2015年(平成27年)9月25日付 433号


クラウゼウィッツの『戦争論』の正しさは、広島・長崎への原爆投下という歴史の事実によってその正しさが証明されている。「賢者は歴史に学べ」!

今年の八月は第二次世界大戦が終わり、日本が敗北してから70周年記念の月である。区切りのよい年には日本では総理大臣の記念の談話が発表されるのが恒例になっている。大変内外で話題になったのが、一九九五年八月発表の、当時日本社会党の党首で総理大臣であった村山富市首相の「戦後50年談話」であった。その中で村山首相は、
 @日本が行った戦争は侵略戦争であった。
 A同時にそれは植民地支配でもあった。
 Bこれについて日本は痛切な反省をする。
 C私は戦争によって大きな被害を受けた各方面に心からお詫びを申し上げる、というものであった。
 この談話は内外に大きな衝撃を与えた。中国、韓国は大いに歓迎し、アメリカは冷静に受け止め、諸外国はさまざまに受け止めた。その中で日本の右翼民族主義は徹底的に反発、左翼主義の日本への裏切りだと叫び声をあげた。
 そういう中で二〇一二年十二月、安倍内閣が出現、日本の右翼民族主義は活気を取り戻した。
 安倍内閣は発足以来つぎつぎと右傾化政策を実行、アメリカ政府さえこれにはいささか不安と不信を感じるまでになっていった。その中にこの問題「戦後70年談話」もあった。というのは、安倍首相は一貫して戦後レジームからの脱出を叫んでおり、あの「村山談話」にも激しい批判を展開しており、そして今年になってから、八月に備えて早くから「村山談話」を否定する発言をしていたし、日本の民族主義者たちは八月に向けて言論を活発にしていた。中国や韓国は激しい有形・無形の圧力を加えてけん制を強め、アメリカさえも干渉してきた。
 こうしたなかで八月十四日、安倍晋三首相は、戦後70周年を記念した「内閣総理大臣談話」を閣議決定として内外に発表した。結果は、日本右翼民族主義の要求は無視され、あの「村山談話」のキーワードたる四項目はそのまま採用されたのである。中国や韓国は満足し、アメリカは安心し、諸外国はやれやれという気分であった。そして日本の一般的反応はこれでよし、であったが、右翼民族主義は大いに不満であった。だがこの問題の余韻はなお続いており、問題は続く。
 だがわれわれ哲学歴史科学的世界観に徹する立場から見たとき答えは明快である。
 われわれはつぎのように答える。
 (一)戦後70周年を記念する安倍晋三首相の「内閣総理大臣談話」は日本の右翼民族主義にとって歴史的敗北宣言であった。
 (二)そしてこのことは哲学歴史科学の運動法則が生み出した必然の産物であった。歴史科学の法則は前へ前へと進むものであって決して歴史は後へ後へと逆戻りするものではないのである。歴史は偉大である。
 (三)そしてこの談話は、改めてわれわれに「戦争とは何か」、「われわれは戦争に対していかに対処すべきか」という問題を提起した。
 (四)そしてこれもまたクラウゼウィッツの『戦争論』が理論的に解明したその正しさは第二次世界大戦(その中の核心・広島・長崎への原爆投下)という歴史的事実が証明している、ということをわれわれに認識させた。
 (五)結論は一つ。すべてを哲学的に、すべてを科学的に、すべてを運動する物質の運動法則として認識せよ、ということである。それを具体的に言えば、すべては運動する物質の歴史的段階における産物であるということ、つまり歴史的段階、歴史時代、その時の歴史が生み出す、ということである。

