〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









歴史科学の法則が、人民による人民のための人民の政治と社会・コミュニティー共同体を要求している。その扉を開くものこそ評議会である!

 現代資本主義は世界的規模において混迷と混乱と迷走に陥っている。アメリカの一極支配は終わった。世界は無極状態になった。経済・政治・社会のすべての分野にわたってあらゆる矛盾が爆発している。
 アメリカ自身が崩壊している。国家財政の破綻、貧困大国、格差社会と失業の国、国際テロにおびえる、他民族国家内の分裂と対立は深まる。そして七月十八日にはアメリカ自動車産業の拠点だったミシガン州デトロイト市が財政破綻で崩壊した。アメリカ史上最大の都市破産である。その原因はデトロイト市を支えていた世界的自動車メーカー・ゼネラル・モーターズ(GM)が、新しいグローバル時代に立ち後れ、二〇〇九年に経営破綻、オバマ政権の手で再建したものの、生産工場を国外に移し、デトロイトは税金収入の減少、失業者の増大で荒廃してしまった。これはデトロイトの問題ではなく、アメリカの未来を予告した出来事であり、ここに資本主義の本質がある。
 ヨーロッパ共同体(EU)はギリシアの財政危機を契機に、これが他の国々に波及、EUに南北格差が生まれ、若者中心の失業と貧困は深まる一方となった。この問題に関してフランスの著名な経済学者でパリ大学のジャン・ピサニフェリー教授は八月二日付朝日新聞に一文を発表、次のように論じている。「ユーロの危機は去っていない。危機の解決には自由競争の原理から破綻した金融機関を救済しないこと。もし救済するならユーロ参加国全体で負担せよ。だがこれは苦難な道程だ」と。ここに資本主義の本質がある。つまり教授の断定は正しい。しかしこれは資本主義体制では不可能なのだ。そして正しいのは歴史科学であり、マルクスの言う通り「ここがロドスだ、ここで跳べ」と歴史時代が決断を下す。
 「アラブの春」以後の中東・北アフリカの情勢は最近のエジプトに代表されている。投票による選挙という間接民主主義は無政府主義を生み、混乱は拡大していく。
 アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国となった中国は、貧困と失業、格差はすべての分野に拡大、汚職と腐敗、非人間的な強制と弾圧、言論統制に反抗して、年間二〇万〜三〇万件の暴動が発生している。歴史科学の必然性はここにも大変革の嵐がやってくるであろう。中国とは、共産主義や社会主義ではなく、一九七六年の毛沢東死後、一九八〇年以降、完全に社会主義は放棄され、すべての面で資本主義化された。資本主義と運命共同体の中国の前途は嵐である。
 これらの現象はみな、現代世界、現代資本主義、現代の歴史時代、つまりは人類の世界が大転換期にあり、根本的な変革を求める歴史の激動なのである。ここに歴史科学がある。
 歴史が求めているのは何か。それは現代世界を支配している独占資本主義の支配が生み出す市場原理という名の弱肉強食、最大限の利益追求、物質万能主義と拝金主義、人間性そう失の腐敗と堕落からの脱出、そのための階級なき人民の世界、コミュニティー共同体である。
 歴史はすでに、自然発生的に人民大衆の手によって共同体が作り出されている。朝日新聞の二〇一二年二月九日付によれば、イタリア北部、フランス南部、スペイン北部の都市ではアメリカのスーパー出店に反対して、資本主義的大量消費と過剰な販売競争に巻き込まれるな、今まで通りの平和で平穏な生き方を守ろう、と「コンビビア(共同体)」運動を始めた、という。
 朝日新聞二〇一三年六月四日付に、フランスの哲学・経済学者であるセルジュ・ラトウーシュ氏が一文を寄せ次のように語っている。「人間の幸せのカギは脱成長にある。経済成長主義は人間本来の共同体の精神を破壊してしまった」と。
 日本では著名な政治経済学者である中谷巌氏が『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社刊)で、同志社大学の教授・浜矩子氏が東洋経済新報社刊の著作で、共に「資本主義の市場原理主義は人間に真の幸福をもたらさなかった。人間性に満ちた幸福はコミュニティー以外にない」と主張している。
 歴史は大衆社会の中に、実生活を通じて都市にコミュニティー共同体社会を生み出している。これは大衆の自然発生的な運動である。そして一方では学者や先進的な知識人、前衛的集団の頭脳を通じて、理論的に、目的意識的に、コミュニティー共同体をとなえるに至った。こうして自然発生的な運動と目的・意識的な運動とが併立し、結びつくことで運動と闘いは必然性(目的達成)に至る。そうではなく、自然発生のままでは必ず、いつかは消滅せざるを得ない。ここに哲学原理があり、科学的運動法則の原理がある。歴史を見よ。
 歴史科学の必然性とは、人類の歴史が示しているように、生産力のなかった原始共同体から、生産力が生まれた奴隷制、そして封建制から資本主義へ、独占と帝国主義に到達した歴史時代はついに人類の前史を終わり、新しい時代としてのコミュニティーへと前進する。ここに歴史科学の必然性があり、すべての現象と出来事をこの歴史科学の必然性からみつめねばならない。目的意識性をもった先進的人びと、知識人、そして前衛的分子はこの必然性に向かって大衆の先頭に立たねばならない。歴史は先進性と前衛性なしには必然性に到達しない。そして歴史はまたこの先進性と前衛性を生み出す。そのとき歴史の必然性を達成させる力こそ、投票による選挙ではなく、人民の要求を実現させる直接民主主義たる「評議会」である。われわれは投票による選挙という愚民性、衆愚性をしっかり、はっきり認識しなければならない。

