〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









 

自由主義的市場原理という弱肉強食は、そのグローバル化によって、一点の火花も荒野を焼き尽くすという原理を見事に証明しているのである!

 古代国家発祥の地・ギリシアは危急存亡の秋(とき)≠迎えている。ユーロから離脱するか否か、いま世界はかたずを呑んで見つめている。五月二十三日、ブリュッセルで開かれたEU臨時首脳会議は、残留を望んでいるものの、離脱≠竄゙なしを表明せざるを得なかった。五月十九日、ワシントンの米大統領山荘(キャンプデービット)で開幕したG8(世界の先進国)は、EU首脳会議とは反対にユーロ圏残留≠求める首脳宣言を発表した。ヨーロッパを代表するEU、世界を代表するG8、この相反する二つの宣言≠ノギリシア問題の本質が端的に表れている。
 けだし、同じヨーロッパのEUが離脱やむなしを宣言したにも関わらず、世界資本主義を代表するG8が、それは困る、ユーロに残ってほしい、と宣言したのである。これはギリシアが崩壊すれば致命的な犠牲をこうむることを現代資本主義は自ら白状したに等しい。オバマ米大統領はその声明で「われわれはより多くのことをまだ成さねばならない」と語り、必死に火の粉をはらわんとした。小さい国・ギリシアの火花が、資本主義を大火災に巻き込んでいるのである。
 これら最近の動向は、ギリシア危機は資本主義崩壊の狼煙となっている、というわれわれの科学的見解の正しさを証明している。
 さらに五月二十八日付読売新聞の報道は、われわれの正しさを逆の立場から証言している。その論説の眼目は次の点にある。
 第一、ギリシアの破綻はポルトガル、スペイン、イタリアにまで波及する。EUはギリシアを守れ。第二、ギリシアの崩壊は危険、それを救うことは万人の利益になる。とはいえユーロ圏をこれまで通り、維持することはできない。第三、ギリシアを切り捨てることはEUの存在価値が問われる。何とかせねばならない、と。そしてその結論として「目下のところ、解答よりも疑問のほうが多い。ユーロのドラマは終焉にはほど遠い」と。要するに読売の論説は今後どうなるか、わからない、といっているのである。
 資本主義は歴史的に行き詰まり、老いてしまい、もはやいかんともしがたい。崩壊して、次の歴史時代に席を譲らざるを得ないのである。ここに現代があり、ここに現代の歴史時代がある。
 五月二十五日付、われわれの機関紙(人民戦線の旗のもとに!)で〈コミュニティー・共同体とは何か〉を特集し、アピールしたが、歴史は一歩一歩、着実に、その方向に歩んでいるのである。その事実をあらためて確認しよう。
 ニューヨークでは、1%の金持ちではなく、99%のための民主主義を!と叫ぶ若者たちが「ウォール街を占拠せよ」というスローガンを掲げてデモを実施、このとき叫ばれた声は「資本主義と戦え!」である。全世界の民衆は「資本主義とは何か」という問いかけをするに至ったのだ。
 日本におけるオピニオン・リーダーの雄『中央公論』は二〇一一年十一月、十二月連続して特集を組み、資本主義はどうあるべきかを、多くの経済学者の発言を掲載したが、結論は、資本主義の誤りは自由放任主義であり、これを正して公正資本主義に転換すべきだ、というのである。しかしこれはケインズの理論であり、歴史的に敗北している。
 アメリカのニューヨーク大学のヌリエル・ルービニ教授は「世界的な金融危機と景気後退が再び訪れる可能性は排除できない…。私は社会主義者ではないが、資本主義は自己破壊的だとしたカール・マルクスの指摘は正しかった」と断言するに至った。
 朝日新聞は二月九日付報道で、ヨーロッパ共同体(EU)の経済危機の中で、各地に自衛のため地域共同体社会を作る運動が広がっている、という大きな特集を組んだのである。
 ギリシアがユーロに残ろうが、離脱しようが根本的には解決しない。ギリシアの爆発は資本主義崩壊の狼煙であり、それはコミュニティー・共同体へ移行せんという歴史の大きな鐘であり、歴史の進歩である。自由主義的市場原理という弱肉強食は、そのグローバル化によって、一点の火花も荒野を焼き尽くす、という原理を見事に証明しているのである。ここにギリシア問題の本質がある。

