〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









 

人間欲望の自由放任主義、モラルなき利益(国益)至上主義の世界は、歴史科学の法則と、フォークランド紛争の実際が示すとおり、すべては力関係が決する。そして歴史の法則とその到達点たるコミュニティーの世界が最終的にこれを解決する!

 人類の歴史を見ればわかるとおり、土地と領土をめぐる紛争と戦争は国家が生まれると同時に発生した。古代ギリシアは人類文明の発祥の地であり、人間の歴史においても、国家というものがはじめて出現したのもギリシアであった。人類最初の都市国家は紀元前七五〇年〜前七〇〇年ごろに最盛期を迎えたアテネ、スパルタに代表されていた。そして前四八〇年にペルシャとの戦いに勝利したアテネは、地中海貿易を通じて得た膨大な利潤によって経済的利益と繁栄は頂点に達した。その結果としてブルジョア的経済主義は政治を支配し、形式的民主主義は「陶片追放」制度(すべてを投票で決めるやり方)を生み出し、やがて無能で迎合主義的政治家のため、スパルタやペルシャに侵略されてしまう。歴史科学の示すとおり、国家が生まれると同時に戦争が生まれた。国家は戦争の道具なのである。
 国家の歴史は戦争の歴史である。歴史を見ればそれははっきりしている。戦争を通じて国家の体制はつぎつぎと変わっていった。
 第一次世界大戦を通じて、ヨーロッパを支配していた最大のドイツ帝国、ロシア帝国が崩壊して、歴史上初めて社会主義が出現した。ロシア革命と社会主義、ドイツ革命とワイマール共和国である。
 第二次世界大戦を通じて、世界中の帝国主義は全て崩壊し、残ったのはアメリカ帝国主義ただ一つとなった。そして世界中に民族独立国家が生まれ、中国に社会主義が生まれた。毛沢東の言うとおり、「東風が西風を制圧」する時代に入ったのである。実に、それは地球上の四分の一の広さと、人口にして三分の一の地域に革命と社会主義の国際圏を形成した。
 現代はどうか。
 二十一世紀の現代、唯一つ残ったアメリカ帝国主義がイラク戦争を通じて崩壊しようとしている。今やアメリカの一局支配は終焉、世界は無極時代となり、世界中が民族主義になってしまった。そういう時代に、領土問題が発生しているのである。歴史科学から見ればこれは当然のことである。だからわれわれは現在発生している領土問題の本質を次のとおり結論づけているのである。
 現代資本主義世界の国家は民族主義であり、弱肉強食と自由競争が支配する世界である。そこでは領土紛争は歴史的にも絶えることはなく、外交関係など作用せず、力と武力のみが解決してきた。
 人間欲望の自由放任主義、モラルなき利益(国益)至上主義の世界は、歴史科学の法則と、フォークランド紛争の実際が示すとおり、すべては力関係が決する。そして歴史の法則とその到達点たるコミュニティーの世界が最終的にこれを解決する。