 さて現代はどうか。現代の歴史時代とは何か。それは世界は無重力の時代であり、漂流する時代であり、大衆の怒りがいたるところに爆発している時代である。その根底にあるのは資本主義というこの政治・経済・社会制度が生み出す必然の産物としての抑圧と生活苦、失業と貧困、格差社会の拡大と前途への不安、である。この現象と原因については水野和夫氏の著作『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)が正しく解明しているとおりである。つまり歴史は人類社会の根本的転換期に到達しているのであり、著名な自然科学者・福岡伸一氏がその著書『変わらないために変わり続ける』(文藝春秋社刊)で説くように、人類社会は永遠に存在し続けるために、原始社会から奴隷制へ、そして封建制から資本主義へ、こうして次の時代たるコミュニティー共同体へと変わらなければならない時代に到達しているのである。歴史は変化を求めて爆発する。
 これは哲学歴史科学の必然の法則である。この必然性が、人類社会最後の帝国主義国家たるアメリカ帝国主義の一極支配を終わらせた。その結果ついに世界は重力を失い、無政府状態となり、バラバラになり、必然的に、人間欲望の自由主義の国家形態たる民族主義が一斉に爆発したのである。
 今日、全世界に吹き上がる対立と抗争、内乱と暴動、国家間の紛争と非難合戦などはみな、すべては歴史と民族主義の爆発である。民族主義が形や姿を変えて、宗教対立となり、経済紛争となり、国境紛争となる。しかし歴史が証明しているとおり、民族主義に未来はない。歴史が封建制の遺物としての民族主義を拒否するのである。それは、民族主義の典型であったヒトラーと日本軍国主義の歴史が明確に証明しているとおりである。民族主義は戦争の源泉でもある。
 そういう哲学・歴史科学の運動法則が現代日本の右翼民族主義を否定しているのである。

『戦 争 論』(抜粋)
カルル・フォン・クラウゼウィッツ
(一七八〇〜一八三一)

 レーニンはクラウゼウィッツを高く評価し、次のように言っている。『戦争は別の(すなわち暴力的な)手段による政治の継続にすぎない……。これが戦争史の問題についての偉大な著作家の一人であるクラウゼウィッツの定式であるが、彼の思想は、ヘーゲルによって実り豊かなものにされた。そしてこれこそいつでもマルクスとエンゲルスの見地であって、彼らは、それぞれの戦争を、その時代の当該の関係強国――及びそれらの国の内部のいろいろな階級――の政治の継続とみたのである』(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」一九一五年五月)
 カルル・フォン・クラウゼウィッツは、ナポレオンがヨーロッパを席捲(せっけん)した時代に活躍したプロシア(後のドイツ帝国)の将軍である。クラウゼウィッツは少年時代からプロシア軍に志願、後にベルリン士官学校の校長となり、参謀総長として、ドイツ軍を再編成したまれにみる軍人である。クラウゼウィッツは、一八一八年から十二年間にわたって自らの体験を『戦争論』として執筆、彼の死後、夫人と友人の手によって世に出され、各国語にも翻訳された。その後、全世界の軍事専門家にとっては古典的名著となり、各国の士官学校では教材として採用され、ロシア革命の指導者レーニンも高くたたえた。クラウゼウィッツの『戦争論』はまさに実践の総括であり、理論そのものであり、軍事思想である。今も昔もクラウゼウィッツの『戦争論』は右も左も、思想信条を問わず、一流の軍事専門家、偉大な思想家はみな彼を高くたたえている。戦争とは何か、戦争の歴史を考えるものは一度は彼から学ばなければならない。人民戦線の「戦後五十年・アピール」もクラウゼウィッツから学び、クラウゼウィッツの『戦争論』から出発している。
 さて、クラウゼウィッツの『戦争論』の核心は何か。その要点は次の点にある。

 (一)

 戦争は他の手段をもってする政治の継続にほかならない。戦争とは単に政治行動であるのみならず、まったく政治の道具であり、政治的諸関係の継続であり、他の手段をもってする政治の実行である。
 政治的意図は目的であって、戦争は手段であり、そしていかなる場合でも手段は目的を離れては考えることはできない。

 いかなる事情のもとでも、戦争は独立したものと考えられるべきではなく、一つの政治的道具として考えられるべきである。同時に戦争には、それをひきおこす動機や、事情によってさまざまの種類がある。

 政治家および将軍が下すべき第一義的で、もっとも重要な、もっとも決定的な判断は、その着手しようとする戦争について、以上の点を正確に把握することにある。事態の性質上、求めることのできないものを、その戦争において求めたり、おしつけたりしてはならない。これこそすべての戦略問題中の第一義的な、もっとも包括的な問題である。

