2015年(平成27年)7月25日付 431号


それほどまでに政権を追い詰めているのは学者、知識人、文化人、市民、学生たちの安倍政権への批判と抗議が渦巻のように広がっていることにある。ここに現代の歴史時代がある。つまり、歴史は前へと進むのであって、けっして昔の時代へと後戻りはさせないのである。歴史を科学として認識せよ!

安倍政権は憲法に違反してまで、アメリカと手を組んで戦争のできる国にするため、日本の安全保障政策の大転換となる集団的自衛権の行使と関連法案を何としても今国会で成立させようと躍起になっている。このことに対して今、学者、知識人、文化人、市民、学生たちの安倍政権への批判と抗議が広がっている。
 安倍政権に大きな衝撃を与えた最初の一撃は、六月四日に開かれた衆議院憲法審査会で与党推薦を含む憲法学者三人の参考人全員が、安保法案は「憲法違反」であると断言したことであった。自民・公明は早稲田大学法学部・学術院教授の長谷部恭男氏、民主党は慶応大学名誉教授の小林節氏、維新の党は早稲田大学政治経済学術院教授の笹田栄司氏をそれぞれ推薦した。この三人はいずれも学界の重鎮で影響力も強い。安倍政権が自信をもって推薦したはずの憲法学者までが「違憲だ」と断言したのだから激しく動揺し、大慌てでその正当性をあの手この手で証明しようとするが、すべては裏目で、ついに菅官房長官は「学者は文章の解釈ばかり。学者の批判を聞いていたら政治はできない」と八つ当たり気味の学者批判を展開。これに対して法政大教授の山口二郎氏は、憲法学者が憲法の言葉にこだわるのは数学者が「1+1=2」という理論にこだわるのと同じで当然。安倍政権は学者の批判を政治家が封殺しようとしている。学問への政治支配だ。これがまかり通ったら学問の力はない、と批判をした。
 憲法学者もプライドをかけて立ち上がった。六月五日、国内の憲法学者百九十人以上が名を連ねて安保関連法案に反対する声明を発表。
 六月十日、日本弁護士連合会が26万人の署名を付けてこの法案の撤回を求めて抗議した。さらに、日本弁護士連合会は六月十八日に役員会を開き、52支部(約三万六千人)85人の役員が全会一致で安保関連法案に反対する意見書を採択した。
 六月十二日、安倍政権が集団的自衛権行使の正当性の根拠にしている「砂川事件」の最高裁判決に対して、裁判に関わった弁護団五人が会見を開き、安倍政権は間違っている「砂川事件の争点は駐留米軍が違憲かどうかで、最高裁判決には集団的自衛権行使の根拠はない」と抗議声明を出した。
 六月二十二日安保法案特別委員会の参考人質疑で憲法解釈の実務責任者を務めた元法制局長官らも次々とこの法案を批判し、「違憲」と表明した。
 「安全保障関連法案に反対する学者の会」(大学教授ら有志)は、賛同する学者がわずか一週間で五千人をこえたと十九日に発表、まだ増え続けているという。市民も学生も次々と動き出した。
 このような抗議や批判は政権が抑えようとすればするほど反発を招き、おさまるどころか広がる一方である。ついに六月二十三日付朝日新聞の世論調査によると内閣支持率は39%まで落ち込み、安保関連法案に「反対」は53%に。「合憲」とする安倍政権の主張を支持する人は17%だったという。
 圧巻は六月十八日国会前で開かれた安全保障関連法案に反対する集会に僧侶で作家の瀬戸内寂聴氏(93歳)が高齢でもあり、病気療養中にもかかわらず、急きょ死を覚悟の出席をして、「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえる。どうせ死ぬならここにきて、このままでは日本はだめになる、と訴えて死にたかった」とスピーチして参加者に感動と勇気を与えたことであった。
 寂聴氏の死を賭した登場は、歴史の偉大さである。歴史は前へ前へと進む。この歴史の科学法則が「ここがロドスだ、ここで跳べ!」(マルクス)と提起する。寂聴氏の出現は歴史時代の表れである。歴史は、さあ、どうする!と迫っている。
 このような学者、知識人、文化人、市民、学生たちの安倍政権の右翼民族主義に対する反乱は自民党内にも飛び火して異論続出。自民党内も対立、亀裂が始まった。批判や抗議の巨大な流れに危機感を抱いたその焦りから持ち出したのが、過去最長の国会延長で、衆議院での再可決に必要な「60日規定」も視野に入れた行動に出た。
 結局、今国会の異例な会期延長は安倍政権崩壊の始まりである。集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案の国会承認を強行するため、現憲法下では最長の95日間延長という暴挙は安倍内閣の苦悶の表現である。それほどまでに政権を追い詰めているのは学者、知識人、文化人、市民、学生たちの安倍政権への批判と抗議が渦巻のように広がっていることにある。ここに現代の歴史時代がある。つまり、歴史は前へと進むのであって、けっして昔の時代へと後戻りはさせないのである。歴史を科学として認識せよ、と強く訴えたい。


