〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









現実の世界経済と現代資本主義は、すべての国と地域において、混迷と混乱と迷走に陥っている。こういう客観的存在が意識としての理論(経済学)に混迷と混乱と迷走を生み出しているのである。ここに現代資本主義の崩壊という歴史時代がある!

 安倍政権の経済政策「アベノミクス」は内外で大変な話題になっている。学会でも、政界でも、経済界でも賛否両論が渦巻いている。そこで安倍内閣(内閣府)が主催し、五月三十日、三十一日の二日間、内外の著名な経済学者を集め、東京で国際学術会議を開催した。多くの学者が集まったが代表的な出席者にノーベル経済学賞受賞者で米コロンビア大学ジョセフ・スティグリッツ教授、日本からは安倍内閣のブレーン・浜田宏一米エール大学名誉教授(内閣官房参与)らであった。しかしこの学術会議はまったくあいまいなまま終わった。声明も出ず、何が論議になったのか、という統一見解も出ず、新聞報道は安倍内閣へのお世辞ばかりであった。
 なぜこうなったのか。哲学原理が教えるとおり、存在が意識を決定したのである。つまり存在とは、資本主義経済の危機、混迷と混乱と迷走、この存在が意識としての東京国際学術会議をあいまいに終わらせたのである。現代の資本主義の危機、混迷と混乱と迷走とは何か。それを象徴しているものは何か。
 まずアメリカである。注目すべきは五月二十三日、オバマ大統領はワシントンで演説し、何を言ったか。それははっきりと「アメリカは世界的な規模の戦争にはもう手を出さない。イラクやアフガンからも手を引く。そして国家建設に全力を注ぐ」と。つまりアメリカは国家の財政危機からはもう脱出できないことを明言したのである。支出も削減、軍備も縮小して、アメリカ経済は自転車操業≠ナある。国家が赤字であろうが、なんであろうが走り続けねばならない。まさにアメリカの危機は現代資本主義の危機の象徴である。
 EUはどうか。五月三十一日、イギリスの外務大臣は訪問先のドイツで演説し「EUからの脱退の可能性」を公言した。フランスもスペインもEUの存在価値はない、として同調している。六月三日付の産経新聞では、EUの存在価値を認めているのはヨーロッパの主な国では過去の60%から現在では45%に激減し、もうEUに残る価値はないと報じている。ドイツ以外の国は全部が財政危機であり、経済は停滞し崩壊している。これはEUの問題ではなく、現代資本主義の危機の反映である。
 「アラブの春」はどうか。イラクでは爆弾テロが相次いで発生している。エジプトでは「黒い集団」と称するゲリラ組織が暴れ回っている。社会不安は絶えない。「アラブの春」は長期独裁政権を倒した後、みな選挙をおこなったが、どこも分裂、混乱に陥っている。資本主義的民主主義、間接民主主義、つまり選挙制度は無力であることを完全に証明した。
 中国はどうか。「中国は危ない」「崩壊は近い」などと予測する出版物が日本でも外国でも相次いでいる。最近では『習近平と中国の終焉』富坂聰著、角川SSC新書)、『2013年後期の「中国」を予測する』(宮崎正弘、石平著、WAC BUNKO)が発刊されブームを呼んでいる。これらの書物の中で目立つのは猛烈な格差社会、腐敗堕落の蔓延、年間三十万件にも及ぶ反政府デモ、そして瓦解する中国、習近平断末魔の叫び、などの言葉である。資本主義中国は現代資本主義の危機、混迷と混乱と迷走のよき表れである。
 安倍政権が鳴り物入りで準備したアベノミクスをめぐる国際学術会議が何らの回答も示さす、統一見解も出せず、無能、無力に終わったのは、こうした資本主義の危機、混迷と混乱と迷走がそのまま反映した結果であった。資本主義はいつかどこかで必然性に向かって大爆発するであろう。現代はその独占資本主義が崩壊し、コミュニティー共同体へと大転換していく壮大な歴史時代である。
 二〇一二年十月十一日の『朝日新聞』、「カオスの深淵」の欄に「危機読めない経済学」と題する一文が載った。それは次の内容である。
 〔エリザベス英女王がなにげなく口にした疑問に、英国の経済学者たちは激しく動揺した。
 二〇〇八年十一月、経済学の名門ロンドン大経済政治学院(LSE)の開所式。来賓の女王が尋ねた。
 「どうして、危機が起きることを誰も分からなかったのですか?」
 米証券大手リーマン・ブラザーズ破綻から始まった金融危機が深まっていた。居合わせた経済学者は、充分な返答ができなかったようだ。
 学者や実務家らが集められて討論し、手紙で女王に報告した。「金融市場や世界経済について多くの警告はありましたが、分析は個々の動きに向けられました。大きな絵を見失ったことが、ひんぱんにありました」。手紙に署名した一人、LSEのティム・ベズリー教授は言う。「誰も全体を見ていなかった」
 経済学者は政策を示すエリートだ。しかし、本当に役に立つのか。よってたかって処方箋を書くのに、なぜ景気はよくならないのだろう〕と。アベノミクスをめぐる東京国際学術会議の本質は、エリザベス英女王の疑問に答えられなかったイギリス経済学者の苦悶と同じなのである。ここに現代資本主義経済学に内在する自由放任、無政府主義、無計画という本質が出ている。

