2018年(平成30年) 2月25日付 462号


すべては哲学・科学的世界観(自然科学と社会科学的法則)からみつめよ。万物は大自然の法則によって運動する!

昨年、世界的なジャーナリスト、ポール・メイソン氏は『ポストキャピタリズム』(資本主義以後の世界)と題する注目される著作を発表した。ポール・メイソン氏は英国のジャーナリスト兼ブロードキャスターであり、優れたジャーナリストに贈られる「ウィンコット賞」など数々の賞を受賞している。英TV局チャンネル4の経済担当編集者を経てフリーランスに転身。著書多数。ガーディアン紙やニュー・ステーツマン誌などにも執筆している。
 ポール・メイソン氏は、その著作のなかで『資本主義以後の世界』について、次のように提起している。「結局のところ、資本主義は強硬な手段によって終わりを迎えることはないだろう。それが終わるのは、旧システムにも存在するが目には見えない、よりダイナミックな何かが構築されたときである。そして、それが現れると、新しい価値や行動、規範を中心とした経済に作り直される。五〇〇年前の封建制度と同様に、資本主義の崩壊は、外的ショックによって加速され、新しいタイプの人間の登場によって具体化されるだろう。しかも、それはすでに始まっているのだ」と。
 アメリカと北朝鮮の対立と抗争は決着しないまま膠着状態がつづき、いつかはどこかで、ついに戦争にならざるを得ない。そこでついに国連が乗り出した。フェルトマン事務次長(政治担当)が十二月五日から八日まで北朝鮮を訪問、双方の仲介を開始した。
 結果はどうだったか。これからは国連が仲に立ってすべては話し合いで解決する、ということになったが、その意味はどこにあるのか。つまり、現代資本主義世界の最高峰たるアメリカでも解決できない、ということ。それは現代資本主義の力では何もできないということであり、現代の世界、現代の歴史時代はすべてが無力であり、無政府状態であり、漂流する歴史時代だということである。
 そして特筆すべきは、現代ヨーロッパを大混乱と動揺に落し入れている難民問題である。内戦が続く中東、シリアなどからヨーロッパに殺到する難民・移民はすでに六五〇〇万人となり、第二次世界大戦以来の最大の危機と呼ばれる事態となっている。それが欧州連合(EU)内の各種の矛盾と結びついてヨーロッパの危機を生み出している。
 平和と生活と身の安全を求め、祖国と故郷を捨て、流浪の民となって、当てもなく、これだけの多くの民がさ迷うような時代は今までなかったのである。ここに現代資本主義の政治的危機がある。もはや現代資本主義に人類を豊かにする能力はなくなった。ここにも歴史の転換期を見ることができる。すべては「資本主義の終焉と歴史の危機」という経済上の土台が、このような政治的・社会的危機を生み出しているのである。
 ポール・メイソン氏の著作『ポストキャピタリズム』(資本主義以後の世界)で注目すべきは、①資本主義は崩壊の時代に移行している。②それは世界の至るところに発生しているあらゆる現象がこれを証明している。③そのあとは資本主義とは別の新しい制度が生まれる。その芽はすでに世界各地に生まれている、という説である。そしてそれはマルクスが思想的に、政治的に予言したものである。やはりマルクスは正しい、という氏の見解は歴史の法則にしっかり依拠していることは事実である。しかしその内容をよく読めばマルクスを正確に理解しているとは思えない。
 メイソン氏は、マルクスを論ずるとき、そのマルクス主義を「文章」として説くのであるが、その思想的、政治的意味や内容は不正確である。特にマルクスの著作『経済学批判・序論』(1859年)を高く評価しているが、その核心的内容は誠に不正確である。そこでわれわれはこの問題を徹底的に明らかにする。


『史的唯物論』を定式化したマルクスの『経済学批判・序論』

ここでわれわれが大いに注目すべきことはエンゲルスが言っているとおり、マルクスの文献『経済学批判・序論』では、マルクス主義哲学の『史的唯物論』が凝縮されているという点にある。エンゲルスは、ここに『史的唯物論』の定式化がある、と、断言しているのである。ポール・メイソン氏はこのことがどうしても理解できない。そこでわれわれは改めてこの問題を明確に、詳しく論ずることにする。
 マルクスは大著『資本論』のための準備として『経済学批判』のための『序論』を一八五九年に執筆したが、エンゲルスにその書評を書くように頼んだ。エンゲルスは喜んで執筆した。この文書『カール・マルクスの経済学批判・書評』(1859年)でエンゲルスは次のように書いている。「この本は根本において唯物史観にもとづいており、この史観、史的唯物論の要綱はその序文のうちに簡潔に述べられている」と。この一文こそ、エンゲルスが規定したマルクス主義の「史的唯物論」の定式化である。その全文は次のとおりである〈次が大月書店発刊(1964年)大内兵衛、細川嘉六監訳『マルクス=エンゲルス全集第13巻『経済学批判・序論』の中の一節の全文である〉
 『人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。
 これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえ立ち、そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する。
 物質的生産の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。
 社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激にくつがえる。
 このような諸変革の考察にあたっては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的に正確に確認できる変革と、それで人間がこの衝突を意識するようになり、これとたたかって決着をつけるところの法律的な、政治的な、宗教的な、芸術的または哲学的な諸形態、簡単にいえばイデオロギー諸形態とをつねに区別しなければならない。ある個人がなんであるかをその個人が自分自身をなんと考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期の意識から判断することはできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならない。
 一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地をもち、この生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されてしまうまでは、けっして古いものにとって代わることはない。それだから、人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。なぜならば、もっと詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、つねに見られるであろうからだ。
 大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成のあいつぐ諸時期として表示されうる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる』

