〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









 

このことの中に現代資本主義の崩壊という歴史時代があり、現代経済学の無力と、科学的経済学だけが解決できるのだという本質を教えた!

 国際通貨基金・世界銀行の年次総会が十月九日から十四日まで東京で開かれた。各国の財務大臣や中央銀行総裁などが一堂に会する大規模な国際会議で、報道によると参加者は二万人にも達した。
 その結果について十月十四日付『日本経済新聞』は、社説で次のように書いている。
 「世界経済の失速を回避する決意を新たにしただけで、具体的な対応に進展が見られなかったのは残念である。
 欧州の債務拡大が国債価格の下落を通じて金融不安に波及し、先進国のみならず新興国の経済にも悪影響を与える。そうした悪循環を確実に断ち切るため、主要国が万全の対策を講じるべきだ。……
 指導者の選挙や交代が相次ぎ、内向きの政策運営が国際協調の障害になっているのも見逃せない。領土をめぐる日中、日韓の対立も問題をこじらせている」と。
 このことを裏付けるのが各新聞の見出しである。ここには危機感と解決策のない焦燥感があふれている。『朝日新聞』は、「成長減速に危機感」「日米欧危機克服の道示せず」「欧州進まぬ構造改革―米国目前に『財政の崖』―新興国好転見えぬ中国」「減速動けぬG7」であり、『読売新聞』は「先進国・新興国 景気策手詰まり感も」「世界経済の減速に懸念高まる」「欧州危機収束道半ば―スペイン支援不透明」であり、『日本経済新聞』は「景気減速、新興国に波及」である。これは新年早々にスイスのダボスで開かれたダボス会議(世界経済フォーラム)の結果と全く同じであった。「第二のダボス」である。
 結論は、国際通貨基金(IMF)・世界銀行の年次総会(東京)は2万人もの巨大な会議だったが、現代世界の経済危機に何の解決策も見出し得なかった。
 このことの中に現代資本主義の崩壊という歴史時代があり、現代経済学の無力と、科学的経済学だけが解決できるのだという本質を教えた、ということである。

(一)現代資本主義の危機の震源地は米国であり、それは二〇〇八年のリーマン・ショックであり、そのきっかけになったのが二〇〇七年に発生したサブプライム・ローンの破綻であった!

二〇〇七年夏ごろから始まったアメリカの金融危機、二〇〇八年九月に発生したリーマンショック、このアメリカの金融危機が全世界を大混乱に陥れた。その危機を作り出した原因はアメリカのサブプライム・ローンの破綻であった。そこで、ではサブプライム・ローンとは何か、ということについて堺屋太一氏は明確に答えている。
 通産省の元高級官僚で国務大臣を務め、現代は作家であり、ジャーナリストの堺屋太一氏は『中央公論』二〇〇八年十二月号で「サブプライム・ローンとはノーベル賞級の詐欺である」と喝破している。堺屋氏のいうとおり、それは誠に複雑怪奇な仕組みで大衆を収奪する強欲な制度である。政府が背後で保証し、信用の低い大衆の個人的欲望に付け込んで住宅ローンを組ませる。そのとき、直接大衆と接触するのは仲介業者(ブローカー)である。彼らはあの手、この手を使って顧客を獲得する。その人が果たしてローンを返済できるのかどうかは関係ない。彼らの収入はそのマージンであるからひたすら数をこなすのが目的で、自分の儲けが第一なのだ。銀行・金融機関もどんどん貸し出していく。やがて訪れるそのリスクに備えて貸し付け証書を証券(株券)にして世界中に売りさばく。これを買う金融機関や業者たちは、アメリカ政府が保証しているから信用してしまう。そしてアメリカ経済の困難によっていよいよローンが破綻するに至ったとき、アメリカ自身の金融機関は、政府による「公的資金」の投入によって救済される。公的資金とは国民の税金である。救済された金融機関の役員たちは数十億円の報酬や、数百億円の退職金を得て涼しい顔である。堺屋太一氏が「ノーベル賞級の詐欺」だというのはこのことである。これはまさに「金融寡頭支配」の産物そのものである。
 グローバル経済下(資本主義的自由放任経済)、現在の経済危機はアメリカを震源地として全ヨーロッパに広まり、地球的経済混乱として世界を覆っている。今や経済危機でない国は世界のどこにもない。この一体どこに、アダム・スミスの言う「人間道徳」などというものが存在するのか。現代経済学はいかにインチキか、である。ここに資本主義経済の運命がある。
 二〇一一年度の特徴は「資本主義の崩壊」が現実のものとして論壇に登場した。そして今歴史は、連帯と協力と共同の人間性豊かなコミュニティー・共同体が地域社会から実現されていく時代となった。こうして歴史科学は確実に到達すべきところに到達しつつある。

