〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









「アベノミクス」の柱は「超積極的・量的・質的金融緩和」である。しかしこれは資本主義経済法則の歴史が証明しているとおり、まさにバブルであり、そしてバブルは必ず崩壊している。「賢者は歴史に学べ」!

 現代世界の状況はどうなっているのか。その象徴的事実は次の点である。
 まず、オバマのアメリカ。オバマ大統領は二期目となる二月十二日に一般教書演説を行った。その内容は各新聞の見出しを見ればよくあらわれている。二月十四日付読売新聞は「米、軍事行動に消極姿勢」「大統領、内政重視―厭戦気分の世論意識」であり、同日の朝日新聞は「オバマ氏、内政に腐心」「外交・対テロ戦後方に」である。この二つの新聞の見出しには、資本主義の危機の状況がよくあらわれている。もはやアメリカは国内の経済問題で手が一杯なのである。
 EUはどうか。ギリシアの国家財政破綻から始まった経済危機は、イタリア、ポルトガル、スペイン、キプロスへと、小さい国の危機が大きな国を巻き込み、ヨーロッパ全体を危機に陥れている。EUは共同体であり、経済も、金融もみなつながっている。グローバルの世界だから小さな国の危機も、大きな国の危機に波及せざるを得ない。結ばれたヒモの一つが切れれば、全体に波及する。ブルジョア社会の危機は連鎖反応を起こす。だから「一人勝ち」と言われるドイツは選挙民の中から「弱い国は切り捨てよ」という反EUの政党が出てきてドイツ政権を揺さぶっている。
 二〇一一年にチュニジアから始まり、エジプトからリビア、イエメン、へと波及した「アラブの春」はどうなったか。代表的なエジプトをみればわかるとおり、二月にムバラク政権を倒したが、その後が治まらない。経済の復興もしない、治安も最悪。外国から武器が流れ込み、内戦状態に陥りつつある。現在シリアも内戦状態にある。資本主義は弱肉強食。とても解決はできない。次々と独裁権力を倒したあの「アラブの春」は治まらないのである。
 世界第二位の経済大国中国はどうか。最近「中国の終わりの始まり」(徳間書店)、「習近平と中国の終焉」(角川SSC新書)など多くの書籍が出版されているが、それらによると反政府デモが年間三〇万件も起きているという。原因は格差社会、失業、ヤミ・汚職・堕落など政権の腐敗である。毎日どこかでデモが起き、習近平政権も危ない。資本主義体制ではやっていけないのである。
 日本はどうか。アベノミクスに浮かれているが、これも日本経済の危機が、アガキとして生み出したモノである。二〇一二年十二月二十六日に日本経済の危機の中で第二次安倍内閣が発足した。この安倍内閣の性格を彼らは「新内閣は日本再生内閣」「日本危機突破内閣」だといっている。そのために三本の矢政策を打ち出した。@金融緩和。A国家財政再建。消費税の増税。B経済成長戦略。の三つである。その中でも柱は金融緩和政策である。二〇一二年十一月総選挙を前に安倍と業界の懇談会があった。ここで彼は「経済を成長させるために金融緩和をする。そのカネで経済を復興させる。輪転機をぐるぐる回して日本銀行には無制限にお札を刷ってもらう」といった。下手をするとインフレやバブルになると経済学会で異論が続出している。
 それもそのはず。金融政策で経済を左右することはない。経済とは生産である。金融政策で経済を左右すると、インフレやバブルになる。それを踏みにじって、封殺して、安倍は突き進んだ。日本銀行の総裁や副総裁、経済諮問会議の顔ぶれはみな金融緩和説の学者ばかり集まっている。
 「アベノミクス」の本質をもう一度、ここで確認しておきたい。
 アベノミクスは必ず失敗する。
 現代の歴史時代は資本主義世界の経済的政治的危機からその崩壊へ、そして次の世界たるコミュニティーをめざしている歴史時代である。アベノミクスとはその過程におけるアガキであり、明治維新における「安政の大獄」である!
 「アベノミクス」の柱は「超積極的・量的・質的金融緩和」である。しかしこれは資本主義的経済法則の歴史が証明しているとおり、まさにバブルであり、そしてバブルは必ず崩壊している。「賢者は歴史に学べ」!
 こういうことがわれわれには断定できるのである。

(一)安倍政権と日本銀行は異次元・超積極的・革命的・量的・質的金融緩和を打ち出した。まさに人体(資本主義経済)への劇薬である!

