2017年(平成29年) 2月25日付 450号


ドナルド・トランプ氏(70歳)という人物の出現は(そういう異端者を大統領にしたということは)歴史時代の法則が作用したという必然性であったが、同時にその人物が、ドナルド・トランプだったことは偶然であった。こうして歴史は偶然を通じて、必然に到達していく。ここに哲学・科学的法則があることを知らねばならない!

全世界が注目し、世界中のジャーナリストが、喧喧諤諤(けんけんがくがく)と論じ合ったアメリカの大統領選挙をめぐる「トランプ旋風」は1月20日にすべてが解決した。そして世界は騒然となった。
 ここで重要なことはこういう問題を論ずるとき、問題をニュース的に、ニュース解説的に論ずるのではなく、あくまで歴史時代の産物として、つまり哲学・科学的に解明しなければならない、ということである。この哲学・科学的歴史観を理論的に解明したのが、マルクスであった。
 マルクスはその著作『経済学批判・序論』(1859年)でつぎのように論じている。
 「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係(国家と社会のあり方)にはいる。
 これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえ立ち、そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する。
 物質的生産の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。
 社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激にくつがえる。
 大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成のあいつぐ諸時期として表示されうる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる」と。


マルクスの理論と思想の正しさを証明した「トランプ旋風」の模様(新聞報道)は次のとおりであった。

 2017年1月20日(日本時間、21日、午前2時)、アメリカ共和党のドナルド・トランプ(70歳)が第45代大統領に就任した。その前後の状況について日本の主要な新聞(世界中の新聞も)は次のように報じた。ここにこの問題の客観的事実がある。その中の核心(大小の見出し)は次のとおりであった。
 朝日新聞(1月21日―22日付)新大統領「米国第一」を宣言。「TPP離脱、北米自由貿易の再交渉、世界の自由貿易に激震、日本へ大打撃、メキシコは痛手」
 読売新聞(1月21日付)「トランプ氏でアメリカに拡がる亀裂、共和党の分断」「反トランプのデモ行進拡大、トランプの移民政策、女性蔑視に反対するデモ拡大、民主党議員デモに同調、60人欠席、デモの逮捕者200人」
 東京新聞(1月22日付)「トランプ新大統領、保護貿易主義前面に」「社説―価値観と現実を無視した演説、米国第一は安定と繁栄を失う」
 産経新聞(1月21日付)「世界は予測不能の領域に」「トランプ新大統領、熱狂と反発、分裂の船出」「デモ隊、支持派と反対派各地で衝突」
 以上の模様は世界中の新聞に共通のものであり、ここにアメリカに代表される現代資本主義世界の世相があり、ここに資本主義の本質がある。
 〔現在の世界状況を見ると、ジャングルという言葉が当てはまる。超大国だったアメリカは世界の笑い者となり、移民たちの世話をしながら経済は破綻しようとしている。
 今は「アメリカが崩壊すれば、世界がジャングル化する」という状況だ。
 長年、世界の警察官として地域紛争や戦争を止める役割を果たしていたアメリカは経済的、軍事的、外交的にもトップ中のトップだった。だがその「大国アメリカ」はもはや消えてしまった。経済はガタガタで多額の借金に苦しみ、中国やロシアがアメリカを戦争に引きずり込む訓練をしていても、戦争を嫌うオバマは何の反応も見せない。アメリカは引きこもり状態に入ってしまったのだ〕『そして、アメリカは消える』(落合信彦)
 どうしてこうなるのか。それは、誰が悪いとか、何が問題かではなく、ここに資本主義の本質がある。人類社会の歴史を見ても、世界の歴史を見ても、すべては歴史の法則の産物なのだ。だからわれわてはもう一度、マルクスに立ち返り、その原理・原則を再確認しなければならない。


万物を支配するその運動法則を規定づけたマルクスの哲学歴史観「経済学批判・序論」と生物学者・福岡伸一氏の「変わらないために変わり続ける」という自然科学の法則、この「哲学歴史科学」の法則が如何に正しいかは人類の歴史を知ればはっきりする。つぎが人類の歴史が証明しているその法則である!

