2015年(平成27年)6月25日付 430号


民族主義に未来はない。歴史上民族主義が勝利した例しがない。資本主義の先はコミュニティー共同体から社会主義への道である。歴史は民族主義を否定し、法則通り、前へ、前へと進む。ここに哲学歴史科学の道がある!

人類の歴史上、現代ほど地球的規模にわたる大混乱の時代はなかった。テロと暴力、暴動と反乱、クーデターと内乱、政治と権力の不安定、権力移動の激しさ。そしてこれらの混乱と混迷と迷走は、国境を越え、民族の差を超え、経済的・政治的・社会的連鎖のなかで各国を巻き込んでいる。もはや現代社会、現代政治、現代資本主義は人類社会を正しく導く能力を失ってしまった。現代独占資本主義制度はついに寿命が尽きてしまったのである。現代地球上に発生している悲観的現象のすべては、新しい人類社会とその制度を生み出すための陣痛の苦しみなのである。
 世界を見れば、アメリカの一極支配がついに終わりを告げ、現代資本主義は求心力を失い、無重力世界が出現、遠心力の作用で、民族主義が世界に広がった。そして世界はバラバラとなり、資本主義崩壊を決定づけたのである。
 ヨーロッパ共同体(EU)内では大国、ドイツ、イギリス、フランスなど右翼民族主義政党が各国に台頭、最近ではその敗北からギリシャ、スペインなど各国に左翼民族主義が出現、イギリスではEUの継続か否かを巡って住民投票が予定されている。ついにEU解体の声すら生まれている。ウクライナではウクライナ民族主義とロシア民族主義が激突、中東では宗教の名を借りた民族主義が激突、アジアでは中国、韓国、日本など民族主義が陸で海で爆発している。
 安倍晋三の右翼民族主義はこうした中で出現したのである。ここに歴史時代の必然性と偶然性がある。5月14日、安倍政権は「安保法制」を閣議決定した。15日付の朝日新聞は「安倍政権、安保政策を大転換」と報じ、「解釈改憲・一強体制で強行」「戦後改革―首相我が道を行く」と書いた。
 4月29日、閣議決定に先立ち、安倍首相は米議会で日本の総理大臣としてはじめて上下両院合同会議で演説した。30日付の読売新聞は「首相演説―称賛の45分間」と大見出しで飾った。朝日新聞は安倍演説に驚きつつ「夏までに成就」「首相―祖父・岸信介の演説を1度ならず2度も引用して演説を締めくくった」と伝えた。
 怒ったのは日本の野党ばかりか、中国や韓国であった。中国民族主義、韓国民族主義の爆発である。中国も韓国も歴史問題で今夏の安倍談話「70年談話」に「戦後・50年談話―村山談話」の侵略と謝罪はどう反映されるのか、米議会演説を注目していた。中国も韓国も猛反発した。中国、韓国、日本民族主義の激突は今年も暑い8月に向かって、ますます激しくなっていく。
 民族主義に未来はない。現代の民族主義は、アメリカ一極支配の終焉、無重力世界が出現する中で、資本主義崩壊の一側面として表れた、資本主義の落とし子である。民族主義の運命は、ドイツ民族主義の爆発・ナチス・ヒトラーの敗北、日本民族主義の爆発・日本軍国主義の敗北を見れば明らかである。
 歴史は資本主義の崩壊を経て、コミュニティー共同体から社会主義へと進む。これが科学的世界観である。歴史は法則通り前へ、前へと前進する。民族主義への回帰はあり得ない。民族主義、それは現代の歴史時代に咲いたあだ花である。


(一)中国、韓国、日本、この三国の対立は民族主義の激突である。中国、韓国の猛反発、日本政府の不快感の表明。そして日本における「安保法制」を巡る無力な国会論戦を見よ。少しでもクラウゼウィッツの『戦争論』を知れ!