 安倍政権と日銀総裁はつぎのように言う。
 「経済が不況なのはカネがないからだ。工場の設備投資もできないし、材料も買えない。だから生産が積極的にならない。カネを増やせばカネが借りやすくなるし、生産も上がる。労働人口も増える。経済が活性化すれば賃金も上がる。賃金が上がれば消費も増える」と。
 新聞報道によれば金融緩和で経済が成長する、というのには異論がある。十五年間にわたって議論、論争が続いている。
 当然のことながら、金融緩和で産業が活性化するなどあり得ない。それは邪道である。生産が活性化するのは世の中に必要な、いい製品を作り出し送り出すことである。いい製品なら人々に受け入れられ、海外でも受け入れられる。先ずはいい製品を作ることだ。いい製品を追求すれば、さらに効率のいい設備の開発、機械化が進み、価格も下がる。いい製品を、いい設備で、安く作る。生産活動に意欲を持って取り組むことが、本来のあるべき姿である。実体経済なしの金融緩和だけでやると、必然的にバブルかインフレとなる。
 だから、経済学の世界で大論争になっているのである。経済学の世界で論争になれば、言論界にも波及して文春新書から「アベノミクス大論争」という本が出ているし、月刊誌文藝春秋では、四月、五月号連続で特集を組み、「危険な熱狂」と批判を展開。オピニオンリーダーの中央公論でも五月号で特集を組んで批判している。新聞も、四月六日付の日本経済新聞は、「黒田ショック海を越える」と海外でも賛否両論大問題になっていると報じ、さらに四月二十日付朝日新聞は、「主要国は賛成、新興国は警戒」、と報じている。また四月二十一日付の読売新聞は、ワシントンで十九日に閉幕した「主要20カ国と地域(G20)財務省と中央銀行総裁会議」の共同声明を取り上げ、日本銀行の金融政策に一定の理解で終わった、と書いている。世界中の国々が議論し、対立しているのである。
 結論は何か。これだけ国内的にも国際的にも意見が対立している、ということ。そういう賛否両論については歴史が判定を下している。歴史の判定とは何か。バブルは崩壊する、ということである。なぜバブルは崩壊するのか。資本主義の法則とは何か。われわれはよく考えてみよう。われわれの回答は第二節で明らかにする。

(二)恐慌(過剰生産)とバブル(過剰貨幣)、インフレ(物価上昇)とデフレ(物価下落)、金融緩和(貨幣の量的拡大)と金融引き締め(貨幣の量的規制)はみな資本主義経済の矛盾が生み出す盾の両面であり、双子であり、必然の産物であり、その結末は爆発(崩壊)しかない。歴史を見よ!

