2014年(平成26年)4月25日付 416号


歴史は人類史の運動法則にもとづいて必然の世界(コミュニティー共同体)へと前へ前へと前進している。それは静かなものでなく激烈を伴って。ここに必然性は偶然性を通じて実現(転換)する哲学原理、歴史科学の法則がある!

 現代資本主義は世界的規模において混迷と混乱と迷走に陥っている。アメリカの一極支配は終わった。世界は無極状態になった。経済・政治・社会のすべての分野にわたってあらゆる矛盾が爆発している。
 日本経済新聞の滝田洋一編集委員は3月10日付の同紙に長いスペースを割いて「世界を襲う『無重力』の連鎖」という見出しで論説を発表しているが、それはわれわれの歴史時代認識の正しさを確認するものとなったのである。その核心を紹介すれば滝田氏ははっきりと次のように言っている。
 〔何かムズムズする。ウクライナ情勢が典型だが、年明け以降、政治、経済の各領域で、どこに飛ばされるか分からないような事態が連鎖しているからだ。…
 中国は新冷戦をほくそ笑み、孤立したロシアに手をさしのべる。国際政治の専門家はそんな漁夫の利を指摘するが、そうだろうか。89年の東欧民主化や11年のアラブの春の例からも、民主化や民族解放の動きは瞬時に思わぬところに広がる。
 最も酷薄な人権抑圧体制である北朝鮮や国内に深刻な少数民族問題を抱える中国は、ウクライナの春に心穏やかではいられまい。
 中国の場合、成長の高さが国内の七難を隠してきた。だがシャドーバンキング(影の銀行)に示される金融のきしみや経済成長の鈍化が、社会全体に長い影を落としつつある。…
 シドニーでの20カ国(G20)財務相・中央銀行総裁会議の開催から1週間もたたないうちに説明のないまま大量介入が実施された。その事実が厳然として残る。
 G7・G8体制は、先進国主導の経済が08年のリーマン危機で失速した時点で壁に当たっていた。…
 大統領が「世界の警察官役を降りる」と明言した米国は、中間選挙を控え一段と内向きになっている。大統領は3月6日になって限定的な対ロ制裁を発動したが、いかにも及び腰で、ロシアの行動を変えさせることはできないだろう。
 米政治アナリスト、イアン・ブレマー氏のいう指導国なきGゼロの世界こそ、ゼロ・グラビティ(無重力)を生み出している。お節介といわれながらまとめ役となっていた街の顔、つまり米国が家に引きこもってしまったことで、街中はタガが外れたかのようだ。
 安倍晋三首相は「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げる。その地球が無重力状態になったとすれば……。功を求める前に深手を負わぬ細心な手綱さばきこそが求められる。〕
 滝田氏の論説は現代の歴史時代を見事に表現している。ウクライナ・クリミア危機は、まさにアメリカの一極支配の終了、無極(Gゼロ)時代の出現という現代の歴史が生み出した象徴的事件であった。
 結論は次の通りである。
 歴史科学の必然性とは、生産力の発展が生産関係を変化させるということである。人類の歴史を一貫して貫いている「生産力の発展が生産関係を規定していく」という科学法則である。独占と帝国主義に到達した歴史時代はついに人類の前史を終わり、新しい時代としてのコミュニティーへと前進する。歴史はけっして元には戻らず、前へ前へと進むものであり、ここに科学的法則がある。