(一)投票による選挙とは何か

 投票によって政府や政治家を選ぶという方法が出現したのは紀元前五世紀の古代ギリシアであった。ギリシアには当時多くの都市国家(ポリス)が生まれたが、その中のアテネは早くから市民参加型の政治が発展し、やがて投票によって政治指導者を選ぶ方法が採用されるに至った。そして投票用具に用いられたのが陶器の破片であった。投票の結果、市民に人気のない指導者は追放された。そこから歴史上「陶片追放」という言葉が生まれた。結果としてこの制度は、結局は人気投票となり、そこから大衆迎合(ポピュリズム)という悪しき風習が作り出された。そしてそこからこの方法は政治指導者や、政党間にとって人気取りの政争道具になった。アテネでは政治の無能力と分裂を生み出し、国力は低下し、やがて隣国のスパルタに敗北した。
 ここで改めて、はっきりと、投票とは何かということを考えてみなければならない。選挙と投票に人びとを駆り立てる行動、何が人びとを投票に行かせるのか。それはあくまでも個人の自由主義、自由行動なのである。すべて個人的事情が根底にある。その契機となるものは、あるときは気の向くままであり、そのときの気分であり、風の吹くままであり、付和雷同である。ある人にとっては個人的知り合い、同郷の人、学閥、同好会、宗教心、名誉欲、そして金であり、物品であり、強制である。ここに個人行動と自由主義と無政府主義がある。だから投票というのは、大衆の後れた部分、社会と切り離され、孤立した個人、個人的幻想と錯覚と夢想にもとづく行動であり、ここに愚民性と衆愚性の本質がある。
 しかしこの制度は大衆支配の手段、ブルジョア自由主義の装飾物として、より巧みに引き継がれていく。つまりは大衆の理性・自覚ではなく、その本能を利用し、本能を駆り立て、自由主義を叫びたて、風の吹くまま、気の向くまま、行き当たりばったり、そのときの個人的感情によって誰かに投票するという、まさに無政府主義、愚民主義、衆愚主義という、ブルジョア政治の根幹になってしまったのである。

「アラブの春」はその後投票による選挙という愚民、衆愚政治の結果、以前よりもいっそう後退した混乱と混迷と迷走を生み、結局は再び独裁権力の出現となる。その代表例たるエジプトを見よ!

