2015年(平成27年)11月25日付 435号


安倍内閣が引き起こした「2015年安保騒動」で日本に(世界的にも)民主主義と呼ぶものはなくなったことを証明した。歴史は真の民主主義を求めて転換していく!

前書

 安倍晋三首相が強い姿勢で推し進めた安全保障関連法は9月19日の参院本会議で与党の多数で可決・成立した。この問題の核心の第一は、多くの憲法学者、元最高裁長官、元内閣法制局長官などの学者、知識人、弁護士もみな「憲法違反だ」と断言しているにもかかわらず「憲法を解釈するのは政府の権限である」と宣言したことである。これはまさにナチスのヒトラーが実現した「全権委任法」と同じで、右翼民族主義が使うファシズム的手段なのであり、安倍政権はついにこの「禁じ手」を使うことを通じてすべての民主主義を否定してしまった、ということ。第二は、この問題を審議した9月17日の参院特別委員会は法律にもとづく規則を無視して、政府の要求に従って、勝手に議事録を委員長の承認という名目で作り、参院本会議に提出した。これは議会も政権自身が支配したという証明であり、ここにも民主主義の全面的否定の動かぬ証拠がある。
 ここでわれわれがもっと大きな視野から問題をみつめねばならないのは、こんな情勢は日本だけの問題ではなく、国際的な問題としてみつめ、考えねばならない、ということである。今や全世界が、資本主義社会の内部に、その「自由主義的民主主義」としての、いわゆる投票による議会主義というものが、完全に否定され、その機能は喪失し、権力の独裁化を覆い隠す塀の役割を果たしているに過ぎないことを知らねばならない。現代資本主義はその本質として、その自由主義的民主主義としての議会主義はどこにもない。

「アラブの春」はその後投票による選挙という愚民、衆愚政治の結果、以前よりもいっそう後退した混乱と混迷と迷走を生み、結局は再び独裁権力の出現となる。

 2013年7月3日、エジプトで軍事クーデターが発生、モルシ大統領と現職の政治指導者は全員逮捕・投獄・追放された。エジプトでは30年間のムバラク軍事政権の独裁が大衆デモで崩壊、2012年6月、エジプト史上初の投票による選挙でモルシ大統領が出現した。憲法にもとづいてあと3年も任期があるのに軍の力で追放されたのである。これが投票による議会主義の末路であり、議会主義的民主主義の本質がここにある。
 2010年12月、チュニジアから始まった「アラブの春」は、リビア、イエメン、バーレーン、そして中東の大国エジプトへと拡大、「アラブの春」といわれる大変革をもたらした、これらの国々は20年から40年間にわたる独裁権力を、大衆デモと大衆行動と大衆的圧力によって打倒し、いわゆる民主主義政治を実現させた。つまり選挙によって民主主義を成立させたのであった。だがその後の歴史的事実をみればわかるとおり「アラブの春」をうたったこの国々はみな、経済の低迷、失業と貧困、治安の悪化、政治の混迷、テロの拡大に苦しみ、大衆の不満はいたるところに満ちあふれた。そしてエジプトの軍事クーデターである。シリアは国家が崩壊し、内戦となり、米・ロが介入し、泥沼である。どこに選挙による民主主義の成果というものがあるのか。
 そして特筆しておかねばならないのは、現代ヨーロッパを大混乱と動揺に落し入れている難民問題である。内戦が続く中東、シリアなどからヨーロッパに殺到する難民・移民は今年すでに50万人となり、第二次世界大戦以来の最大の危機と呼ばれる事態となっている。それが欧州連合(EU)内の各種の矛盾と結びついてヨーロッパの危機を生み出している。
 平和と生活と身の安全を求め、祖国と故郷を捨て、流浪の民となって、当てもなく、これだけの多くの民がさ迷うような時代は今までなかった。ここに現代資本主義の政治的危機がある。もはや現代資本主義に人類を豊かにする能力はなくなった。ここにも歴史の転換期を見ることができる。すべては『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著・集英社刊)という経済上の土台が、このような政治的・社会的危機を生み出しているのである。
 現代の歴史時代とは何か。それは世界は無重力の時代であり、漂流する時代であり、大衆の怒りがいたるところに爆発している時代である。その根底にあるのは資本主義というこの政治・経済・社会制度が生み出す必然の産物としての抑圧と生活苦、失業と貧困、格差社会の拡大と前途への不安、である。この現象と原因については水野和夫氏の著作『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)が正しく解明しているとおりである。つまり歴史は人類社会の根本的転換期に到達しているのであり、人類社会は永遠に存在し続けるために、原始社会から奴隷制へ、そして封建制から資本主義へ、こうして次の時代たるコミュニティー共同体へと変わらなければならない時代に到達しているのである。歴史は変化を求めて爆発する。
 これは哲学・歴史科学の必然の法則である。この必然性が、人類社会最後の帝国主義国家たるアメリカ帝国主義の一極支配を終わらせた。その結果ついに世界は重力を失い、無政府状態となり、バラバラになり、必然的に、人間欲望の自由主義の国家形態たる民族主義が一斉に爆発したのである。
 今日、全世界に吹き上がる対立と抗争、内乱と暴動、国家間の紛争と非難合戦などはみな、すべては歴史と民族主義の爆発である。民族主義が形や姿を変えて、宗教対立となり、経済紛争となり、国境紛争となる。しかし歴史が証明しているとおり、民族主義に未来はない。歴史が封建制の遺物としての民族主義を拒否するのである。それは、民族主義の典型であったヒトラーと日本軍国主義の歴史が明確に証明しているとおりである。民族主義は戦争の源泉でもある。
 そういう哲学・歴史科学の運動法則が現代日本の右翼民族主義を否定しているのである。安倍政権による2015年安保騒動が立証した民主主義の全面否定は、歴史時代が民族主義を否定しているという時代産物の一環なのである。


