2014年(平成26年)3月25日付 415号


EU(ヨーロッパ共同体)の現実をみよ。そしてNAFTA(北米自由貿易協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)。資本主義的自由主義の経済連携は弱肉強食であり、弱小国は食い物にされ、つぶされていく。歴史の前途は共同と協力と連帯のコミュニティー共同体である!

 二月二十二日から二十五日までシンガポールで開催されたTPP閣僚会合は、昨年十二月の決裂に次いで、今回もまた締結にはいたらず漂流してしまった。
 生き残りがかかったオバマ大統領とアメリカはなり振り構わず強気で交渉を進めたが、日米間の関税交渉は難航、新興国の反発、参加国はそれぞれが国益優先で対立、決裂したのである。オバマの目論見は失敗に終わったのである。
 この事実は、現代の歴史時代を見事に反映したものとなった。
 アメリカ帝国主義は崩壊してしまった。イラク・アフガンの戦争に敗北し世界の求心力を失い、孤立。EUの危機にも、「アラブの春」にも、シリアの内戦にも口出しができなくなってしまった。米国内でも二〇〇八年のリーマンショック以後、景気の低迷と高い失業率に苦しんでいる。今年十一月に中間選挙を控え、支持率の低下にあえぐオバマ大統領は挽回をかけて、五年間で輸出を倍増させ、国内の雇用を増やそうと、その有望な輸出先として最後に残ったアジア太平洋地域、特に日本を巻き込んでの生き残り策に出たのである。だから、何としても成功させなければならなかった。しかし、またもや失敗である。
 世界はどうか。オーストラリアのシドニーで開かれていたG20(20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)が二月二十三日に閉幕した。共同声明では「世界経済は依然として力強く持続的でバランスのとれた成長からは程遠い」と表明しなければならなかった。専門家からは「長期停滞の時代」(サマーズ元米財務長官)に入ったとの懸念が示された。
 また、一月二十五日に閉幕したダボス会議でも同じであった。毎年一月に世界中の大企業のトップ、各国政府要人、経済学者がダボスに集まって世界経済フォーラムを開催する。今年は「危機後の世界なお不透明」「新興国失速リスク国際政治に懸念」ということで、金融危機が終わっても世界は決して安心できる状況にない、ということがはっきりした。
 各国はしっかりせよ、というが、欧州は(EU)は火薬庫であり、「アラブの春」は完全に破綻し、中国はバブル崩壊、爆発は避けられず、日本のアベノミクスも実体経済抜きのバブルである以上必ず崩壊する。アメリカの一極支配が終わり、無極時代の中で世界中が混乱と混迷、危機に瀕している。安泰なところはどこにもない。これが現代であり、資本主義体制が崩壊して、新しい時代、コミュニティー共同体へ移行していく転換期、その歴史時代が今回のTPP閣僚会合の結果を生み出したのである。
 歴史は次なる時代としての共同体を目指している。EU、TPP、NAFTA、TTIPあらゆる形の共同体が生まれるが、資本主義的自由主義の経済連携は弱肉強食であり絶対に成功しない。歴史が求めているのは共同と協力と連帯のコミュニティー共同体である。われわれは歴史科学の法則を自らの確信にしなければならない。