思想や理論(経済学もその一つ)は客観的存在(現実の物質的運動)、そして現実の世界情勢(歴史科学)が正しく反映していなければならない。つまり経済学は歴史科学に立脚しなければならない!

 現代の宇宙物理学が到達した結論が証明しているとおり、人類社会も含めた万物は、永遠の過去から永遠の未来に向かって限りなき運動と発展と前進と転換の中に存在し続けている。人類の歴史もその中の一つであり、この運動法則は歴史科学として人類史を貫いている。
 人類の歴史を一貫して貫いているのは、「生産力の発展が生産関係を規定している」という科学法則である。生産力(物を作り出す力、能力、その生産量)が生産関係(生産に携わる人びとの相互関係、国家と社会のあり方)を決定していく、という法則のことである。この問題の思想上、理論上の核心は、一八五九年にマルクスが書いた論文『経済学批判・序言』の中の一節に正しく規定されている。それは次のとおりである。
 人類が出現した当初、生産力はなかった。生きるために必要な食・衣・住のすべては大自然からの採集、狩猟、漁労であった。そのため、大自然に立ち向かうため、人間はすべてにおいて共同・協力・連帯を必要とした。そのための社会生活、社会制度、人間関係が原始共同体であり、原始共産主義社会であった。そこには権力も国家もなかった。
 やがて人類は農耕を覚え、道具も発明し、生産活動が始まった。この生産力の発展が生産物の増大、蓄積、財産を生み出し、その財産は土地や山林まで私有化され、これを私物化させ、この私有をめぐる対立と抗争を生み出し、ここから権力と国家と階級社会が出現した。その最初の国家は貴族社会であり、奴隷制国家であった。古代ローマがその典型である。
 農耕のための道具の改良、土地の開発、集団労働は奴隷制ではなく、人間的労働としての農奴制を求め、ここから封建制社会が生まれた。生産力の発展は新しい社会としての封建制を生み出した。
 生産用具の改良と改革、技術の進歩、設備の拡大は工場制生産となり、製品の増大は商品経済を、そのための貨幣制度を生み出した。このことが封建制の崩壊と近代資本主義制度への転換を実現させたのである。
 人類の歴史を少しでも知っている人なら、マルクスのこの規定はまったく正しく、歴史はそのとおりに進んできたことが確認できるはずである。
 そしてその後の歴史は、マルクスの規定したとおり、まさに「生産力の発展が生産関係を規定した」のである。近代資本主義の発展と進歩をみればわかるとおりである。生産力は一貫して進歩し、発展、前進し、機械制大工場はいっそう近代化していった。近代資本主義はイギリスとヨーロッパからはじまった。そして十七世紀から十八世紀には全世界を支配した。
 十八世紀にイギリスから開始された産業革命(技術革命、機械の発明、世界貿易)は資本主義を一変させた。資本主義は最高の段階たる独占資本主義から帝国主義の段階に到達した。それは金融支配、金融寡頭時代であり、資本主義の最高の段階たる金融帝国主義である。
 「金融寡頭支配」とは、独占資本主義国家の中央銀行―民間銀行―金融機関という少数の集団が、その権力を動かして産業資本、商業資本、そして中小資本から農民や中小商工業者、人民大衆を支配し、収奪する全体系のことである。
 ヒト、モノ、カネが、いとも簡単に国境を越えていく。すべてが自由に移動していく。そのエネルギーがカネなのである。カネによってヒトも、モノも、そして国家と民族も、みなそのカネによって突き動かされる。まさに「マネー・マネージャー資本主義」(服部茂幸著『危機・不安定・資本主義』)である。
 このような経済至上主義、物質万能主義、利益第一主義、拝金主義、この体質、この資本主義的本質こそがあらゆる悪の根源であり、あらゆる諸現象の源泉である。戦争と内乱、対立と紛争、テロと暴力、非人間的な各種犯罪はみなこの資本主義的な体質が引き起こすものである。われわれは哲学を知らねばならない。つまり「存在が意識を決する」という哲学原理である。意識(人間の善悪とその行動)は存在(歴史時代という人間のおかれた環境)が決定する。歴史時代と環境が人間を作り上げる、という原理である。だから環境が変われば人間も変わる。そして歴史はその運動と変化のなかで環境を変化させるよう求めて激動する。そのとき歴史の要求に答え、環境を変化させるための目的意識性(思想と理念)が生まれ、この目的意識性によって歴史は転換していく。過去の歴史と英雄をみればわかるとおりである。人間の歴史は大宇宙の運動法則と一体になって、いくたの悲劇(喜劇)を乗り越えて前へ前へと前進し、到達すべき人類史の到達点に向かって進む。これが歴史科学であり、経済学はそのための方法論である。
 帝国主義とは金融独占資本、プラス他民族の支配である。同時にそれは資本主義の最高で、最後の段階であり、労働者階級と人民の世界(コミュニティー共同体から社会主義)への扉(とびら)を開いた。人類社会はロシア革命を通じて最初の実験を体得した。多くの実績、経験と教訓を得た。歴史はここから多くのことを学び、限りなき宇宙の膨張と同じように、限りなき人類社会の発展と前進のためにこの実験は生かされるであろう。歴史はいくたの偶然を重ねながら必然の道をばく進する。これが歴史科学である。マルクスが『経済学批判・序言』の中で展開した基本思想と理論は以上であり、みごとに歴史科学と人類の歴史を反映している。