 戦争は真剣な目的にたいする真剣な手段である。戦争は常に政治状態に由来するものであり、政治的動機によってのみよびおこされる。したがって戦争は一つの政治的行為である。
 たとえはじめは政治からよびおこされたにしても、戦争はひとたび発生した瞬間から、それは政治にとってかわり、政治から完全に独立したものとして、これを押し退け、ひたすらその独自の法則に従うようになるであろう。それはあたかも、ひとたび導入された地雷が、あらかじめしかけられた方向に向かってのみ爆発するのに似ている。

 とはいうものの、政治目的が優先的な考慮の対象とならねばならぬことには変わりはない。かくして政治は全軍事行動に貫徹し、戦争において爆発する力の性質が許すかぎり、これに不断の影響をおよぼすのである。

 (二)

 戦争を理解するためには、まず第一に政治的要因や事情から生みだされたその性格や輪郭を認識することからはじめねばならない。したがって戦争を指導し、方針を決定すべき最高の立脚点は政治以外のなにものでもありえないことは完全に確実かつ明りょうとなる。

 大軍事的事件や、それに関する計画は、純粋に軍事的な判断にゆだねられるべきであると考えることは許せないことであり、有害でさえある。実際の作戦計画の作成にあたって政府のなすべきことについて、純粋に軍事的な判断をさせる目的で軍人に意見を求めるのは事理を誤ったものである。

 戦争のために必要な主要計画はすべて政治的事情を理解することなしには作成できるものではない。政治が戦争の遂行に有害な影響をおよぼすということがよくいわれるが、非難されるべきは、政治の影響ではなくて、政治自身なのである。政治が正しければ、つまりそれがその目的に適合しておれば、それは戦争に有利に作用せざるを得ない。

 戦争は政治の手段である。それは必然的に政治の特徴を帯びなければならぬ。その規模は政治のそれに対応したものでなければならぬ。したがって戦争の遂行はその根本において政治それ自身である。その場合、政治はペンのかわりに剣を用いるが、それだからといって政治自身の法則にしたがって考えることをやめるわけにはいかないのである。

 軍事行動の目標が政治的目的の代用物となると、一般的に軍事的行動は弛緩(しかん)してゆくものであり、戦闘力は衰える。

 (三)

 戦争というものは、その客観的な性質上、蓋(がい)然性の計算に帰着する。だから偶然性の要素がつきまとう。じっさい、いろいろな人間の活動のうち、戦争ほど不断に、かつ、あらゆる面で、偶然と接触するものはない。
 戦争は実に危険な事業であって、このような危険な事業にあっては、お人よしから生まれる誤謬(ごびゅう)ほど恐るべきものはない。
 物理的暴力の行使にあたり、そこに理性が参加することは当然であるが、そのさい、一方はまったく無慈悲に、流血にもたじろぐことなく、この暴力を用いるとし、他方にはこのような断固さと勇気に欠けているとすれば、かならず前者が後者を圧倒するであろう。
 戦争哲学のなかに博愛主義をもちこもうなどとするのは、まったくばかげたことである。
 戦争は暴力行為であり、その行使にはいかなる限界もない。かくして一方の暴力は他方の暴力をよびおこし、そこから生ずる相互作用は、理論上その極限に達するまでやむことはない。
 戦争は生きた力が死物に働きかける作用ではない。それは、常に生きた力と生きた力との間の衝突である。というのは、戦う二者の一方が全然受身の地位にあるとすれば、それは戦争とはいえないからである。したがって当事者にとって最悪の状態は、抵抗力の完全なそう失である。
 精神的要素は戦争全体を貫いている。物理力と精神力は相互に融合しており、物理力は木で作った槍(やり)の柄であり、精神力は金属で作った槍の穂先である。


クラウゼウィッツの『戦争論』の正しさは広島・長崎の原爆投下という歴史的事実によってその正しさが証明されている。理論を実践的に正しく理解せよ!

