2014年(平成26年)7月25日付 419号


宇宙と歴史は科学法則のもと一貫して前へと進む。けっして民族主義という古い過去には戻らない。安倍政権は歴史科学によって必ず崩壊させられるであろう!

 人類の歴史上、現代ほど地球的規模にわたる大混乱の時代はなかった。テロと暴力、暴動と反乱、クーデターと内乱、政治と権力の不安定、権力移動の激しさ。そしてこれらの混乱と混迷と迷走は、国境を越え、民族の差を超え、経済的・政治的・社会的連鎖のなかで各国を巻き込んでいる。もはや現代社会、現代政治、現代資本主義は人類社会を正しく導く能力を失ってしまった。現代独占資本主義制度はついに寿命が尽きてしまった。現代地球上に発生している悲観的現象のすべては、新しい人類社会とその制度を生み出すための陣痛の苦しみである。
 こういう混沌とした歴史時代が民族主義を生み出している。行き場を失った人々が無政府的、自然発生的に民族主義を生み出していくのである。端的に表れた実例が、ウクライナ問題なのだ。ロシア民族主義とウクライナ民族主義の激突である。国内的には日中韓の争いがある。日中には、資源をめぐる尖閣列島問題があり、日韓には従軍慰安婦問題がある。同じように中国は南シナ海をめぐるベトナムとの激しい争いを起こしている。起こった事件そのものは小さいが、それが大きな外交問題になる。ここに民族主義がある。
 注目すべきはEUである。欧州連合の欧州議会選挙が行われ、新聞各紙や週刊誌が取り上げているが、反EUを掲げ、欧州連合(EU)不要論を唱えた民族主義政党が各国で進出し、内外に大きな波紋を広げている。特に主要国ではイギリス、フランス、ギリシア、デンマークでは第一党になり、イタリア、ハンガリーなどでも第二党になった。
 反EUを掲げる民族主義政党がこれほど票を伸ばしたのはなぜか。少しも経済はよくならない。どこも経済不振に苦しんでいる。国家財政の破綻、失業、こういう面でみな苦しんでいる。その上外国人労働者が増えて若者の失業者が増えている。いいのはドイツだけである。そういう中で右翼民族主義が台頭してきたのである。
 安倍政権の集団的自衛権問題も日中韓の民族主義に翻弄されている。小さい衝突から大きな問題へ。民族激突はやがて大問題になる。しかし戦争はやりにくい。オバマ大統領自身が「アメリカはもう世界の憲兵たり得ない」とはっきり言っている。アメリカ帝国主義の一極支配は終わり、世界での威信は地に落ちてしまった。オバマのイラクに対する態度をみればよく分かる。世論は厭戦気分であり、国家財政は危機であり、軍事介入はできない。シリアの時も軍事介入はできなかった。歴史の動向を世論がよく示している。それを歴史が許さないのである。
 歴史の流れはコミュニティー共同体から社会主義へと進んでいる。歴史科学の法則にもとづいてすべての現象が起こっているのである。歴史は後には戻らない。前へ前へと進む。さまざまな激突を繰り返しながらコミュニティー共同体から社会主義へと進むのである。
 歴史科学の法則をしっかりと捉えようではないか。


一、安倍政権の本質は日本における右翼民族主義復興の先駆けである。しかしこれは歴史科学の法則に違反しており、必ず敗北する!

