2014年(平成26年)8月25日付 420号


戦争は悲劇であると同時に、それは旧体制の崩壊と新体制への移行を促す助産婦でもある!

 毎年8月は戦争と平和の月間である。1945年、第二次世界大戦が終了したのがこの8月であり、人類史における最大の転換点となった。東西の戦勝国による軍事裁判が開かれ、戦争犯罪人の追及が急がれ、戦争と平和が国際的議論になった。
 アジアでは日本の戦争責任が追及され、とりわけ隣国同士の中国と韓国からの日本の戦争責任追及は今も終わることなき対立がつづく。
 そして現代、平和平和と叫びつづける声とは反対に、世界は戦争だらけである。ウクライナ問題の対立、抗争、戦闘は終わりがない。イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃は地上戦となり本格的となったが解決の道はない。「アラブの春」以後の中東も、シリア、イラクをはじめ、各国の内戦と反乱も終わりはない。こうして戦争は果てしなくつづく。
 良心的な平和主義者の声を代表して2014年7月23日付朝日新聞「天声人語」は次のような一文を掲載した。
 『〈パレスチナ自治区ガザへのイスラエル軍の攻撃で、死者は500人を超えた。片や、イスラム過激派のハマスは徹底抗戦で構える。「世界の良心」のはずの国連は、例によって音無しだ。炎と煙の中で民衆の悲嘆がわき上がる〉。今の話ではない。5年前の1月の当欄の一節である▼手抜きだとお叱りを受けそうだが、言葉を変えずに使い回しができる。昨日の国際面に「死者500人超に」の見出しがあった。なぜ、こうも流血が繰り返されるのか▼国連児童基金(ユニセフ)によれば、この2週間で少なくとも子ども121人が死亡している。口を開けた泥沼は呑み込む者を選ばない。力の差が歴然としたイスラエルの過剰さに、国際社会の非難は強まるばかりだ▼「みんな殺された。ユダヤ人に死を」「イスラエル人が殺されたら、お祝いだ」。ガザでわき上がる怒声と本紙記者は伝える。殺し合いが次の殺し合いに理由を与え、憎しみの火薬は湿ることを知らない▼問題の根は深いが、1948年、パレスチナの地にイスラエルが建国されたことで衝突が始まる。一方は独立と歓喜し、片や「ナクバ(大破局)」と悲嘆した。このときだけで70万人が難民になった▼〈天蓋花この世をおほふ愛足りずガザ地区にまた少年が死ぬ〉米川千嘉子。過去をひもとけば、おそらくは愛よりも憎悪が人間の歴史の「主役」だった。血の物語が何ページも綴られてきた。一刻も早い停戦、そして双方が新たな犠牲を出さぬ知恵を絞れないか。』
 この一文は大多数の人びとの声であり、その中にあるのは戦争への怒りであり、悲しみであり、嘆きであり、誰かに救いを求める祈りでもある。そしてこの心情はあまねく人びとに共通する思想心情であり、これは救いを求める宗教心のよりどころにもなる。
 だがキリスト教など宗教が2千年も平和を唱えるにもかかわらず戦争は絶えることがなかった。ここに歴史科学がある。戦争は歴史の必然性であり、歴史は戦争を通じて前進してきた。「賢者は歴史に学べ」(ビスマルク)。歴史は科学である。哲学歴史科学が教えているとおり「戦争は悲劇であると同時に、それは旧体制の崩壊と新体制への移行を促す助産婦でもある」。そして「現代世界は戦争だらけであるが、それは現代資本主義の崩壊からつぎのコミュニティー共同体をめざすための号砲なのである」。哲学歴史観が教えるとおり、すべての運動は否定面と肯定面の対立する二つの側面が統一しつつ前へと進む。われわれは哲学を知らねばならない。


(▼)人類の世界は国家が生まれてから戦争がはじまった。戦争を通じて歴史は前へと進んだ。そして戦争を通じて大国は滅んでいった。ローマ帝国興亡の歴史にすべてがある。歴史に学べ!