 二〇一三年七月三日、エジプトで軍事クーデターが発生、モルシ大統領と現職の政治指導者は全員逮捕・投獄・追放された。エジプトでは三〇年間のムバラク軍事政権の独裁が大衆デモで崩壊、二〇一二年六月、エジプト史上初の投票による選挙でモルシ大統領が出現した。憲法にもとづいてあと三年も任期があるのに軍の力で追放されたのである。これが投票による議会主義の末路であり、議会主義的民主主義の本質がここにある。われわれは先月号の紙上で一九五八年代のフランスや、イタリア、そして最近ではネパールの実例を示して議会主義とは何かについて歴史的にその愚民性を証明したが、いままたエジプトである。
 二〇一〇年十二月、チュニジアから始まった「アラブの春」は、リビア、イエメン、バーレーン、そして中東の大国エジプトへと拡大、「アラブの春」といわれる大変革をもたらした。これらの国々は二〇年から四〇年間にわたる独裁権力を、大衆デモと大衆行動と大衆的圧力によって打倒し、いわゆる民主主義政治を実現させた。つまり選挙によって民主主義を成立させたのであった。だがその後の歴史的事実をみればわかるとおり「アラブの春」をうたったこの国々はみな、経済の低迷、失業と貧困、治安の悪化、政治の混迷、テロの拡大に苦しみ、大衆の不満はいたるところに満ちあふれた。どこに選挙による民主主義の成果というものがあるのか。
 このことについて七月八日付『産経新聞』に東京大学准教授の池内恵氏は「アラブの春♂唐エかるエジプト」という一文の中で次のように書いている。「マルクスの有名な言葉を思い出した。すべての世界史的事実と世界史的人物は二度現れる、ただし一度目は悲劇として、もう一度は笑劇として(『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)。革命状況で現れる直接民主主義は、代議制、代表制の間接民主主義と矛盾する。革命を叫んだ民衆は、やがて歓呼して中立を装った軍人を権力の座に迎える」と。つまり、エジプトの民衆は大衆行動、大衆蜂起、大衆デモという直接民主主義を行使したが、何ももたらさなかった。結果は軍事政権の出現であった、というのである。
 しかし池内氏はマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と、その続きの『フランスの内乱』(一八七一年)を最初から最後までよく読んでいないから正しく理解できない。われわれ正統マルクス主義者ははっきりと断言しておきたい。マルクスは一連の論文の中でつぎのことを明確に論じているのである。
 一八五一年十二月にフランスでは、あの大ナポレオンの甥であるルイ・ボナパルトがクーデターをおこして独裁権力(第二帝政)を樹立した。この問題は全世界に大きな論争をまきおこしたが、そのときマルクスはこれらの論文で次のことを明確にした。
 第一に、当時のフランス政治の実権は、大金融業者、大資本家、大商人、大土地所有者、坊主や王党派が握っており、収奪され、支配され、苦しんでいたのは中小農民(中小ブルジョアジー)と労働者や一般市民であった。ここに階級対立の土台があった。
 第二に、この時代、労働者はまだ自覚し、めざめ、組織された勢力には至っていなかった。結果として農民と都市の一般市民が立ち上がり、大衆行動を起こし、大ナポレオンにあやかってボナパルトを担ぎ出した。そしてボナパルトはクーデターに勝ち、第二帝政を樹立した。
 第三に、歴史はやがて、一八七〇年のプロイセン・フランス戦争とフランスの敗北によって第二帝政は崩壊、そこから一八七一年のパリ・コミューンの成立となったが、このコミューンは労働者階級の政治的未熟さのため、真の評議会、直接民主主義としての評議会は樹立できなかった。マルクスはそれでもパリ・コミューンは偉大な教訓を残した。つまり人民の真の権力は直接民主主義たる評議会を如何に樹立し、如何に運用するかにかかっており、歴史は必ずこの問題を解決するだろう、と断じた。
 そしてマルクスの予言通り、歴史はレーニンとロシア革命の勝利を通じてこれをみごとに解決したのである。
 もしも現代のエジプトにマルクス主義の思想理念が存在していたなら、それに導かれて、人民大衆は自らを組織し、「人民による人民のための人民の政治を」の統一スローガンにもとづく統一戦線(人民戦線)を結成し、人民の権力たる評議会という直接民主主義を手に、人民の政治と国家を実現させたであろう。歴史はマルクスの予言と、ロシア革命の実験が示すとおり、いくたの試練を経て必然に到達する。

(二)評議会とは何か

人民にとって直接民主主義、人民の権力機関、権力におけるトップダウンとボトムアップの統一体、ここに評議会の本質と意義がある。この思想性と政治性を正しく認識せよ!