 バブルとは何か。それはバブル経済のことであり、バブル(消えてなくなる泡)のように、健全な生産活動にもとづく実体経済とはかけ離れ、流通貨幣・資金や基金・金融資産によって発生する見せ掛けの景気や相場のことである。故にこれはバブルのように必ず、いつかは消えて(崩壊して)いく。そしてこれは資本主義経済の本質と法則が必然的に生み出すものなのである。
 資本主義発達の歴史を知ればわかるとおり、恐慌とバブルは相互に並立して発生している。遠くは一六七三年のオランダに有名なチューリップバブルがあった。ブームによってチューリップの球根への投機が盛んになり、最後にははじけた。バブルの崩壊である。そして恐慌ではあの第二次世界大戦につながる一九二九年の十月二十四日・木曜日、ニューヨークはウォール街の証券取引所で株価が大幅に下落、パニック状態となり、金融恐慌は多くの銀行倒産を引き起こし、世界的大恐慌から第二次世界大戦へと向かっていった。同じことが最近のアメリカの住宅バブル崩壊から世界的金融危機(恐慌)への拡大がある。二〇〇七年夏頃から始まったアメリカのサブプライムローン(大衆向け住宅ローン)の破綻(バブル崩壊)は二〇〇八年のアメリカ大手証券会社リーマン・ブラザーズの倒産(リーマン・ショック)は、EU(ヨーロッパ共同体)のギリシア財政危機からEUの危機へと進んだ。その間、大小様々なバブルと恐慌が繰り返されていった。こうして資本主義の危機はその頂点に達しつつあるのが現代の歴史時代なのである。ここに歴史科学があり、ここに科学的経済学の本質がある。
 このような現代資本主義の危機、その中の日本経済の危機が生み出した「アベノミクス」は、国の内外で注目され、大いに議論されている。
 安倍政権と日銀が打ち出した政策と方針はすでに明らかにしたとおり、まさにそれはバブル政策であり、現代資本主義の矛盾が生み出した避けられない政策である。それは四月十九日に閉会したワシントンにおける主要20カ国と地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の結論を見ればよくわかる。つまり、日本の「アベノミクス」(その金融政策)はバブルではないか、危険ではないか、新興国にとって警戒すべきことだ、という根強い反対があったが最後は容認されてしまった。なぜか。それはつまり現代の世界経済(現代資本主義)が経済的に危機に至っており、ここから脱出するためには先進国でもある日本経済が早く立ち直ってもらいたい、という強い要求があったからなのである。それほどまでに現代資本主義は行き詰まっているのだ。ここにバブルの必然性があり、ここに資本主義の経済法則がある。このことを証言したのが朝日新聞の報道である。
 四月二十二日付の朝日新聞は「世界経済 回復に暗転」「弱すぎる欧州・加速しない米」という大きな見出しで次のように書いている。
 「ワシントンで20日に閉幕した国際通貨基金(IMF)・世界銀行の総会で、世界経済の成長が弱すぎるという認識が共有された。先進国の成長が加速せず、つられて新興国も勢いを弱めているからだ。日本銀行の大規模な金融緩和が、各国に理解された背景には、唯一勢いがある日本の経済再生を望む新興国の思いもある。……新興国の勢いにも陰りが見える。先進国が成長しなければ、新興国はどうやって高成長を実現できるだろうか。……日米欧が復調しなければ、結局は自分も成長できないという事実を新興国は突きつけられた。……悩む新興国側は、日銀の大規模緩和への態度を変えている」と。
