学習のすすめ











(四)マルクスが提起し、レーニンが実現した、社会主義建設勝利のカギとなる、プロレタリア独裁(労働者階級と人民の支配とその権力)の物質的表現たる「評議会」(ソビエト)の思想的(理論的)意義をしっかりつかみ、これを堅持し、これに依拠して権力を執行せよ!

プロレタリア独裁とは何か?
 プロレタリアとは働く労働者階級のことである。プロレタリア独裁とはその労働者階級と人民大衆(巨大独占資本の支配に収奪されている非独占的中小商工業者、農民、多くの人民)の同盟にもとづく支配体制・支配権・その国家権力のことである。だからこれは個人的独裁ではない。階級的支配権のことである。巨大独占資本主義(ブルジョアジー)が、彼らの支配政党たる政治勢力を使って実現するその階級的独裁支配に反対し、これを覆し、それにかわって労働者階級と人民の支配権を打ち立てるもの、これがプロレタリア独裁である。故にこれは階級闘争と階級支配の道具なのである。

 プロレタリア独裁というのはマルクスによって提起された学説・理論上の表現であり言葉である。マルクスがはじめてこのことを提起したのは『共産党宣言』(一八四八年)であった。マルクスはつぎのように言っている。「社会主義実現の第一歩は労働者階級の支配権を打ち立てることである。労働者階級の権力を利用して、資本主義的生産関係を一歩一歩社会主義的に変革する。こうした革命的変革の手段としてプロレタリア独裁がある」(大月版マルクス=エンゲルス全集、第四巻)

 そしてマルクスが正確に、理論上の表現として「プロレタリア独裁」を使ったのは一八五〇年に執筆した『フランスにおける階級闘争』であった。この中でマルクスはつぎのように書いている。「プロレタリ革命と社会主義の実現は、人類社会における階級制度の廃止と、階級的諸観念の変革に到達するための必然的通過点としてのプロレタリアートの階級的独裁である」と。

 つづけてマルクスは『ゴータ綱領批判』(一八七五年)のなかでつぎのように書いている。「資本主義社会から共産主義社会に到達する過程には社会主義をふくめて、政治的、社会的な過渡期がある。この時期に存在する国家とは、必然的にプロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」と。

 エンゲルスもまたマルクスと同じことを言っている。エンゲルスが一八七五年三月十八日から二十八日にかけて友人のアウグスト・ベーベルに送った手紙の中でつぎのように書いている。「プロレタリアートがまだ国家を必要とするあいだは、プロレタリアートはそれを、自由のためにではなく、その敵を抑圧するために必要とするのです。本当に自由となったとき、もはや国家としての国家は必要でなくなり、国家は存在しなくなります」と。

 だからレーニンはつぎのように断定した。「ただ階級闘争をみとめるだけではマルクス主義者ではない。階級闘争の認識をプロレタリアートの独裁の認識にまでおしすすめる人だけが真のマルクス主義者である」(一九一七年八月『国家と革命』)と。

 そしてまたレーニンはつぎのように言う。「権力手段と権力機関をにぎっている暴圧者に対する暴力なしには、人民を暴圧者から解放することはできない。……そしてこのプロレタリア独裁にもとづく新しい権力は空から降ってくるのではなく、旧権力と併行して、旧権力に対抗して、旧権力との闘争のなかで発生し、成長する」(『独裁の問題の歴史によせて』一九二〇年十月)と。

 そしてこのプロレタリア独裁は、真のマルクス主義的前衛政党なしに、これをぬきにしては成り立たない。マルクスはつぎのように言っている。「共産主義者は、実践的には、すべての国の労働者諸党のうちで、最も進歩した、断固たる、たえず推進していく部分である。理論的には、プロレタリア運動の諸条件、その進路、その一般的結果を理解している点で、残りのプロレタリアートの大衆的前衛である」(『共産党宣言』第二章「プロレタリアと共産主義者」一八四八年)と。

 そしてレーニンもまたつぎのように言う。「歴史上ただ一つの階級も、運動を組織し、指導する能力のある自分の政治的指導者たち、自分の先進的代表者をおくりだすことなしに支配権を獲得したものはない」(『われわれの運動の緊要な諸任務』一九〇〇年十一月)と。