 権力とは力であり、実力であり、国家の支配機構であり、その最大の物質力こそ軍事力である。人類の歴史を見ればわかるとおり、原始共同体社会が崩壊して奴隷制国家が生まれて以来、封建制、資本主義制、そして独占と帝国主義を通じて常に戦争と内乱、テロと暴力は絶えることはなかった。その根幹はすべて権力闘争であった。政治闘争は権力闘争であり、権力闘争は力(経済力、政治力、行動力、軍事力)が決定する。
 そして歴史科学が要求する歴史の転換、人民による人民のための人民の政治と社会の実現もまた権力闘争であり、権力が解決する。その人民の権力、人民の力、人民の武器こそ、直接民主主義の執行機関たる評議会なのである。
 評議会とは人民大衆がその属性に従ってそこでの直接大衆討論、大衆討議を通じて、共通の認識と共通の意思を確認し、決定し、評議会として権力執行する。これは人民大衆の各界、各層、各戦線、各地区において下から上へと積み重ね、最終的には全国評議会に集約され、収れんされる。これがトップダウンとしての権力を支えるボトムアップなのである。トップとボトムの統一(対立物の統一)こそ正しい存在の哲学原理である。
 そしてまたこのような人民権力であってこそ、人民大衆の創意は反映され、結果として自らの権力、自らの国家と政治に責任と義務を人民は自覚して負うのである。

(三)評議会の歴史について

歴史上初めて評議会が出現したのは一九〇五年のロシアにおける第一革命であった。この年の五月から八月にかけてロシア第一革命は高揚期を迎え全土に革命の嵐が吹き荒れた。その中で革命運動の主力であった労働者はロシア全土でデモと集会とストライキでツァー(皇帝)政権打倒に突き進んだ。そのとき、ペテルブルグ、モスクワ、バクーなどの主要都市の大工場、大企業では工場、企業毎に評議会が組織された。これは、労働組合員、非組合員、政党、政派、宗派に関係なく、そこに働く労働者全員の集会での決議にもとづき、職場の意思を確認する機関としての評議会であった。職場では職場評議会、その代表者による工場評議会、その代表による企業(事業所毎の)評議会、その積み上げによる産業別、そして地域毎の、さらに県、州、そして全国的評議会へと拡大していった。
 ロシアにおけるこの第一革命は敗北に終わった。しかしレーニンと党は、敗北の中から偉大な勝利の芽をつかんだ。それがソビエト(評議会)であった。レーニンはソビエトこそ革命権力であり、その萌芽であると認定した。事実、一九一七年の本格的革命、十月社会主義革命ではソビエトに権力は移行したのである。
 一九一七年の十月の社会主義革命では、労働者代表ソビエトに、まず兵士が合流した。兵営毎に組織された兵士代表ソビエトである。
 つぎには、農村と農民のあいだにも、労働者に習って農民ソビエト、農村ソビエトが出現して労働者・兵士ソビエトに合流した。こうしてレーニンとボリシェビキは「全権力をソビエトへ!」というスローガンのもと、ついに国家権力を獲得したのである。

(四)評議会の歴史的教訓について

 前項で明らかになったとおり、ロシア革命の勝利は、ブルジョア権力に対抗し、ブルジョア権力と併立し、存在した革命権力たる評議会(ソビエト)があったからこそ勝利した。その反対に、同じ頃に発生したドイツ革命は完全に敗北に終ったのは、革命権力としてのソビエト(評議会)が存在しなかったからである。つまりドイツ革命を指導したのは、スパルタクス団という名に代表された一揆主義が、ただひたすら街頭主義と武装蜂起だけに頼ったからである。この点についてレーニンとは理論的・思想的に根本的に違っていたのである。
 そして第二次世界大戦が終った直後の中国革命では、毛沢東と中国共産党の指導する抗日民族統一戦線(人民戦線)があり、そして権力機関としての「人民政治協商会議」(人民評議会)があったからである。この「政治協商会議」の名において中華人民共和国と、中央人民政府の成立を宣言したのである(一九四九年十月一日)。こうして中国革命は勝利した。
 同じ頃、フランスでは第二次世界大戦は連合国が勝利し、フランスを占領していたナチスドイツは敗北してフランスから逃走した。そのとき、パリをはじめ主要都市にはナチスの占領に抵抗する運動と闘い、抵抗運動(レジスタンス運動)が激しく闘われ、その中から評議会(レジスタンス全国評議会)が生まれ、人民権力として存在するに至った。彼らは武装していた。ところが一方ではロンドンにドゴール将軍を中心にフランス亡命政権があった。権力はロシア革命、中国革命と同じ、二つ併行していた。ナチスドイツの敗北が決定的となった一九四四年八月二十四日から二十五日にパリのレジスタンス評議会は、連合軍の総攻撃に合わせて武装蜂起し、パリを解放した。同時にロンドンにあったフランス亡命政権の首領・ドゴール将軍もパリに帰ってきたそのとき、レジスタンス評議会はドゴールに服した。武器も全部ドゴールに渡した。このとき評議会は消滅し、フランス革命は敗北した。