(一)ギリシアの現状を見よ。そこにあるにはこの国の特殊な現状ではなく、それは現代資本主義の本質が表れているのであり、資本主義という母体が生み出した必然性なのである。

 ギリシアは国土14万平方キロメートル、人口1100万人という南欧の小さな国である。それはドイツの8分の1、フランスの6分の1、産業は海運と観光業のみの弱小国である。そのギリシアの政府債務(借金)は二〇一二年末の予測で何と3000億ユーロ(約30兆円)。国内総生産(GDP)でギリシアは埼玉県をやや上回る。その埼玉県が韓国の1・5倍もの借金を抱えたと考えればわかりやすい。
 ギリシアはなぜ借金大国となったのか。ギリシアはまた「公務員大国」でもある。なにしろ全労働人口の25%、つまり4人に1人が公務員である。現地特派員からの報告によると、ギリシアでは、一日の仕事は毎日午後3時で終わる。ほとんどの公的施設がこの時刻で閉まるためだ。同僚らと昼食兼夕食を楽しんだ後は、アテネの自宅に帰る。多くの公務員は別荘を保有しており、夏のバカンスでは一か月ほどを海辺で過ごす。公務員の平均給与は民間の約二倍、年金も現役時代の全額近くが保障されている。しかも所得税の対象となる経済行為の30〜40%は申告されない。国民(公務員)はこうして得た不正な資金で不動産を買う。そもそも不動産登記の制度がないので発覚しないという。
 さらに放漫財政を助長させた構図こそ選挙であり、政官財の癒着であり、愚民政治であった。公務員は労働人口の3割近く、それは政治家にとって巨大な票田であった。それが有権者の歓心を買い、衆愚性として国民保険制度、病院や診療所、年金や最低賃金の引き上げなどの福祉政策を実施した。その結果、公務員給与や年金など福祉関係への支出は国家予算の約4割をも占めた。これが「公務員天国」、ギリシア流「福祉国家」の本質である。行き着いた先が政府の膨大な債務危機である。
 今や、トロイカといわれる欧州連合(EU)、国際通貨基金(IMF)、欧州中央銀行(ECB)の監視下に置かれ、借金のかたに国有財産を売れ、とせっつかれている。政府の超緊縮財政はまさに金融機関に首根っこを押さえつけられた多重債務者である。
 ギリシアの経済は破綻した。自力での借金の返済や再生はもはや不可能となった。脱税問題でも「これは脱税との戦争である」との財務省の掛け声のもと、強制的に取り立てを始めたが、絶対に成功するわけがない。デモがギリシアで巻き起こり、対立と抗争が激化し、ますます混沌と混迷を深めている。それが五月の選挙で連立与党の大敗北、急進左翼の大躍進となった。しかし連立交渉も成功せず、結局は再選挙へ、それでも何も解決せず、ギリシアはいったいどこに行くのか。歴史科学の法則通りギリシアは大爆発し、その混沌と混迷の中から、歴史の到達点たるコミュニティーへ、偶然性を通じて歴史の必然性に転換して行かざるを得ない。歴史はこうして前へ、前へと進んでいく。

(二)ギリシア危機とその現代資本主義の危機は成熟し、登り詰め、そして老いてしまった旧い体制を終らせ、新しい時代としての大衆社会、つまりはコミュニティー・共同体へ移行させるための爆発なのである。