民主主義とは何か。古代ギリシャ文明が生み出したその原理は「人民の主権」「人民の意思」「人民の政治」であり「人民の人民による人民のための政治」(リンカーン)のことである!

 民主主義・デモクラシーという語は本来ギリシャ語の「人民」と「権力」という二つの言葉を一つにしたものであって、その原理は人民の主権、人民の意思、人民の政治のことであり、リンカーンはこの原理のもとに奴隷解放を宣言した。そのギリシャは人類最初の文化、古代ギリシャ文明の発祥の地である。ギリシャは先史遊牧民が北方から南下、この地に定着、その地形と地勢、その時代が生み出した商品経済活動の基地として栄えた。その財力によって自由都市がアテネ、スパルタなどの都市にコミュニティーが生まれ、紀元前600年には国家が発展していった。紀元前800年には歴史上はじめてギリシャ文字のアルファベットも完成した。
 こうした歴史時代が、その国家をどうして運営するかが問題となり、ギリシャに発展した古代哲学者たちによって「民主主義」という理念が生まれた。
 だがこの理念は商品経済の発達に合わせ国家の形態と機能と共に変化をもたらしていった。その結果が自由主義的商品経済にふさわしい「自由主義的民主主義」としての投票による選挙制となった。
 この問題に関してはマルクスが哲学科学的理論を提起している。


マルクス「経済学批判・序論」(1859年)