 レーニンも高く評価しているように『戦争論』が強く主張しているのは「戦争とは政治が引き起こすものであって、政治の継続であり、その軍事的表現なのである」ということである。
 ではその政治とは何か。この問題についてマルクスは『経済学批判・序論』(一八五九年)で詳しく論じている。その核心は「生産力の発展が生産関係(人と人の相互関係、国家、社会のあり方)を規定していく」、ということである。つまり、その時代の経済状態が政治問題の土台であり、経済状態は常に変化し、発展するが故に、その上部構造としての政治問題も常に変化し、発展する。だから政治と軍事も常に変化し発展する。
 したがって結論は、戦争はその時の歴史時代が生み出すものである、ということである。人類の歴史を見ればわかるように、戦争のない時代は一つもない。歴史は戦争そのものであり、戦争は歴史そのものである。戦争によって歴史は次々に転換していった。
 土地や財産の私有化、領土や国家の私物化、階級社会の存在そのものが政治の私物化を生み出し、ここから政治的対立と抗争、戦争が始まる。そして経済は常に発展し、前進する。それに応じて政治も常に変化し、発展する。だから政治の武器である戦争も常に変化し、発展する。
 戦争がいかに政治に左右されるかは、第二次世界大戦の末期に実施されたアメリカ軍による広島・長崎への原爆投下の問題を見ればよくわかる。


トルーマン「原爆投下ありき」 ポツダム恫喝≠フ真意

<『産経新聞』、二〇一五年八月五日付は、特集を組み、アメリカの広島・長崎に対する原爆投下問題についてつぎのように報道していた>
 〔1945(昭和20)年7月26日、第33代米大統領のハリー・トルーマンは、英首相のウィンストン・チャーチル、中国国民政府主席の蒋介石と連名で、日本政府にポツダム宣言を突きつけた。
 米国は7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード実験場で初の原爆実験を成功させた。「完全なる壊滅」とは原爆投下を意味したのだ。
 トルーマンのこの時期の言動を追うと、日本への「原爆投下ありき」で動いていたことがわかる。
 トルーマンは、知日派の国務長官代理、ジョセフ・グルーの進言を通じて「国体護持」(天皇の地位保全)さえ保障すれば、日本が降伏すると踏んでいた。にもかかわらず、陸軍長官、ヘンリー・スティムソンが作成したポツダム宣言の草案から「天皇の地位保全」条項を削ってしまった。
 第32代米大統領、フランクリン・ルーズベルトが、軍と科学者を総動員して原爆製造の「マンハッタン計画」をスタートさせたには42(昭和17)年8月だった。当初はドイツへの使用を想定していたが、44年9月には日本に変更した。
 米公文書によると、米軍内で広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投じるよう命令書が出たのは7月25日だった。ということは、トルーマンはポツダム宣言発表前に原爆投下を命じていたことになる。
 トルーマンはなぜこれほど日本への原爆投下にこだわったのか。
 ポツダム宣言発表時、海軍の戦艦、空母など主力部隊は壊滅に近く、制空権、制海権はほぼ失われ、日本陸海軍は戦闘機による特攻などでわずかな抵抗を続けているに過ぎなかった〕


