学習のすすめ












 マルクスは一八四三年、ドイツ政府に危険分子という烙印(らくいん)を押され国外追放された。パリに移ったマルクスはここで新たな革命運動を開始、一八四四年に『独仏年誌』を発刊した。エンゲルスはこのことを知り、イギリス資本主義の現状を分析した貴重な文書『経済学批判大綱』を寄稿した。マルクスはこの文書を高く評価、これをきっかけにマルクスも経済学批判に取り組むようになり、それが『資本論』へと発展していく。

 エンゲルスはこの論文の中でつぎのように論じた。資本主義経済はますます機械化された大工業となる。大量の労働者とその労働は必然的に協力と協同と連帯の作業、つまりは社会的な性質を帯びてくる。その生産物もまた大量となり、広く社会的な需要を考慮せざるを得なくなる。ここにも社会的要素が強くなる。にもかかわらず、イギリス資本主義は、すべてが個人主義であり、個人的欲望と利益追求だけである。その結果、すべての経済活動は盲目的となり、無政府的となる。生産活動に従事する働く人びと(労働者)は、生産物は増大するのに得るものは少なく、社会的不公平と不平等は拡大する。この矛盾を解決するためには、生産手段(土地、工場、建物、機械、道具、交通手段)を社会的所有、公のもの、社会主義に移行させることである、と。

 エンゲルスと一致してマルクスもまた『資本論』を通じて、とくに一八八二年一月二十一日に書いた『共産党宣言』のロシア語版の序論で「ロシアに残っている原始的農民共同体、土地の共同所有形態が、プロレタリア革命と結合したとき、共産主義的共同体への出発点となる」と書いた。

 マルクスとエンゲルスは一貫して、生産手段(土地、工場、建物、機械、道具、交通手段)の社会的所有、共同体、コミュニティー、社会主義化をとなえた。

 そしてエンゲルスは『共産主義の原理』(一八四七年)の中で、真の自由と民主主義、真の平等と公平と人間性の豊かさは、国家と社会そのものが、協力と共同のコミュニティーでなければならず、生産活動もまた個人主義ではなく、社会的欲望(社会の需要)と社会的人間の欲望(大衆的人間の需要)に答えられる目的・意識的、計画的生産、計画経済でなければならない、と主張した。

 エンゲルスは『空想から科学への社会主義の発展』(一八八〇−八二年)でつぎのように論じている。資本主義経済は欲望的自由主義であり、必然的にそれは行き当たり的、無計画的、無政府的になる。これに反して社会主義は、社会のため、人民のため、コミュニティーを豊かにするため、そのための目的・意識的、計画的な経済活動である。社会主義は計画経済である、と。そして『共産主義の原理』でも、社会主義的計画経済を通じて、工業化、機械化、化学技術が発展し、生産力が高度に発達したとき、工業と農業、都市と農村、知的労働と肉体労働の差がなくなる。そうなったとき、共産主義の低い段階の社会主義から、社会主義の高度な段階の共産主義に到達する。これが国際的規模にも達したとき、そのときに国家というものは「廃止される」のではなく「死滅する」のである、と。

 マルクスは一八七五年に発表した『ゴータ綱領批判』の中で、資本主義における自由主義と自由競争とは個人的欲望にもとづく排他的競争である。その結果は必然的に弱肉強食の世界を作り出す。これに対して社会主義における競争、社会主義競争とは、社会のため、われわれのコミュニティーのため、みんなのための競い合い、励まし合いなのだと主張する。何のために、どういう目的なのか、その性格、性質が根本問題なのである。

 マルクスはその論文の中で、社会主義とは共産主義に到達する前段階であり、だからまだ資本主義の母斑(残りかす)は残っている。これはさけられない。故にここでは商品経済も、価値法則も生きている。したがってそこは「能力に応じて働き、働きに応じて得る」時代である。生産力が高度に発展し、生産物がより豊かになった共産主義の時代、そのとき「能力に応じて働き、必要に応じて得る」という時代に達する、と主張している。

 マルクスとエンゲルスが明確にしたとおり、独占資本主義と帝国主義の経済法則はまさに盲目的であり、無政府的である。それはスミスの古典経済学が説くように、人間欲望の自由放任と自由主義が生み出す必然の法則である。それは現実の資本主義世界そのものが立証している。世界の歴史は土地と領土と財産をめぐる対立と抗争に明け暮れ、そのための戦争は絶えることなく、その度に国家と社会は破壊され、そのことを通じて小民族と小国家の大国支配が実現されていった。

 資本主義経済の歴史を見ても、常に破壊を繰り返し、そのことを通じて大衆収奪と大衆の貧困化は進み、巨大独占資本の支配が実現されていった。最近の実例、世界大恐慌を引き起こした一九二九年十月二十四日のニューヨーク株式大暴落(暗黒の木曜日、ブラックサーズデー)も、一九八七年十月十九日、史上最大の株式大暴落(暗黒の月曜日、ブラックマンデー)、これらの大小繰り返される経済上の事件は日常化している。そして現代、二〇〇七年夏からはじまった「サブプライム問題」を根源とする世界的規模の金融、経済不安と混乱と混迷、それらはみな資本主義の自由主義、盲目主義、無政府主義という経済法則の産物である。ここで肝心なことは、このような自由主義経済法則は必然的に、その結果として、徹底的な大衆収奪、大衆の貧困化、その反映としてのすべての分野における独占支配と独占化が進み、格差社会は無限となる、ということである。

 現代世界最強のアメリカ、巨大独占資本支配のアメリカこそ最大の格差社会であり、貧困社会であることがこのことを証明している。現実に、国際通貨基金(IMF)は二〇〇七年十月九日に世界経済見通し(WEO)の分析結果を公表したが、そこでははっきりとつぎのことが述べられている。「所得の格差がすべての国と地域でますます拡大している。所得の絶対額が増大する中で貧困層が増加し、それを上回るペースで富裕層が増加している。格差社会の代表格はアメリカであり、中国はその米国を追い越す勢いで格差が拡大している」と。

 人類の歴史は自由主義・盲目主義・無政府主義か、目的意識的・計画的・社会主義的計画経済か、という根本問題を提起している。歴史は科学的法則のもとに立ち返るよう求め、転換せんと爆発している。