2015年(平成27年)2月25日付 426号


現代資本主義の崩壊は歴史科学の法則から必然であり、その先にあるのはコミュニティー共同体から社会主義への道である!

 「資本主義終焉の時代が来た。資本主義に未来はない」を叫ぶ現代日本の先進的知識人の発言に注目しよう!

 国際・外交問題で常に見識ある論評を発表している岡本行夫(MITシニアフェロー)氏は昨年12月29日付産経新聞紙上で現代世界について次のように論じている。
 〔1989年のベルリンの壁の崩壊と91年のソ連邦消滅によって、世界は自由主義が支配する新しいステージへと進んだ。
 しかし、2001年の9・11テロが世界を暗転させた。各国は、防御的で内向きなり、個人の自由よりも公共の安全を優先するようになり、非国家というアメーバーのようなテロ組織との戦いの時代に入った。米国の指導力と使命感が発揮されない中で、ロシアと中国の大国ナショナリズムが噴出し、「中華民族大復興の夢」を鼓舞する習近平国家主席と、ソ連邦時代の強大国への復活を目指すプーチン大統領が、世界秩序を変える挙に出てきた。これに対して西側は有効な対抗策を見いだせない。力の強いものが武力で国境線を変更する「ジャングルの法の支配」が戻ってきた。過激派イスラムのテロは、ついに「イスラム国」を出現させて世界の安全を根底から脅かし始めた。私たちは際限のない戦いのふちに立たされている。
 こうした中で、戦略を持たないオバマ大統領が率いる米国は有効な対応ができず、世界は反自由、反民主主義、反平等、反安全、反結束の方向に進み始めた。この流れをくい止められるかどうか、世界はこれまでになく重要な地点にある〕と。
 また国際問題が詳しい新潟県立大学の袴田茂樹教授は1月21日付産経新聞の紙上で現代世界について次のように書いている。
 〔世界は動乱の世となった。中露の大国主義と主権侵害、イスラム過激派の世界秩序への挑戦やテロ活動、欧州連合(EU)内の混乱と国家対立、これら諸問題に対する国連や米国の無力などは大方の予想外だった。
 1992年にF・フクヤマは『歴史の終わり』を著した。これは、根本的な対立の歴史は終わったという意味で、今後は伝統的な主権国家の諸特徴の多くは消滅すると予想した。そして、欧州共同体こそが歴史の終わりを象徴すると称賛し、ロシアはかつての拡張主義を捨て、小さなロシアを選んだと言う。冷戦後欧州で国家主義の抗争が高まる可能性もあるがそれは東欧やバルカンのことで、中国も経済主義的になって大国主義への回帰はないと予測した。しかし現実はこれら楽観的予測をほとんど裏切った。
 ウクライナ問題、南・東シナ海の紛争、イスラム国、英国やスペインの分離主義、ギリシャ問題や欧州の南北対立などが示しているのは、国家の強すぎではなく、逆に主権国家の弱体性やEUの二重主権という曖昧状況が国際秩序の混乱を生んでいるということだ〕と。
 こういう現代の歴史時代をどうみるかについて日本の先進的知識人は次々に立ち上がって「それは現代資本主義の危機の到来であり、もはや資本主義の運命は尽きたという歴史的段階の証明である」と論ずるに至った。
 最初の出版は著名な経済学者で、一橋大学名誉教授の中谷巌氏の『資本主義はなぜ自壊したのか』(2008年12月、集英社刊)で、「現代のグローバル資本主義は巨大なモンスター(化け物)であり、その自由放任主義が世界経済を不安定にし、所得や富の格差拡大、大衆の貧困、地球環境の破壊をもたらした。結局のところこの自由主義によって資本主義そのものを自壊させている」と論ずる。
 そして浜矩子(同志社大学大学院教授)氏は2012年12月『新・国富論』(文春新書)を刊行、その中で次のように論じた。
 @ アダム・スミスの『国富論』はもう古くなって現代の金融独占資本主義には通用しない。
 A 金融独占(金利を求めて経済を支配する現代資本主義)に未来はない。登り詰めた現代金融資本主義は老いてしまい、次の時代に席を譲るしかない。
 B 現代のようなグローバル(経済と政治と人間社会もすべてが国際的になった時代)、世界は「国民国家」(国民のための国家を消滅させた。その先にあるのは地域を基礎にした人間性豊かな「共同体」しかない。ここに未来展望がある。
 そして2014年5月、日本大学国際関係学部教授・水野和夫氏の著作『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)が刊行、水野氏はこの中で次のように論じた。
 「一六世紀以来、世界を規定してきた資本主義というシステムがついに終焉に向かい、混沌をきわめていく歴史の危機。世界経済だけでなく、国民国家をも解体させる大転換期にわれわれは立っている。もう資本主義というシステムは老朽化して、賞味期限が切れかかっている。もはや近代資本主義のうえで、覇権交替があるとは考えらない。次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握る」と。