(一)ウクライナ問題の出発点、歴史的経過は何か。ここにウクライナ問題の本質がある。

 クリミア半島は歴史上、繰り返し、くり返し、大国同士の奪い合いの地、勢力争いの舞台となってきた。黒海に面し、大西洋につながる戦略的に重要な位置を占めている。クリミアは昔はオスマン・トルコ帝国の領土であったが、1783年、ロシア帝国が戦争で奪い取り、黒海艦隊を置いた。ロシアはここを根拠地にして地中海から大西洋に進出した。
 1855年、ロシアと対決するイギリス、フランスがオスマン・トルコと手を組んで、クリミア半島を奪い返した。クリミア戦争の主戦場はクリミア半島であったがバルト海、カフカス、さらにはカムチャッカ半島にまで及ぶ大規模なものとなった。とくに戦争の運命を決したこの年の「セヴァストポリ攻防戦」は、一年近くにわたる戦闘で両軍共に10万人以上(連合軍12万8000人、ロシア軍10万2000人)が死亡する大激戦となった。
 1917年、ロシアには社会主義革命が勝利した。第一次世界大戦にはヨーロッパ中の国々が参加したが、ドイツは敗北した。ウクライナやクリミア半島は社会主義のソビエト政権に参加し、ソ連邦を形成する。
 1991年、ソ連が崩壊する。ウクライナは独立国家となる。ソ連の崩壊により東西対立はなくなったはずである。それにもかかわらずクリミア半島をめぐる争いは延々と続く。そして今度の事件である。ウクライナ民族主義とロシア民族主義が連合し、クリミアを併合、また奪いとったのである。それでも歴史は進む。アメリカの一極支配が終わり、日本経済新聞の滝田氏が先の論説でも言っているとおり、世界が無重力状態になり、抑えがきかなくなったのである。そこから世界中で反乱が起こり始め、至るところで民族主義が吹き出したのである。すべては歴史時代の表れである。全世界で民族主義が台頭し、内乱、暴動、国境紛争が相次いでいるが、ウクライナの反乱もその中の一つであり、象徴的な事件であった。
 以上のような歴史的経過、ここにウクライナ問題の核心的な事実がある。


(二)現代独占資本主義は完全に行き詰まってしまった。ロシアもその一つであるが、ここでも同じ問題、対立、衝突、抗争、内乱、混乱と混迷、そして民族問題が起こっている。真の民族自決権とは何か。すべては国家と権力の問題である。