 ギリシア問題の本質はどこにあるのか。多くの人々は「公務員天国」だとか。ギリシア流「福祉国家」に破綻の原因があるという。そうではないのだ。あらゆる問題、すべての政治事件の根本は国家と権力の問題に行き当たる。ギリシアの国家と権力を支配しているものは、現代独占資本であり、資本主義的ブルジョアジーであり、一部の特権階級である。
 独占資本主義国家の政治上の権力は独占資本(財界)とその政党(保守政党)と官僚組織(官僚支配)の三結合、つまりは政・官・財の癒着した支配体制である。彼らの権力支配の目的は一貫して、尽きることなきその本能的欲望たる最大限の利潤(最高の利益)追求が第一であり、生産至上主義、物質万能主義、拝金主義である。そのための手段が、人間欲望の自由放任であり、自由競争という名の市場原理主義であり、それはまさに弱肉強食の世界であり、生殺与奪の世界であり、貧富の格差拡大の世界である。そこから人間性そう失、人格否定、あらゆる種類の犯罪社会の出現である。戦争と内乱、暴力とテロ、汚職と買収、腐敗と堕落もすべてはこのような国家と社会と権力が生み出す必然の産物である。すべての根源は実に国家と権力の問題なのである。
 ギリシア危機は単なるギリシアの問題ではなく、現代資本主義の危機なのである。それは登り詰め、老いてしまい、新しい歴史時代に移行せんとする巨大な爆発と収れんなのである。
 「公務員天国」やギリシア流「福祉国家」は、現代資本主義の悪の華として「賄賂」「腐敗」「汚職」、そして「政官財癒着」の代名詞となった。例えば、今年四月、元防衛大臣が潜水艦購入を巡って収賄の廉(かど)で逮捕されたが、こうした政治家や役人たちの汚職はギリシアでは「公然の秘密」であった。それが今まで大問題にならなかったのは、政治家や、官僚たちが福祉や公共投資、公的部門での就職など便益を広く社会にもたらしてきたからである。ギリシア国民にとっては政府はずっと便益をばらまいてくれる機関であった。それが特に激しくなったのは二〇〇一年のユーロ導入がきっかけであった。それまでは高い金利(17%〜20%)で資金を調達せざるを得なかったが、導入後はドイツ、フランスの信用(3〜5%程の低金利)で、放漫財政、過剰消費が進んでいったのである。つまり借金に借金を重ねて、福祉や経済生活を維持するという物質万能主義、拝金主義、つまり国家の本質が国民をして、そうさせたのである。資本主義的母体が生み出した必然性である。
 さらに決定的なことはアメリカのサブプライムローンの破綻で明らかになったように、グローバル化した現代、ギリシアなどの弱小国はひとたまりもなく、人間欲望と自由放任、自由競争と市場原理主義、弱肉強食の餌食にされてしまったのである。欧州の南北格差もまたその表れである。すでにギリシアに代わってスペインの危機が焦点になってきている。アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペインは心配ないといういわゆる「防火壁」は幻想であり、打ち砕かれた。それは巨大資本が中小資本を淘汰していく論理と同じである。世界のいたるところに国家と権力の論理が貫徹されいる。
 資本主義、その最高の段階たる金融独占資本主義の時代は、アダム・スミスの古典経済学が教えるとおり、それは人間欲望の自由放任主義であり、まさに「欲望資本主義に憑かれた人間たち、モラルなき利益至上主義に蝕まれた世界」なのである。
 ギリシア国民、そして南欧の国民はいまや失業難民となっている。若者の失業率は50%に達している。それでも国民は生きんがために、国家と権力に怒りを表明し、命を賭して戦っている。その代表的なものは「政治家は信用できない」というものである。「公務員天国」やギリシア流「福祉国家」は空想であり、幻想であった。ついにギリシア国会前などで抗議の焼身自殺が相次いでいる。最近、アテネの現地特派員から寄せられているのは「いっそ自国通貨に戻って、落ちるところまで落ちて立ち直った方がすっきりする」との声が高く大きく聞こえてくる、とのことである。そのとおり、いまの国家は崩壊する運命にある。人民は協力し、連帯し、協同して、苦難を乗り越えていく。その先にコミュニティーがある。現在、ヨーロッパの各地で、独自の通貨を発行し、協力、共生するコンビビアという共同体運動が起っている。
 すべては現代独占資本主義の国家と権力への反抗であり、現段階の闘いであり、矛盾の爆発である。すべては闘いであり、矛盾の爆発である。それは必然的にコミュニティーを目指す階級闘争、権力闘争へと転換せざるを得ない。

(三)現代の歴史時代が求めているのはコミュニティー・共同体である。間接民主主義の政治である選挙や投票ではなく、人民による直接民主主義たる人民評議会であることを確認しよう。