 そして注目されたのが、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』であり、昨年11月、英語版が出た途端に一大センセーションを引き起こし、ヨーロッパからアメリカでベストセラーとなった。この本が主張するのは、1%の富の富裕層と99%の貧困層という格差社会の出現は、資本主義の経済法則から必然だという説で、これは現代社会の実情と照らして大いに議論されつづけている。
 さて、われわれがここで大いに留意すべきことは次の点である。つまり、さきに紹介した日本における先進的知識人(の代表)の、世界経済(日本も含めた)、世界の情勢については「現代資本主義制度はもう老朽化してしまい、ついに終焉の時代に至った」という現状認識と時代解釈では一致している。しかし、ここで問題になるのは、ではその先はどうなるのか、という未来展望がはっきりしない、ということで共通している。水野氏はその著作の中で次のように言う。「もはや近代資本主義のうえで覇権交代があるとは考えられない。次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握る」と。そこで質問する。その「異なるシステム」とは何か。それはどのようなシステムなのか、と。しかしそれは以後水野氏の出版物や、水野氏の発言にはその答えはない。そして重要なのは、水野氏だけでなく、その他の多くの先進的知識人も同じように崩壊した資本主義の先にあるのは何か、という未来展望を明確に示し得た人はどこにもいない、ということである。それはなぜかと言えば、目の前に展開される経済的危機と困難だけに目をとられてしまい、それを生み出している根本的原因、つまり哲学・科学的世界観にもとづく歴史時代認識がない、ということである。哲学世界観がないと未来展望は開けない。
 エンゲルスは、現代物理学の世界でその正しさが確認されているあの名著『自然弁証法』(1875年)で次のように書いている。「いまや現代自然科学は、運動の不滅の原因を哲学から採用しなければならなくなった。それなしには自然科学はもはや成立できなくなったのである」と。
 大宇宙と万物を解き明かす根本的世界観たる哲学から出発せよ。哲学なしに万物は理解することはできない。そこでわれわれは哲学を基礎とした歴史科学をここではっきりさせたい。
 その際ここで哲学を論ずる場合の心構えについて語ったマルクスの一言を紹介しておきたい。マルクスは1886年に執筆した『フォイエルバッハにかんするテーゼ』の全11項目の最後で次のように書いている。「第十一、哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」と。この意味をよく理解し、認識しなければならない。マルクスは次のように呼びかけているのだ。
 ものごとを論ずるとき、大切なことは、あれこれと言葉の解釈や、解説や評論をするだけではだめなのだ。そうではなく、哲学・歴史科学とそのときの歴史時代が何を求めているのか、という歴史の要求と、未来展望をしっかりとつかみ、それに向かって、自己の歴史的任務をはっきりと自覚し、闘うこと、行動すること、実践することだ、というのである。解釈、解説、評論ではなく、闘え、行動せよ、実践せよ、自己の歴史上の任務、価値ある生き方に徹せよ、とマルクスは叫ぶ。
 資本主義の現状、資本主義の矛盾について、あれこれ評論するのではなく、では何を成すべきか、何を、何に向かって、どう闘い、どう行動し、どう実践するのか、時代は己にこう問いかけているのだ。先進的で、前進的で、前衛的集団は歴史の要求に答え、価値あるこの闘いに邁進せよ!
 なお、現代日本の先進的知識人の多くが、哲学歴史観に欠けている、という問題について一言提起しておきたい。つまりこれもまた歴史時代の産物である。第一は「象牙の塔」にこもりがちな知識人がもつ狭い考え方から脱出できない、という段階。第二は現代資本主義の危機が、決定的段階にいま現代の段階では到達していない時代が知識人の頭脳を刺激しきれない、ということ。これが歴史時代であるが、歴史科学は一貫して前進している故に、必ず資本主義の危機は決定的時代に到達する。そのときに多くの知識人は頭脳に強い刺激を受け、自覚し、認識し、哲学歴史観を獲得する。そのとき決定的役割を果たすものこそ、すでにこれを獲得している前衛集団の存在とその果たす役割の重大さである。


哲学・歴史科学とは何か。エネルギーによって全宇宙と人類社会は、永遠の過去から永遠の未来に向かって絶え間なく運動し、前進し、発展し、転換していく、という哲学・歴史科学観である!

