学習のすすめ











(二)ソビエト社会主義の偉大な勝利とその成果が崩壊したのは、フルシチョフによる「スターリン批判」という、反マルクス主義的ブルジョア思想によって、ソビエトの党と国家がブルジョア的に変質した結果であった。そしてこれは、マルクスが予言し、レーニンが予告し、警告していたことであり、社会主義が最終的に勝利するため必要な全歴史過程における、必然性の中の偶然性であった!

 経済学については第四節においてそれは社会科学であることをくわしく論じた。あわせて、資本主義的ブルジョア経済学は、人間欲望の自由放任、個人主義的自由、盲目主義、無政府主義であること。反対にマルクス主義経済学は、科学的で目的意識的な計画経済、社会主義経済であることをくわしく論じた。

 そして第五節の(一)の項では、マルクス主義経済学の正しさと、その偉大な成功と勝利の事実を、レーニン、スターリンのソビエト経済建設の四十年という歴史的事実を通じて正確に検証した。これは記録された経済統計、第一級の経済学者、知識人の証言でも確認されていた。そしてこれらの証明、証言を通じて、レーニン、スターリンの偉大な社会主義が崩壊したのは、実にフルシチョフの「スターリン批判」という名のブルジョア思想によって、ソビエトの党と国家が資本主義に変質し、変色した結果であったことも明らかにした。ソ連の社会主義がおかしくなり、崩壊していったのはフルシチョフ以後であったことを明らかにした証言はその他にもたくさんあるが、代表的なものの二、三についてここに紹介しておきたい。

 一九九〇年九月二十四日付『毎日新聞』は「どうなるソ連の経済改革」という特別記事を掲載したが、その中に次の一節があった。「戦後ソ連経済は目覚ましい発展を続けたが、ブレジネフ時代の後半から経済成長が止まり、生産設備の老朽化が進んだ」と。つまり、フルシチョフからはじまってブレジネフに続くソ連の変質と国家の崩壊をこう論じているのである。

 また一九九一年三月号の月刊誌『世界』は「社会主義はどこへいくのか」という議論を掲載しているが、そこにはつぎのような一文があった。「人工衛星・スプートニクを最初に打ち上げたのがソ連であったように、一九六〇年代の半ば過ぎ頃までは生産力の拡大という点に関しては、むしろ計画経済の方が、あるいはソ連型社会主義の方がより有効である、というふうに資本主義陣営の人間も等しく考えていた。その結果として生まれてきたのがケインズ理論であり、別の言葉で言い換えれば、それは修正資本主義であった。このような社会主義が七〇年代のいつ頃からか、経済がこのように崩壊し始めたというのはいったいどういうことか」と。ここでも同じように、フルシチョフ、ブレジネフという、ソ連の党と国家の変質以後におかしくなったことを証言しているのである。

 そしてまた一九九〇年三月六日付『日本経済新聞』は「ソ連経済の再建」と題する一文を掲載しているが、その中につぎの一節がある。「一九三〇年代は資本主義諸国が経済不況と失業、生産と貿易の不振という大混乱の間に、ソ連経済だけは高度成長を続け、後進国の希望の星となった。そしてアメリカ、ドイツにつぐ巨大な重工業を建設し、よくヒトラーの侵略に耐えたことは否定できない事実である」と。ここでも、レーニン、スターリンのソビエト経済建設の偉大さをたたえているのであり、これはまったく小泉信三の言質と一致している。

 ここでよく注意しなければならないのは、あらゆる論評、記事、文書に共通するのは、前はよかったのに、後でおかしくなったのはなぜか? ということ。つまり途中でおかしくなったのはなぜかと言いながら誰も答えが出せない、ということなのである。

 それがわからないから、解答が出ないから、その結果として一番手っ取り早い方法として「ソ連型計画経済の失敗だ」、「マルクス主義の誤りだ」などという、あの古い反共、反社会主義、反マルクス主義のスローガンを持ち出しているのである。ブルジョアジーが昔から使ってきたあの手法を新しい装いをこらして吹聴しているのである。

