〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









 

「賢者は歴史に学べ」。人類が生み出した最初の社会は原始的であったがまさに共同体であった。それがより大きく、より豊かに、そしてより成熟して元に帰る。この螺旋(らせん)的発展法則が歴史科学であることを知らねばならない!

 歴史はすべての分野で歴史科学のもと、一歩一歩確実に、前へ前へと前進している。現代世界は、資本主義は行き詰まり、民族は独立し、国家は自立し、大衆は自覚し、こうして歴史はコミュニティーへと科学法則に基づいて動き、転換している。
 二〇〇九年十月、ギリシアの国家財政破綻で始まったヨーロッパ共同体(EU)の経済危機は二〇一一年には、ついに崩壊へと進み、今では世界の主要な経済学者はみな「ユーロは失敗した」と断言している。
 ニューヨークでは、1%の金持ちではなく、99%のための民主主義を!と叫ぶ若者たちが「ウォール街を占拠せよ」というスローガンを掲げてデモを実施、このとき叫ばれた声は「資本主義と戦え!」である。全世界の民衆は「資本主義とは何か」という問いかけをするに至ったのだ。
 日本の知性を代表する朝日新聞は「資本主義経済よ、どこへ」と題する特集を組み、著名な経済学者を登場させたが、結局は政府も、中央銀行も、経済学者も、皆そろって、処方箋も、解決策もないということだったのである。
 日本におけるオピニオン・リーダーの雄『中央公論』も続いて特集を組み、資本主義はどうあるべきかを、多くの経済学者の発言を掲載したが、結論は、資本主義の誤りは自由放任主義であり、これを正して公正資本主義に転換すべきだ、というのである。しかしこれはケインズの理論であり、ケインズは歴史的に敗北しているのである。
 アメリカのニューヨーク大学のヌリエル・ルービニ教授は「世界的な金融危機と景気後退が再び訪れる可能性は排除できない…。私は社会主義者ではないが、資本主義は自己破壊的だとしたカール・マルクスの指摘は正しかった」と断言するに至った。
 こうしたなか、朝日新聞二月九日付の報道によると、ヨーロッパ共同体(EU)の経済危機の中で各地に自衛のため地域共同体社会を作る運動が広がっているという。イタリア北部の都市ブラ、フランス南部のトゥールーズ、スペイン北部のサルバテラ、などではアメリカのスーパー、マクドナルドの出店に反対し、「地中海のゆるやかな暮らしは変えなくていい。過剰な消費をやめ、慎み深かった頃に戻るべきだ」「食べ残しを減らそう、過剰な消費を考え直そう」「今の危機は、麻薬に侵されたような成長とスピードばかりを優先してきた資本主義のあえぎだ。正すべきは、それに侵された私たちの生き方だ」という大衆の声を広く呼びかけ、「コンビビア(共同体)運動」を開始、それはヨーロッパの各地(一二〇ヶ国)に広がっている、と。
 そして二月二十七日付日本経済新聞のコラム「春秋」は次のように報じている。「七年前、ハリケーン襲来で土地の八割が水没した米ニューオーリンズ市が変身しつつある……人口当たりの起業家数は災害前に比べ倍増し全米の平均を超す。半減した人口も八割近くまで戻った。原動力は二つ。一つはコミュニティーだ。市長や議会がシンクタンクやコンサルタントと机上で描いた再開発案を捨て、民主導で小さな地区毎に集会を開き、未来図を練り上げた。もう一つは他の町の若者たち。学生、ビジネスマン、希望者を募り、呼びかけ、新しい未来に挑戦する青年の力を動かした」と。
 新しい歴史時代が、もう時代遅れになった旧い自由競争から、連帯と協力と共同の人間性豊かなコミュニティーを求めて動く時代、コミュニティー・共同体が出現しつつあるのである。
 二〇一一年度の特徴は「資本主義の崩壊」が現実のものとして論壇に登場した。そして二〇一二年度はコミュニティー・共同体が地域社会から実現されていく時代となった。こうして歴史科学は確実に到達すべきところに到達しつつある。われわれは歴史科学に確信を持たねばならない。

資本主義制度、ブルジョア議会主義(間接民主主義)は、らん熟し、腐敗し、堕落してしまった。歴史は人民による直接民主主義(評議会)にもとづくコミュニティー・共同体を求めて前進している!