 またレーニンはつぎのように言う。「プロレタリアートの独裁の本質、その主要な本質は、労働者階級の先進部隊、その前衛、その唯一の指導者であるプロレタリアートの組織性と規律とにあるのです。プロレタリアートの目的は、社会主義を創建し、社会の階級分裂を廃止し、社会の全成員を勤労者に変え、人間による人間のいっさいの搾取の基盤を取り除くことです」(『ハンガリアの労働者への挨拶』一九一九年五月、大月版レーニン全集、第二九巻)

 そして最後にレーニンはわれわれに決定的な思想原則を提起した。レーニンはつぎのように強く主張した。「革命的理論なくして革命運動はありえない。流行の日和見主義の説教と、実践活動のもっともせまい形態への心酔とが抱合しているような時代には、どれほど強くこの思想を主張してもなお足りない。先進的な理論に導かれた党だけが先進的な役割をはたすことができる」(『何をなすべきか?』一九〇一年―二年)と。

プロレタリア独裁の物質的表現としての評議会(ソビエト)
 「プロレタリア独裁とは何か?」については以上のとおりである。この原理・理念・理論に従って実践し、行動し、現実の社会主義革命と社会主義建設を実現させる物質的なもの、その力、その武器、その体制こそまさに「評議会」(ソビエト)である。それは歴史上はじめて実現されたロシアにおける社会主義革命とレーニンによって出現した人類史上初のプロレタリア独裁の物質的形態とその表現であった。

 一九〇五年に発生したロシアにおける第一革命は、一九一七年に勝利したロシアにおける社会主義革命の予行演習であった。一月十六日、ペテルブルグのプチロフ工場におけるストライキと一月二十二日の「血の日曜日」から開始され、六月二十七日の戦艦ポチョムキンの反乱から、十二月二十三日から三十日にかけての武装労働者の蜂起と政府軍との市街戦、政府軍による鎮圧、というこの革命戦争の中でソビエトは生まれた。

 十月二十六日、ペテルブルグのプチロフ工場に最初の労働者代表ソビエトが結成され、それはモスクワ、バクーなどロシアの主要都市に拡大された。工場毎のソビエトは地域ソビエトへ、産業別ソビエトへと進んだ。労働組合、非組合員、政党、政派、宗教に関係なく、そこで働き、そこで生活しているすべての人びとの共通の意志によって決議され、承認された、真に大衆を代表する機関としてのソビエトであった。このモデルは軍隊にも波及し、「兵士代表ソビエト」が軍内に、そして農民の間には「農民ソビエト」が生まれた。こうしてレーニンとボリシェビキの指導のもとに、全ロシアに、地域ソビエトから、全国ソビエトへと広がった。これを拠点に、一九一七年十月の社会主義革命では「全権力をソビエトへ!」という統一スローガンにもとづくロシア社会主義革命へと成長転化したのである。

 事実が証明したとおり、「評議会」とは、人民大衆による「直接民主主義」の形態である。そこで働く、そこで生活する人民大衆が生産点と生活点で、共通の意志と、共同の認識を集団の意志と政策として集約し、これを機関としての「評議会」で確認し、権力の意志として執行していく。これである。

 レーニンはロシアにおける第一革命から学んで、十月革命の直前の一九一七年八月―九月に『国家と革命』という論文を発表したが、その中ではっきりとつぎのように書いている。「二十世紀初頭の帝国主義段階におけるプロレタリア革命はパリの労働者が生み出したコミューン型でなければならない。そのロシアにおける具体化がソビエトである」と。

 そしてレーニンはロシア革命の勝利後の一九一九年三月に創立された第三インタナショナル(コミンテルン)の第一回大会での開会の辞でつぎのように言う。「わがソビエト制度はプロレタリア独裁を実現するその形態である。プロレタリア独裁というこの言葉は今まではラテン語だったが、ロシア革命の勝利によってそれはソビエトという現代語に翻訳されるに至った。ここにプロレタリア独裁の実践的形態がある」と。