アダム・スミスとその古典経済学、メイナード・ケインズとその修正資本主義経済学、そして市場原理主義を唱えるミルトン・フリードマンの新古典派経済学まで、すべての資本主義経済学は(現代資本主義と共に)みな行き詰まってしまった。現代資本主義の崩壊は避けられない!

 現代資本主義を支配している経済学はその根本においてアダム・スミスの古典経済学を源流としている。だからケインズも、フリードマンも、その内実はみな同じなのである。違いがあるのは言葉遣いと、その方法と、やり方の強いか弱いかであって、本質には変わりはない。歴史は一貫してスミスの「人間欲望の自由放任主義」によって支配されてきた。その結果現実の世界は、欲望の自由放任主義、欲望につかれた人間たちの世界、利益追求第一主義、カネがすべてだとする拝金主義、自由競争という名の弱肉強食、人間性そう失の荒廃社会、の時代となってしまった。歴史はここからの脱出を求めて激動している。その現象が戦争と内乱、テロと暴力、各種の犯罪と事件と事故、である。こうした偶然性を通じて歴史は現実からの転換と脱出を求めて激動する。歴史を求め、歴史が必要としているのは人類が最初に作り出した社会、連帯と協力と共同社会、コミュニティーである。
 この歴史の流れ、その法則を現実のものとして日程に登らせたのは金融独占資本主義の時代、金融寡頭支配の時代、金融グローバル時代に至った一九八〇年代からであり、それが実体経済の世界に実現されたのが二〇〇七年の夏から発生したアメリカのサブプライム・ローンの破綻であり、それは世界規模の金融バブル崩壊となった。
 世界資本主義は十八世紀の産業革命、十九世紀の独占資本主義から帝国主義へ。これは産業独占から金融独占への転化であり、すべては金融支配、金融寡頭支配への移行であり、すべてはカネが支配するに至った。そして当然世界は一つになり、経済的に単独で、一国だけでは成り立たなくなった。グローバル(世界的・国際的)な世界なのである。
 このことの本質について、ポール・ケネディ(イギリスの著名な歴史学者で、その主著『大国の興亡』は世界的なベストセラーになった)は、二〇一一年七月十日付読売新聞に『地球を読む』という欄でつぎのように書いている。
 「ドル支配の時代は終わりに近づいている……問題は、米国の信用が疑われていることだ。……大きな勝者は投資家たちだろう。今日の国境なき世界において、彼らは国家的な忠誠心を持たず、一日中、利ざやを求めて動く。彼らは商品市場のあらゆる理性を破壊した。銅の先物買いをするのは、銅線を作るためではなく、翌日売って15%の利益を得るためだ。どこかの国の通貨を、破綻に追い込むほど売り買いすることもできる。遊べる準備通貨が三つもあれば、彼らは大喜びするだろう。……なぜなら……世界を動かしているのは、まさに通貨だからである」と。
 このポール・ケネディの一言は、みごとに現代資本主義の本質、金融独占資本主義の本質、現代資本主義崩壊の必然性を明確にしている。そしてまた、ポール・ケネディは無意識の中の意識性として、あのマルクスの『経済学批判・序言』が明確にした「生産力の発展が生産関係を規定する」という学説の正しさを、ポール・ケネディ的に証言したのである。歴史は否応なしにマルクスを求めて運動する。
 二〇〇九年十月に発生したギリシアの国家財政の破綻は、たちまちヨーロッパ共同体(EU)各国にも波及し、いまEUはその岐路にさしかかっている。自由主義経済をそのままにした共同体など、あり得ないことは経済法則からみて明らかである。それよりもしっかり認識しなければならないのは、このEUの発足とその政策はすべてケインズの理論と政策であり、それがみごとに失敗したということである。このことを正しく認識せよ。
 自由主義的市場原理主義を主張するアメリカのシカゴ大学を基盤とするシカゴ学派のリーダーたるミルトン・フリードマンたちのことをリバタリアニズム(自由至上主義)という。この市場原理は一九八〇年代にアメリカではレーガン大統領、イギリスではサッチャー首相によって実行された。その結果はどうであったか。レーガン政権によって実現されたのは金持ち優遇の減税と東西冷戦に備えた軍備拡張であり、徹底した金融緩和政策であった。その結果、史上最大の格差大国アメリカの実現。経済上では上位一%の富裕層が九十九%の大衆を支配する構造を作り上げた。二〇一一年九月十六日に若い青年たちが「ウォール街を占拠せよ」とデモを敢行、そのスローガンは「一%の金持ちではなく九十九%の人民のための政治を。そのために資本主義と戦え」であった。このデモは十月十五日には世界の八十二カ国で、二十万人を動員した反資本主義の運動となった。