日本「降伏」の意向知っていた大統領 狙いはソ連牽制

 <二〇一五年六月二日付『朝日新聞』は特集を組んでアメリカの広島・長崎に対する原爆投下は、第二次世界大戦後の新しい国際情勢をにらんだトルーマンアメリカ大統領のソ連に対するけん制であったとする、アメリカン大学の教授で核問題研究所長のピーター・カズニック氏の一文をつぎのように紹介している>
 〔日本本土に侵攻すれば、徹底抗戦にあい、米兵らに多くの犠牲が出るだろうとの言説を、当時の米国人らは信じていたのです。年配の世代の人たちは(原爆投下を命じた)トルーマン大統領は英雄だったと信じています。実はトルーマンは日本側が降伏したがっていることを知りながら、かたくなに日本側が求めた降伏文書の文言変更を拒んだりしました。
 トルーマンの頭の中にソ連の存在があったのは間違いありません。ソ連が参戦する前に日本の降伏を促したかったのです。原爆投下によって、ソ連に対してメッセージを送ったのです。日本の最高戦争指導会議は1945年5月、ソ連の仲介によって、よりよい降伏文書を得ようとしていました。広田弘毅元首相は駐日ソ連大使に6月初めに会って、一刻も早い降伏の意思を伝えています。
 米国が広島・長崎に原爆を投下した時、ソ連の指導者らは真の標的は日本ではなく、自分たちなのだと理解していたはずです。米国の原爆開発を指揮したレスリー・グローブス将軍も『ソ連が我々の敵だ。日本ではない』と明言しています。
 トルーマンは『8月15日までにスターリンが対日参戦する。そうしたら日本は敗北する』と述べていました。4月11日や7月2日の機密文書には、『ソ連が参戦したら戦争が終わる。日本はそれ以上抵抗できない』と明記されています。米国は日本側の通信を傍受しており、7月18日の日本側の公電によると、天皇が和平を求めていることをトルーマンとその周辺は知っていたのです。だから、原爆によって戦争を終わらせたのではなくて、戦争が終わる前に原爆を使いたかったのです〕
 以上のとおり、アメリカの日本本土に対する原爆投下は、ソビエト政府に対する牽制だったのである。つまり、もう太平洋戦争は終わった。歴史はつぎの新しい時代(段階)に移った。それは米・ソ対立、東西両陣営、資本主義と社会主義の新しい対立と抗争の時代へと変わった。そのとき西側陣営の頭目たるアメリカはつぎの相手は、ドイツや、日本ではなく、ソビエトだ、と認識、早くも新しい主敵たるこの相手に対する最初の一撃として原爆を見せつけたのである。新しい政治情勢が新しい戦争を必要としたのである。ここにクラウゼウィッツのいう「戦争は政治の道具である」という理論上の正しさの証明があり、戦争の本質がある。このことが理解できず、戦争の本質が理解できず、ただ戦場の悲劇だけを叫ぶのはまさに弱い者たちの「遠吠え」(ケンカで敗けた弱い犬が、悔し紛れに遠くから声を出す)そっくりである。戦争は勝つか、敗けるかであり、そこには勝っても敗けても、あらゆる悲劇が生まれる。そこに「博愛主義や人間道徳論など通用しない」(『戦争論』)のである。本当に強い者は「遠吠え」しない。

『戦争論』の中の決定的な言葉である「精神的要素は戦争全体を貫いている。物理力と精神力は相互に融合しており、物理力は木で作った槍の柄であり、精神力は金属で作った槍の穂先である」というこの一言を深く認識せよ。ここに勝敗の分かれ目がある。故に敗者は「犬の遠吠え」に陥ってはならない!

 二〇一五年四月二十三日付『産経新聞』に大英博物館について次のような一文が掲載されている。約七〇〇万点のモノが集積されるロンドンの大英博物館は、いわば人類史の百科全書≠セ。最終的に見えてくるのは人類の歴史は常に戦争と平和のせめぎ合いであったことがわかる、と。
 戦争は人類の歴史上常に絶えることはなかった。そして『戦争論』が断定するように、戦争哲学の中に博愛主義は通用しないのである。あらゆる悲劇が充満している。これが戦争だ。これに打ち勝つ者だけが勝利者となる。そして『戦争論』がいうようにその要(かなめ)は精神力だという。精神力こそ、槍の先にある金属製の穂先である、という。それは戦争の歴史が証明している。


ロシア革命、ソビエト・ロシアの外国武力干渉軍と国内戦の戦いについて。

 一九一七年十一月にソビエト・ロシアが成立。一九一八年のはじめからまず英・仏が東北方面から進攻。日本と米国は夏からシベリアに出兵。一九二二年まで世界中の帝国主義と資本主義国合計十六ヶ国が干渉軍を編成して帝国主義戦争を仕掛けた。旧帝政時代の将軍たちも、各地で反乱を起こした。人類史における帝国主義戦争でこれほどの過酷なものはなかった。ソビエトは生まれたばかりの若い国であり、しかもツァーが起こしたドイツとの戦争は敗北を重ね、国土は荒廃し、兵士は疲れ果てていた。そこに外国軍と国内反乱軍との戦争である。外国干渉軍と国内反乱軍との国内戦は、一九二〇年には主要都市でソビエトの勝利に終わり、日本軍だけが一九二二年まで残った。ソビエト共産党第十回大会は一九二一年三月八日にモスクワで開かれ、帝国主義との戦争の勝利と、新しい経済政策(ネップ)への移行を決定。プロレタリア革命(人民革命)の偉大な勝利をたたえた。この戦争の犠牲者は兵士と民間人を合わせて千四百万人にのぼった。


