〈人民戦線実践論






〈人民戦線重要文献〉






人類の歴史、人類社会の発展と前進という、この歴史科学がマルクスの正しさを証明している。歴史と経済学を科学として確認せよ!

 エンゲルスは一八五九年に『マルクスの経済学批判・序論についての書評』を書いたが、その中で、マルクスの経済学は社会科学であり、理論的には「史的唯物論」が根拠になっている、と言っている。ここで哲学としての史的唯物論の核心を確認しておきたい。その根幹はつぎのとおりである。

(1)生産力がなく、したがって生産活動もなかった人類最初の社会は、すべてが大自然を相手にした共同採集経済であり、それを土台にした共同体・コミュニティー社会、社会的人間道徳の世界であった。

(2)生産力の成長と発展による生産活動の飛躍は余剰生産物(備蓄)を生み、財産となる。そこに個人的欲望にもとづく財産をめぐる争い、対立と抗争、戦争と内乱が発生、権力機関としての国家が成立。生産力の発展が生産関係を変化させる第一歩がはじまった。

(3)生産力の発展が生産関係(国家と社会制度)をつぎつぎに変化させ、発展させた人類の歴史をしっかりとみつめよ。ここに歴史科学・社会科学としての経済学がある。

 原始共同体から奴隷制へ、そしてつぎの封建制へと歴史は転換していく。それを促したのは生産手段の発達(機械と用具の木製から石器類へ、金属製へ、単純なものから複雑なものへ、改良、改革、発明、発見)にもとづく生産力の向上であった。このことがそれまでの奴隷労働(奴隷制)ではなく農奴(封建制)を求めていった。奴隷制国家から封建制国家への転換は歴史の必然であった。

 生産手段(道具、機械、土地、交通手段)の改良、改革、発明、発見は生産物の爆発的増大となり、それは必然的に商品となり、商品交換と販売と販路を求め、そのための流通手段としての貨幣を生み出し、商品経済、貨幣経済を生み出していった。

 とくに商品経済は自由を求める。経済的自由、自由な商品としての労働力を求める。自由こそが商品経済と貨幣経済と工場制大量生産のためには絶対不可欠な社会制度なのである。自由を求めて歴史は動く。人間欲望の自由放任をふくめて、商品経済、貨幣経済、資本主義経済、ブルジョア社会は、一切の自由を求める。「自由こそわれらの世界」なのである。

 だからアダム・スミスの自由放任主義とそのブルジョア経済学、ケインズを含めたあらゆる種類の経済学はみなスミスの亜流であって、いろいろと化粧しているが根本的には自由主義・自由放任主義である。自由ということは経済的・社会的には好き勝手であり、自由奔放であり、無政府的である。だから何事も想定外であり、予想不可能であり、対処不能なのであり、行き当たりばったり、成り行きまかせである。

 そしてこういう資本主義体制が土台となって、その上部構造としての政治上・思想上の分野も、自由主義的対立と抗争、分裂と混迷、動揺と混乱が日常化し、巷(ちまた)には退廃文化、道徳腐敗、自暴自棄の風潮が広がる。これが自由主義の結末である。

 こうして自由主義から出発した近代資本主義、人間欲望の自由放任主義、その自由主義経済はもはやその頂点に達した。独占と帝国主義の時代は登り詰め、らん熟し、腐敗し、能力を失い、次の時代に移行せざるを得ない人類前史の最後の段階である。人類は大衆社会、人民の世界、近代的コミュニティーへの転換を求めて激動しているという、現代の時代認識を知らねばならない。