(一)TPP混迷と失敗はアメリカの前途を予言している。EU、NAFTA、TTIPの現実をみよ。資本主義制度の下では共同体は成功しない。

 二月二十六日付の各新聞に同じような論調が並んだ。朝日新聞は「日米、TPP平行線」「閣僚会合―合意なく閉幕」「次の日程すら決まらず」であり、読売新聞は「握手も交わさず」「農政改革停滞の恐れ」であり、日本経済新聞は「要の日米対立解けず」、産経新聞は「大筋合意断念」「盟主の米、求心力低下―妥協かたくな拒否/国内推進気迫なく」「TPP遠のく日米関係」などである。
 結局大騒ぎはしたが何も決まらなかったのである。アメリカは世界で力を失った。アジア太平洋で挽回を狙ってアジアに中心をおいてきた。それも失敗。うまくいかない。しかも十一月にはオバマの運命を決する中間選挙がある。オバマ政権は行き詰まってしまった。
 日本はどうか。安倍政権と「アベノミクス」は「国家百年の計」(安倍首相)とその成長戦略の柱にTPPを据えていた。それも頓挫の状態である。
 すべては独占資本主義の行き詰まりであり、それが生み出したものである。
 TPPとは経済危機に陥っているアメリカを救うためにオバマ大統領が積極的に参加を表明してからにわかに注目を浴びたということを知らねばならない。
 そもそもTPP(環太平洋経済連携協定)とは何か、その目的はどこにあるのか。それは輸入品にかけている税金(関税)をお互いになくしたり、人の行き来やお金の流れをスムーズにしたり、自由な貿易圏を作ろうというものである。太平洋に面するシンガポール、ブルネイ、ニュージーランド、チリの四ヶ国が二〇〇六年五月に締結した経済連携協定が土台となっている。
 もともと小さな国々による小さなグループにすぎなかったが、アメリカのオバマ大統領が二〇〇九年十一月、TPPへの参加を表明してから、一気に注目されるようになった。二〇〇八年のリーマンショック後、景気の低迷と高い失業率に苦しんでいるアメリカは、五年間で輸出を倍増させ、国内の雇用を増やそうと計画、その有望な輸出先として目を付けたのが、世界の成長センターといわれている東アジアである。
 アメリカがTPPを通じてやろうとしていることはアメリカの生き残り政策だ、ということである。アメリカの国益から出発したあがきである。アメリカはイラク戦争に敗北し、アフガンでも手痛い失敗をした。アメリカは孤立し求心力を失ってしまい、欧州の危機、EUにさえ口出しできなくなってしまった。「アラブの春」にも何ら手出しできなかった。アメリカは世界のいたるところでつまはじきにあい行くところがなくなった。残ったのはもはや太平洋しかなくなったのである。アジア太平洋地域を足場に、アメリカは何とか復活せんとあがいているのである。これがTPPの本質であり、アメリカが敗北し、崩壊へと向かう現代の歴史時代が生み出した産物である。
 二月二十日付東京新聞の「本音のコラム」欄に法政大学教授の竹田茂夫氏の「米国版の反TPP」と題する次のような文書が掲載された。
 「米国でも環太平洋連携協定(TPP)に反対する動きが顕在化してきた。TPP交渉には大統領への貿易推進権限付与は不可欠だが、両院の民主党有力者が最近反旗を翻した。背景には、先月でちょうど二十年になる北米自由貿易協定(NAFTA)の苦い経験があり、米国でもNAFTAと同じ仕組みのTPPの深刻な意味合いが理解され始めた。
 実際NAFTAの果実を享受したのは富裕層だけで、普通の働く米国民は製造業の空洞化、低賃金のサービス業への労働移動、中産層の没落、格差の拡大、若い世代の貧困化といった事態に直面している。隣国メキシコはもっと深刻で、NAFTA締結以降、成長も賃金水準も停滞し、米国から大量に輸入される安価なコーンに押されて伝統農業の小農民は経済難民化し、多くは米国への違法移民となった。その数は推定で数百万人」と。
 TTIP(環大西洋貿易投資協定)も同じである。米国と欧州連合の自由貿易協定FTAの正式名称だが、これも米欧の溝が埋まらない。世界の国内総生産の五割を占める巨大自由貿易圏を作るとして、二〇一三年七月に交渉を開始したが目標の二〇一四年中の合意は難しい状況だ。総論賛成・各論反対で対立を解消する手立ては見つからない。
 これは当然のことである。
 資本主義的自由主義は弱肉強食であり、強いものが勝ち、弱いものが敗北する、そういう社会的掟の中で、共同体が成功するはずがない。目の前に展開されている欧州共同体(EU)を見ればわかるとおりである。ギリシャが国家的財政破たんで崩壊しつつあり、それが起爆剤になりEU全体がおかしくなっている。すべては弱肉強食としての資本主義的経済法則の結果である。一番弱いギリシャが借金漬けになり、イタリア、ポルトガル、スペイン、キプロスへと次から次へ広がっている。一番強いのがドイツ、フランス、オランダ、イギリスで、これが欧州の南北格差と呼ばれている。弱いのがつぶれ、強いのが残る。あのEU(ヨーロッパ共同体)は崩壊しつつあるのである。
 オバマ大統領は中間選挙が迫る中、海外で成果を実現し、内政の推進力に反映しようと今後二ヶ月余で欧州、中東、日韓を含むアジアの計十カ国を訪問する予定だが、外交は内政の反映であり、それほどまでにアメリカの危機は深まっているということである。


