 ここに歴史科学があり、史的唯物論がある。このように歴史を科学として見なければならない。つまり、生産力の発達条件、生産力の発展段階が、生産関係としての社会制度を作りあげているのである。原始時代の生産力の状況が、原始的社会制度、原始共同体社会、社会的人間道徳の世界を作り出していたのである。