(二)現代の資本主義経済学はエリザベス英女王の質問に答えられなかった。ここに現代資本主義経済学に内在する自由放任、無政府主義、無計画性という本質が出ている!

 十月十一日の『朝日新聞』、「カオスの深淵」の欄に「危機読めない経済学」と題する一文が載った。それは次の内容である。
 〔エリザベス英女王がなにげなく口にした疑問に、英国の経済学者たちは激しく動揺した。
 二〇〇八年十一月、経済学の名門ロンドン大経済政治学院(LSE)の開所式。来賓の女王が尋ねた。
 「どうして、危機が起きることを誰も分からなかったのですか?」
 米証券大手リーマン・ブラザーズ破綻から始まった金融危機が深まっていた。居合わせた経済学者は、充分な返答ができなかったようだ。
 学者や実務家らが集められて討論し、手紙で女王に報告した。「金融市場や世界経済について多くの警告はありましたが、分析は個々の動きに向けられました。大きな絵を見失ったことが、ひんぱんにありました」。手紙に署名した一人、LSEのティム・ベズリー教授は言う。「誰も全体を見ていなかった」
 経済学者は政策を示すエリートだ。しかし、本当に役に立つのか。よってたかって処方箋を書くのに、なぜ景気はよくならないのだろう〕と。
 これは悲劇を通り越して正に喜劇である。彼らは歴史科学が分からないから答えられないのだ。これはアダム・スミスとその古典経済学は完全に破綻していることを見事に表した事実である。彼のいう「人間欲望の自由放任」の世界、資本主義と独占支配の世界は戦争と殺りく、暴力と犯罪、欲望のままの世界であり、アダム・スミスの言うところの「見えざる神の手」などどこにもなかった。もしもあるなら、ここが「神の手」の出番である。出してみよ! まったく通用しないではないか。自由放任、無政府主義、無計画性という現代資本主義経済学の産物としての世界的金融危機であり、資本主義崩壊は必然の結果なのだ。けっして英国の経済学者の責任のみに帰する問題ではない。
 だから、アメリカ、ニューヨーク大学のヌリエル・ルービニ教授は「世界的な金融危機と景気後退が再び訪れる可能性は排除できない…。私は社会主義者ではないが、資本主義は自己破壊的だとしたカール・マルクスの指摘は正しかった」と断言するに至ったのである。

(三)経済学は科学である。そこにおける法則は歴史科学の法則に従っている。原始時代から奴隷制へ、そして封建制から資本主義へ、最後は帝国主義に到達し、やがて帝国主義は崩壊し、歴史はコミュニティへ進む。経済学はこの歴史科学にもとづいて展開されなければならない。科学的経済学とは何か!

