2016年(平成28年) 1月25日付 437号


「不幸の根源は経済成長と民主主義である」(佐伯啓思)ことを哲学・科学歴史観からしっかりと認識しよう!

                         日本人民戦線運動
                                議長 平岡恵子

 
 新しい年を迎え、人民戦線運動の幹部と活動家の皆さん、人民戦線と共に闘う先進的な皆さん、そしてすべての方々に連帯のごあいさつを申し上げます。
 去る二〇一五年はすべてがわが人民戦線の歴史時代認識の正しさを証明した一年でした。
 つまりアメリカ帝国主義の一極支配が消滅し、世界は無重力時代となり、民族主義と無差別テロとなり、こうして資本主義は消滅し、歴史はつぎの時代たるコミュニティ共同体を求める歴史時代となった、ということであります。
 この歴史時代を明確に示した新しい出版物が最近出ました。
 それが、新潮新書・佐伯啓思(さえきけいし)著『さらば、資本主義・不幸の根源は経済成長と民主主義である』という本です。
 東大を卒業し、京大に移り、現在名誉教授として活躍している氏は徹底的に資本主義を批判してつぎのように論じています。
 〔2015年で戦後70年がたちました。…終戦から70年…戦後日本とは、平和や民主主義を掲げて、もっぱら経済的な豊かさを追求し、世界のなかで「名誉ある地位を占める」ことを目指してきた、ということになるでしょう。…しかし、その後となると、日本の経済は低迷し、1995年あたりから日本経済はデフレにあえぐようになります。…確かに表面上、戦後日本は、それなりの安定と繁栄を実現したといってよいでしょう。しかし、それも、ここへきていささか怪しくなってきました。戦後の日本は、それなりの平和も、民主主義も、経済的豊かさも実現した、といってもさしつかえありません。しかし、その結果はどうでしょうか。もはやますます不安定化した世界のなかで、おまけに近隣国からの脅威にさらされているにもかかわらず、日本はいささか硬直化した一国平和主義から抜け出すことができません。民主政治は、世論という不可視の魔物に翻弄され、そして、戦後日本の最大の誇りであった経済成長は、もう10年以上ほぼゼロという状態なのです。…もちろん、これは、日本だけのことではなく、アメリカを中心とする自由主義経済全体にいえることです。戦争が終わってから、どの国もすべて経済成長をめざしてきた。しかし、そのなかでも、戦争によって資本を大きく破壊された日本は、文字通りゼロからの再建にまい進したわけです。…人口減少や高齢化社会に突入した日本は、もはや、経済成長を第1義の価値にする時代ではないのです。では、何をわれわれはつぎの国家的な目標にするのか。それはまだ見えないのです。にもかかわらず、今日、成長戦略が政策の柱になり、相変わらず経済成長をめざしているのです。これも日本だけではありません。先進国も新興国もともかくもお金をバラまいて成長をめざしているのです。ともかくも「資本」を世界中の金融市場に集めて経済成長に結びつけようとしています。しかし、これが日本の採る方向だとは思えません。では日本はどうすればよいのか。この問題に容易に答えることは出来ませんし、しかも明瞭な答えはありません。にもかかわらず、過剰な市場競争が正義であるかに誤認されているために、我々の社会はますます窮屈になり、政治はさらに不安定化してゆきます。確かなことは、まずは「資本」を金融市場にバラまいて成長をめざすという「資本主義」はもう限界なのです。本書を「さらば、資本主義」と名づけた理由もそこにあります〕と。
 佐伯教授がこのように論断するに至ったのはつぎのような内外情勢があったからであります。
 2015年12月7日付『日本経済新聞』紙上で、芹川洋一論説委員長はつぎのように書いています。
 〔世界はどこへ向かっているのだろうか。秩序がくずれ混迷してしまうのか、それとも新たな秩序づくりに動いていくのか。
 パリ同時テロの惨状、過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆、欧州に押し寄せているシリア難民、ロシアのウクライナ侵攻、波立つ南シナ海…。めまぐるしく動く情勢を見るにつけ、考え込んでしまう。
 戦後70年、1989年の冷戦終結から四半世紀。世界が新たな局面に入ってきているのはまちがいない。時代は転回している〕と。
 『中央公論』2016年1月号は「崖っぷちのアベノミクス」という特集を組み、つぎのように論じています。
 「景気回復が足踏みしている。GDPは2四半期連続のマイナス成長。…賃金と設備投資は伸び悩み、消費もさえない。具体策に乏しい新・三本の矢≠ヘ、矢ではなく的だ、と批判されており、政治介入の色合いを強める官民対話は政府の焦りの表れにも見える」と。
 こういう内外の情勢が佐伯教授の出版物を生み出したのであります。


『さらば、資本主義』を生み出している現代の世界とは何か。現代の歴史時代とは何か!