(二)真の共同体は生産を共有し、分配を共同し、生活も共同化する、つまり国家と政治権力も共同体国家、共同体権力でなければならない。

  マルクスは一八四四年に『独仏年誌』を発刊した。エンゲルスはこのことを知り、イギリス資本主義の現状を分析した貴重な文書『経済学批判大綱』を寄稿した。
 エンゲルスはこの論文の中でつぎのように論じている。資本主義経済はますます機械化された大工業となる。大量の労働者とその労働は必然的に協力と協同と連帯の作業、つまりは社会的な性質を帯びてくる。その生産物もまた大量となり、広く社会的な需要を考慮せざるを得なくなる。ここにも社会的要素が強くなる。にもかかわらず、イギリス資本主義は、すべてが個人主義であり、個人的欲望と利益追求だけである。その結果、すべての経済活動は盲目的となり、無政府的となる。生産活動に従事する働く人びと(労働者)は、生産物は増大するのに得るものは少なく、社会的不公平と不平等は拡大する。この矛盾を解決するためには、生産手段(土地、工場、建物、機械、道具、交通手段)を社会的所有、公のもの、社会主義に移行させることである、と。
 そしてエンゲルスは『共産主義の原理』(一八四七年)の中で、真の自由と民主主義、真の平等と公平と人間性の豊かさは、国家と社会そのものが、協力と共同のコミュニティーでなければならず、生産活動もまた個人主義ではなく、社会的欲望(社会の需要)と社会的人間の欲望(大衆的人間の需要)に答えられる目的・意識的、計画的生産、計画経済でなければならない、と主張した。
 マルクスとエンゲルスが明確にしたとおり、独占資本主義と帝国主義の経済法則はまさに盲目的であり、無政府的である。それはスミスの古典経済学が説くように、人間欲望の自由放任と自由主義が生み出す必然の法則だからである。
 人類の歴史は自由主義・盲目主義・無政府主義か、目的意識的・計画的・社会主義的計画経済か、という根本問題を提起している。歴史は科学的法則のもとに立ち返るよう求め、転換せんと爆発しているのである。
 人類の歴史を一貫して貫いているのは、「生産力の発展が生産関係を規定している」という科学法則である。生産力(物を作り出す力、能力、その生産量)が生産関係(生産に携わる人びとの相互関係、国家と社会のあり方)を決定していく、という法則のことである。この問題の思想上、理論上の核心は、一八五九年にマルクスが書いた論文『経済学批判・序言』の中の一節に正しく規定されている。それは次のとおりである。
 人類が出現した当初、生産力はなかった。生きるために必要な食・衣・住のすべては大自然からの採集、狩猟、漁労であった。そのため、大自然に立ち向かうため、人間はすべてにおいて共同・協力・連帯を必要とした。そのための社会生活、社会制度、人間関係が原始共同体であり、原始共産主義社会であった。そこには権力も国家もなかった。
 やがて人類は農耕を覚え、道具も発明し、生産活動が始まった。この生産力の発展が生産物の増大、蓄積、財産を生み出し、その財産は土地や山林まで私有化され、これを私物化させ、この私有をめぐる対立と抗争を生み出し、ここから権力と国家と階級社会が出現した。その最初の国家は貴族社会であり、奴隷制国家であった。古代ローマがその典型である。
 農耕のための道具の改良、土地の開発、集団労働は奴隷制ではなく、人間的労働としての農奴制を求め、ここから封建制社会が生まれた。生産力の発展は新しい社会としての封建制を生み出した。
 生産用具の改良と改革、技術の進歩、設備の拡大は工場制生産となり、製品の増大は商品経済を、そのための貨幣制度を生み出した。このことが封建制の崩壊と近代資本主義制度への転換を実現させたのである。
 人類の歴史を少しでも知っている人なら、マルクスのこの規定はまったく正しく、歴史はそのとおりに進んできたことが確認できるはずである。
 そしてその後の歴史は、マルクスの規定したとおり、まさに「生産力の発展が生産関係を規定した」のである。近代資本主義の発展と進歩をみればわかるとおりである。生産力は一貫して進歩し、発展、前進し、機械制大工場はいっそう近代化していった。近代資本主義はイギリスとヨーロッパからはじまった。そして十七世紀から十八世紀には全世界を支配した。
 世界資本主義は十八世紀の産業革命、十九世紀の独占資本主義から帝国主義へ。これは産業独占から金融独占への転化であり、すべては金融支配、金融寡頭支配への移行であり、すべてはカネが支配するに至った。そして当然世界は一つになり、経済的に単独で、一国だけでは成り立たなくなった。グローバル(世界的・国際的)な世界なのである。
 このことの本質について、ポール・ケネディ(イギリスの著名な歴史学者で、その主著『大国の興亡』は世界的なベストセラーになった)は、二〇一一年七月十日付読売新聞に『地球を読む』という欄でつぎのように書いている。
 「ドル支配の時代は終わりに近づいている……問題は、米国の信用が疑われていることだ。……大きな勝者は投資家たちだろう。今日の国境なき世界において、彼らは国家的な忠誠心を持たず、一日中、利ざやを求めて動く。彼らは商品市場のあらゆる理性を破壊した。銅の先物買いをするのは、銅線を作るためではなく、翌日売って15%の利益を得るためだ。どこかの国の通貨を、破綻に追い込むほど売り買いすることもできる。遊べる準備通貨が三つもあれば、彼らは大喜びするだろう。……なぜなら……世界を動かしているのは、まさに通貨だからである」と。
 ヒト、モノ、カネが、いとも簡単に国境を越えていく。すべてが自由に移動していく。そのエネルギーがカネなのである。カネによってヒトも、モノも、そして国家と民族も、みなそのカネによって突き動かされる。まさに「マネー・マネージャー資本主義」(服部茂幸著『危機・不安定・資本主義』)である。
 このような経済至上主義、物質万能主義、利益第一主義、拝金主義、この体質、この資本主義的本質こそがあらゆる悪の根源であり、あらゆる諸現象の源泉である。戦争と内乱、対立と紛争、テロと暴力、非人間的な各種犯罪はみなこの資本主義的な体質が引き起こすものである。われわれは哲学を知らねばならない。つまり「存在が意識を決する」という哲学原理である。意識(人間の善悪とその行動)は存在(歴史時代という人間のおかれた環境)が決定する。歴史時代と環境が人間を作り上げる、という原理である。だから環境が変われば人間も変わる。そして歴史はその運動と変化のなかで環境を変化させるよう求めて激動する。そのとき歴史の要求に答え、環境を変化させるための目的意識性(思想と理念)が生まれ、この目的意識性によって歴史は転換していく。過去の歴史と英雄をみればわかるとおりである。人間の歴史は大宇宙の運動法則と一体になって、いくたの悲劇(喜劇)を乗り越えて前へ前へと前進し、到達すべき人類史の到達点に向かって進む。