 われわれは一貫して、昔からこういう種類のブルジョア的言論とは闘ってきたので何もめずらしいことではない。われわれは思慮分別があり、時流に流されることもなく、科学的知識と歴史を科学として見る目をもっているから、この問題についても明確である。つぎがわれわれの見解であり、結論である。
フルシチョフとはマルクス主義運動の歴史上において、最大の修正主義者、変節者、最大の裏切り者であった。その理論上・思想上・政治上の本質を見よ。その結果、ソビエトの党と国家が変質したこと(内因論)によって、それ以後のソビエトは資本主義に転換したのである。社会主義の敗北ではない!
 一九五六年二月二十四日、開催中のソビエト共産党第二十回党大会の席上、党の最高責任者たるフルシチョフ第一書記は、いわゆる「スターリン批判」という秘密報告を行ったが、その内容は六月四日にアメリカ国務省によって公表され、全世界に大きな衝撃を与えた。それは誠に驚くべきもので、まさにスターリンとは血の粛清による独裁者であった、というもので、すべての人びとをあぜんとさせた。フルシチョフはアメリカへ通告し、連絡を取り、アメリカはフルシチョフの了解のもと公表したのである。

 さて、このアメリカ国務省による「スターリン批判」の内容を知った全世界のあらゆる分野で大騒ぎがはじまった。右も、左も、中間も「これはどういうことだ」というわけである。しかしこのとき、われわれ正統マルクス主義者、真正共産主義者は誠に冷静であり、毅然たるものであった。なぜならわれわれは、マルクス主義の理論上の原則、科学思想の原則、万物を認識し支配する根本原理たるマルクス主義哲学を正しく認識し、この哲学からすべてを理解し、判断する能力をもっていたからである。そしてフルシチョフの如き人物はいつかは出てくるものであることを、レーニンが予告し、警告していたことも知っていたから、これこそソビエトにおけるブルジョア思想の出現であり、復活であることを知ったからである(レーニンの予告と警告の文献についてはあとで紹介する)。だからわれわれは覚悟を固めて闘争の準備をしなければならないと決意した。そしてもう一度哲学に立ち返ること、第一歩から哲学を学ぶよう呼びかけたのである。

 エンゲルスは『ドイツ農民戦争』(一八七五年)の中で「ドイツ哲学がなければマルクス主義は生まれなかった」と書いている。そしてレーニンは『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』(一九一三年)の中で「マルクス主義は十九世紀ドイツ哲学の正しい継承と発展、完成であった」と言っている。

 そのマルクス主義哲学とは「唯物論」であり「弁証法」であり「史的唯物論」である。そのくわしい内容は〈学習のすすめ〉の第三節で展開されている。それはつまり「弁証法的唯物論」である。その「弁証法的唯物論」の核心を集約すればつぎの三項目となる。

 第一は、宇宙と万物はすべて運動する物質である。ここに客観的事実がある。そして運動する物質の本質が人間の知的頭脳に反映し、頭脳を通して実現したものこそあらゆる政治思想であり、理念と理論であり、認識や自覚、という主観なのである。この客観と主観はまったく別のものであると同時に、運動するものの統一された二つの側面である。

 第二は、物質の存在とは運動であり、運動とは発展、前進、飛躍、転換である。そのためのエネルギーは、物質内部に内包された熱、電気、化学作用、生命本能である。人類と人間の生活と社会的運動においてはその主観としての政治思想、理念と理論、認識や自覚であり、これが内因としてその運動を支配していく。

 第三は、物質運動の基本法則(方法)は止揚≠ナある。止揚(しよう、揚棄、アウフヘーベン)とは、古いもの、過去、現在そこにあるものから出発し、それを引き継ぎながら、その中の発展的で、先進的で、革命的なものを引き出し、育成し、成長させ、こうして運動の飛躍と転換を通じて新たなものを獲得していく、ということである。

 以上の三つは、弁証法的唯物論の根本原理であり、その核心である。この原理と核心が現実に、この宇宙と万物の運動を支配し、貫徹している。
マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンはマルクス主義運動の一系列である。
 マルクス主義哲学の第一原理と核心からフルシチョフの「スターリン批判」をどう見るか。それはまったくマルクス主義の否定、社会主義と共産主義運動の否定、そこから必然的に実現されるブルジョア思想への堕落、資本主義への転落、なのである。

 なぜか。宇宙と万物とは運動する物質であり、それが客観的存在である。この物質運動の存在が生み出すのが政治思想であり、理念と理論であり、自覚と認識である。故に存在と意識は統一された二つの側面である。この原理からマルクス主義運動、社会主義運動、共産主義運動をみるとき、その存在としての物質運動は明らかなごとく、それはまさにマルクス・エンゲルスと第一インターであり、レーニンとロシア革命と第三インターであり、スターリンとソビエト社会主義の建設とコミンフォルムであった。この一系列こそ、マルクス主義、社会主義、共産主義運動の物質的表現であり、その思想上、政治上の理念と理論がマルクス主義、レーニン主義なのである。