 「歴史は同じことを二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(マルクス)というとおり、日本ではあの一九九〇年の「バブル崩壊」がある。そのときも今回の「G20」の要求で「アベノミクス」が実行されたように、一九八七年二月二十一日、パリで開かれた世界の主要五カ国の蔵相・中央銀行総裁会議(G5)と二十二日に開かれた七カ国の同じ会議(G7)で、世界経済の発展と不安定解消のため、国際収支の黒字国はいっそうの内需拡大、低金利政策、通貨の量的拡大を実行すべきだという従来の強い要求をもう一度確認した。日本はすでに国際的圧力のもと、日本銀行は今度の「アベノミクス」のように超低金利・通貨の量的拡大を実行していた。その結果市場にあふれた過剰資金・金余り現象のもと、土地や、株や、絵画や、ゴルフ会員権にまで投機が弾み、バブルが発生。一九九〇年三月大蔵省は金融引き締めに踏み切った。当然の結果としてバブルの崩壊であり、一九九一年の終わり頃から急速に株価の下落、土地価格の下落など、いっせいにバブルは消えた。その結果多くの金融機関が倒産していった。有名なものに四大証券の一つ「山一証券」、銀行では「北海道拓殖銀行」など、数々金融機関や会社が倒産した。その後日本は「失われた20年」と言われたような長期の経済的苦しみを受けることになる。
 歴史は何をわれわれに教えているのか。経済学とは歴史科学であることを知らねばならないのであって、人間性悪説にもとづいて、あのときはここが悪かった、そのときは誰が失敗した、などという、非科学的な観念論でみるから歴史は繰り返すのである。そして歴史はこうして必然の道、歴史の転換を求めて前進していくのである。
 世界資本主義は18世紀の産業革命、19世紀の独占資本主義から帝国主義へ。これは産業独占から金融独占への転化であり、すべては金融支配、金融寡頭支配への移行であり、すべてはカネが支配するに至った。そして当然世界は一つになり、経済的に単独で、一国だけでは成り立たなくなった。グローバル(世界的・国際的)な世界なのである。
 このことの本質について、ポール・ケネディ(イギリスの著名な歴史学者で、その主著『大国の興亡』は世界的なベストセラーになった)は、二〇一一年七月十日付読売新聞に『地球を読む』という欄でつぎのように書いている。
 「ドル支配の時代は終わりに近づいている……問題は、米国の信用が疑われていることだ。……大きな勝者は投資家たちだろう。今日の国境なき世界において、彼らは国家的な忠誠心を持たず、一日中、利ざやを求めて動く。彼らは商品市場のあらゆる理性を破壊した。銅の先物買いをするのは、銅線を作るためではなく、翌日売って15%の利益を得るためだ。どこかの国の通貨を、破綻に追い込むほど売り買いすることもできる。遊べる準備通貨が三つもあれば、彼らは大喜びするだろう。……なぜなら……世界を動かしているのは、まさに通貨だからである」と。
 ヒト、モノ、カネが、いとも簡単に国境を越えていく。すべてが自由に移動していく。そのエネルギーがカネなのである。カネによってヒトも、モノも、そして国家と民族も、みなそのカネによって突き動かされる。まさに「マネー・マネージャー資本主義」(服部茂幸著『危機・不安定・資本主義』)である。
 このような経済至上主義、物質万能主義、利益第一主義、拝金主義、この体質、この資本主義的本質こそがあらゆる悪の根源であり、あらゆる諸現象の源泉である。戦争と内乱、対立と紛争、テロと暴力、非人間的な各種犯罪はみなこの資本主義的な体質が引き起こすものである。われわれは哲学を知らねばならない。つまり「存在が意識を決する」という哲学原理である。意識(人間の善悪とその行動)は存在(歴史時代という人間のおかれた環境)が決定する。歴史時代と環境が人間を作り上げる、という原理である。だから環境が変われば人間も変わる。そして歴史はその運動と変化のなかで環境を変化させるよう求めて激動する。そのとき歴史の要求に答え、環境を変化させるための目的意識性(思想と理念)が生まれ、この目的意識性によって歴史は転換していく。過去の歴史と英雄をみればわかるとおりである。人間の歴史は大宇宙の運動法則と一体になって、いくたの悲劇(喜劇)を乗り越えて前へ前へと前進し、到達すべき人類史の到達点に向かって進む。これが歴史科学であり、経済学はそのための方法論である。