 この文献でマルクスはつぎの三項目を主張している。ここにマルクスの「哲学世界観」がある。
 (一)人類の世界は一貫して、生産力の発展が生産関係を規定していく。これは哲学歴史科学の必然的法則である。このような生産関係(国家と社会、政治対立と政治闘争)が思想・政治・イデオロギーを生み出していく。存在が意識を生み出す。
 (二)生産力の発展は必然であり、無限である。そして生産関係の発展と変革も必然であり、無限である。人類の歴史は(原始時代を除けば)古代―中世―近世―現代を通じて、政治対立と政治闘争の歴史であった。この政治対立と政治闘争が歴史転換の原動力となり、戦争を通じて歴史は転換した。
 (三)生産力の発展にもとづく生産関係の変革の到達点はコミュニティー共同体から社会主義への道である。この時点をもって人類の前史は終わり、以後人類は総力をあげて大宇宙の開発と開拓に取り組む。
 以上のマルクスの哲学世界観の正しさは、すでに明らかにした通り、古代ギリシャ文明と、国家の成立はすべて生産力の発展にもとづく、商品経済の成長と、財産の蓄積が土台になっており、この法則は人類の歴史を貫いているという事実によって証明されているとおりである。
 この法則は、真の民主主義の発展と前進と勝利は、人類の歴史上における三大革命―パリ・コミューン(1871年)、フランス大革命(1789年)、ロシア革命(1917年)―を通じて進化し、完成された。パリ・コミューンは真の民主主義はコミューン(共同体)国家と社会の中でのみ実現されることを教えた。
 フランス大革命では「世界人権宣言」が発せられ、万民は平等社会でのみ人民の権利は保障される、とした。
 ロシア革命では真の民主主義、人民の権利と主権は人民評議会によってのみ実現される、とした。
 真の民主主義は直接民主主義であり、それは、各界、各層、各分野毎に組織された人民大衆の自治組織、評議会で意思決定され、確認された権利を主張し、実現するための闘い、行動し、実現する人民の権力である。いたるところに評議会を組織せよ!
 あらゆる問題の根本は国家と権力の問題であり、すべては政治闘争である。政治運動と政治問題、あらゆる社会問題と諸現象の根本は、結局は国家の問題に行き当たる。つまり、国家の性質、性格。それを誰が支配し、何のために行使しているのか、というこの本質が一切を決定する。すべての運動と闘いは、結局は権力をめぐる争奪戦なのである。
 資本主義の最高の段階、独占資本主義国家の政治上の権力は独占資本(財界)とその政党(保守政党)と官僚組織(官僚支配)の三結合、つまり政・官・財の癒着した支配体制である。彼らの権力支配の目的は一貫して、尽きることなきその本能的欲望たる最大限の利潤(最高の利益)追求が第一であり、生産至上主義、物質万能主義、拝金主義である。そのための手段が、人間欲望の自由放任であり、自由競争という名の市場原理主義であり、それはまさに弱肉強食の世界であり、生殺与奪の世界であり、貧富の格差拡大の世界である。そこから人間性そう失、人格否定、あらゆる種類の犯罪社会の出現である。戦争と内乱、暴力とテロ、汚職と買収、腐敗と堕落もすべてはこのような国家と社会と権力が生み出す必然の産物である。すべての根源は実に国家と権力の問題なのである。
 もう一度、われわれは歴史科学について結論付けたい。
 人類の歴史は原始時代―奴隷制時代―封建制時代―資本主義時代へ、そして現代独占資本と帝国主義の時代に登りつめた。資本主義の頂点に達した現代、らん熟し、腐敗し、堕落してしまった現代、その権力はもはや統治能力を失ってしまった。もはや老いてしまったのである。


『変わらないために変わり続ける』(自然科学者・福岡伸一著、文藝春秋社刊)という自然科学の運動法則は人類世界にも貫徹されていることを知らねばならない。万物は一貫して変わり続けつつ、永遠なのである!

 福岡伸一氏(青山学院大学教授・生物学者)は右の著作とあわせて『生命はいつ、どこで、どのように生まれたのか』(集英社インターナショナル刊)や、2014年8月17日付日本経済新聞「芸術と科学のあいだ」という一文などで人類世界の運動法則について、自然科学の法則を説き続けている。それはビッグバンによって生まれたこの大宇宙は内在するエネルギーの運動によって永遠に動き続く。この運動こそが万物の母であり、あらゆる存在は運動の産物である。運動なくして存在はなく、存在とは運動である、と説く。
 その運動するあらゆるものは、互いに関連しつつ、結びつき対立し、一つになり、そして遠心力と求心力が働き、互いに連続し、絡み合いながら、すべて継続されていく。運動と連続、らせん的な継続、そして成長と交代、死滅と生成、すべては変わらないために変わり続けるのである、という。
 この宇宙は永遠に運動するため古い宇宙は死滅し、新しい宇宙が生まれる。すべての星は古いものは死滅し、新しい星が生まれる。植物も、動物も、人間も、古く老いたるものは死滅し、新しいものに変わる。永遠であるために変わらねばならない。福岡伸一教授はこの運動を「リスペクト」と呼ぶ。まさにリスペクト、何という気高くも尊厳的であることか。この大自然の法則がわかるか、わからないか、ここに、知性主義か、反知性主義かの分かれ道がある。


万物を支配するその運動法則を規定づけたマルクスの哲学歴史観「経済学批判・序論」と生物学者・福岡伸一氏の「変わらないために変わり続ける」という自然科学の法則、この「哲学歴史科学」の法則が如何に正しいかは人類の歴史を知ればはっきりする。つぎが人類の歴史が証明しているその法則である!

 (1)生産力がなく、したがって生産活動もなかった人類最初の社会は、すべてが大自然を相手にした共同採集経済であり、それを土台にした共同体・コミュニティー社会、社会的人間道徳の世界であった!