 この哲学原理と核心からみたとき「スターリン批判」とは、まさしく、マルクス主義運動、社会主義運動、共産主義運動の否定であり、その物質運動を否定することによって、その意識的表現としての思想と政治も否定してしまったのである。

 マルクス主義運動の物質的存在とは、マルクス・エンゲルスと第一インター、レーニン・スターリンとソビエト社会主義建設、こういう人間と運動体(組織)と国家・社会・権力なのである。歴史上、マルクス主義と社会主義と共産主義運動の物質的表現はこれしかなかった。この一系列以外に、哲学が示す客観的存在という物質運動は、他にはなかった。この物質運動としてのマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンというこの存在を認めるのか、認めないのか。フルシチョフは「スターリン批判」によってこの物質運動としての一系列を否定した。そのときフルシチョフは自己の属性を離れ、その系列から離れ、脱落し、他の属性と陣営(資本主義陣営)に脱走、脱落していった。こうしてソビエト社会主義は内部から変質し、変節し、資本主義に脱落していった。ソビエト連邦とソビエト社会主義のフルシチョフ以後の歴史はこのことの正しさを見事に証明している。

 なお、トロッキズムについていえば、そういう政治思想と理念や理論というものは、物質として、つまりは歴史上の運動としてはどこにも存在せず、空想に過ぎなかった。物質的運動の世界に、物質的運動としてはどこにも何もなかったのである。ただトロツキーという一人の人物が、個人的にいわゆるトロッキズムといわれる論理をとなえていたということだけのものである。

 なお、理論と実践の相互関係について明らかにしておきたい。思想・理論というものは実践(物質運動)が生み出すものであり、物質運動という実践が知的頭脳に反映して生まれる。だからその理論が正しいかどうかは物質運動という実践によって証明されていなければならない。また本当の正しい実践と行動は、正しい理論によって導かれないかぎり勝利しない。理論と実践は運動上の統一された二つの側面であることをはっきりと認識しなければならない。
哲学的内因論を認識せよ。物質運動はすべてその内部、内因によって運命は決定される。
 マルクス主義の弁証法的唯物論の第二の核心たる「内因論」から「スターリン批判」をどうみるのか。内因論とは、物質の運動(発展、前進、飛躍、転換)のエネルギーはその内部にあり、運動の過程から生まれ、内包する熱、電気、化学作用、生命本能である。人間と人類社会では物質運動の反映としての政治思想、理念と理論、自覚と認識である。人類史は対立する階級の相互作用(階級闘争)から生まれる政治思想がエネルギーとなる。まさに「思想が物質的な力となる」(マルクス)のである。外的条件(外因)はすべて内因(内部のエネルギー)を通じて作用する。

 一八五三年(嘉永六年)七月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦四隻を率いて浦賀に来航し、日本の開国を迫ったというこの外圧(外因)が、日本国内の政情を刺激した。それが「尊皇攘夷」という統一スローガンによる徳川幕府打倒の内圧(内因)を引き起こし、明治維新が一八六八年(慶応四年)四月に実現したという歴史的事実も、歴史科学が教える内因論の見本である。

 あとで紹介するレーニンの文書にあるとおり、独占資本と帝国主義の包囲下では、常にブルジョアジーの思想的・政治的外圧があり、それがソビエト内部の弱い部分に影響して、ついにフルシチョフを通じて爆発した。それが「スターリン批判」という名のブルジョア思想の展開であり、以後ソビエトは資本主義への道をばく進していく。

 フルシチョフは一九五七年七月に各国共産党の代表を集めて国際会議を開き、そこで世界の各国の共産党はそれぞれ独自の道を自由に(自由化)進むことを確認し、新しいモスクワ宣言を採択した。このとき、マルクスの『共産党宣言』の精神と、「万国のプロレタリア団結せよ!」とのあの気高いプロレタリア国際主義は完全に放棄されてしまった。そして一九六二年十月に発生した、あの世界を震撼(かん)させた「キューバ危機」において、アメリカ帝国主義に屈服してキューバから撤退。わずか十年で一九六四年十月、フルシチョフは党から追放された。