 哲学は古代ギリシャが発祥の地である。地中海貿易で栄えた富によってギリシャ文明の花が咲き、その中で優れた頭脳をもった知識人たちが哲学の探求に取り組んでいった。自然への驚異、死への恐怖、天変地異という大自然の変化が、その本質の解明へと、先進的知識人の頭脳を刺激し、ここから哲学が生まれた。
 その中の古代唯物論者たるヘラクレイトス(前535―前475)は「万物は火から生まれ、すべては流転する。動と静は対立物の相克である」と説いた。現代物理学が到達した「ビッグバン宇宙論」の予言であった。そしてデモクリトス(前460―前399)は「万物は物質であり、原質は原子(アトム)であり、すべては運動し、不滅である」と説いた。これは古代弁証法であり、2002年度ノーベル物理学賞を受賞した東大特別栄誉教授の小柴昌俊氏が、2003年2月27日付『日本経済新聞』の「私の履歴書」の中で「私たち自然科学者は古代ギリシャのデモクリトスなどの哲学者たちが予言したことを科学的実験によって証明している」と語ったのはまったく正しい。エンゲルスが『自然弁証法』(1875年)の中で「哲学なしに自然科学はありえない」と言っているのはまったく正しいことを歴史が証明しているのである。
 エンゲルスのこの文献の中でもっとも核心的な項目は「万物はエネルギーの運動法則にもとづき、永遠の過去から永遠の未来に向かって絶え間なく運動し、前進し、発展し、転換していく」という説である。これはさきに紹介した、古代ギリシャ哲学者たるデモクリトスの学説を発展、前進させたもので、全宇宙と万物を支配する哲学的科学的運動法則である。つまり、全宇宙と万物はエネルギーによって永遠の過去から永遠の未来に向かって常に運動し、前進し、発展していく。だから、万物(人類の社会とその世界、国家と制度)も、一ケ所に止まっているのではなく常に前へ前へと運動し、前進し、発展し、転換していくのである。それは歴史が証明しているではないか。人類は原始時代から古代へ、そして中世から近世へ、こうして現代社会に到達した。このような運動する世界が、現代(現代資本主義)で止まってしまうわけがないではないか。歴史は過去と同様、未来に向かって前へ進むのだ。このような科学的認識がないのは、目前の経済問題(お金のこと)だけを考える誠に浅はかではないか。
 人類社会とこの大宇宙は137億年前にビッグバン(大爆発)によって生まれた。その大爆発は、運動するエネルギーが、137億年前という「特異点」に達したとき、インフレーションが生み出した遠心力と求心力の相互作用によって宇宙は生まれたのだ。太陽と地球と人類もすべてがこのエネルギーの運動法則が生み出したのであり、われわれの存在そのものがエネルギーの運動法則の産物なのである。
 現代の物理学の世界が確認したところによると、全宇宙を構成している要素は、科学的に確認できている普通の物質は5%だけで、それ以外は、暗黒物質(正体不明の物質)が27%、そして暗黒エネルギー(確認不能なエネルギー)が68%を占めているという。物理学者はこの問題を科学的に解明することに取り組んでいるが、これも哲学なしには解決できない。エンゲルスの『自然弁証法』が説くように、存在するものはみな内部にあるエネルギーによって運動しており、それは内部にあるものだから、外部からはつかまえられないのである。内部にあるものは哲学理念がつかむのだ。
 1929年、アメリカの天文学者・エドウィン・ハップルによって証明され、世界の物理学会が認めた「宇宙は一貫して加速膨張をつづけている」という「ハップルの法則」はまさに古代ギリシャの哲学、エンゲルスの『自然弁証法』の正しさを現代の物理学が実験によって証明したのである。万物は前へ、前へと加速膨張しているのであって、けっして一ケ所に止まったり、後に戻るのではないのだ。
 すべての知識人は哲学を学べ!


人類の歴史もまた、そのエネルギー(生産力)によって一貫して運動し、前進し、発展し、転換(変革)されてきた。「賢者は歴史に学べ」!