 韓国国会は5月12日、本会議で安倍演説は「侵略の歴史や慰安婦に対する反省がない」として安倍首相を厳しく糾弾する国会決議を採択した。そして安倍首相の挑発的言動がつづく限り、日本をパートナーとして認めることはできないと言い放ったのである。一国の総理大臣を本会議で非難するなど前代未聞のことである。韓国メディアも揃って「謝罪はおろか自賛だけの45分間であった」とこき下ろした。韓国民族主義の怒り爆発である。
 中国政府も強く非難した。国営の新華社通信は「安倍演説は、歴史問題を巡り謝罪を拒み、米議員の批判を招いた」と怒りを爆発させた。とくに中国人民政治協商会議(政協)の兪正声(ユージョンション)主席は5月8日、額賀元財務相ら自民党国会議員訪中団と北京で会談し、安倍演説について「侵略によって中国に多大の犠牲を与えた教訓をまったく無視したもので、中国は不満だ」と今夏の「70年談話」を牽制した。
 中国の習近平国家主席は「対ドイツ戦勝70年記念」に合わせて、ロシアを訪問し、プーチン大統領と会談、「歴史改ざん反対」で一致し、談話や共同声明まで発表、ここでも安倍演説や「70年談話」にくぎをさした。
 日本政府は、韓国国会本会議の「安倍首相糾弾決議」に菅官房長官は不快感を表明、13日の記者会見で「友好国の首相を名指しする形で決議を行うことは非礼だ。受け入れることはまったくできない」と怒りをあらわにした。
 中国、韓国、日本、この三国の対立は民族主義である限り、終わりなき激突が続く。
 アメリカは、安倍首相の米議会演説について、アメリカに代わって肩代わりしていく日米同盟の大転換については大満足であった。しかし中国、韓国、日本の関係については危惧を持っている。だから米高官は事ある度に過去の談話継承を日本側に促していた。アジア回帰をはかるアメリカにとって日中、日韓はうまくやってほしいのである。
 「安保法制」は、今、国会で論戦になっているが、まったくの机上の空論であり、おしゃべりである。やれ「機雷掃海は海外派兵の例外」とか、「自衛隊のリスクは」とか、「武力行使はどこまで」とか、「戦争現場では中断させる」とか、「歯止め論」や「例外論」が声高に叫ばれている。「国会や議会は権力支配のついたてである」とのマルクス主義の理論上の原則は正しい。野党は、戦争とは何か、戦争論のイロハが何一つわかっていない。だからかき回され、バラバラとなる。戦争については世界中の一流の政治家や、軍人なら皆学んでいるクラウゼウィッツの『戦争論』がある。次の一節を紹介するだけで十分である。
 「たとえはじめは政治からよびおこされたにしても、戦争はひとたび発生した瞬間から、それは政治にとってかわり、政治から完全に独立したものとして、これを押しのけ、ひたすらその独自の法則に従うようになるであろう。それはあたかも、ひとたび導入された地雷が、あらかじめしかけられた方向に向かってのみ爆発するに似ている。戦争哲学のなかに博愛主義をもちこもうなどとするのは、まったくばかげたことである」と。


(二)安倍晋三の右翼民族主義とは何か。それは岸信介から安倍晋三へと連なる右翼民族主義の思想である。その運命は日本軍国主義の敗北、民族主義の教典たるナチス・ドイツの運命をみればわかるとおりである。