 マルクス主義の『史的唯物論』の核心、その歴史観!
(一)人類の世界は一貫して、生産力の発展が生産関係を規定していく。これは哲学歴史科学の必然的法則である。このような生産関係(国家と社会、政治対立と政治闘争)が思想・政治・イデオロギーを生み出していく。存在が意識を生み出す。
(二)生産力の発展は必然であり、無限である。そして生産関係の発展と変革も必然であり、無限である。人類の歴史は(原始時代を除けば)古代―中世―近世―現代を通じて、政治対立と政治闘争の歴史であった。この政治対立と政治闘争が歴史転換の原動力となり、戦争を通じて歴史は転換した。
(三)生産力の発展にもとづく生産関係の変革の到達点はコミュニティー共同体から社会主義への道である。この時点をもって人類の前史は終わり、以後人類は総力をあげて大宇宙の開発と開拓に取り組む。


生産力の発展は無限であり、それに従って生産関係(国家と社会)も変化し発展する。人類の歴史を見よ。前へ、前へと進む!

ポール・メイソン氏はその著作のなかで「資本主義の崩壊をマルクスはすでにいろいろな文献で予告している」と断じている。だが残念ながら氏は正しく、深く、徹底的にマルクスから学んでいない。それはさきに紹介したマルクスの論文『経済学批判・序論』についても、エンゲルスがその「書評」で言っているように、この文献はマルクスの『史的唯物論』の定式化であり、核心であることが理解できない。そこでわれわれが改めてこのことを明確にしておきたい。マルクスがここで言っている『史的唯物論』とは次の内容である。多くの幹部と活動家、同志の皆さんは改めてマルクス主義哲学、その歴史科学たる『史的唯物論』を今一度、改めて、しっかりと学ぶよう訴えたい。
(1)生産力がなく、したがって生産活動もなかった人類最初の社会は、すべてが大自然を相手にした共同採集経済であり、それを土台にした共同体・コミュニティー社会、社会的人間道徳の世界であった!
(2)生産力の成長と発展による生産活動の飛躍は余剰生産物(備蓄)を生み、財産となる。そこに個人的欲望にもとづく財産をめぐる争い、対立と抗争、戦争と内乱が発生、権力機関としての国家が成立。生産力の発展が生産関係を変化させる第一歩がはじまった!
(3)生産力の発展が生産関係(国家と社会制度)をつぎつぎに変化させ、発展させた人類の歴史をしっかりとみつめよ。ここに歴史科学・社会科学としての経済学がある!
(4)原始共同体から奴隷制へ、そしてつぎの封建制へと歴史は転換していく。それを促したのは生産手段の発達(機械と用具の木製から石器類へ、金属製へ、単純なものから複雑なものへ、改良、改革、発明、発見)にもとづく生産力の向上であった。このことがそれまでの奴隷労働(奴隷制)ではなく農奴(封建制)を求めていった。奴隷制国家から封建制国家への転換は歴史の必然であった。
(5)生産用具(生産手段)のいっそうの発展は、手工業的家内工業から、大規模な工場制工業となる。その結果製品は大量となり、交換経済は商品流通を生み、すべては商品となる。そこから貨幣が登場し、貨幣の所有者(ブルジョアジー)が社会の主人公となる。同時に経済活動は自由な商品としての労働力(労働者)を求め、農奴解放(奴隷解放)を求める。近代自由主義、資本主義の到来である。
(6)自由主義から出発した近代資本主義、人間欲望の自由放任主義、その自由主義経済はもはやその頂点に達した。独占と帝国主義の時代は登り詰め、らん熟し、腐敗し、能力を失い、次の時代に移行せざるを得ない人類前史の最後の段階である。人類は大衆社会、人民の世界、近代的コミュニティーへの転換を求めて激動しているという、現代の時代認識を知ろう。


結 語
われわれの未来展望とそのスローガン!

われわれはすべてを哲学・歴史科学的世界観に徹するよう呼びかける。われわれは一貫して次のような科学的世界観、歴史科学観を提起する。
 ① 人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。
 ② 生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。
 ③ 物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。
 ④ 人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。
 ⑤ コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。
 ⑥ 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。
 ⑦ 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。
 ⑧ 人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。
 ⑨ そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。
 ⑩ 人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の民主主義にもとづく人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。
                                   (以上)