  クリミアはウクライナからの「独立」を住民投票によって「決定」し、ロシアは軍事力を背景に併合した。クリミアはロシアに復帰したが昔のソビエトではない。ロシアは独占資本主義国家であり、民族の要求や人民の要求、民主主義は絶対に達成しないであろう。真の民族自決権と連邦制とは何か。それは一九二四年スターリンのソビエト憲法である。グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンなどの少数民族はソ連邦への参加を決定したが、フィンランド、ポーランドなどはその意思を尊重し、独立国家を形成した。これがマルクス主義にもとづく正しい民族自決権である。
 レーニンは1917年4月『わが国の革命におけるプロレタリアートの任務』を書いたが、その中で民族自決権と連邦制について次のように言っている。
 『プロレタリアは、できるだけ大きな国家の創立をめざしている。なぜなら、それが勤労者にとって有利だからである。プロレタリアは諸民族を接近させ、やがては融合させることをめざしているが、しかし強制によってではなく、ひとえにすべての民族の労働者と勤労大衆の自由な兄弟的同盟によって、この目標を達成しようとする。……
 分離の完全な自由、もっとも広範な地方的(および民族的)自治、細目にわたって成分とされた少数民族の権利の保障―これが革命的プロレタリアートの綱領である』と。
 これが本当の民族自決権であり、民族が協力、連帯し、コミュニティーを形成したスターリンの時代のソビエト連邦である。
 ロシア革命の勝利以後、レーニンとソビエト政府の意思のもと民族自決権を行使して、多くの国が独立を達成した。その代表的な国がフィンランドである。フィンランドは長い間、ロシア帝国の支配下にあった。それがロシアのソビエト政府とレーニンによって、自決権を行使し、独立国家となった。ポーランドも同じであった。ポーランドはロシア帝国とドイツ帝国の間に挟まれて、しょちゅう支配され、侵略され、収奪され、分割されてきた。この国はロシア革命の後、はじめて自決権を行使し、独立国家となったのである。モンゴルもポーランドと同じである。北の大国ロシア、南の大国中国(清国)に挟まれ、二つの大国によって支配され、収奪されてきた。それがロシア革命によってソビエト政府ができ、その指導下でモンゴルの民族自決権が執行され、完全な独立国家となった。
 だから本当の民族の独立と自決権の実行は資本主義国家では不可能なのである。
 国境と領土の所有権を決定するのは歴史的に形成された民族とその自決権である。そもそもある一定の領土がだれのものであり、どの民族と国家に属するのか、ということを決めるのは、決して法律や宣言や声明によるのではない。それは歴史的に形成されるものであり、歴史的に形成された民族という人間の集団の生産活動(生産力の発展と生産関係の照応)が決定する。民族の形成は@言語の同一性A経済生活の同一性B風俗習慣の同一性、そしてC領土の同一性、をもって成立する。いいかえれば人間は生産と生活を通じて一定の集団たる民族を形成しつつ、一定の領土をもつ一つの国家を形成させてきたのである。どの領土がどの民族に属するかは、右のような歴史性が決定している。これを法律や宣言や、声明でとりかえることはできない。もしも国境を取り消し、すべての領土の所有権をなくして平等にしようと思えば、全世界、この地球上から階級社会をなくして、国家そのものを消滅しなければならない。共産主義の高度な時代に突入したとき、はじめてそのような時代が人類の世界に出現するだろう。しかしそれまではやはり人間の世界には民族が存在し、国家が存在し、国境が存在し、領土の所有権が存在する。そしてブルジョアジーとブルジョア世界は戦争を通じて国境の変更や領土の分割、占領と非占領を繰り返してきた。しかし、戦争や力による国境の変更や領土の分割は不正義であり、侵略であり、占領である。真に正しい国境の制定や領土の所有権は、歴史的に形成された民族の自決権によるべきである。これが国境と領土の所有権を決定するのは歴史的に形成された民族とその自決権である、ということの根拠である。


(三)現代資本主義(独占と帝国主義)はもはや救いようがない。根本的転換、経済的、政治的、社会的な、すべてにおける共同体、近代コミュニティーへの転換以外にない。歴史はこれを求め、それは必然である!