 現代の歴史時代とは何か。それは世界は無重力の時代であり、漂流する時代であり、大衆の怒りがいたるところに爆発している時代です。その根底にあるのは資本主義というこの政治・経済・社会制度が生み出す必然の産物としての抑圧と生活苦、失業と貧困、格差社会の拡大と前途への不安、であります。この現象と原因については水野和夫氏の著作『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)が正しく解明しているとおりです。つまり歴史は人類社会の根本的転換期に到達しているのであり、人類社会は永遠に存在し続けるために、原始社会から奴隷制へ、そして封建制から資本主義へ、こうして次の時代たるコミュニティー共同体へと変わらなければならない時代に到達しているのであります。歴史は変化を求めて爆発するのです。
 これは哲学・歴史科学の必然の法則であります。この必然性が、人類社会最後の帝国主義国家たるアメリカ帝国主義の一極支配を終わらせました。その結果ついに世界は重力を失い、無政府状態となり、バラバラになり、必然的に、人間欲望の自由主義の国家形態たる民族主義と無差別テロが爆発しているのであります。
 今日、全世界に吹き上がる対立と抗争、内乱と暴動、国家間の紛争と非難合戦などはみな、すべては歴史と民族主義の爆発であります。民族主義が形や姿を変えて、宗教対立となり、経済紛争となり、国境紛争となるのです。しかし歴史が証明しているとおり、民族主義に未来はありません。歴史が封建制の遺物としての民族主義を拒否するのです。それは、民族主義の典型であったヒトラーと日本軍国主義の歴史が明確に証明しているとおりです。民族主義は戦争の源泉でもあるのです。
そして特筆しておかねばならないのは、現代ヨーロッパを大混乱と動揺に落し入れている難民問題です。内戦が続く中東、シリアなどからヨーロッパに殺到する難民・移民は今年すでに200万人となり、第二次世界大戦以来の最大の危機と呼ばれる事態となっています。それが欧州連合(EU)内の各種の矛盾と結びついてヨーロッパの危機を生み出しているのです。
 平和と生活と身の安全を求め、祖国と故郷を捨て、流浪の民となって、当てもなく、これだけの多くの民がさ迷うような時代は今までありませんでした。ここに現代資本主義の政治的危機があります。もはや現代資本主義に人類を豊かにする能力はなくなったのです。ここにも歴史の転換期を見ることができます。すべては『資本主義の終焉と歴史の危機』という経済上の土台が、このような政治的・社会的危機を生み出しているのであります。


フランス・パリにおける同時多発テロは、アメリカにおける同時多発テロ(9・11事件)の再現であり、歴史は繰り返す!

フランス・パリ中心部の劇場やレストラン、スタジアムなど少なくとも6カ所で、11月13日午後9時(日本時間14日午前5時)すぎ、乱射や爆発などが相次ぎ、130人が死亡しました。オランド仏大統領は第二次世界大戦以来初めての非常事態を宣言。14日の国民向けテレビ演説で、一連のテロはイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」の軍事部門が実行した、と述べました。そして、フランスは戦争をしている。(13日の)金曜夜にパリで起きたことは、戦争行為だ。金曜日の戦争行為は、シリアで計画と決定がなされ、ベルギーで組織され、フランス人の手助けで行われた。われわれは「イスラム国」と向き合っている、と語りました。
 しかしこれはアメリカにおける「9・11事件」の再現であります。