 五月の選挙でもギリシア問題は結局、解決しなかった。そこで六月に再選挙をやったがそれでも選挙だけではやはり解決しない。ギリシアの混沌と混迷は続く。事実が証明している通り選挙はもう古い時代の遺物となっている。
 投票によって政府や政治家を選ぶという方法が出現したのは紀元前五世紀の古代ギリシアであった。ギリシアには当時多くの都市国家(ポリス)が生まれたが、その中のアテネは早くから市民参加型の政治が発展し、やがて投票によって政治指導者を選ぶ方法が採用されるに至った。そして投票用具に用いられたのが陶器の破片であった。投票の結果、市民に人気のない指導者は追放された。そこから歴史上「陶片追放」という言葉が生まれた。結果としてこの制度は、結局は人気投票となり、そこから大衆迎合(ポピュリズム)という悪しき風習が作り出されてしまった。そしてそこからこの方法は政治指導者や、政党間にとって人気取りの政争道具になってしまった。アテネでは政治の無能力と分裂を生み出し、国力は低下し、やがて隣国のスパルタに敗北してしまった。
 しかしこの制度は大衆支配の手段、ブルジョア自由主義の装飾物として、より巧みに引き継がれていくのである。つまりは大衆の理性・自覚ではなく、その本能を利用し、本能を駆り立て、自由主義を叫びたて、風の吹くまま、気の向くまま、行き当たりばったり、そのときの個人的感情によって誰かに投票するという、まさに無政府主義、愚民主義、衆愚主義という、ブルジョア政治の根幹になってしまったのである。
 ここで改めて、はっきりと、投票とは何かということを考えてみなければならない。選挙と投票に人びとを駆り立てる行動、何が人びとを投票に行かせるのか。それはあくまでも個人の自由主義、自由行動なのである。すべて個人的事情が根底にある。その契機となるものは、あるときは気の向くままであり、そのときの気分であり、風の吹くままであり、付和雷同である。ある人にとっては個人的知り合い、同郷の人、学閥、同好会、宗教心、名誉欲、そして金であり、物品であり、強制である。ここに個人行動と自由主義と無政府主義がある。だから投票というのは、大衆の後れた部分、社会と切り離され、孤立した個人、個人的幻想と錯覚と夢想にもとづく行動であり、ここに愚民性と衆愚性の本質がある。
 真の民主主義とは、自覚された人民大衆の共同の意志、共通の認識、協同行動にもとづく政策の確立と確認、である。人民大衆は、生産点、生活点、つまり労働と生活の中で、互いに協力し、共同し、共通の要求にもとづく運動と闘いの中で、連帯し、交流し、自らのコミュニティーを作り上げていく。ここに真の民主主義がある。その集大成されたものこそ「評議会」である。
 最近でも、選挙や投票がいかに無力で、愚民性かを証明している事件に「アラブの春」がある。アフリカ北部と中東を巻き込んだ嵐のような革命で、エジプトのムバラク大統領に代表される長期独裁政権は次々に崩壊した。今も総仕上げとしてシリアでも起こっている。「アラブの春」はその後どうなったのか。みな選挙に流れ込んだが、その結果はみな分裂である。エジプトでは三極に分裂した。イスラムの「ムスリム同胞団」、旧体制派、そして「アラブの春」の中心となった青年・若者グループである。本来なら青年・若者グループが大統領になっていいはずである。しかし選挙のたびにそれは分裂を繰り返し、敗北している。結局、最後には軍部が出てきて、旧体制を支えるであろう。旧体制は「革命は終わった。日常に帰れ。革命は何ももたらさなかった」と勝利宣言しているではないか。
 選挙はまことに無力で、みじめな結果を生んだ。歴史科学なのだ。現在、ヨーロッパのいたるところでコミュニティー・共同体を目指す運動が起こっているが、この事実からよく学び、選挙、つまりは間接民主主義から、歴史は直接民主主義としての人民評議会を求めて前進していることをよく知らねばならない。
 歴史の到達点はコミュニティーである。人類が最初に作り出した原始共同体社会は、より発展し、前進し、より高度になって元に帰っていく。階級なき共同体、自覚し、認識し、確認しあった共通の意志にもとづく直接的な民主主義としての評議会を通じて、生産も、分配も、統治も、すべては共同体の中で執行される。人類最初の社会はそうであったのだ。
 コミュニティー社会では階級支配は基本的には消滅する。共同体社会であるかぎり、そこには人民大衆、ただ一つの階級社会である。人民の人民による人民のための社会である。故にこのような社会(存在)が、そのような存在(環境)がそれにふさわしい人間を作り出していく。環境が人間を作り出す。新しい時代と新しい社会と新しい環境が新しい型の人間を生み出す。こうして人類の前史は終わり、人類社会は新たな闘いに向かって前進する。それは全宇宙との闘い、宇宙の開拓と開発の闘いである。

結語
  • コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ!
  • 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする!
  • 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む!
  • 人間は生まれたときから環境の産物であった。環境が変われば人間も変わる。国家と権力が変われば国民は変わる!
  • 人類が最初に、はじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティ国家と社会へ。ここから本当の人民の社会、人間の社会が生まれ、人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するだろう!