(一)日本をめぐる領土問題は、日ロ・日韓・日中と多面的に頻発し、政府も国民もうろたえているのが現状である。

日本経済新聞は八月十六日と十八日付の社説で次のように報道している。
 「領土をめぐる周辺国の攻勢が激しさを増してきた。ロシアのメドベージェフ首相が北方領土を再訪したのに続き、今度は韓国の李明博大統領が竹島(韓国名は独島)に初めて足を踏み入れた。
 日本が実効支配する尖閣諸島でも、中国が領有権の要求を強めている。15日には香港の活動家らが同諸島の魚釣島に上陸した。
 領土をめぐる対応は政争の具とせず、超党派で結束して取り組んでいく体制を整えることだ。日米同盟の立て直しも急がなければならない。米政権内には、尖閣諸島や竹島問題などでアジアの緊張が高まるのを懸念する声もある。特に尖閣諸島の実効支配を保つには、中国の急速な軍備増強に対抗できる措置をとっていく必要がある。領海警備に当たる海上保安庁の体制の拡充を急ぎたい」と。
 以上の通り、上も下もただうろうろするばかりであり、歴史から何も学ぶことなく、明確な国家観もない。われわれはフォークランド紛争から深く学ぶべきである。
 領土問題が歴史的にどう解決されたのか。その模範はフォークランド紛争である。ここでその顛末を紹介しておきたい。
 フォークランド紛争とは何か。一九八二年四月二日、アルゼンチン軍事政権がフォークランド諸島に侵攻、一八三三年以来、同諸島を実効支配する英国と紛争が勃発。サッチャー英政権(当時)は空母二隻を主力とする部隊を派遣し、六月十四日にアルゼンチンが降伏。死者約九百人、負傷者約千八百人を出した。両国は二〇〇九年、国連に同諸島周辺の領有権を申請したが、いずれも凍結されている。
 このフォークランド紛争について、高崎経済大学教授の八木秀次氏は、今年六月号の「正論」で次のように言っている。
 〔一九八二年四月、南大西洋アルゼンチン沖の英領フォークランド諸島にアルゼンチン陸軍四千人が上陸し、制圧する事件が起きた。アルゼンチンでは前年十二月にガルティエリ大統領が就任し、フォークランドの領有を強硬に主張するようになっていた。大統領の経済政策への国民の不満が高まり、矛先を逸らせることが背景にあった。英国も外交交渉を続けていたが、ついにアルゼンチンは強硬手段に出たのだった。
 アルゼンチンはすでにフォークランドを実効支配している。英国が取り返すには武力行使しかない。しかし当時の英国ではそんな遠くの人口の少ない小さな島を戦争までして取り戻さなくてもいいではないかという意見が一般的だった。内閣や与党も国連やアメリカに仲介を頼むなり、二国間で話し合うなりする「平和的解決」を望む声が圧倒的だった。 ここで自国の領土を侵略されて手をこまねいていていいのかと敢然と主張したのが首相のサッチャーだった。当時は東西冷戦の時代でもある。彼女にはアルゼンチンの左翼ファシスト政権を処罰できなければソ連は勇気づけられ、自由社会を次々に侵食していくだろうとの判断もあった。
 サッチャーは戦争に反対する政府高官を更迭し、遠くフォークランドに艦隊や原子力潜水艦、爆撃機を派遣した。両軍とも多数の死傷者を出しながらも六月十四日、ついにフォークランドを奪還し、再びユニオンジャックが翻った〕と。
 ご覧の通りである。実にフォークランド紛争を解決したのは、外交交渉や、両国の円満な話し合いや、いわゆる国際社会の理解や、国際司法裁判所への提訴などなどのおしゃべりではなく、力と実力であり、最後は武力の行使であった。
 すべては力関係と武力が決定する。

(二)国家が生まれてから、領土紛争はすべて戦争で解決した。それはまた国家とは戦争の道具であった。この問題を通じて改めて国家の歴史を見つめ、国家の本質をしっかりと確認しよう。