(三)歴史はすでに、自然発生的に人民大衆の手によって共同体を生み出している。人民にとって直接民主主義たる評議会を目指せ。

 歴史はすでに、自然発生的に人民大衆の手によって共同体が作り出されている。
 二〇〇一二年二月九日付の朝日新聞によると、ヨーロッパ共同体(EU)の経済危機の中で各地に自衛のため地域共同体社会を作る運動が広がっている。イタリア北部の都市ブラ、フランス南部のトゥールーズ、スペイン北部のサルバテラ、などではアメリカのスーパー、マクドナルドの出店に反対し、「地中海のゆるやかな暮らしは変えなくていい。過剰な消費をやめ、慎み深かった頃に戻るべきだ」「食べ残しを減らそう、過剰な消費を考え直そう」「今の危機は、麻薬に侵されたような成長とスピードばかりを優先してきた資本主義のあえぎだ。正すべきは、それに侵された私たちの生き方だ」という大衆の声を広く呼びかけ、「コンビビア(共同体)運動」を開始、それはヨーロッパの各地、世界一二〇ヶ国(一五〇〇支部)に広がっている。
 朝日新聞二〇一三年六月四日付に、フランスの哲学・経済学者であるセルジュ・ラトウーシュ氏が一文を寄せ次のように語っている。「人間の幸せの鍵は脱成長にある。経済成長主義は人間本来の共同体の精神を破壊してしまった」と。
 日本では著名な政治経済学者である中谷巌氏が「資本主義はなぜ自壊したのか」(集英社刊)で、同志社大学の教授浜矩子氏が東洋経済新報社刊の著作で、共に「資本主義の市場原理主義は人間に真の幸福をもたらさなかった。人間性に満ちた幸福はコミュニティー以外にない」と主張している。
 歴史は大衆社会の中に、実生活を通じて都市にコミュニティー共同体社会を生み出している。これは大衆の自然発生的な運動である。そして一方では学者や先進的な知識人、前衛的集団の頭脳を通して、理論的に、目的意識的に、コミュニティー共同体をとなえるに至った。こうして自然発生的な運動と目的意識的な運動とが並立し、結びつくことで運動と闘いは必然性(目的達成)に至る。そうではなく、自然発生性のままでは必ず、いつかは消滅せざるを得ない。ここに哲学原理があり、科学的運動法則の原理がある。歴史を見よ。
 この点に関してマルクスは『共産党宣言』の中で明確に提起している。マルクスは次のように言う。
 「大衆生活の中から自然発生的に生まれた共同体は、共産主義的目的意識性と結びつかない限り真の共同体は成立しないのである。自然発生性と目的意識性の統一こそ、必然性を成功させる二つの側面である」と。
 歴史科学の必然性とは、人類の歴史を一貫して貫いている「生産力の発展が生産関係を規定している」という科学法則である。生産力(物を作り出す力、能力、その生産量)が生産関係(生産に携わる人びとの相互関係、国家と社会のあり方)を決定していく、という法則のことである。この問題は人類の歴史が示しているように、生産力のなかった原始共同体から、生産力が生まれた奴隷制、そして封建制から資本主義へ、独占と帝国主義に到達した歴史時代はついに人類の前史を終わり、新しい時代としてのコミュニティーへと前進する。ここに歴史科学の必然性があり、すべての現象と出来事をこの歴史科学の必然性から見つめねばならない。
 このことについてマルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の中で次のように言っている。
 「ついに、絶対に後戻りできない情勢がつくり出され、諸関係自身がこう叫ぶようになる。
 ここがロドスだ、ここで跳べ!
 ここにバラがある、ここで踊れ!」と。
 マルクスの言うとおり、歴史が人々をけしかけ、人々が自覚し、認識し、決起する。こうして歴史は成る、ということである。
 目的意識性をもった先進的人びと、知識人、そして前衛的分子はこの必然性に向かって大衆の先頭に立たねばならない。歴史は先進性と前衛性なしには必然性に到達しない。そして歴史はまたこの先進性と前衛性を生み出す。そのとき歴史の必然性を達成させる力こそ、投票による選挙ではなく、人民の要求を実現させる直接民主主義たる「評議会」である。