 安倍政権の集団的自衛権容認問題について朝日新聞など日本の新聞は連日この問題を大きなスペースで取り上げている。
  いわく、自民党政権を含めた歴代の政権は、戦争放棄を明記した憲法九条から見て、自衛隊の海外での「武力行使」はみとめない、というのが不文律だった。それを変える。眼目は「尖閣諸島をめぐる小競り合いがあるのではないか。その時アメリカが前面に立つ。日本は何もしなくていいのか。国益のためには憲法解釈を変える」というものだ。特に朝日新聞は、歴代政権の不文律としてきた戦争放棄の大原則を一内閣の解釈で変えていいのか、といっている。
 その核心はなにか。
 第一は、歴代政権の憲法解釈を変える。憲法九条を破棄して、安倍政権が戦後初めて、自衛隊の海外での武力行使をやる、ということに踏み切った。戦争をやる。戦争に踏み切った、ということ。
 第二に、憲法第九条の武力を使わない、ということを破棄して、戦争に参加する。これを憲法解釈を変えて内閣の手で、いとも簡単にやる、ということ。誠に恐ろしい出来事である。歴代内閣がやりたくてもこれだけは手が付けられなかったこと、こんなことを安倍内閣はやる。憲法とは一体なんぞや。これは一種のファシズムである。ここに安倍内閣の右翼民族主義の姿勢がある。
 第三に、六月一五日付産経新聞は表付きで、新聞各紙の社説から見て、集団的自衛権の行使を容認しているのは、産経、読売、日経の各紙で、反対しているのは、朝日、毎日、東京の各紙だと書いている。朝日新聞に批判の目を向けているが、実は三対三でちょうど半々である。他の新聞や雑誌も大体同じようなもので、そこから見れば、日本の世論は半々に割れているということである。
 また、六月十五日付産経新聞に右翼言論界の中心的知識人、日本文化大学学長の大森義男氏の投稿が載った。中身は安倍政権に対する批判である。大森氏は、安倍政権が、憲法九条の解釈をいとも簡単に変更したことは暴挙で、われわれ保守派は支持できない、といっている。やるなら憲法を改定してから解釈を変えるべきだ。また靖国参拝も急ぎすぎだ。アメリカが安倍政権に不信感を抱き、中国や韓国とも摩擦を引き起こした。なぜそんなに急ぐのか。われわれ正統保守派は安倍政権に違和感を感じる。安倍内閣は保守派の分裂をもたらしている、といっている。また、保守層をリードする産経は、分裂している保守世論をよく観察する必要がある、と注文を付けた。
 安倍政権が右翼民族主義の立場を鮮明にすればするほど、世論も、政界も、右翼もみんな分裂していく。これは日本だけでなく、世界共通である。歴史科学に反すれば、歴史の反映が、世論の形で表れてくるのだ。これを見ても、歴史がこのやり方を認めてはいない、ということである。歴史は前へ、前へと進むのに、それを逆戻りさせようとするから、歴史は怒るのである。だから世論が分かれる。安倍政権のこのようなやり方は絶対に成功しない。
 このことを歴史科学の法則として断定する。


二、現代世界の歴史時代が古い民族主義を否定している。グローバル金融資本主義の時代に、民族主義の生きる道はない!