国境と領土の所有権を決定するのは歴史的に形成された民族とその生産活動である。そもそもある一定の領土がだれのものであり、どの民族と国家に属するのか、ということを決めるのは、決して法律や宣言や声明によるのではない。それは歴史的に形成されるものであり、歴史的に形成された民族という人間の集団の生産活動(生産力の発展と生産関係の照応)が決定する。民族の形成は@言論の同一性A経済生活の同一性B風俗習慣の同一性、そしてC領土の同一性、をもって成立する。いいかえれば人間は生産と生活を通じて一定の集団たる民族を形成しつつ、一定の領土をもつ一つの国家を形成させてきたのである。どの領土がどの民族に属するかは、右のような歴史性が決定している。これを法律や宣言や、声明でとりかえることはできない。世界には民族が存在し、国家が存在し、国境が存在し、領土の所有権が存在する。そしてブルジョア世界は戦争を通じて国境の変更や領土の分割、占領と被占領を繰り返してきた。しかし、戦争や力による国境の変更や領土の分割は不正義であり、侵略であり、占領である。真に正しい国境の制定や領土の所有権は、歴史的に形成された民族の生産活動によるべきである。これが国境と領土の所有権を決定するのは歴史的に形成された民族とその生産活動である、ということの根拠である。
 人類がこの地球上に生まれ、人間が共同して生活し、社会をつくりあげた当初は、国家もなく、権力もなかった。国家も、権力も必要としなかった。みんなが共同し、協力し、連帯し、力をあわせ、食糧の採集、狩猟、住居の構築、猛獣からの防衛にあたった。みんな自発的に、強制されることなく、自然に、自主的にこれをおこなった。強制機関としての国家も権力も必要なかった。
 土地も、住居も、道具も、生産物も共有で、協同管理し、子供たちも一族の共有財産であった。万人は自由で、平等で、奴隷もなく、抑圧もなく、戦争も必要としなかった。このような人類初期を原始共同体社会という。歴史と環境と社会的存在が、善良で平和的で協力的な共同体意識をつくりあげた。
 やがて、道具が発明され、改良がすすみ、火を使うことが発見され、農耕が発生し、家畜の飼育と、金属加工の開発などによって生産力は急速に発展する。当然の結果として、需要より供給が増大し、そこに余剰生産物と蓄積が生まれ、他の氏族との間に交換が発生し発展する。そのときから人類社会に異変がおこった。
 余剰生産物と蓄積された財貨と他の氏族との間の交換による利益などはみな、本来的には社会全体、全人民のものであり、ましてや土地と山野は自然がつくったものであり、社会のものであるのに、これを占有し、私物化し、収奪し、支配し、独占しようとする衝動が一部の人間を支配する。そしてこれを実現したのは有利な立場に立ち、力と能力にたけた男たちの一族であり、ここに新たな所有階級、支配階級、資産階級が生まれた。これは社会の分裂であり、階級分化であり、新たな抗争のはじまりであった。だから、フランス啓蒙運動の旗手たるルソーは「財産とは泥棒である」と言ったのはまったく正しかった。まさに大自然の土地や山野の私有は泥棒なしにはありえなかったのである。そしてこの階級による、よりいっそうの収奪と支配、他の氏族との間の争奪戦もはじまった。こうして人類社会に、階級分化と階級対立、分裂と抗争、収奪と支配をめぐる戦争がはじまった。こうして人類社会は、弱肉強食の時代に突入した。必然的に階級支配とその財貨を守り、戦争を遂行するための機関としての権力と国家が生まれた。
 現在全地球上に吹き荒れている戦争と内乱、民族闘争と宗教戦争、国境紛争と部族抗争、爆弾事件と銃犯罪、殺人とテロ、麻薬とエイズ、泥棒と暴行、家族の崩壊と人間性のそう失、いじめと自殺という現代社会の流行病はまさに現代独占資本と資本主義の断末魔の叫びである。それはつぎなる世界への脱皮の陣痛の痛みでもある。
 分裂と抗争と対立と戦争の社会にひきこんだものは国家であり、権力であった。その国家と権力もついに寿命がつきて最後の段階に到達しつつ、つぎなる世界に席をゆずろうとしている。その新しい世界とは、人類が最初につくりだした、あの懐かしくもうるわしい社会、共同体社会なのだ。しかもそれは、単なる復古ではなく、より発展した、より前進した、より高度の社会、そういう共同体社会なのであり、コミュニティーである。