 しかしフルシチョフの「反スターリン主義」はそのまま引き継がれていく。ブレジネフ時代はいよいよ本格的にソビエト社会主義が崩壊する時代となる(前項・序論を見よ)。一九七三年六月にはブレジネフが訪米、米・ソ和解の共同声明を発表して、ソビエトを資本主義陣営の一員たることを確認。一九七六年六月には全ヨーロッパ共産党代表者会議を開催、いわゆる社会主義の多様性と自由化を確認してマルクス主義的本質を放棄。一九八五年三月にゴルバチョフが登場するが、その十月には党中央委員会総会を開催「ペレストロイカ」(改革開放というブルジョア自由化)を採択。一九八九年にはアメリカとの間で東西冷戦の終結を宣言。一九九〇年十一月にはソビエト最高会議にて社会主義という制度を放棄することを決定。一九九一年八月にはソビエト共産党を解散、自らも党最高責任者としての地位を退いた。こうしてそのあとのエリツィンによって十二月二十六日、ソ連邦最高会議の席上、ソ連邦の解体を宣言し、各共和国(各民族)は別々の道を進むことになった。

 以上の歴史的事実が示すとおり、すべては内因論であり、すべては思想と政治であり、すべてはソビエト内におけるブルジョア思想の復活とブルジョア支配の実現、それにもとづく資本主義の復活であった。

 はっきりしているように、マルクス主義の敗北や、社会主義の失敗ではなく、すべては内部の裏切りによるマルクス主義と社会主義の放棄が根本原因であり、マルクスの予言、レーニンの予告したことの出現であった。
万物の運動法則は止揚≠ナある。その反対は否定≠ナある。そして否定は否定される。
 弁証法哲学の発展と前進に関する運動法則の第三の核心と原理たる止揚≠ニいう認識論を正しく理解しなければならない。つまり、古いもの、過去、現在そこにあるもの、そのことを確認し、認識し、そこから出発し、これを引き継ぎながら、その中から新しいもの、先進的なもの、革命的なものを認識し、育成し、成長させ、飛躍させ、こうして新たなものを作り出していく、というこの法則は万物を支配する鉄の法則である。

 宇宙と人類世界も止揚の法則による産物であった。最新の物理学が教えているとおり、約百四十億年前のビッグバン(大爆発)によって宇宙は誕生した。しかしそれは、その以前の世界、つまり無の世界、見ることもできない真空のエネルギー(暗黒物質)の運動が引き起こしたインフレーションによるビッグバンであった。宇宙とはまさに止揚の世界である。そしてこの宇宙は、過去と現代を引き継ぎながら、今なお、無限の世界で膨張し続けている。止揚は無限である。
 われわれ人類、人間もまた止揚の産物である。地球が生れ、生命が生まれ、生物となり、動物(猿)から人間は進化していった。そして人類世界、その社会もまた、生産力の発展に応じた生産関係のなかで成長、転化しつつ、今日の時代を迎えている(くわしくは〈学習のすすめ〉第四節・経済学、をみよ)。

 われわれ一人一人の人間個人を見てもわかるとおり、親があってわれわれがある。親を否定すればわれわれの存在自身が否定される。マルクス主義もまた止揚の産物である。レーニンは一九一三年に書いた『マルクス主義の三つの源泉』の中で「マルクス主義とは人類が十九世紀にドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義という形でつくりだした最良の英知の正統な継承であり、その完成であった」と言っている。つまり、止揚することによって完成させたのである。

 そしてマルクス主義は、その物質的運動として、ヨーロッパにおける共産主義運動、第一インタナショナル。レーニンのロシア革命と第三インタナショナル。スターリンのソビエト連邦社会主義建設とコミンフォルム、へというふうに、その一系列として存在しつづけたのである。故に、真のマルクス主義は、弁証法的唯物論の運動法則の第三の原理たる止揚の法則にもとづいて、この一系列を引き継ぎ、これを発展させ、前進させるため、内因論にもとづき、その運動の中で闘いつづけることである。これを否定すること、「スターリン批判」という名の否定をすることは、マルクス主義の否定であり、自己否定である。結果として、ブルジョアジーへの屈服であり、社会主義から資本主義への脱落である。現実にフルシチョフ以後のソビエトは、そのあとを引き継いだブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィンらによって、完全に資本主義に脱落したではないか。フルシチョフに従ったユーロコミュニズムも、中国のケ小平とその後の党と国家も、日本の宮本顕治とその党も、みなフルシチョフと同じ運命をたどっているではないか。

 マルクスは『ヘーゲル法哲学批判・序論』(一八四四年)で、レーニンは『哲学ノート』(一九一四年)のなかで「否定するものは必ず否定される。否定の否定である」と言っている。現実にフルシチョフはスターリンを否定したが故に自分もまた歴史によって否定されてしまった。彼がその後存在したのはたかが十年であり、その最後は誠にみじめなものであったという歴史がこのことを証明している。