帝国主義との戦いに勝利した歴史上の二つの経験のもう一つはベトナム戦争である。

 歴史上二回目の帝国主義への勝利はベトナム戦争である。一九六二年から一九七三年にかけて戦われたこの戦争は誠にし烈を極めた。アメリカは延べ三百万人の兵力を動員、死傷者は三十五万八千人に達し、二千人以上の行方不明者、戦後の帰還兵は各種の障害に苦しみ多くの自殺者を出した。アメリカはこの戦争では原爆以外のあらゆる化学兵器を使った。第二次大戦でアメリカが使った爆弾投下量は六百十万トンなのに、ベトナム戦争の一九六五―七三年間だけでも千四百万トンに達した。特に化学物質である枯れ葉剤の使用は山や森や林を消滅させ、人間性を否定するようなシャム双生児や、無脳症など、先天性奇形児の出産や、死産を多発させた。
 この戦争で、ベトナム側の戦死者三百万人、民間人の死傷者は四百万人に達した。そしてベトナムは勝利した。それはソビエト・ロシアの勝利と同じ法則、つまり人民戦争として戦い、人民戦線を内外に結成し、そして人民闘争は革命的英雄主義(祖国と人民のため、帝国主義からの民族解放、自由と独立の正義の戦いという思想と政治認識)を発揮した。ここに歴史上二度目の帝国主義に勝利した経験と教訓がある。
 右のように戦争についての理論と実践、哲学科学的歴史観はつぎのように結論づける。
 「戦争は勝敗を決めて終わる。そのとき勝敗を決めたのは思想と精神力の差であった」と。故に負けた側は敗北の悔しさから、侵略だ、植民地支配だ、非情だ、横暴だ、反省せよ、などという外因論に頼るのではなく、なぜ敗けたのか、その原因を精神力に求めるという内因論に徹してこそ本当の強さが生まれる。決して「犬の遠吠え」的な弱者の道を進んではならない。これはスポーツの世界で共有されている敗者の論理でもある。これを見習え!


結 論

  哲学・科学的歴史観の核心、その五項目!

 @、宇宙と万物は永遠の過去から永遠の未来に向かって絶え間なく運動し、発展し、前進し、転換していく。運動は主体・存在内部のエネルギーであり、その力の作用であり、主体としての存在がある限りこの運動は万物の法則として不変である。
 A、人類とその国家と社会もまたこの万物の運動法則によって支配されている。人類の国家と社会の発展と前進と変化を促すエネルギーと力は生産力である。生産力は常に発展し、前進していく。この生産力の発展と前進に合わせて生産関係(人間関係、国家と社会制度)もまた発展し、前進し、変化していく。人類の歴史を見れば明らかである。生産力の発展が生産関係を変化させるという社会科学は人類の歴史に関する哲学歴史科学であり、歴史科学の必然的法則である。
 B、人類の歴史におけるこの必然的法則は必ず偶然性を通じてそうなる。必然性が偶然性を生み出し、偶然性は必ず必然性に移行する。しかしこれは自然発生的・自然成長的にそうなるのではない。そうではなく、そこにもまたエネルギーとその力の爆発(人類史における革命的ビッグバン)が必要であり、これも法則である。
 C、偶然性を必然性に転化させるその転換点の爆発、エネルギーとその力は、その時代の歴史の要求を体現した思想と理念と政治的要求にもとづく先進的集団の行動と領導である。ここに歴史を推進させる目的意識性がある。目的意識性なしに歴史は絶対に前には進まない。
 D、地球上における人類の歴史の到達点は近代コミュニティー共同体である。それは人民の人民による人民のための政治と国家と社会である。それは共同生産、共同分配、共同生活、協力と連帯の人間的国家と社会である。そして人民の意志決定機関は評議会である。人類が最初に作り出した原始共同体社会は生産力の巨大な発展によって、より近代化されたコミュニティー共同体として出現する。このとき人類の前史は終わる。それからの人類は挙げて全宇宙の開発に向かって前進する。
                                   (以上)