 現代資本主義の本質について、ポール・ケネディ氏(イギリスの著名な歴史学者で、その主著『大国の興亡』は世界的なベストセラーになった)は、二〇一一年七月十日付読売新聞に『地球を読む』という欄でつぎのように書いている。
 「ドル支配の時代は終わりに近づいている……問題は、米国の信用が疑われていることだ。……大きな勝者は投資家たちだろう。今日の国境なき世界において、彼らは国家的な忠誠心を持たず、一日中、利ざやを求めて動く。彼らは商品市場のあらゆる理性を破壊した。銅の先物買いをするのは、銅線を作るためではなく、翌日売って15%の利益を得るためだ。どこかの国の通貨を、破綻に追い込むほど売り買いすることもできる。遊べる準備通貨が三つもあれば、彼らは大喜びするだろう。……なぜなら……世界を動かしているのは、まさに通貨だからである」と。
 このポール・ケネディ氏の一言は、みごとに現代資本主義の本質、金融独占資本主義の本質、現代資本主義崩壊の必然性を明確にしている。そしてまた、氏は無意識の中の意識性として、あのマルクスの『経済学批判・序言』が明確にした「生産力の発展が生産関係を規定する」という学説の正しさを、ポール・ケネディ的に証言したのである。歴史は否応なしにマルクスを求めて運動する。
 また日本では、同志社大学大学院教授の浜矩子氏は、二〇一二年十二月、『新・国富論』(文春新書)を刊行し、この著作を通じて次のことを明白にしている。
 @ アダム・スミスの『国富論』はもう古くなって現代の金融独占資本主義には通用しない。
 A 金融独占(金利を求めて経済を支配する現代資本主義)に未来はない。登り詰めた現代金融資本主義は老いてしまい、次の時代に席を譲るしかない。
 B 現代のようなグローバル(経済と政治と人間社会もすべてが国際的になった時代)世界は「国民国家」(国民のための国家・国民があって国家がある)を消滅させた。その先にあるのは地域を基礎にした人間性豊かな「共同体」しかない。ここに未来展望がある、と。
 著名な経済学者の中谷巌氏は、『資本主義以後を生きるための教養書』(二〇一三年二月十日、集英社刊)を出版し、ここで次のことを主張している。
 @ 資本主義は自己破壊していくと説いたマルクスの『資本論』の主張は正しかった。
 A 現代資本主義、金融グローバリズムが生み出した「衆愚政治・ポピュリズム」は民主主義そのものを機能不全に陥れてしまった。
 B 日本の進むべき道は古き良き伝統としての、人々の人間的つながりにもとづく、地域共同体(部落共同体・村の寄り合い)を基礎にした社会と国家以外にない、と。
 以上の通り、ポール・ケネディ氏や浜矩子氏、中谷巌氏など著名な知識人が言っていることはみな共通している。横の連絡はないのに、みな同じことを言っている。いわゆる、現代資本主義はもう命運が尽きた。独立した民族主義国家はどこにもない。すべてはグローバル金融資本に支配されてしまった、ということである。ではいったいどこに活路があるのか。それは、浜氏や中谷氏の言う通り共同体しかない、ということである。


三、現代資本主義(グローバル金融資本主義)はもはや救いようがない。根本的転換、経済的、政治的、社会的な、すべてにおける共同体、コミュニティー共同体への転換以外にない。歴史はこれを求め、それは必然である!