 評議会とは何か

 人民にとって直接民主主義、人民の権力機関、権力におけるトップダウンとボトムアップの統一体、ここに評議会の本質と意義がある。この思想性と政治性を正しく認識せよ!

 権力とは力であり、実力であり、国家の支配機構であり、その最大の物質力こそ軍事力である。人類の歴史を見ればわかるとおり、原始共同体社会が崩壊して奴隷制国家が生まれて以来、封建制、資本主義制、そして独占と帝国主義を通じて常に戦争と内乱、テロと暴力は絶えることはなかった。その根幹はすべて権力闘争であった。政治闘争は権力闘争であり、権力闘争は力(経済力、政治力、行動力、軍事力)が決定する。
 そして歴史科学が要求する歴史の転換、人民による人民のための人民の政治と社会の実現もまた権力闘争であり、権力が解決する。その人民の権力、人民の力、人民の武器こそ、直接民主主義の執行機関たる評議会なのである。
 評議会とは人民大衆がその属性に従ってそこでの直接大衆討論、大衆討議を通じて、共通の認識と共通の意思を確認し、決定し、評議会として権力執行する。これは人民大衆の各界、各層、各戦線、各地区において下から上へと積み重ね、最終的には全国評議会に集約され、収れんされる。これがトップダウンとしての権力を支えるボトムアップなのである。トップとボトムの統一(対立物の統一)こそ正しい存在の哲学原理である。
 そしてまたこのような人民権力であってこそ、人民大衆の創意は反映され、結果として自らの権力、自らの国家と政治に責任と義務を人民は自覚して負うのである。


 結語

 (一)アメリカの一極支配は完全に終わった。地球上最後の帝国主義たるアメリカ帝国主義は崩壊し、単なる一つの国に成り下がった。
 (二)世界中の主要な国々が集まっても、そこでは何も解決できなかったということは何か。それは各国は自分の国のこと、自分の内政に没頭しているのであって、外交は二の次であり、外交とは内政の反映(哲学的内因論)であることを証明した。
 (三)国家は自立し、民族は独立し、大衆は自覚し、あらゆるところから目覚めた人間の行動が激化する。対立と抗争、暴力とテロ、戦争と内乱はその過程の副産物であり、未来をめざす偶然性である。
 (四)そしていま、歴史が求めている人類の世界、人間の社会とは、まさに大衆社会、人民の世界、人間性社会であり、人民の・人民による・人民の政治と国家であり、階級なき国家、近代コミュニティー社会である。
 (五)人民大衆を主体とした国家と社会こそ本当の民主主義、真の自由と平和の国家と社会である。それを保障するのは、直接民主主義の制度たる評議会である。人間欲望の自由放任主義にもとづく投票制度と議会主義という間接民主主義はブルジョア政治の見本である。人民大衆にとっては、真の協力・共同・連帯・人間性あふれる自覚されたコミュニティー社会こそ、戦争のない本当の平和社会である。