 人類の歴史が証明しているように、人間の欲望というものは常に環境によって変化してきた。人類が最初に作り出した生活集団、その社会とは古代から原始にかけて存在したコミュニティーとしての原始共同体社会であった。そこではまだ生きるための欲望たる食も、住も、衣も生産することができないため、すべては大自然に依存していた。つまり、食、住、衣は生産ではなく、大自然からの採集であり、山野からの狩猟であり、河川からの漁労であった。しかも道具類はまだ発明できなかった時代、すべては人間の体、手足が道具となった。これが大自然の猛威と、各種の障害にたちむかっていくためには、人間の集団による一体としての協力と共同と連帯を必要とした。歴史時代とそのような環境が協力と共同と連帯の社会を作った。だからここでは獲得も所有も、分配も社会的共同である。だからそこには支配も、被支配もなく、真の自由と平等の世界があった。対立と抗争と戦争も必要なかった。平和な社会であったということは、歴史学者、人類学者、日本の考古学会の定説でも、縄文時代(原始時代)は平和な時代であったことを証言している。
 このような社会が崩壊し、支配者と被支配者の対立と抗争、戦争と内乱、犯罪と暴力が出現したのは、生産活動が発達して世の中に富と財産が生まれてからである。人類は大自然からの採集経済から、生産活動、物質生産の時代に移行した。知恵と知能の発達、道具の発明と改良も進み、生産力も高まった。その結果余剰生産物(備蓄)が生まれ、それが財産となった。当初これはコミュニティーの共同管理、共同所有であった。しかしそれが増加するにつれ、やがて力(知能、才覚、腕力)の強い人間とその集団が、自らの本能的欲望のまま、自由に自分のものにした。私有化、私有財産が生まれた。彼らは力まかせに、大自然が生み出した人類社会のものである土地や山林まで「これもおれのものだ」とばかりに占有し、私物化してしまった。そしてこの自らの所有、私有財産を守るために権力機関、支配機関(国家)を作り上げた。人類の最初の国家、古代奴隷制国家(古代ギリシアの都市国家、古代ローマ帝国)が強大になった代表例である。つまり、生産力の発展が生産関係(人間の相互関係、階級社会、権力と国家)を作り上げたのである。これが科学的にみた経済法則であり、史的唯物論なのである。
 こうした歴史時代が、こうした環境が、人類社会に富と財産をめぐる争奪戦たる階級社会と階級闘争を生み出したのである。すべては歴史と環境が欲望を変化させ、転換させ、その思想・意識が世界を支配していった。つまりは環境が人間を作り、人間が環境を支配していったのである。
 原始共同体が崩壊したあとの社会は奴隷制社会である。ヨーロッパでは古代ギリシアの古代都市国家(ポリスとしてのアテネ、スパルタ)、そして古代ローマ帝国であり、日本では弥生時代である。そしてこの時代から人類史上に戦争と内乱、対立と抗争、暴力と犯罪が日常化していった。奴隷制から封建制、資本主義から現代の独占と帝国主義へ、原始共同体が解体された以降、人類社会に戦争のない時代は一度もない。このような対立と抗争、暴力と犯罪、戦争と内乱の原因はみな、経済問題である。つまりは富と財産、土地と領土、金(カネ)をめぐる争いなのであり、根底には人間の欲望の自由放任がある。まさに「欲望資本主義に憑かれた人間たち」の世界なのである。アダムスミスと自由主義、そのブルジョア経済学、歴史上のすべての宗教も、原始共同体社会が崩壊したあとの人間の歴史を貫く、富と財産と土地と領土をめぐる対立と抗争、戦争と内乱、暴力と犯罪を何一つ解決できなかった。「見えざる神の手」などは空想の世界の幻影に過ぎない。永遠の過去から永遠の未来に向かって絶えず運動し、発展し、前進し、転換していく人類の歴史が必ず近い将来この問題をきっぱりと解決するであろう。その時代はもう近い。なぜなら人類の歴史は、原始共同体―奴隷制―封建制―資本主義―独占と帝国主義へと、前へ前へと進んできたからには、ここで止まっているわけではなく、つぎの新しい時代へ進む以外にない。それは、大衆的社会・人民の時代、高度に発達した近代的コミュニティーの時代である。


 結語

(一)アメリカの一極支配は完全に終わった。地球上最後の帝国主義たるアメリカ帝国主義は崩壊し、単なる一つの国に成り下がった。
(二)世界中の主要な国々が集まっても、そこでは何も解決できなかったということは何か。それは各国は自分の国のこと、自分の内政に没頭しているのであって、外交は二の次であり、外交とは内政の反映(哲学的内因論)であることを証明した。
(三)国家は自立し、民族は独立し、大衆は自覚し、あらゆるところから目覚めた人間の行動が激化する。対立と抗争、暴力とテロ、戦争と内乱はその過程の副産物であり、未来をめざす偶然性である。
(四)そしていま、歴史が求めている人類の世界、人間の社会とは、まさに大衆社会、人民の世界、人間性社会であり、人民の・人民による・人民の政治と国家であり、階級なき国家、近代コミュニティー社会である。
(五)人民大衆を主体とした国家と社会こそ本当の民主主義、真の自由と平和の国家と社会である。それを保障するのは、直接民主主義の制度たる評議会である。人間欲望の自由放任主義にもとづく投票制度と議会主義という間接民主主義はブルジョア政治の見本である。人民大衆にとっては、真の協力・共同・連帯・人間性あふれる自覚されたコミュニティー社会こそ、戦争のない本当の平和社会である。