 人類の歴史が証明しているように、人間の欲望というものは常に環境によって変化してきた。人類が最初に作り出した生活集団、その社会とは古代から原始にかけて存在したコミュニティーとしての原始共同体社会であった。そこではまだ生きるための欲望たる食も、住も、衣も生産することができないため、すべては大自然に依存していた。つまり、食、住、衣は生産ではなく、大自然からの採集であり、山野からの狩猟であり、河川からの漁労であった。しかも道具類はまだ発明できなかった時代、すべては人間の体、手足が道具となった。これが大自然の猛威と、各種の障害にたちむかっていくためには、人間の集団による一体としての協力と共同と連帯を必要とした。歴史時代とそのような環境が協力と共同と連帯の社会を作った。だからここでは獲得も所有も、分配も社会的共同である。だからそこには支配も、被支配もなく、真の自由と平等の世界があった。対立と抗争と戦争も必要なかった。平和な社会であったということは、歴史学者、人類学者、日本の考古学会の定説でも、縄文時代(原始時代)は平和な時代であったことを証言している。
 このような社会が崩壊し、支配者と被支配者の対立と抗争、戦争と内乱、犯罪と暴力が出現したのは、生産活動が発達して世の中に富と財産が生まれてからである。人類は大自然からの採集経済から、生産活動、物質生産の時代に移行した。知恵と知能の発達、道具の発明と改良も進み、生産力も高まった。その結果余剰生産物(備蓄)が生まれ、それが財産となった。当初これはコミュニティーの共同管理、共同所有であった。しかしそれが増加するにつれ、やがて力(知能、才覚、腕力)の強い人間とその集団が、自らの本能的欲望のまま、自由に自分のものにした。私有化、私有財産が生まれた。彼らは力まかせに、大自然が生み出した人類社会のものである土地や山林まで「これもおれのものだ」とばかりに占有し、私物化してしまった。そしてこの自らの所有、私有財産を守るために権力機関、支配機関(国家)を作り上げた。人類の最初の国家、古代奴隷制国家(古代ギリシアの都市国家、古代ローマ帝国)が強大になった代表例である。つまり、生産力の発展が生産関係(人間の相互関係、階級社会、権力と国家)を作り上げたのである。これが科学的にみた経済法則であり、史的唯物論なのである。
 こうした歴史時代が、こうした環境が、人類社会に富と財産をめぐる争奪戦たる階級社会と階級闘争を生み出したのである。すべては歴史と環境が欲望を変化させ、転換させ、その思想・意識が世界を支配していった。つまりは環境が人間を作り、人間が環境を支配していったのである。
 原始共同体が崩壊したあとの社会は奴隷制社会である。ヨーロッパでは古代ギリシアの古代都市国家(ポリスとしてのアテネ、スパルタ)、そして古代ローマ帝国であり、日本では弥生時代である。そしてこの時代から人類史上に戦争と内乱、対立と抗争、暴力と犯罪が日常化していった。奴隷制から封建制、資本主義から現代の独占と帝国主義へ、原始共同体が解体された以降、人類社会に戦争のない時代は一度もない。このような対立と抗争、暴力と犯罪、戦争と内乱の原因はみな、経済問題である。つまりは富と財産、土地と領土、金(カネ)をめぐる争いなのであり、根底には人間の欲望の自由放任がある。まさに「欲望資本主義に憑かれた人間たち」の世界なのである。アダムスミスと自由主義、そのブルジョア経済学、歴史上のすべての宗教も、原始共同体社会が崩壊したあとの人間の歴史を貫く、富と財産と土地と領土をめぐる対立と抗争、戦争と内乱、暴力と犯罪を何一つ解決できなかった。「見えざる神の手」などは空想の世界の幻影に過ぎない。永遠の過去から永遠の未来に向かって絶えず運動し、発展し、前進し、転換していく人類の歴史が必ず近い将来この問題をきっぱりと解決するであろう。その時代はもう近い。なぜなら人類の歴史は、原始共同体―奴隷制―封建制―資本主義―独占と帝国主義へと、前へ前へと進んできたからには、ここで止まっているわけではなく、つぎの新しい時代へ進む以外にない。それは、大衆的社会・人民の時代、高度に発達した近代的コミュニティーの時代である。


 結 語

 @ アメリカの一極支配は完全に終わった。地球上最後の帝国主義たるアメリカ帝国主義は崩壊し、単なる一つの国に成り下がった。
 A 世界中の主要な国々が集まっても、そこでは何も解決できなかったということは何か。それは各国は自分の国のこと、自分の内政に没頭しているのであって、外交は二の次であり、外交とは内政の反映(哲学的内因論)であることを証明した。
 B 国家は自立し、民族は独立し、大衆は自覚し、あらゆるところから目覚めた人間の行動が激化する。対立と抗争、暴力とテロ、戦争と内乱はその過程の副産物であり、未来をめざす偶然性である。
 C そしていま、歴史が求めている人類の世界、人間の社会とは、まさに大衆社会、人民の世界、人間性社会であり、人民の・人民による・人民の政治と国家であり、階級なき国家、近代コミュニティー社会である。
 D 人民大衆を主体とした国家と社会こそ本当の民主主義、真の自由と平和の国家と社会である。それを保障するのは、直接民主主義の制度たる評議会である。人間欲望の自由放任主義にもとづく投票制度と議会主義という間接民主主義はブルジョア政治の見本である。人民大衆にとっては、真の協力・共同・連帯・人間性あふれる自覚されたコミュニティー社会こそ、戦争のない本当の平和社会である。