 人類の歴史上最初に国家というものが成立したのは紀元前750年代のギリシアであった。生産力が発展し、生産物が増大し、必然的に商品経済が拡大し、貨幣流通が支配するに至ったとき、海上交通を利用した地中海貿易は地政学上からギリシアに巨大な富をもたらした。この富と財産と利権を守り、管理し、維持し、さらに拡大するための統制機関として国家が生まれた。国家とは権力であり、支配機構であり、富と財産を支配する者たちの武器である。
 この国家は最初は都市を中心にした都市国家であったが、商品流通、貨幣経済、富と財産の拡大は必然的に国家間の競争を生み出し、競争は戦争へと拡大していった。ギリシアにおいてはアテネとスパルタとの戦争、そしてペルシャとの大戦争となる。
 こうした歴史時代はやがて同じ都市国家として生まれたローマがヨーロッパを支配する古代最大の帝国として成長し、やがて滅びていくその興亡の過程こそ、それ以後の世界史に繰り返される国家の運命の原型となった。
 都市国家ローマは紀元前600年にはイタリア半島の統一に成功する。それはギリシアの地中海貿易とそれが生み出す戦争に使用された多くの兵器を手にした軍事力であり、この軍事が、戦争を通じて半島を統一させたのである。
 イタリア半島を統一させたローマはやがてその軍事力をいっそう強め、当時としては近代化した重装備歩兵集団を編成、この軍事力で近隣諸国を支配、それらの国土を属州(植民地)とした。その最盛期の領土は、地中海沿岸諸国からヨーロッパ大陸、そしてイングランドからウェールズ(イギリス)までに及び、史上最大の帝国となった。
 やがて歴史の進歩はローマの時代を否定していく。その歴史とは物質の生産力がいっそう高まったという歴史時代である。それまでの手労働から道具や機械の発明、発達である。道具や機械を使うのは人間である。その時代、ローマは奴隷制であり、労働するのは奴隷たちであった。つまり、道具や機械を使う労働は奴隷労働を否定するのである。道具や機械をうまく使いこなすのは意欲と意識をもった能動的人間労働を求める。目的意識性と創造性なしには機械や道具は機能しない。歴史は奴隷制ではなく人間性を認め、意志と意欲を駆り立てる労働(農奴制、小作制、下請け)を歴史(生産力の発展)が要求する。
 この歴史は労働力の主人公であった奴隷たちを駆り立てた。こうして奴隷の反乱が発生する。紀元前73年、ローマの奴隷剣闘士スパルタクスに率いられた9万人の奴隷たちは人間性を求めて奴隷解放をかかげて決起、いたるところでローマ軍を破った。しかし最後は敗れ、スパルタクスも死んだ。
 だがこの巨大な反乱は、ローマ支配下の全ヨーロッパ各地の都市国家や、地区、地域の部族、豪族たちにも波及し、至るところにローマの反乱を引き起こしていく。ローマは内憂外患に苦しむ時代に突入していく。帝国の国家財政は軍備増強、兵器の拡大、兵員確保、堡塁整備などの軍事費に苦しむ。歴史は新しい時代を求めているのに権力機構は古いままであり、もはや統治能力はそう失してしまった。これが権力内部の分裂、抗争を生み出す。その動きはいつも戦闘の道具に使われるゲルマン出身の将兵たちが先頭に立つ。権力内部、軍事機構内部から反乱がおこる。こうしてローマの支配体制は崩壊への道に進み、ついに西紀395年ローマは終わった。
 歴史は古代奴隷制から、新しい歴史時代、中世の封建制の時代に移行したのである。これはすべて、生産力の発展が生産関係(人間の相互関係、社会制度)の変更を求めていくという哲学・歴史科学の法則の見事な展開である。そしてこのような歴史の転換は戦争を通じてのみ実現されたのである。
 戦争そものは悲劇であるが、それでも歴史は戦争なしには発展と前進はないのだということをローマの歴史は教えており、そしてこのローマの大国興亡の歴史は以後の全世界史を貫く根本法則として貫徹されるのである。
 地球上最後の奴隷制大国アメリカ合衆国がついに奴隷制廃止、奴隷解放を決定したのは1863年にリンカーン大統領が発した奴隷解放宣言であった。しかもこれを生み出したのはあの南北戦争であった。1861年から65年までの5年間にわたり南、北両方をあわせた50万人もの死者を出したこのアメリカ史上最大の内戦が生み出したのである。戦争を通じて歴史は転換したのである。旧体制を打ち倒し、新しい時代を打ち立てるのは戦争であった。これが歴史科学の法則である。現代世界もこのように進んでいる。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦も歴史を前進させたこの事実を見よ。

 第一次世界大戦(1914年―1918年)は3588万人が死傷、第二次世界大戦は8500万人が死傷した。戦争だけではなくすべての国の国民に甚大な被害を与えた。戦争はまさに悲劇である。だが人類社会の発展と前進には悲劇なしにはそれはあり得ない。
 第一次世界大戦の結果は戦争の震源地であった帝国主義国の中の半分(ロシア、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマントルコ)が崩壊し、ロシア、ドイツでは新しい社会制度としての社会主義を生み出した。
 第二次世界大戦では日・独・伊の三国ファシズム国家が崩壊し、英・仏・蘭の帝国主義国が完全にその地位をそう失してしまった。その反対にアジア、アフリカ、中・南米の植民地諸国は民族独立を達成した。かつて日本帝国主義の支配下に苦しんだ諸民族と諸国家、そして日本国民は第二次世界大戦の歴史的意義について深く感謝すべきである。


(▼)現代世界に吹き荒れる戦争(内戦、内乱、テロ、暴力)はすべて民族主義の爆発であり、現代資本主義(格差、貧困、腐敗)に対する政治的反乱であり、資本主義崩壊の狼煙である!