 安倍晋三の右翼民族主義は米議会演説で何度も称えた祖父・岸信介の民族主義である。その証拠に孫の安倍は岸と同じことを言っている。曰く「満州事変は侵略ではない。戦勝国の一方的な偏見だ」。曰く「大東亜戦争は米国の経済封鎖で資源不足になり、追い詰められた日本の自衛戦争であった」。曰く「大東亜戦争をもって日本の侵略戦争と言うは許すべからざることである」と。これは安倍の本心であり、右翼民族主義がいつも言っていることである。
 ここに安倍の唱える右翼民族主義の本質がある。つまり民族主義の本性は戦争であり、帝国主義は戦争を通じて敗北するのである。専守防衛を放棄し、集団的自衛権に転じたこの度の「安保法制」や、憲法改正論などは岸信介から一貫して流れる右翼民族主義の思想である。故に安倍政権の運命は、祖父・岸信介が敗北した日本軍国主義の運命であり、安倍政権の敗北は必然である。
 ナチス・ヒトラーは第一次世界大戦後の歴史時代が生み出したドイツ民族主義の大爆発であり、同時にその一部始終は民族主義の運命、その歴史性の典型である。
 ドイツ国民を窮乏のどん底に落としたのはあのヴェルサイユ条約であった。敗戦国ドイツが戦勝国によって強制されたこの講和条約は一九一九年六月に調印されたが、ドイツ国民は無力で抵抗できなかった。だが憎悪することはできた。ドイツ国民はヴェルサイユ条約を憎悪し、戦勝国とくにフランスを憎悪し、この屈辱的条約を受諾したワイマール政府を憎悪した。無量の怨恨(えんこん)と無限の痛憤をもって憎悪した。憎悪に憎悪した。ドイツ国民が、この屈辱条約をいかに憎悪したかは、ドイツに住み、ドイツ人と共に暮らした者でなければわかるまい。
 科学思想、科学的法則、哲学歴史科学は、すべての事件と事変、そしてすべての人物と英雄は、歴史時代の産物であると断定する。加瀬俊一氏の著『ワイマールの落日―ヒトラーが登場するまで―』がすべて語っているとおり、それはまさに、ドイツ国民の民族自決権を奪った屈辱的ヴェルサイユ条約に対するドイツ国民の民族主義的怒りであり、このような売国的条約を受け入れた憎むべきワイマール政府への怒りであり、国家と社会の安定と安全を求める闘いであり、生活と労働と生きる権利を守る闘いであった。ここにワイマールの時代におけるドイツ国民のおかれている歴史時代があった。この闘いの核となったのがナチスであり、実はこの党は当初は国家社会主義ドイツ労働者党という名の左の衣をつけた民族主義であった。しかしやがて民族主義的ファシズムは歴史の発展法則からして、それはいずれは拒否される運命であり、歴史科学はそのように解決した。それが第二次世界大戦におけるナチスとヒトラーの運命となったのである。
 ドイツ民族主義の爆発として発生した第二次世界大戦は世界的規模にわたる反ファシズム民族解放戦争となり、歴史がドイツの敗北を規定した。ドイツ民族主義の運命はヒトラーの運命となって実現される。1945年4月30日、ベルリンはソビエト軍の砲火に包まれ、その中で官邸地下壕でヒトラーは夫人と共に、ドイツ国民と部下の将軍たちを呪いながら服毒自殺して果てた。5月7日、ドイツ軍は全戦線で無条件降伏した。
 ドイツにおけるヒトラーの出現と第二次世界大戦の勃発は、ドイツ民族主義の爆発であり、そしてドイツの敗北とヒトラーの運命はドイツ民族主義の敗北であった。そしてこの歴史は、人類史における民族主義の運命を決定する教典なのである。民族主義に勝利はない。このことは現代世界に嵐の如く吹き荒れている各種の民族主義にも共通する運命であることを知らねばならない。
 ヒトラーは敗北し、服毒自殺を果たしたが、日本軍国主義は敗北し、極東軍事裁判でA級戦犯として処刑された。死に方は違うが、爆発し散っていった(死んだ)という本質に変わりはない。


(三)現代社会(現代資本主義)の枠内では何をやっても成功しない。歴史は革命を求め、コミュニティー共同体から社会主義を求めて躍動している。すでに世界で、日本で、もうはじまっている。