 先に明らかにしたとおり、ヨーロッパに自然発生的にせよ、現実にコミュニティー・共同体が生まれているではないか。空想ではなく、現実に多くの地方都市に生まれているではないか。この事実を見よ。また、アメリカのニューオーリンズの災害復興に当たってはコミュニティー制度を採用したことも明らかになっているとおりである。つまり、崩壊した後の復興にはコミュニティー・共同体しかないのだ。コミュニティー・共同体こそが本当の力になることを歴史が証明しているではないか。
 投票によって政府や政治家を選ぶという方法が出現したのは紀元前五世紀の古代ギリシアであった。ギリシアには当時多くの都市国家(ポリス)が生まれたが、その中のアテネは早くから市民参加型の政治が発展し、やがて投票によって政治指導者を選ぶ方法が採用されるに至った。そして投票用具に用いられたのが陶器の破片であった。投票の結果、市民に人気のない指導者は追放された。そこから歴史上「陶片追放」という言葉が生まれた。結果としてこの制度は、結局は人気投票となり、そこから大衆迎合(ポピュリズム)という悪しき風習が作り出されてしまった。そしてそこからこの方法は政治指導者や、政党間にとって人気取りの政争道具になってしまった。アテネでは政治の無能力と分裂を生み出し、国力は低下し、やがて隣国のスパルタに敗北してしまった。
 しかしこの制度は大衆支配の手段、ブルジョア自由主義の装飾物として、より巧みに引き継がれていくのである。つまりは大衆の理性・自覚ではなく、その本能を利用し、本能を駆り立て、自由主義を叫びたて、風の吹くまま、気の向くまま、行き当たりばったり、そのときの個人的感情によって誰かに投票するという、まさに無政府主義、愚民主義、衆愚主義という、ブルジョア政治の根幹になってしまったのである。
 ここで改めて、はっきりと、投票とは何かということを考えてみなければならない。選挙と投票に人びとを駆り立てる行動、何が人びとを投票に行かせるのか。それはあくまでも個人の自由主義、自由行動なのである。すべて個人的事情が根底にある。その契機となるものは、あるときは気の向くままであり、そのときの気分であり、風の吹くままであり、付和雷同である。ある人にとっては個人的知り合い、同郷の人、学閥、同好会、宗教心、名誉欲、そして金であり、物品であり、強制である。ここに個人行動と自由主義と無政府主義がある。だから投票というのは、大衆の後れた部分、社会と切り離され、孤立した個人、個人的幻想と錯覚と夢想にもとづく行動であり、ここに愚民性と衆愚性の本質がある。
 そういう愚民政治・衆愚政治の生きた実例、歴史上の実例はブルジョア議会政治のいたるところに、日常茶飯事として山ほどあるが、大きな、代表的でわかりやすいものとしてナチス・ドイツのヒトラーと、国内的には田中角栄の例に見ることができる。あの第二次世界大戦を引き起こした元凶たるナチスとヒトラーの出現はドイツ国民議会が生み出したのである。一九三三年十一月に実施されたドイツにおける議会総選挙、ナチスとヒトラーへの全権委任法を採択するための総選挙で、実に九六%の投票率と九二・二%の得票率という、世界史上最高の投票結果からナチスとヒトラーは生み出されたのであった。そして、日本の総選挙史上最高の勝利を得たものは、一九八三年十二月総選挙で田中角栄が得た二二万票、四六・五%という史上最高の得票であった。しかもそれは、日本史上はじめての現職総理大臣の疑獄事件(ロッキード事件)で有罪判決を受けた直後の、いわゆる「ロッキード総選挙」で、国内世論の八〇%が田中退陣を求めるという社会風土の中での出来事であった。こういう歴史上の事実が証明しているように、投票による議会主義というものが、如何に愚民政治、衆愚政治であるかということをわれわれはよく知らねばならない。これはブルジョア政治の出現以来続く伝統であり、ブルジョア思想に毒された人間には理解されないが、歴史は労働者階級と人民によって必ず打破される。
 そしてまた、選挙における投票率も考えてみなければならない。あらゆる選挙を見ればわかるとおり、平均すれば五〇%の投票率である。だからそのなかの七〇%を獲得して第一党となったとしても、政権をとったその政党は全有権者(全国民)の三五%しか代表していないのである。これが大衆参加、国民の支持、選挙での勝利といえるのか。民主主義という名に価(あたい)するものだろうか。否である。ここにも愚民性、衆愚性がある。
 真の民主主義とは、自覚された人民大衆の共同の意志、共通の認識、協同行動にもとづく政策の確立と確認、である。人民大衆は、生産点、生活点、つまり労働と生活の中で、互いに協力し、共同し、共通の要求にもとづく運動と闘いの中で、連帯し、交流し、自らのコミュニティーを作り上げていく。ここに真の民主主義がある。その集大成されたものこそ「評議会」である。

人類の歴史を見よ。人間が最初に作り出した社会は、平和と平等と連帯と協力がコミュニティー・共同体の土台であった。ここに人類社会の真の姿があり、人間性に満ちた社会の原形がある!