 アメリカの「9・11事件」とは何か。
 2001年9月11日、アメリカの中心都市ニューヨークの中核地区にある110階の世界貿易センタービルと、アメリカ国防総省ビルに、イスラム過激派のテロ組織、アルカイダ(欧州イスラム原理主義)によるハイジャック事件が発生。ビルは崩壊、国防総省も大きな被害を受け、合計6000人が死亡しました。
 ブッシュ大統領は「テロとの戦争がはじまった」と宣言。テロの根拠地はイラクとアフガニスタンにある、と声明。有志連合を組織し、2003年3月からイラク戦争とアフガン戦争を開始しました。しかし、その結果は、泥沼におちいり、アメリカは敗北、これを機会に世界の警察官としての地位を失ったのです。こうして世界は無重力時代に入りました。
 帝国主義は帝国主義戦争を通じて崩壊するという歴史の法則は証明され、資本主義崩壊の時代に入ったのであります。
 パリのテロ事件はこの「9・11事件」の再現であり、資本主義崩壊の波はいっそう深またのです。
 一七七〇年代から開始されたイギリスにおける産業革命によって近代資本主義は飛躍的に発展し、新たな時代、独占資本主義と帝国主義の時代に移行しました。帝国主義とは、独占資本主義であり、同時に、最大限の利潤を求め、市場原理主義となって世界市場の独占のための、他民族と他国制覇をめざす侵略戦争であります。独占資本と帝国主義とは、まさに戦争と暴力、略奪と虐殺、支配と収奪のための殺人マシンです。それは第一次世界大戦(一九一四―一八年)では死傷者三千万人、第二次世界大戦(一九三九―四五年)では民間人を含めた死傷者八千五百万人、そして第二次世界大戦以後の世界の戦争と内乱、テロと暴力による犠牲者はこの三十年間だけで二千万人を超えているのです。
 現代世界に出現している戦争と内乱、暴力とテロ、民族紛争と国境対立、宗教と人種的暴動、あらゆる形の犯罪と殺人、腐敗と堕落はすべて、独占資本と帝国主義の経済法則が生み出したものであり、まさに哲学原理たる「存在(独占と帝国主義)が意識(社会現象)」を生み出す必然性なのであります。
 「走れメロス」(太宰治の小作品)のように、欲望に憑かれた独占と帝国主義は、ただ、ひたすら、走りつづけてきました。そして最後の頂上に登り詰めた。もうその先はありません。つまり、支配し、収奪し、略奪してしまったそこには、自分の意志とは無関係の世界、大衆的貧困と反乱と暴動と戦争と内乱、あらゆる形の犯罪と混乱と動揺の世界を出現させてしまったのです。最大限の利潤を求める無限の市場もなくなってしまいました。
 独占資本主義と帝国主義とは、近代資本主義の最高度に発展した最後の段階です。もう老い朽ちてその先はありません。その先に出現するものは、人類史の新たな時代、階級対立と階級闘争を終結させた新しいコミュニティの歴史時代であります。


すべての現象はその時代、歴史時代が生み出す必然の産物である。万物は必然の法則(哲学・科学的法則)の支配下にある。
―すべてを哲学・科学的世界観から見つめよ!―

 哲学的世界観を定式化したマルクス「経済学批判・序論」(1859年)

 この文献でマルクスはつぎの三項目を主張しています。ここにマルクスの「哲学世界観」があります。
 (一)人類の世界は一貫して、生産力の発展が生産関係を規定していく。これは哲学歴史科学の必然的法則である。このような生産関係(国家と社会、政治対立と政治闘争)が思想・政治・イデオロギーを生み出していく。存在が意識を生み出す。
 (二)生産力の発展は必然であり、無限である。そして生産関係の発展と変革も必然であり、無限である。人類の歴史は(原始時代を除けば)古代―中世―近世―現代を通じて、政治対立と政治闘争の歴史であった。この政治対立と政治闘争が歴史転換の原動力となり、戦争を通じて歴史は転換した。
 (三)生産力の発展にもとづく生産関係の変革の到達点はコミュニティー共同体から社会主義への道である。この時点をもって人類の前史は終わり、以後人類は総力をあげて大宇宙の開発と開拓に取り組む。
 以上のマルクスの哲学世界観の正しさは、すでに明らかにした通り、古代ギリシャ文明と、国家の成立はすべて生産力の発展にもとづく、商品経済の成長と、財産の蓄積が土台になっており、この法則は人類の歴史を貫いているという事実によって証明されているとおりであります。
 この法則は、真の民主主義の発展と前進と勝利は、人類の歴史上における三大革命―パリ・コミューン(1871年)、フランス大革命(1789年)、ロシア革命(1917年)―を通じて進化し、完成されました。パリ・コミューンは真の民主主義はコミューン(共同体)国家と社会の中でのみ実現されることを教えました。
 フランス大革命では「世界人権宣言」が発せられ、万民は平等社会でのみ人民の権利は保障される、としました。
 ロシア革命では真の民主主義、人民の権利と主権は人民評議会という直接民主主義によってのみ実現される、としました。
 人類の歴史は原始時代―奴隷制時代―封建制時代―資本主義時代へ、そして現代独占資本と帝国主義の時代に登りつめました。資本主義の頂点に達した現代、らん熟し、腐敗し、堕落してしまった現代、その権力はもはや統治能力を失ってしまいました。もはや老いてしまったのです。だから『さらば、資本主義』(佐伯啓思)という結論が出てきたのであります。


『変わらないために変わり続ける』(自然科学者・福岡伸一著、文藝春秋社刊)という自然科学の運動法則は人類世界にも貫徹されていることを知らねばならない。万物は一貫して変わり続けつつ、永遠なのである!