 十九世紀の世界に近代労働者階級が巨大な勢力として歴史の舞台に登場した。同時に、これと併行して、マルクスの頭脳が(その頭脳労働が)労働者階級の運動と闘いへの灯台・羅針盤としての思想と理論を生み出した。そしてその中の経済学の分野は『資本論』(一八六七年)に代表される。
 そして重要なのは、マルクスの著作『経済学批判についての書評』(一八五九年に執筆したエンゲルスの一文)にあるつぎの言葉である。「マルクスの経済学は本質的に唯物論的歴史観(史的唯物論)にもとづいている。この歴史観の要点は、マルクスの『経済学批判・序言』のなかで簡潔にのべられている」というこの一言である。
 その核心を一言で言えば「人間が生きるための力、その生産力の発展が、人間の相互関係、国家と社会制度を変化させていく」という科学的法則である。経済学とは『史的唯物論』にもとづく人間の歴史、その経済史でなければならない。その基本的概略はつぎのとおりである。
  1. 生産力がなく、したがって生産活動もなかった人類最初の社会は、すべてが大自然を相手にした共同採集経済であり、それを土台にした共同体・コミュニティー社会、社会的人間道徳の世界であった。
  2. 生産力の成長と発展による生産活動の飛躍は余剰生産物(備蓄)を生み、財産となる。そこに個人的欲望にもとづく財産をめぐる争い、対立と抗争、戦争と内乱が発生、権力機関としての国家が成立。生産力の発展が生産関係を変化させる第一歩がはじまった。
  3. 生産力の発展が生産関係(国家と社会制度)をつぎつぎに変化させ、発展させた人類の歴史をしっかりとみつめよ。ここに歴史科学・社会科学としての経済学がある。
  4. 原始共同体から奴隷制へ、そしてつぎの封建制へと歴史は転換していく。それを促したのは生産手段の発達(機械と用具の木製から金属製へ、単純なものから複雑なものへ、改良、改革、発明、発見)にもとづく生産力の向上であった。このことがそれまでの奴隷労働(奴隷制)ではなく農奴(封建制)を求めていった。奴隷制国家から封建制国家への転換は歴史の必然であった。
  5. 生産用具(生産手段)のいっそうの発展は、手工業的家内工業から、大規模な工場制工業となる。その結果製品は大量となり、交換経済は商品流通を生み、すべては商品となる。そこから貨幣が登場し、貨幣の所有者(ブルジョアジー)が社会の主人公となる。同時に経済活動は自由な商品としての労働力(労働者)を求め、農奴解放(奴隷解放)を求める。近代自由主義、資本主義の到来である。
  6. 自由主義から出発した近代資本主義、人間欲望の自由放任主義、その自由主義経済はもはやその頂点に達した。独占と帝国主義の時代は登り詰め、らん熟し、腐敗し、能力を失い、次の時代に移行せざるを得ない人類前史の最後の段階である。人類は大衆社会、人民の世界、近代的コミュニティへの転換を求めて激動しているという、現代の時代認識を知ろう。
 以上が科学的経済学の核心である。
 もう一度、われわれは歴史科学について結論付たい。
 人類の歴史は原始時代―奴隷制時代―封建制時代―資本主義時代へ、そして現代独占資本と帝国主義の時代に登りつめた。資本主義の頂点に達した現代、らん熟し、腐敗し、堕落してしまった現代、その権力はもはや統治能力を失ってしまった。もはや老いてしまったのである。
 こうして現代、地球上最後の帝国、アメリカ帝国主義の崩壊と、新しい世界の出現に向かって爆発し、収れんされつつある。今後は、それぞれの国家は自立し、民族は独立し、大衆は自覚し、こうして最終的には、人民の人民による人民のための世界、つまりは近代コミュニティーへと収れんされる。
 こうしたなか、朝日新聞二月九日付の報道によると、ヨーロッパ共同体(EU)の経済危機の中で各地に自衛のため地域共同体社会を作る運動が広がっているという。イタリア北部の都市ブラ、フランス南部のトゥールーズ、スペイン北部のサルバテラ、などではアメリカのスーパー、マクドナルドの出店に反対し、「地中海のゆるやかな暮らしは変えなくていい。過剰な消費をやめ、慎み深かった頃に戻るべきだ」「食べ残しを減らそう、過剰な消費を考え直そう」「今の危機は、麻薬に侵されたような成長とスピードばかりを優先してきた資本主義のあえぎだ。正すべきは、それに侵された私たちの生き方だ」という大衆の声を広く呼びかけ、「コンビビア(共同体)運動」を開始、それはヨーロッパの各地を中心に(世界の一二〇ヶ国に約一五〇〇支部)広がっている、と。
 歴史は科学である。現代の歴史科学がコミュニティー・共同体を現実に作り出しているのだ。人類が生み出した最初の社会は原始的であったがまさに共同体であった。それがより大きく、より豊かに、そしてより成熟して元に帰る。この螺旋(らせん)的発展法則が歴史科学であることを知らねばならない。

結語
 @人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。
 A生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。
 B人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。