 一九九二年三月二十日のNHKは、海外ドキュメンタリー「アメリカインディアンの悲劇」を放送したが、そこでは次のような事実を明らかにしている。すなわちインディアンとは北極圏から移動してきた北米大陸の原住民のことであり、彼らは一貫して原始共産制社会を維持していた。その諸原則は、@、土地と山と川と動・植物、その大自然はすべて天(神)がわれらにあたえたものであり、私物ではなく、そこに暮す全員のもの、共同のものである、ということ。A、故にそこに住む人々は財貨の共同所有と共同生活が基本であり、すべての面における人間の協力関係である。そして一族の長とそのまわりの長老たちによる協議が共同体の協議機関であった。B、そこには私有財産もなく、権力もなく、争いや戦争もなかった。争いがおこるのは、名誉を傷つけられたときだけであった。そのような平和な社会が崩壊したのは、コロンブスのアメリカ大陸発見と、ヨーロッパ人の移住にもとづく開拓と土地の私有制、白人のインディアン狩り、そこから拡大する略奪と戦争、によってであった。
 右のように、歴史科学が証明するとおり、人類の最初の社会、原始共産制社会では、私有財産制はなく、人びとはみな共同に所有し、共同に分配し、協力し合って生活し、権力も国家も戦争もない、本当の人間関係にもとづく平和な社会であった。この事実から歴史を出発させなければならない。
 さて、このような平和な社会が、次の時代、国家と権力と戦争と殺りくの時代へ移行するのは貴族・奴隷制社会になってからであった。すなわち原始共同体のなかで生産手段(道具、用具、農器具など)の発達にもとづく農耕と牧畜が生まれ手工業も発生してきた。こうした生産力の発展は当然のこととして生産物の余剰を生み、備蓄を可能とし、生産物の交換が発生、ここに財産が生まれた。結果として土地も財産となり、土地と財貨の支配権をめぐって対立と抗争が生まれ、ここに権力が生まれるにいたった。権力は国家となり、歴史上初めて階級支配にもとづく国家と戦争が生まれた。この最初の階級制にもとづく国家こそ奴隷制貴族社会であり、その国家であった。それは古代ギリシアが最初であり、紀元前七五〇年ごろであった。古代ローマ帝国の最盛期は紀元前四五〜三二年ごろであり、それは本格的な階級支配と国家権力と殺りくと戦争の時代への突入であった。やがて下克上の時代、すなわち封建領主の支配する時代へ移行する。西暦八〇〇年代ヨーロッパにカール大帝によるフランク王国の成立を起点に、ドイツにおけるフリードリヒ大王(一七四〇〜一七八六)時代を頂点とした約二千五百年間がそれであった。その封建領主支配の国家は次の時代、自由主義ブルジョアジーの支配国家の時代、すなわち近代資本主義の時代へ移行するのであるが、その原動力は、さらなる生産力の向上にもとづく生産関係の変化であった。
 すなわち、工場制機械化と分業と農地開発と運輸と通信発達は、もはや古い封建制とは矛盾するようになり、通用しなくなり、自由な交易と自由な労働力と貨幣流通の全面化を求め、資本主義を求める以外になかった。それはイギリスにおけるチャールズ一世の処刑をもってはじまるブルジョア革命と、一七七〇年〜一八七〇年代に全面化したヨーロッパ産業革命によってその花は咲いた。近代資本主義は一九〇〇年代には帝国主義に転化した。帝国主義とは独占資本プラス他民族の支配である。資本主義は一九一七年のロシア革命による社会主義の実現まで三百四十年間も成長をつづけ、ようやく現代、その矛盾が最高潮に達し、その命運は尽きようとしている。
 歴史の到達点はコミュニティーである。人類が最初に作り出した原始共同体社会は、より発展し、前進し、より高度になって元に帰っていく。階級なき共同体、自覚し、認識し、確認しあった共通の意志にもとづく直接的な民主主義としての評議会を通じて、生産も、分配も、統治も、すべては共同体の中で執行される。人類最初の社会はそうであったのだ。
 コミュニティー社会では階級支配は基本的には消滅する。共同体社会であるかぎり、そこには人民大衆、ただ一つの階級社会である。人民の人民による人民のための社会である。故にこのような社会(存在)が、そのような存在(環境)がそれにふさわしい人間を作り出していく。環境が人間を作り出す。新しい時代と新しい社会と新しい環境が新しい型の人間を生み出す。こうして人類の前史は終わり、人類社会は新たな闘いに向かって前進する。それは全宇宙との闘い、宇宙の開拓と開発の闘いである。

「賢者は歴史に学べ」。国土と民族と祖国を守りぬいたスイスの歴史、ソビエト・ロシアの祖国戦争、ベトナム戦争の巨大な教訓から学ぶことが賢者のとるべき態度である。この三つの国の経験はすべてはコミュニティー・共同体であるという歴史の法則を明確に示している!