 福岡伸一氏(青山学院大学教授・生物学者)は右の著作とあわせて『生命はいつ、どこで、どのように生まれたのか』(集英社インターナショナル刊)や、2014年8月17日付日本経済新聞「芸術と科学のあいだ」という一文などで人類世界の運動法則について、自然科学の法則を説き続けています。それはビッグバンによって生まれたこの大宇宙は内在するエネルギーの運動によって永遠に動き続く。この運動こそが万物の母であり、あらゆる存在は運動の産物である。運動なくして存在はなく、存在とは運動である、と説いています。
 その運動するあらゆるものは、互いに関連しつつ、結びつき対立し、一つになり、そして遠心力と求心力が働き、互いに連続し、絡み合いながら、すべて継続されていく。運動と連続、らせん的な継続、そして成長と交代、死滅と生成、すべては変わらないために変わり続けるのである、というのです。
 この宇宙は永遠に運動するため古い宇宙は死滅し、新しい宇宙が生まれる。すべての星は古いものは死滅し、新しい星が生まれる。植物も、動物も、人間も、古く老いたるものは死滅し、新しいものに変わる。永遠であるために変わらねばならない。福岡伸一教授はこの運動を「リスペクト」と呼ぶ。まさにリスペクト、何という気高くも尊厳的であることか。この大自然の法則がわかるか、わからないか、ここに、知性主義か、反知性主義かの分かれ道があるのです。


 万物を支配するその運動法則を規定づけたマルクスの哲学歴史観「経済学批判・序論」と生物学者・福岡伸一氏の「変わらないために変わり続ける」という自然科学の法則、この「哲学歴史科学」の法則が如何に正しいかは人類の歴史を知ればはっきりする。つぎが人類の歴史が証明しているその法則である!

(1)生産力がなく、したがって生産活動もなかった人類最初の社会は、すべてが大自然を相手にした共同採集経済であり、それを土台にした共同体・コミュニティー社会、社会的人間道徳の世界であった!
(2)生産力の成長と発展による生産活動の飛躍は余剰生産物(備蓄)を生み、財産となる。そこに個人的欲望にもとづく財産をめぐる争い、対立と抗争、戦争と内乱が発生、権力機関としての国家が成立。生産力の発展が生産関係を変化させる第一歩がはじまった!
(3)原始共同体から奴隷制へ、そしてつぎの封建制へと歴史は転換していく。それを促したのは生産手段の発達(機械と用具の木製から金属製へ、単純なものから複雑なものへ、改良、改革、発明、発見)にもとづく生産力の向上であった。このことがそれまでの奴隷労働(奴隷制)ではなく農奴(封建制)を求めていった。奴隷制国家から封建制国家への転換は歴史の必然であった!
(4)生産用具(生産手段)のいっそうの発展は、手工業的家内工業から、大規模な工場制工業となる。その結果製品は大量となり、交換経済は商品流通を生み、すべては商品経済となり、資本主義制度となった。
(5)自由主義から出発した近代資本主義、人間欲望の自由放任主義、その自由主義経済はもはやその頂点に達した。独占と帝国主義の時代は登り詰め、らん熟し、腐敗し、能力を失い、次の時代に移行せざるを得ない人類前史の最後の段階である。人類は大衆社会、人民の世界、近代的コミュニティへの転換を求めて激動していくという、現代の時代認識を知ろう!


 結 び
われわれの未来展望とそのスローガン

われわれはすべてを哲学・歴史科学的世界観に徹するよう呼びかけます。われわれは一貫して次のような科学的世界観、歴史科学観を提起します。
 @ 人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。
 A 生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。
 B 物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。
 C 人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。
 D コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。
 E 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。
 F 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。
 G 人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。
 H そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。
 I 人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の民主主義にもとづく人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。