(一)安倍首相は右翼民族主義者である。それは岸信介から安倍晋三へと連なる右翼民族主義の思想である。その運命は日本軍国主義の敗北、民族主義の教典たるナチス・ドイツの運命をみればわかるとおりである。

 安倍首相の右翼民族主義は米議会演説で何度もたたえた60年安保闘争時代の日本の総理大臣であった祖父・岸信介の民族主義である。その証拠に孫の安倍は岸と同じことを言っている。曰く「満州事変は侵略ではない。戦勝国の一方的な偏見だ」。曰く「大東亜戦争は米国の経済封鎖で資源不足になり、追い詰められた日本の自衛戦争であった」。曰く「大東亜戦争をもって日本の侵略戦争と言うは許すべからざることである」と。これは安倍の本心であり、右翼民族主義がいつも言っていることである。
 ここに安倍の唱える右翼民族主義の本質がある。つまり民族主義の本性は戦争であり、帝国主義は戦争を通じて敗北するのである。専守防衛を放棄し、集団的自衛権に転じたこの度の「安保法制」や、憲法改正論などは岸信介から一貫して流れる右翼民族主義の思想である。故に安倍政権の運命は、祖父・岸信介が敗北した日本軍国主義の運命であり、安倍政権の敗北は必然である。
 その核心はなにか。
 第一に、歴代政権の憲法解釈を変える。憲法九条を破棄して、安倍政権が戦後初めて、自衛隊の海外での武力行使をやる、ということに踏み切った。戦争をやる。戦争に踏み切った、ということ。
 第二に、憲法第九条の武力を使わない、ということを破棄して、戦争に参加する。これを憲法解釈を変えて内閣の手で、いとも簡単にやる、ということ。歴代内閣がやりたくてもこれだけは手が付けられなかったこと、こんなことを安倍内閣はやる。憲法とは一体なんぞや。これは一種のファシズムである。ここに安倍内閣の右翼民族主義の姿勢がある。
 第三に、新聞各紙の社説から見て、集団的自衛権の行使を容認しているのは、産経、読売、日経の各紙で、反対しているのは、朝日、毎日、東京の各紙で、右派は朝日新聞に批判の目を向けているが、実は三対三でちょうど半々である。他の新聞や雑誌も大体同じようなもので、そこから見れば、日本の世論は半々に割れているということである。
 安倍政権が右翼民族主義の立場を鮮明にすればするほど、世論も、政界も、右翼もみんな分裂していく。これは日本だけでなく、世界共通である。歴史科学に反すれば、歴史の反映が、世論の形で表れてくるのだ。これを見ても、歴史がこのやり方を認めてはいない、ということである。歴史は前へ、前へと進むのに、それを逆戻りさせようとするから、歴史は怒るのである。だから世論が分かれる。安倍政権のこのようなやり方は絶対に成功しない。
 このことを歴史科学の法則として断定する。


(二)宇宙と万物を支配する運動法則は、一貫して前へ前へと進むものであって、それに逆行するものは歴史が否定する。ナチスや日本軍国主義の運命が証明しているとおりである。