 スイスの歴史を見てみよう。この国の特質は議会主義国家ではなくてコミュニティー国家なのである。そして国防の基本は国民皆兵で全国民が武装し、戦争に備えて人民戦争を構築しているのである。スイスの歴史と政治を調べてみればわかるとおり、この国の末端は部族共同体と村落共同体が基礎になっており、すべてはコミュニティーとして決定している。国家とはコミュニティーの連合体であり、スイスは連合体国家である。しかも国家の課題を解決するのは議会制ではなくて国民投票なのである。国家には確かに議会はある。しかしここには決定権はなく、いわゆる諮問機関的なものである。決定権はあくまで部族共同体と村落共同体の意志、つまりはコミュニティーである。これが直接民主主義であり、間接民主主義的な議員制ではない。
 国防問題についてどうなっているか。国防問題の大前提は自分の国土は自分で守るという基本理念に徹している。全国民が四十二歳までは兵役義務があり(婦人は志願制)、全家庭に兵器が保管され、定期的に軍事訓練がなされている。そして外国の侵略があった場合には、全国民が総武装して全国土をゲリラ基地にして国民戦争(人民戦争)で民族と国家と祖国を守り抜いていくということに徹している。
 このスイスの体制は一八一五年、ナポレオン戦争後の欧州会議(ウイーン会議)の席上スイスの「永世中立宣言」として発表された。この体制が第一次世界大戦、第二次世界大戦、あらゆる戦争の中でスイスを守りぬいたのであり、この内因(内政)に他国は手を出せなかったのである。
 ソビエト・ロシアはどうであったか。一九一七年十一月にロシアに社会主義政権が成立した。これに驚いた資本主義陣営は、一九一八年になるや西方からは英仏を中心に、東方からは日米を中心に、合計世界中の一六カ国の軍隊がいっせいに若い社会主義国に攻め込んだ。これに合わせて国内では旧ロシア皇帝時代の将軍が各地で反乱を起こし、一九二二年までの五年間にわたる外国干渉軍と国内反乱軍との死に物狂いの戦争が展開され、ソビエト社会主義は千四百万人の犠牲を払って勝利した。歴史上ありえないこのような過酷な戦争を戦い抜き勝利した。その力は社会主義祖国を守れ、という人民の強固な意志と国民総動員による人民戦争であり、人民大衆の英雄主義にあった。
 ベトナム戦争とは何であったか。一九六二年から七三年まで十年間にもわたるこの戦争は、ベトナム人民のアメリカ帝国主義に対する正義の民族解放戦争であった。世界最強のアメリカは三百万の兵力を動員。第二次世界大戦に使用した爆弾の使用量六百十万トンを超えて千四百万トンに達し、原爆以外のあらゆる化学兵器を総動員し、非人道的な枯葉剤の使用で山や森や林を焼き尽くし、すべての川を汚染させ、戦後多くの死産、先天性奇形児を生み出したとおり、誠にこの戦争は悲惨の極みであった。ベトナムの戦死者三百万、民間人は四百万人の犠牲者を出して勝利した。その力はどこにあったのか。それは民族解放と祖国の統一、国土防衛に徹したベトナム人民の強固な民族愛と祖国愛であった。これが内因なのである。
 われわれは三度「賢者は歴史に学べ」ということを訴える。歴史は科学であり、歴史の法則も科学である。この歴史を科学として学ぶのが賢者なのである。これに反して「愚者は経験から学ぶ」という。つまり、愚かな者は狭い自分の経験だけから学ぶことしか知らない。そして歴史は愚者が国を滅ぼしてしまったことを教えている。そして歴史は必ず賢者によって到達すべきところに到達させていくであろう。歴史の到達点は発達した近代的コミュニティーの世界である。人類の歴史はこの必然性に向かって、いくつかの偶然性を通じて到達するであろう。これが歴史科学である。

結語
  • コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ!
  • 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする!
  • 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む!
  • 人間は生まれたときから環境の産物であった。環境が変われば人間も変わる。国家と権力が変われば国民は変わる!
  • 人類が最初に、はじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティ国家と社会へ。ここから本当の人民の社会、人間の社会が生まれ、人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するだろう!