 エンゲルスは『自然弁証法』(1875年)によって宇宙と万物を支配するエネルギーの運動法則の産物としての現代世界のあり方を解明した。
 マルクスはその著作『経済学批判・序論』(1859年)によって人類世界の歴史と未来展望について哲学・歴史科学的に解明した。マルクスの哲学歴史科学観の核心はつぎの点にある。
 @人類の歴史とその社会(国家と社会制度)のあり方を決定するのはエネルギーとしての生産力である。「生産力が生産関係を決定する」。つまり、経済力が生産関係たる国家と社会のあり方を規定していく、ということである。生産力とは人間の労働能力だ。
 A生産力は常に前進し、発展していく。一ケ所で止まった時代は一つもない。これにもとづいて国家と社会も常に変化していった。原始時代―古代―中世―近世―そして現代という、歴史過程を見ればはっきりしている。賢者は歴史に学べ。
 B歴史は常に運動し、前進し、発展し、転換していくのであって一ケ所に止まっているわけではない。現代資本主義はつぎの時代たるコミュニティー共同体から社会主義へと移行せざるを得ない。これは哲学歴史科学が進む必然の道である。
 C哲学・歴史科学の運動法則が現在求めているのは、最大限の利益追求第一主義・物質万能主義と拝金主義・自由競争という名の弱肉強食・非人間的格差社会、という現代資本主義を否定する。
 そして人民の人民による人民のための世界・共同生産・共同分配・協力・共同・連帯の人間社会・大自然と共に生きる豊かな人間生活の実現、である。
 D現代資本主義は独占と帝国主義の時代、最高度の段階に到達し、登り詰めてしまった。エネルギーの運動法則から転換せざるを得ない。これで人類の前史は終わり、新しい歴史時代に移行する。
 以上がマルクスの『経済学批判・序論』の骨子である。
 この人類の後半たる新しい歴史時代とは何かについてエンゲルスは『自然弁証法』で明言している。「人類は挙げて大宇宙との闘いに進軍する」と。
 そしてマルクスの学説の正しさは、歴史そのものが、事実で証明しているのである。マルクスはその学説の中で、人類の歴史段階を「人類最初の社会は原始時代であり、生産力がなかった時代はすべてが共同と協力を必要とした。やがて生産活動が始まり、余剰生産物、財産が生まれ、その支配権をめぐることから国家と権力が生まれ、古代国家が成立。やがて道具と機械が発明され、歴史は中世(封建制)へ移行。生産力はさらに発展し、商品経済が主流となり、近世(資本主義)へ移行する」。マルクスの学説は歴史そのものが正しさを証明している。
 ここで一言付け加えておきたいことは「そういう法則なら、だまって、じっとしておればよいではないか」という説のことである。このことについてマルクスはパリ・コミューンを論じた『フランスの内乱』(1871年5月)で次のように言う。「歴史の転換期には必ず旧体制・守旧派と、変革・革新派との間の激烈な戦いは必然であり、歴史の法則からこうした戦いもまた必然である」と。
 このことについては1月25日付『人民戦線の旗のもとに!』の平岡アピールの中で、日本における明治維新を早めた、徳川幕府の大老井伊直弼と安政の大獄についての歴史的経過をよく読めば、変革と革命の時代における激烈な戦いの必然性がよく理解できる。歴史が戦いを求め、歴史が英雄を生み出し、歴史が先進的、前進的、前衛的集団を生み、こうして歴史が変革と革命を実現させる。すべては哲学・歴史科学の法則である。
 先進的・前進的・前衛的人士と集団の運動と闘いに栄光あれ!


結語

 人類の歴史は、哲学・科学的真理たるマルクス主義が示す付則に従って進む以外にない。そして21世紀の歴史時代はこのことをはっきりと今証明している。そのためにこそ歴史は絶対的真理としてのマルクス主義の純化、浄化、原点からの再出発を求めている。歴史はあくまで必然性を持って、到達すべきところに必ず到達するであろう!


われわれの未来展望とそのスローガン

 われわれはすべてを哲学・歴史科学的世界観に徹するよう呼びかける。われわれは一貫して次のような哲学・科学的世界観、歴史科学観を提起する。
 @人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。
 A生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。
 B物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。
 C人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。
 Dコミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。
 E生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。
 F金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。
 G人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。
 Hそのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。
 I人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。
(以上)