 マルクスは一八五二年に、哲学文献として有名な論文『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』のなかで、社会主義の運命について次のように論じている。
 『一八世紀の諸革命のようなブルジョア革命は、成功から成功へとあわただしく突進し、劇的効果をたがいにきそいあい、人も物もけんらんたる光彩に包まれて見え、有頂天が日々の精神である。しかし、それは短命で、すぐに絶頂に達してしまう。こうして、社会は長い二日酔いにとりつかれてしまい、そうしてからはじめて、しらふで、疾風怒濤の時期の成果を消化することができる。ところが、一九世紀の諸革命のようなプロレタリア革命は、絶えず自分自身を批判し、進みながらもたえずたちどまり、すでになしとげられたと思えたものにたちもどっては、もう一度新しくやりなおし、自分がはじめにやった試みの中途半端な点、弱い点、けちくさい点を、情け容赦もなく、徹底的に嘲笑する。この革命が敵を投げたおしても、その敵は大地から新しい力を吸いとって、まえよりも巨大な姿となって起きあがり、革命にはむかってくる結果としかならないようにみえる。この革命は、自分の立てた目的が茫漠(ぼうばく)として巨大なことに驚いて、たえずくりかえし尻込みするが、ついに、絶対にあともどりできない情勢がつくりだされ、諸関係自身がこう叫ぶようになる。
 ここがロドスだ、ここで跳べ!
 ここにバラがある、ここで踊れ!』
 ここで付け加えておきたいことがある。それはマルクスの一文の最後にある「ここがロドスだ、ここで跳べ!」「ここにバラがある、ここで踊れ!」というこの一文の意味は何か、ということである。この言葉そのものは、古代ギリシャの文人であったイソップが著したといわれる寓話集にあり、ヨーロッパでは広く読まれた物語である。ある一人の男が、温暖でバラの花が咲く風光明媚なエーゲ海の島、ロドス島で遊び、オリンピックの選手に負けないほど跳んだ、島の人はみな知っている、と自慢した。それを聞いたまわりの人が、私たちがここで証人になるから、ここをロドスと思って跳んでみよ、と迫った。「さあどうするのか、さあどうだ」というわけである。
 マルクスがプロレタリア革命(人民のための社会と世界実現)についてその運命を論じた一文の最後に、この短い一文を付け加えたことの中に、マルクスの歴史を信じ、人民の未来を信じ、革命を信ずる固い信念をわれわれは感じ取らねばならない。
 一人の男が「さあどうする、さあどうだ」と迫られ、決断しなければならない。マルクスは歴史が人民に決断を迫るときは必ずある。巨大な歴史の転換期と人民のあり方を、回りくどい論文ではなく、こういう物語を運用するのは、マルクスやエンゲルスがよく採用する芸術的表現である。こうしてマルクスは、変革の歴史時代が到来したとき、歴史が人びとに「さあどうする、さあどうだ」と問い掛ける。歴史の要求に答えて大衆は立ち上がる。先に立つのは前衛分子、先進分子、そのあとで一般大衆は結集する。歴史は到達すべきところに必ず到達する。そのために発生する偶然性に備えて、先進的・前衛的集団は自己を準備せよ。マルクスはこういう思いを込めてこの一文を書いている。われわれはマルクスに答えて、歴史科学に応ずべき力を作り上げねばならない。
 「全宇宙と万物は、エネルギーの運動法則にもとづいて、永遠の過去から永遠の未来に向かって休みなく運動し、前進し、発展し、転換し、止揚されていく。歴史は前へ前へと進むものであって、けっして後戻りするものではない。そして前へ進むためにこそ古いもの、現在を乗り越えねばならない。改革、変革、転換である。そのために歴史は人間に改革、変革、転換への思想・意識・自覚を求める。さあどうするか、である。そして人間は必然の哲学法則として「存在(歴史)が意識(思想認識)を決していく」。思想・意識が人間の行動を律していく。このような思想・意識の転換は、まず前衛的人間、知識人、先進的頭脳の人たちに実現され、そのあとに多数の大衆が結集していく。こうして思想・意識は大衆のものとなり、歴史は必然の世界に向かって転換し、前進する。宇宙と人類の歴史をみよ。歴史(事実)が必然の世界を証明しているではないか」ということである。


(三)結 び

 われわれの未来展望とそのスローガン

 われわれはすべてを歴史科学的世界観に徹するよう呼びかける。われわれは一貫して次のような科学的世界観、歴史科学観を提起する。
 @ 人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。
 A 生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。
 B 物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。
 C 人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。
 D コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。
 E 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。
 F 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。
 G 人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。
 H そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。
 I 人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。
(おわり)