 さらに一九二〇年七月に開かれたコミンテルン第二回大会で採択されたコミンテルン規約ではつぎのような一節が確認されている。「共産主義インタナショナルは、プロレタリアートの独裁をもって、人類を資本主義の支配から解放する唯一の可能な手段であると考える。そして共産主義インタナショナルは、ソビエト制度をもって、プロレタリアートの独裁の歴史的形態であることを確認する」と。

 マルクスが提起し、レーニンが実現した労働者階級と人民の支配、その権力とは、まさに「評議会」という直接民主主義であり、愚民主義とごまかしの議会主義ではないことをはっきりと確認しなければならない。
投票による議会主義とは、愚民政治であり、衆愚政策であることをしっかり確認せよ
 資本主義から社会主義への変革、社会主義建設期の国家のあり方、そのための労働者階級と人民の支配権としてのプロレタリア独裁の本質とその形態、などは以上で明らかになったとおりである。そこでいつも問題になるのが議会主義についてである。ブルジョア自由主義とブルジョア政治の見本であるこの議会主義と議会政治について、労働者階級と人民はどう考えるのか。はっきりしているように、これはまさに愚民政治、衆愚政策そのものであり、ブルジョア独裁とその権力支配の本質を覆いかくす鎧(よろい)の上の衣なのである。

 この問題について、前記、コミンテルン第二回世界大会の『議会に関するテーゼ』では明確につぎのとおりに規定されている。「独占と帝国主義の今日的条件のもとでは、議会は虚偽や欺瞞や暴力やおしゃべりのための道具となってしまった。……共産主義者にとっては、今日では、議会は、どんな事情のもとでも、かつて以前の時代にそうであったように、労働者階級の運命を好転させるための手段とはなりえない。政治生活の重心は、決定的かつ終極的に、今では議会の外に移ってしまった。……したがって、この機関を支配階級の手から奪取し、それを破壊し、全廃し、そのあとに新しいプロレタリアートの権力機関を置き替えることは、労働者階級の当面の任務である。……プロレタリアートの独裁のとるべき形態はソビエト共和制である」と。

 レーニンが右のように、明確に規定するとおり、ブルジョア的愚民政治の見本たる議会主義に迷わされてはならない。ブルジョア権力は常に議会の外で、「政・官・財の癒着構造」、「ステルス複合体」(中川秀直著『官僚国家の崩壊』)によってすべては執行されている。これに対抗するにはプロレタリア独裁としての「評議会」以外にはない。

 投票によって政府や政治家を選ぶという方法が出現したのは紀元前五世紀の古代ギリシャであった。ギリシャには当時多くの都市国家(ポリス)が生まれたが、その中のアテネは早くから市民参加型の政治が発展し、やがて投票によって政治指導者を選ぶ方法が採用されるに至った。そして投票用具に用いられたのが陶器の破片であった。投票の結果、市民に人気のない指導者は追放された。そこから歴史上「陶片追放」という言葉が生まれた。結果としてこの制度は、結局は人気投票となり、そこから大衆迎合(ポピュリズム)という悪しき風習が作り出されてしまった。そしてそこからこの方法は政治指導者や、政党間にとって人気取りの政争道具になってしまった。アテネでは政治の無能力と分裂を生み出し、国力は低下し、やがて隣国のスパルタに敗北してしまった。

 しかしこの制度は大衆支配の手段、ブルジョア自由主義の装飾物として、より巧みに引き継がれていくのである。つまりは大衆の理性・自覚ではなく、その本能を利用し、本能を駆り立て、自由主義を叫びたて、風の吹くまま、気の向くまま、行き当たりばったり、そのときの個人的感情によって誰かに投票するという、まさに無政府主義、愚民主義、衆愚主義という、ブルジョア政治の根幹になってしまったのである。

 ここで改めて、はっきりと、投票とは何かということを考えてみなければならない。選挙と投票に人びとを駆り立てる行動、何が人びとを投票に行かせるのか。それはあくまでも個人の自由主義、自由行動なのである。すべて個人的事情が根底にある。その契機となるものは、あるときは気の向くままであり、そのときの気分であり、風の吹くままであり、付和雷同である。ある人にとっては個人的知り合い、同郷の人、学閥、同好会、宗教心、名誉欲、そして金であり、物品であり、強制である。ここに個人行動と自由主義と無政府主義がある。だから投票というのは、大衆の後れた部分、社会と切り離され、孤立した個人、個人的幻想と錯覚と夢想にもとづく行動であり、ここに愚民性と衆愚性の本質がある。