(三)歴史は到達すべきところに必ず到達する。それはコミュニティー・共同体である。そのとき人類は真の平和と平等の歴史が実現される。

 歴史はすべての分野で歴史科学のもと、一歩一歩確実に、前へ前へと前進している。現代世界は、資本主義は行き詰まり、民族は独立し、国家は自立し、大衆は自覚し、こうして歴史はコミュニティーへと科学法則に基づいて動き、転換している。
 二〇〇九年十月、ギリシャの国家財政破綻で始まったヨーロッパ共同体(EU)の経済危機は二〇一一年には、ついに崩壊へと進み、今では世界の主要な経済学者はみな「ユーロは失敗した」と断言している。
 ニューヨークでは、1%の金持ちではなく、99%のための民主主義を!と叫ぶ若者たちが「ウォール街を占拠せよ」というスローガンを掲げてデモを実施、このとき叫ばれた声は「資本主義と戦え!」である。全世界の民衆は「資本主義とは何か」という問いかけをするに至ったのだ。
 朝日新聞二月九日付の報道によると、ヨーロッパ共同体(EU)の経済危機の中で各地に自衛のため地域共同体社会を作る運動が広がっているという。イタリア北部の都市ブラ、フランス南部のトゥールーズ、スペイン北部のサルバテラ、などではアメリカのスーパー、マクドナルドの出店に反対し、「地中海のゆるやかな暮らしは変えなくていい。過剰な消費をやめ、慎み深かった頃に戻るべきだ」「食べ残しを減らそう、過剰な消費を考え直そう」「今の危機は、麻薬に侵されたような成長とスピードばかりを優先してきた資本主義のあえぎだ。正すべきは、それに侵された私たちの生き方だ」という大衆の声を広く呼びかけ、「コンビビア(共同体)運動」を開始、それはヨーロッパの各地(一二〇ヶ国)に広がっている、と。
 そして二月二十七日付日本経済新聞のコラム「春秋」は次のように報じている。「七年前、ハリケーン襲来で土地の八割が水没した米ニューオーリンズ市が変身しつつある……人口当たりの起業家数は災害前に比べ倍増し全米の平均を超す。半減した人口も八割近くまで戻った。原動力は二つ。一つはコミュニティーだ。市長や議会がシンクタンクやコンサルタントと机上で描いた再開発案を捨て、民主導で小さな地区毎に集会を開き、未来図を練り上げた。もう一つは他の町の若者たち。学生、ビジネスマン、希望者を募り、呼びかけ、新しい未来に挑戦する青年の力を動かした」と。
 新しい歴史時代が、もう時代遅れになった旧い自由競争から、連帯と協力と共同の人間性豊かなコミュニティーを求めて動く時代、コミュニティー・共同体が出現しつつあるのである。
 二〇一一年度の特徴は「資本主義の崩壊」が現実のものとして論壇に登場した。そして二〇一二年度はコミュニティー・共同体が地域社会から実現されていく時代となった。こうして歴史科学は確実に到達すべきところに到達しつつある。われわれは歴史科学に確信を持たねばならない。
 歴史の到達点はコミュニティーである。人類が最初に作り出した原始共同体社会は、より発展し、前進し、より高度になって元に帰っていく。階級なき共同体、自覚し、認識し、確認しあった共通の意志にもとづく直接的な民主主義としての評議会を通じて、生産も、分配も、統治も、すべては共同体の中で執行される。人類最初の社会はそうであったのだ。
 コミュニティー社会では階級支配は基本的には消滅する。共同体社会であるかぎり、そこには人民大衆、ただ一つの階級社会である。人民の人民による人民のための社会である。故にこのような社会(存在)が、そのような存在(環境)がそれにふさわしい人間を作り出していく。環境が人間を作り出す。新しい時代と新しい社会と新しい環境が新しい型の人間を生み出す。こうして人類の前史は終わり、人類社会は新たな闘いに向かって前進する。それは全宇宙との闘い、宇宙の開拓と開発の闘いである。
 歴史は科学であることを知らねばならない。現代の歴史科学がコミュニティー・共同体を現実に作り出しているのだということをはっきりと認識しよう。
 「賢者は歴史に学べ」。人類が生み出した最初の社会は原始的であったがまさに共同体であった。それがより大きく、より豊かに、そしてより成熟して元に帰る。この螺旋(らせん)的発展法則が歴史科学であることを知らねばならない。

結語
  • コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ!
  • 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする!
  • 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む!
  • 人間は生まれたときから環境の産物であった。環境が変われば人間も変わる。国家と権力が変われば国民は変わる!
  • 人類が最初に、はじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティ国家と社会へ。ここから本当の人民の社会、人間の社会が生まれ、人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するだろう!