 人間は人間としてはじめて存在したそのとき、目の前にある、自然的条件が提供した生活(経済的条件)に遭遇するのである。
 「あらゆる人間的な存在の、したがってまたあらゆる歴史の第一の前提、すなわち人間たちは歴史を作り出すために生きることができなければならないという前提を確認することからはじめなければならない。ところで、生きるためには何をさておき、食、飲、住、衣、その他のことがなくてはならない。したがって最初の歴史的行為はこれらの必要な充足のための諸手段の産出、物質的生活そのものの産出であり、しかもこれは、今日もなお何千年前と同じように、人間たちをただ生かせておくだけのために、日々刻々、果たさねばならない一つの歴史的行為であり、あらゆる歴史の根本的条件である」と。つまり人間はまず食わねば生きていけないのだから、経済学とは如何にして食うのか、ということから出発しなければならない、という。
 この「生産力」の度合い(発展段階)が、その時代の歴史的段階(生産関係、国家と社会制度)を性格づける、ということなのである。

(2)生産力の成長と発展による生産活動の飛躍は余剰生産物(備蓄)を生み、財産となる。そこに個人的欲望にもとづく財産をめぐる争い、対立と抗争、戦争と内乱が発生、権力機関としての国家が成立。生産力の発展が生産関係を変化させる第一歩がはじまった!

 宇宙と全世界は常に運動している。人類の世界もまた常に運動し、前進する。人口は増大し、知能も発達する。そして経済活動の分野では土地の開拓、灌漑施設の創設、穀物の耕作、農耕栽培、動物の育成が進んでいく。そして、そのために必要な用具類の開発、改良、発明と発見が進み、生産手段は石器、木材から青銅と金属器具の時代へと移行する。つまり、人間の労働力(知能とエネルギー)と、生産手段(道具、機械、土地改良、灌漑という交通)が発達した。生産力の向上である。その結果、生産物は増大し、備蓄は増え、これが余剰生産物となり、財産となる。もちろんこれはコミュニティのものであり、共同体社会のものであった。しかし人間の本能(動物的本能)にもとづく個人的欲望の強い人間とその集団による力(知能、才覚、実力)によってこの財産は占有・私物化されてしまった。大自然が作り出した社会のものである土地や山までも占有・私物化されてしまった。原始共同体社会を支配していた協力と共同と社会的人間道徳は消滅し、かわりに出現したのは動物的本能と個人的欲望むき出しの「人間道徳論」の世界である。この欲望の世界が、この制度と社会が富と財産の争奪の手段としての戦争と内乱、犯罪をひきおこしていったのである。富と財産を支配し、維持するための手段と制度としての権力、国家、社会制度を生み出していった。その最初の国家が古代奴隷制国家である。

(3)原始共同体から奴隷制へ、そしてつぎの封建制へと歴史は転換していく。それを促したのは生産手段の発達(機械と用具の木製から金属製へ、単純なものから複雑なものへ、改良、改革、発明、発見)にもとづく生産力の向上であった。このことがそれまでの奴隷労働(奴隷制)ではなく農奴(封建制)を求めていった。奴隷制国家から封建制国家への転換は歴史の必然であった!

 奴隷制時代の中・後半に至ると、人口の増大、土地開発の進行、農地の拡大、山林開発と生産拡大の条件は進化し、発展していく。そして生産力を高めたものこそ、道具、機械の改良、改革、発明、発見であった。木製から金属製へ、単純なものから複雑なものへと進んでいく。
 それにあわせて大規模な開発、改良、水路と灌漑施設の整備、天候に応じた作業の工夫、など、生産力の発展は必然的に生産関係(人間関係、国家と社会構造)の変化を求めていった。
 つまり、奴隷制は不都合になったのである。奴隷労働は非人間的であり、牛や馬のように、労働するだけの食物(や衣服)が支給されるだけで、もちろん家族も持てない。これでは労働意欲も湧くはずがない。これでは道具、機械の使い方、天候に応じた創意工夫も生まれない。こうして労働能力の向上のためには奴隷制ではなく、農奴制を必要としたのである。
 西紀三九五年にローマは東西に分裂、四七六年に西ローマ帝国は滅亡、五二七年には東ローマ帝国も終わった。以後ヨーロッパ各地に多くの封建王国が成立する。中国では西紀九七九年に宗が全国を統一、日本では一一九二年に鎌倉幕府が成立、奴隷制から封建制へ世界は支配されていった。ここに生産力の発展が生産関係を変化させ、発展させるという歴史科学の法則があり、ここに歴史科学としての経済学がある。

(4)生産用具(生産手段)のいっそうの発展は、手工業的家内工業から、大規模な工場制工業となる。その結果製品は大量となり、交換経済は商品流通を生み、すべては商品となる。そこから貨幣が登場し、貨幣の所有者(ブルジョアジー)が社会の主人公となる。同時に経済活動は自由な商品としての労働力(労働者)を求め、農奴解放(奴隷解放)を求める。近代自由主義、資本主義の到来である!