(三)現代資本主義(独占と帝国主義)はもはや救いようがない。根本的転換、経済的、政治的、社会的な、すべてにおける共同体、近代コミュニティーへの転換以外にない。歴史はこれを求め、それは必然である!

  人類の歴史が証明しているように、人間の欲望というものは常に環境によって変化してきた。人類が最初に作り出した生活集団、その社会とは古代から原始にかけて存在したコミュニティーとしての原始共同体社会であった。そこではまだ生きるための欲望たる食も、住も、衣も生産することができないため、すべては大自然に依存していた。つまり、食、住、衣は生産ではなく、大自然からの採集であり、山野からの狩猟であり、河川からの漁労であった。しかも道具類はまだ発明できなかった時代、すべては人間の体、手足が道具となった。これが大自然の猛威と、各種の障害にたちむかっていくためには、人間の集団による一体としての協力と共同と連帯を必要とした。歴史時代とそのような環境が協力と共同と連帯の社会を作った。だからここでは獲得も所有も、分配も社会的共同である。だからそこには支配も、被支配もなく、真の自由と平等の世界があった。対立と抗争と戦争も必要なかった。平和な社会であったということは、歴史学者、人類学者、日本の考古学会の定説でも、縄文時代(原始時代)は平和な時代であったことを証言している。
 このような社会が崩壊し、支配者と被支配者の対立と抗争、戦争と内乱、犯罪と暴力が出現したのは、生産活動が発達して世の中に富と財産が生まれてからである。人類は大自然からの採集経済から、生産活動、物質生産の時代に移行した。知恵と知能の発達、道具の発明と改良も進み、生産力も高まった。その結果余剰生産物(備蓄)が生まれ、それが財産となった。当初これはコミュニティーの共同管理、共同所有であった。しかしそれが増加するにつれ、やがて力(知能、才覚、腕力)の強い人間とその集団が、自らの本能的欲望のまま、自由に自分のものにした。私有化、私有財産が生まれた。彼らは力まかせに、大自然が生み出した人類社会のものである土地や山林まで「これもおれのものだ」とばかりに占有し、私物化してしまった。そしてこの自らの所有、私有財産を守るために権力機関、支配機関(国家)を作り上げた。人類の最初の国家、古代奴隷制国家(古代ギリシアの都市国家、古代ローマ帝国)が強大になった代表例である。つまり、生産力の発展が生産関係(人間の相互関係、階級社会、権力と国家)を作り上げたのである。これが科学的にみた経済法則であり、史的唯物論なのである。
 こうした歴史時代が、こうした環境が、人類社会に富と財産をめぐる争奪戦たる階級社会と階級闘争を生み出したのである。すべては歴史と環境が欲望を変化させ、転換させ、その思想・意識が世界を支配していった。つまりは環境が人間を作り、人間が環境を支配していったのである。
 原始共同体が崩壊したあとの社会は奴隷制社会である。ヨーロッパでは古代ギリシアの古代都市国家(ポリスとしてのアテネ、スパルタ)、そして古代ローマ帝国であり、日本では弥生時代である。そしてこの時代から人類史上に戦争と内乱、対立と抗争、暴力と犯罪が日常化していった。奴隷制から封建制、資本主義から現代の独占と帝国主義へ、原始共同体が解体された以降、人類社会に戦争のない時代は一度もない。このような対立と抗争、暴力と犯罪、戦争と内乱の原因はみな、経済問題である。つまりは富と財産、土地と領土、金(カネ)をめぐる争いなのであり、根底には人間の欲望の自由放任がある。まさに「欲望資本主義に憑かれた人間たち」の世界なのである。アダムスミスと自由主義、そのブルジョア経済学、歴史上のすべての宗教も、原始共同体社会が崩壊したあとの人間の歴史を貫く、富と財産と土地と領土をめぐる対立と抗争、戦争と内乱、暴力と犯罪を何一つ解決できなかった。「見えざる神の手」などは空想の世界の幻影に過ぎない。永遠の過去から永遠の未来に向かって絶えず運動し、発展し、前進し、転換していく人類の歴史が必ず近い将来この問題をきっぱりと解決するであろう。その時代はもう近い。なぜなら人類の歴史は、原始共同体―奴隷制―封建制―資本主義―独占と帝国主義へと、前へ前へと進んできたからには、ここで止まっているわけではなく、つぎの新しい時代へ進む以外にない。それは、大衆的社会・人民の時代、高度に発達した近代的コミュニティーの時代である。

結語

 (一)アメリカの一極支配は完全に終わった。地球上最後の帝国主義たるアメリカ帝国主義は崩壊し、単なる一つの国に成り下がった。
 (二)世界中の主要な国々が集まっても、そこでは何も解決できなかったということは何か。それは各国は自分の国のこと、自分の内政に没頭しているのであって、外交は二の次であり、外交とは内政の反映(哲学的内因論)であることを証明した。
 (三)国家は自立し、民族は独立し、大衆は自覚し、あらゆるところから目覚めた人間の行動が激化する。対立と抗争、暴力とテロ、戦争と内乱はその過程の副産物であり、未来をめざす偶然性である。
 (四)そしていま、歴史が求めている人類の世界、人間の社会とは、まさに大衆社会、人民の世界、人間性社会であり、人民の・人民による・人民の政治と国家であり、階級なき国家、近代コミュニティー社会である。
 (五)人民大衆を主体とした国家と社会こそ本当の民主主義、真の自由と平和の国家と社会である。それを保障するのは、直接民主主義の制度たる評議会である。人間欲望の自由放任主義にもとづく投票制度と議会主義という間接民主主義はブルジョア政治の見本である。人民大衆にとっては、真の協力・共同・連帯・人間性あふれる自覚されたコミュニティー社会こそ、戦争のない本当の平和社会である。                                  (おわり)