 そういう愚民政治・衆愚政治の生きた実例、歴史上の実例はブルジョア議会政治のいたるところに、日常茶飯事として山ほどあるが、大きな、代表的でわかりやすいものとしてナチス・ドイツのヒトラーと、国内的には田中角栄の例に見ることができる。あの第二次世界大戦を引き起こした元凶たるナチスとヒトラーの出現はドイツ国民議会が生み出したのである。一九三三年十二月に実施されたドイツにおける議会総選挙、ナチスとヒトラーへ全権委任するための総選挙では実に九六%の投票率と九二・二%の得票率という、世界史上最高の投票結果からナチスとヒトラーは生み出されたのであった。そして、日本の総選挙史上最高の勝利を得たものは、一九八三年十二月総選挙で田中角栄が得た二十二万票、四六・五%という史上最高の得票であった。しかもそれは、日本史上はじめての現職総理大臣の疑獄事件(ロッキード事件)で有罪判決を受けた直後の、いわゆる「ロッキード総選挙」で、国内世論の八〇%が田中退陣を求めるという社会風土の中での出来事であった。こういう歴史上の事実が証明しているように、投票による議会主義というものが、いかに愚民政治、衆愚政治であるかということをわれわれはよく知らねばならない。これはブルジョア政治の出現以来続く伝統であり、ブルジョア思想に毒された人間には理解されないが、歴史は労働者階級と人民によって必ず打破される。

 そしてまた、選挙における投票率も考えてみればならない。あらゆる選挙をみればわかるとおり、平均すれば五〇%の投票率である。だからそのなかの七〇%を獲得して第一党となったとしても、政権をとったその政党は全有権者(全国民)の三五%しか代表していないのである。これが大衆参加、国民の支持、選挙での勝利といえるのか。民主主義という名に値(あたい)するものだろうか。否である。ここにも愚民性、衆愚性がある。

 真の民主主義とは、自覚された人民大衆の共同の意志、共通の認識、協同行動にもとづく政策の確立と確認、である。人民大衆は、生産点、生活点、つまり労働と生活の中で、互いに協力し、共同し、共通の要求にもとづく運動と闘いの中で、連帯し、交流し、自らのコミュニティーを作り上げていく。ここに真の民主主義がある。その集大成されたものこそ「評議会」である。

 最後に一言付け加えておきたいのは、マルクス主義のこの根本理論を忘れて、ブルジョア議会主義という、愚民主義、衆愚政策におぼれた結果、自らもブルジョア政党に堕落してしまった社会主義(共産主義)政党が歴史上たくさん出現した例(ユーロコミュニズム、日本の宮本修正主義、ロシア、中国の修正主義、その他)を絶対に忘れてはならない。
プロレタリア独裁に関するレーニン主義を忘れてはならず、堅持せよ
ロシア革命を勝利させ、ソビエト社会主義を実際に勝利させたレーニンはその著『何をなすべきか?』(一九〇二年)の中でプロレタリア独裁における思想原理を次のように説いている。
 
  • 理論と実践の固き統一、(革命的理論に導かれた実践活動の展開)。
  • プロレタリア独裁と民主主義の統一(プロレタリア独裁の理論と思想の堅持、そしてそのために必要な民主主義的方法の採用)
  • 戦略と戦術の統一(一貫した戦略目標の追求、情勢と条件に応じた各種の戦術の遂行)。
  • 目的と手段の統一性(目的を明確にし、そのために必要な、そのときに採用すべき戦術の策定)。
  • 必然と偶然の統一(目標と目的に向かう必然の道は、必ず偶然性に遭遇する。そのとき、偶然性を必然性に転嫁させる決定的な力こそ、指導部の決断と勇気である)。

 以上のとおり、すべては二つの側面の統一にそのカギがある。万物は対立物の統一である。この二つを分裂させたり、一方に片寄ったりしてはならず、そうなったとき存在は消滅してしまう。ここにも哲学がある。