 日本大学の教授・水野和夫氏は昨年『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社・刊)を発表。資本主義はもう終わったことを宣言。それは当然新しい時代の号砲でもあった。
 2012年2月9日付朝日新聞によると、欧州連合(EU)の経済危機の中でイタリア北部、フランス南部、スペイン北部等各地に自衛のための地域共同体社会を作る運動が広がっているという。アメリカのスーパー、マクドナルドの出店に反対し、「地中海の緩やかな暮らしを変えなくていい。過剰な消費をやめ、慎み深かったころに戻るべきだ」「今の危機は、麻薬に侵されたような成長とスピードばかりを優先してきた資本主義のあえぎだ。正すべきは、それに侵された私たちの生き方だ」という大衆の声を広く呼びかけ、「コンビビア(共同体)運動」を開始、それはヨーロッパの各地、世界120か国(1500支部)に広がっているという。
 日本でも東日本大震災が一つのきっかけになり、人と人との絆や、相互の助け合いの大切さが自覚されるようになった。尚美学園大学名誉教授・丸尾直美氏は2015年1月14日付産経新聞「正論」で「市場経済が発展すると利己的な金銭動機による行動が支配的になり、人と人との相互信頼や思いやり、コミュニティーが失われていく。先進国ではコミュニティーの再興が大いに話題になった」と書いた。
 一方理論的にも多くの知識人が共同体について語っている。
 『新・国富論』(文春新書2012年12月)で浜矩子氏(同志社大学大学院教授)は「国民国家の存在感が希薄化するとき、その陰から地域共同体が顔を出す」と、資本主義の次はコミュニティー共同体であるとの展望を示した。
 中谷巌氏(一橋大学名誉教授)は、『資本主義以後を生きるための教養書』(集英社・刊)のなかで、「マルクスの『資本論』は正しい。日本の進むべき道は古き良き時代の伝統としての地域共同体を基礎にした社会と国家以外にない」と。
 神戸女学院大学名誉教授・仏現代思想家の内田樹氏は、2014年11月14日付朝日新聞で次のように発言した。「国民は国土の汚染や健康被害のリスクを受け入れてまで経済成長することよりも、日本列島が長期的に居住可能であり、安定した生活ができることを望んでいる。成長なき社会では『顔の見える共同体』が基礎単位となるでしょう。医療や教育や介護などは共同体内部で貨幣を媒介させずに交換される。そのような相互支援・相互扶助の共同体がポスト・グローバル資本主義の基本的な集団の形になる」と。
 最近のニュースで注目されるのは、2015年5月21日付東京新聞の「対ドイツ戦勝70年」特集の中で大きく報道された「消される粛正の歴史―スターリン復権」という記事である。スターリンはいわゆる「スターリン粛清」がネックとなって、ヒトラーと並ぶ独裁者扱いされていた。しかしロシアではソ連の崩壊後もずっとスターリンの評価は高く、社会主義への郷愁と相俟って根強い支持を得ていた。それが直近の世論調査によるとスターリン賛成が、反対を大きく上回ったという。プーチン大統領もとうとうスターリン支持の熱気に押され、「スターリンの功績」を認めざるを得なくなったという。昨年、慶応大学の横手慎二教授が「スターリンの見直し」を提起し話題となったが、ロシア国民はスターリン時代を懐かしみ、ソビエト社会主義の時代に存在した、あの人間味豊かなコミュニティー共同体への回帰をはっきりと意思表示したのである。これは現代資本主義の崩壊、資本主義の先はコミュニティー共同体から社会主義である、という現代の歴史時代を象徴した出来事である。やがてスターリンはマルクス主義復興運動のなかで正しく見直されるであろう。「スターリン否定」は歴史時代が許さない。歴史は法則通りに進んでいる。歴史は到達するところに到達するという科学法則の証明である。
 宇宙は永遠の過去から永遠の未来に向かって絶えず運動し、発展し、前進している。それと同じように、人類の歴史も必ず近い将来この問題をきっぱりと解決するであろう。その時代はもう近い。なぜなら人類の歴史は、原始共同体―奴隷制―封建制―資本主義―独占と帝国主義へと、前へ前へと進んできたからには、ここで止まっているわけはなく、つぎの新しい時代へ進む以外にない。それは、大衆的社会・人民の時代、高度に発達した近代的コミュニティーの時代である。


結 語

 ▼哲学・歴史科学の運動法則が現在求めているのは、最大限の利益追求第一主義・物質万能主義と拝金主義・自由競争という名の弱肉強食・非人間的格差社会、という現代資本主義を否定する。
 そして人民の人民による人民のための世界・共同生産・共同分配・協力・共同・連帯の人間社会・大自然と共に生きる豊かな人間生活の実現、である。
 ▼コミュニティー、人民による人民のための人民の世界。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。
 ▼金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。
 ▼人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。
 ▼そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。
 ▼人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。