 人類の歴史上、現代ほど地球的規模にわたる大混乱の時代はなかった。テロと暴力、暴動と反乱、クーデターと内乱、政治と権力の不安定、権力移動の激しさ。そしてこれらの混乱と混迷と迷走は、国境を越え、民族の差を超え、経済的・政治的・社会的連鎖のなかで各国を巻き込んでいる。もはや現代社会、現代政治、現代資本主義は人類社会を正しく導く能力を失ってしまった。現代独占資本主義制度はついに寿命が尽きてしまった。現代地球上に発生している悲観的現象のすべては、新しい人類社会とその制度を生み出すための陣痛の苦しみである。
 こういう混沌とした歴史時代が民族主義を生み出している。行き場を失った人々が無政府的、自然発生的に民族主義を生み出していくのである。端的に表れた実例が、ウクライナ問題なのだ。ロシア民族主義とウクライナ民族主義の激突である。国内的には日中韓の争いがある。日中には、資源をめぐる尖閣列島問題があり、日韓には従軍慰安婦問題がある。同じように中国は南シナ海をめぐるベトナムとの激しい争いを起こしている。起こった事件そのものは小さいが、それが大きな外交問題になる。ここに民族主義がある。
 注目すべきはEUである。欧州連合の欧州議会選挙が5月末に行われ、新聞各紙や週刊誌が取り上げているが、反EUを掲げ、欧州連合(EU)不要論を唱えた民族主義政党が各国で進出し、内外に大きな波紋を広げている。特に主要国ではイギリス、フランス、ギリシア、デンマークでは第一党になり、イタリア、ハンガリーなどでも第二党になった。
 反EUを掲げる民族主義政党がこれほど票を伸ばしたのはなぜか。少しも経済はよくならない。どこも経済不振に苦しんでいる。国家財政の破綻、失業、こういう面でみな苦しんでいる。その上外国人労働者が増えて若者の失業者が増えている。いいのはドイツだけである。そういう中で右翼民族主義が台頭してきたのである。
 現代世界の戦争はこのような現代資本主義世界、現代資本主義の政治が生み出している。そして戦争を通じて世界の変革を歴史が求めている。こういう時代だからここで改めてクラウゼウィッツの『戦争論』をふり返ってみたい。

 『戦 争 論』(抜粋)
   カルル・フォン・クラウゼウィッツ
              (一七八〇〜一八三一)

 レーニンはクラウゼウィッツを高く評価し、次のように言っている。『戦争は別の(すなわち暴力的な)手段による政治の継続にすぎない……。これが戦争史の問題についての偉大な著作家の一人であるクラウゼウィッツの定式であるが、彼の思想は、ヘーゲルによって実り豊かなものにされた。そしてこれこそいつでもマルクスとエンゲルスの見地であって、彼らは、それぞれの戦争を、その時代の当該の関係強国――及びそれらの国の内部のいろいろな階級――の政治の継続とみたのである』(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」一九一五年五月)
 カルル・フォン・クラウゼウィッツは、ナポレオンがヨーロッパを席捲(せっけん)した時代に活躍したプロシア(後のドイツ帝国)の将軍である。クラウゼウィッツは少年時代からプロシア軍に志願、後にベルリン士官学校の校長となり、参謀総長として、ドイツ軍を再編成したまれにみる軍人である。クラウゼウィッツは、一八一八年から十二年間にわたって自らの体験を『戦争論』として執筆、彼の死後、夫人と友人の手によって世に出され、各国語にも翻訳された。その後、全世界の軍事専門家にとっては古典的名著となり、各国の士官学校では教材として採用され、ロシア革命の指導者レーニンも高くたたえた。クラウゼウィッツの『戦争論』はまさに実践の総括であり、理論そのものであり、軍事思想である。今も昔もクラウゼウィッツの『戦争論』は右も左も、思想信条を問わず、一流の軍事専門家、偉大な思想家はみな彼を高くたたえている。戦争とは何か、戦争の歴史を考えるものは一度は彼から学ばなければならない。人民戦線の「戦後五十年・アピール」もクラウゼウィッツから学び、クラウゼウィッツの『戦争論』から出発している。
 さて、クラウゼウィッツの『戦争論』の核心は何か。その要点は次の点にある。