 生産手段(道具、機械、土地、交通手段)の改良、改革、発明、発見は生産物の爆発的増大となり、それは必然的に商品となり、商品交換と販売と販路を求め、そのための流通手段としての貨幣を生み出し、商品経済、貨幣経済を生み出していった。このような生産力の発展が、生産関係としての社会制度と国家形態の変更を求めていく。つまり、封建的な国境、関所、鑑札、身分制、土地に縛り付けられた農奴の解放を求めて動く。とくに商品経済は自由を求める。経済的自由、自由な商品としての労働力を求める。機械や道具を自由に使いこなすための労働力は自由に移動できる人間でないと、広く人材を求めることは不可能である。自由こそが商品経済と貨幣経済と工場制大量生産のためには絶対不可欠な社会制度なのである。自由を求めて歴史は動く。
 十四世紀からヨーロッパに激発した文芸復興運動(ルネッサンス)、一七八九年のフランス大革命と人権宣言の成立などはみな自由主義的ブルジョア革命の雄叫びであった。そして歴史は一六四一年のイギリスにおけるピューリタン革命、ロシアにおける一八六一年の農奴解放令の発布、アメリカの南北戦争と奴隷解放(一八六一年)、日本の明治維新(一八六八年)、中国の辛亥革命(一九一二年)を通じて、世界は封建制から脱却して近代資本主義へと転換していった。すべては生産力の発展が生産関係を変更していったのであり、これが科学的歴史観、科学的経済学の法則の正しさを証明する歴史科学である。

(5)自由主義から出発した近代資本主義、人間欲望の自由放任主義、その自由主義経済はもはやその頂点に達した。独占と帝国主義の時代は登り詰め、らん熟し、腐敗し、能力を失い、次の時代に移行せざるを得ない人類前史の最後の段階である。人類は大衆社会、人民の世界、近代的コミュニティへの転換を求めて激動しているという、現代の時代認識を知ろう!

 一七七〇年代から開始されたイギリスにおける産業革命によって近代資本主義は飛躍的に発展し、新たな時代、独占資本主義と帝国主義の時代に移行した。帝国主義とは、独占資本主義であり、同時に、最大限の利潤を求め、市場原理主義となって世界市場の独占のための、他民族と他国制覇をめざす侵略戦争である。独占資本と帝国主義とは、まさに戦争と暴力、略奪と虐殺、支配と収奪のための殺人マシンである。それは第一次世界大戦(一九一四―一八年)では死傷者三千万人、第二次世界大戦(一九三九―四五年)では民間人を含めた死傷者八千五百万人、そして第二次世界大戦以後の世界の戦争と内乱、テロと暴力による犠牲者はこの三十年間だけで二千万人を超えている。まさに独占資本と帝国主義、現代資本主義は一億五千万人を殺した大量殺人兵器であり、暴力機関であり、歴史はここから脱出しなければならない。そのために世界は激動している。
 現代世界に出現している戦争と内乱、暴力とテロ、民族紛争と国境対立、宗教と人種的暴動、あらゆる形の犯罪と殺人、腐敗と堕落はすべて、独占資本と帝国主義の経済法則が生み出したものであり、まさに哲学原理たる「存在(独占と帝国主義)が意識(社会現象)」を生み出す必然性なのである。
 「走れメロス」(太宰治の小作品)のように、欲望に憑かれた独占と帝国主義は、ただ、ひたすら、走りつづけてきた。そして最後の頂上に登り詰めた。もうその先はない。つまり、支配し、収奪し、略奪してしまったそこには、自分の意志とは無関係の世界、大衆的貧困と反乱と暴動と戦争と内乱、あらゆる形の犯罪と混乱と動揺の世界を出現させてしまった。最大限の利潤を求める無限の市場もなくなってしまった。
 独占資本主義と帝国主義とは、近代資本主義の最高度に発展した最後の段階である。もう老い朽ちてその先はない。その先に出現するものは、人類史の新たな時代、階級対立と階級闘争を終結させた新しいコミュニティの歴史時代である。こうして人類はつぎの新たな闘い、宇宙開発という新時代への移行である。経済学の新たな使命はこの闘い、大宇宙の開発に関する追求でなければならない。


結 び

われわれの未来展望とそのスローガン

 われわれはすべてを哲学・歴史科学的世界観に徹するよう呼びかける。われわれは一貫して次のような科学的世界観、歴史科学観を提起する。
 @ 人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。
 A 生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。
 B 物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。
 C 人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。
 D コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。
 E 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。
 F 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。
 G 人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。
 H そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。
 I 人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の民主主義にもとづく人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。