 イギリスではどうか。その評価を端的に表現したのが、二〇一三年四月八日に死んだマーガレット・サッチャーの葬儀の模様である。二〇一三年五月二十五日付朝日新聞は次のように報じている。〔葬儀の日…英国旗に包まれた元首相のひつぎを載せた砲車が差しかかると、通りの南側では勲章を胸につけた退役軍人たちが敬礼で迎えた。そして北側には、ひつぎに一斉に背を向ける大勢の市民から「葬儀費用を国民に返せ」というヤジが飛ぶ。南側では「福祉泥棒め」とののしる声。元首相がいかに英国を「分断」したかを物語っていた。…ストが頻発し、経済が停滞した英国病≠ゥら救い、共産主義にきぜんと立ち向かった鉄の女≠ヘ、福祉を軽んじ、弱者を切り捨てた冷酷な政治家としても記憶されている〕と。
 アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、この二人のやったことの中に、市場経済主義の本質がみごとに証明されている。
 このような経済至上主義、物質万能主義、利益第一主義、拝金主義、この体質、この資本主義的本質こそがあらゆる悪の根源であり、あらゆる諸現象の源泉である。戦争と内乱、対立と紛争、テロと暴力、非人間的な各種犯罪はみなこの資本主義的な体質が引き起こすものである。われわれは哲学を知らねばならない。つまり「存在が意識を決する」という哲学原理である。意識(人間の善悪とその行動)は存在(歴史時代という人間のおかれた環境)が決定する。歴史時代と環境が人間を作り上げる、という原理である。だから環境が変われば人間も変わる。そして歴史はその運動と変化のなかで環境を変化させるよう求めて激動する。そのとき歴史の要求に答え、環境を変化させるための目的意識性(思想と理念)が生まれ、この目的意識性によって歴史は転換していく。過去の歴史と英雄をみればわかるとおりである。人間の歴史は大宇宙の運動法則と一体になって、いくたの悲劇(喜劇)を乗り越えて前へ前へと前進し、到達すべき人類史の到達点に向かって進む。これが歴史科学であり、経済学はそのための方法論である。
 永遠の過去から永遠の未来に向かって絶えず運動し、発展し、前進し、転換していく人類の歴史が必ず近い将来この問題をきっぱりと解決するであろう。その時代はもう近い。なぜなら人類の歴史は、原始共同体―奴隷制―封建制―資本主義―独占と帝国主義へと、前へ前へと進んできたからには、ここで止まっているわけではなく、つぎの新しい時代へ進む以外にない。その新しい時代こそコミュニティー共同体である。

結語

  • 人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である!
  • 生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる!
  • 人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する!
  • コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ!
  • 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする!
  • 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む!
  • 人間は生まれたときから環境の産物であった。環境が変われば人間も変わる。国家と権力が変われば国民は変わる!
  • 人類が最初に、はじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人民の社会、人間の社会が生まれ、人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するだろう。                                    (以上)