 (一)

 戦争は他の手段をもってする政治の継続にほかならない。戦争とは単に政治行動であるのみならず、まったく政治の道具であり、政治的諸関係の継続であり、他の手段をもってする政治の実行である。
 政治的意図は目的であって、戦争は手段であり、そしていかなる場合でも手段は目的を離れては考えることはできない。

 いかなる事情のもとでも、戦争は独立したものと考えられるべきではなく、一つの政治的道具として考えられるべきである。同時に戦争には、それをひきおこす動機や、事情によってさまざまの種類がある。

 政治家および将軍が下すべき第一義的で、もっとも重要な、もっとも決定的な判断は、その着手しようとする戦争について、以上の点を正確に把握することにある。事態の性質上、求めることのできないものを、その戦争において求めたり、おしつけたりしてはならない。これこそすべての戦略問題中の第一義的な、もっとも包括的な問題である。

 戦争は真剣な目的にたいする真剣な手段である。戦争は常に政治状態に由来するものであり、政治的動機によってのみよびおこされる。したがって戦争は一つの政治的行為である。
 たとえはじめは政治からよびおこされたにしても、戦争はひとたび発生した瞬間から、それは政治にとってかわり、政治から完全に独立したものとして、これを押し退け、ひたすらその独自の法則に従うようになるであろう。それはあたかも、ひとたび導入された地雷が、あらかじめしかけられた方向に向かってのみ爆発するのに似ている。

 とはいうものの、政治目的が優先的な考慮の対象とならねばならぬことには変わりはない。かくして政治は全軍事行動に貫徹し、戦争において爆発する力の性質が許すかぎり、これに不断の影響をおよぼすのである。

 (二)

 戦争を理解するためには、まず第一に政治的要因や事情から生みだされたその性格や輪郭を認識することからはじめねばならない。したがって戦争を指導し、方針を決定すべき最高の立脚点は政治以外のなにものでもありえないことは完全に確実かつ明りょうとなる。

 大軍事的事件や、それに関する計画は、純粋に軍事的な判断にゆだねられるべきであると考えることは許せないことであり、有害でさえある。実際の作戦計画の作成にあたって政府のなすべきことについて、純粋に軍事的な判断をさせる目的で軍人に意見を求めるのは事理を誤ったものである。

 戦争のために必要な主要計画はすべて政治的事情を理解することなしには作成できるものではない。政治が戦争の遂行に有害な影響をおよぼすということがよくいわれるが、非難されるべきは、政治の影響ではなくて、政治自身なのである。政治が正しければ、つまりそれがその目的に適合しておれば、それは戦争に有利に作用せざるを得ない。

 戦争は政治の手段である。それは必然的に政治の特徴を帯びなければならぬ。その規模は政治のそれに対応したものでなければならぬ。したがって戦争の遂行はその根本において政治それ自身である。その場合、政治はペンのかわりに剣を用いるが、それだからといって政治自身の法則にしたがって考えることをやめるわけにはいかないのである。

 軍事行動の目標が政治的目的の代用物となると、一般的に軍事的行動は弛緩(しかん)してゆくものであり、戦闘力は衰える。

 (三)

 戦争というものは、その客観的な性質上、蓋(がい)然性の計算に帰着する。だから偶然性の要素がつきまとう。じっさい、いろいろな人間の活動のうち、戦争ほど不断に、かつ、あらゆる面で、偶然と接触するものはない。
 戦争は実に危険な事業であって、このような危険な事業にあっては、お人よしから生まれる誤謬(ごびゅう)ほど恐るべきものはない。
 物理的暴力の行使にあたり、そこに理性が参加することは当然であるが、そのさい、一方はまったく無慈悲に、流血にもたじろぐことなく、この暴力を用いるとし、他方にはこのような断固さと勇気に欠けているとすれば、かならず前者が後者を圧倒するであろう。
 戦争哲学のなかに博愛主義をもちこもうなどとするのは、まったくばかげたことである。
 戦争は暴力行為であり、その行使にはいかなる限界もない。かくして一方の暴力は他方の暴力をよびおこし、そこから生ずる相互作用は、理論上その極限に達するまでやむことはない。
 戦争は生きた力が死物に働きかける作用ではない。それは、常に生きた力と生きた力との間の衝突である。というのは、戦う二者の一方が全然受身の地位にあるとすれば、それは戦争とはいえないからである。したがって当事者にとって最悪の状態は、抵抗力の完全なそう失である。
 精神的要素は戦争全体を貫いている。物理力と精神力は相互に融合しており、物理力は木で作った槍(やり)の柄であり、精神力は金属で作った槍の穂先である。
                                    (以上)