(五)評議会に関する理論問題

レーニンは一九二〇年に書いた『独裁の問題の歴史に寄せて』の一文の中で次のように論じている。
 「労働者階級と人民の権力、この新しい権力というものは、空から降ってくるものでなく、地下から沸いてくるものではない。それは旧支配権力と併行して、旧権力に対抗して、旧権力との闘争のなかで発生し、成長するものである」と。つまり、評議会という名の人民権力は、大ブルジョアジーの支配権力に対抗する運動と闘い、人民戦線運動の中から必然的に生まれ、成長し、一定の歴史的転換期に爆発し、相転移する。こうして旧権力に取ってかわるのである。ここに弁証法的運動法則がある。
 またレーニンはロシアにおける十月革命の直前の一九一七年八月から九月にかけて執筆した『国家と革命』の中で次のように論じている。
 「二十世紀初頭の帝国主義段階における労働者の革命は、パリの労働者が生み出したコミューン型の革命でなければならない。そのロシアにおける具体化が評議会(ソビエト)である」と。
 そしてレーニンはロシア革命の勝利後の一九一九年三月に創立された第三インタナショナル(コミンテルン)の第一回大会における開会の辞で次のように発言した。
 「わが国のソビエト(評議会)制度は、労働者と農民の革命的独裁制度の形態と方式である。プロレタリア独裁というこの言葉は今まではラテン語だったが、ロシア革命の勝利によってそれはソビエト(評議会)という現代語にかわった。ここにプロレタリア独裁の実践的形態がある」と。
 さらに一九二〇年七月に開かれたコミンテルン第二回大会で採択されたその規約はレーニンの提案を採用して次の一節が規定された。
 「共産主義インタナショナルは、プロレタリアートの独裁、その形態たるソビエトをもって、人類を資本主義の支配から解放する唯一の可能な手段であると考える。そして共産主義インタナショナルは、ソビエト(評議会)制度を、プロレタリアートの独裁の歴史的形態であることを確認する」と。
 マルクスが提起し、レーニンが実現した労働者階級と人民の支配、その権力とはまさに「評議会」という直接民主主義であり、間接民主主義と愚民政治の投票による議会主義ではないということを、われわれ正統マルクス主義者と真の革命家はよく認識し、自覚して実践し、行動しなければならない。そのためにもわれわれは「賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)ことを知らねばならない。その歴史とは第一次世界大戦後に発生した、ロシア革命の勝利と、ドイツ革命の敗北であり、第二次世界大戦後に発生した中国革命の勝利と、フランス革命の敗北である。ここにも「歴史は二度同じことを繰り返す」(マルクス)という先に明らかにしたとおりの実例がある。この二つの歴史上の実例の本質と教訓はただ一つ、マルクス主義の理論上の原則に忠実であったかどうか、マルクス主義の思想と理論に従って実践し、行動したのかどうか、ここにすべてがある。勝利したロシア革命と中国革命はマルクス主義の理論に忠実であった。敗北したドイツ革命とフランス革命はマルクス主義の理論上の原則を忘れてしまった。
 故にレーニンは明確に断定する。
 「革命的理論なくして革命運動はありえない。……先進的な理論に導かれる党だけが先進的指導者としての役割を果たすことができる」
 「大衆の自然発生的な高揚が高まれば高まるほど、前衛党の理論活動においても、思想・政治活動においても、組織活動においても、多くの、原則的な、目的意識性が決定的なものとなる」
         (以上、レーニン『何をなすべきか?』一九〇一年―一九〇二年)

結語


 ▼人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求に注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。ここにコミュニティーがある。
 ▼コミュニティーでは階級支配は基本的には消滅する。共同体社会であるかぎり、そこには人民大衆、ただ一つの階級社会である。人民による人民のための人民の社会である。故にこのような社会(存在)が、そのような存在(環境)がそれにふさわしい人間を作り出していく。環境が人間を作り出す。新しい時代と新しい社会と新しい環境が新しい型の人間を生み出す。こうして人類の前史は終わり、人類社会は新たな闘いに向かって前進する。それは全宇宙との闘い、宇宙の開拓と開発の闘いである。
 ▼人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然性をもって前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。
 ▼人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったがそこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人類の社会、人間の社会が生まれ、人類は総力をあげて新しい闘いに進軍する。
                                   (おわり)