 
(1)生産力がなく、したがって生産活動もなかった人類最初の社会は、すべてが大自然を相手にした共同採集経済であり、それを土台にした共同体・コミュニティー社会、社会的人間道徳の世界であった!

 人間は人間としてはじめて存在したそのとき、目の前にある、自然的条件が提供した生活(経済的条件)に遭遇するのである。
 「あらゆる人間的な存在の、したがってまたあらゆる歴史の第一の前提、すなわち人間たちは歴史を作り出すために生きることができなければならないという前提を確認することからはじめなければならない。ところで、生きるためには何をさておき、食、飲、住、衣、その他のことがなくてはならない。したがって最初の歴史的行為はこれらの必要な充足のための諸手段の産出、物質的生活そのものの産出であり、しかもこれは、今日もなお何千年前と同じように、人間たちをただ生かせておくだけのために、日々刻々、果たさねばならない一つの歴史的行為であり、あらゆる歴史の根本的条件である」と。つまり人間はまず食わねば生きていけないのだから、経済学とは如何にして食うのか、ということから出発しなければならない、という。
 この「生産力」の度合い(発展段階)が、その時代の歴史的段階(生産関係、国家と社会制度)を性格づける、ということなのである。

(2)生産力の成長と発展による生産活動の飛躍は余剰生産物(備蓄)を生み、財産となる。そこに個人的欲望にもとづく財産をめぐる争い、対立と抗争、戦争と内乱が発生、権力機関としての国家が成立。生産力の発展が生産関係を変化させる第一歩がはじまった!

 宇宙と全世界は常に運動している。人類の世界もまた常に運動し、前進する。人口は増大し、知能も発達する。そして経済活動の分野では土地の開拓、灌漑施設の創設、穀物の耕作、農耕栽培、動物の育成が進んでいく。そして、そのために必要な用具類の開発、改良、発明と発見が進み、生産手段は石器、木材から青銅と金属器具の時代へと移行する。つまり、人間の労働力(知能とエネルギー)と、生産手段(道具、機械、土地改良、灌漑という交通)が発達した。生産力の向上である。その結果、生産物は増大し、備蓄は増え、これが余剰生産物となり、財産となる。もちろんこれはコミュニティのものであり、共同体社会のものであった。しかし人間の本能(動物的本能)にもとづく個人的欲望の強い人間とその集団による力(知能、才覚、実力)によってこの財産は占有・私物化されてしまった。大自然が作り出した社会のものである土地や山までも占有・私物化されてしまった。原始共同体社会を支配していた協力と共同と社会的人間道徳は消滅し、かわりに出現したのは動物的本能と個人的欲望むき出しの「人間道徳論」の世界である。この欲望の世界が、この制度と社会が富と財産の争奪の手段としての戦争と内乱、犯罪をひきおこしていったのである。富と財産を支配し、維持するための手段と制度としての権力、国家、社会制度を生み出していった。その最初の国家が古代奴隷制国家である。

(3)原始共同体から奴隷制へ、そしてつぎの封建制へと歴史は転換していく。それを促したのは生産手段の発達(機械と用具の木製から金属製へ、単純なものから複雑なものへ、改良、改革、発明、発見)にもとづく生産力の向上であった。このことがそれまでの奴隷労働(奴隷制)ではなく農奴(封建制)を求めていった。奴隷制国家から封建制国家への転換は歴史の必然であった!

 奴隷制時代の中・後半に至ると、人口の増大、土地開発の進行、農地の拡大、山林開発と生産拡大の条件は進化し、発展していく。そして生産力を高めたものこそ、道具、機械の改良、改革、発明、発見であった。木製から金属製へ、単純なものから複雑なものへと進んでいく。
 それにあわせて大規模な開発、改良、水路と灌漑施設の整備、天候に応じた作業の工夫、など、生産力の発展は必然的に生産関係(人間関係、国家と社会構造)の変化を求めていった。
 つまり、奴隷制は不都合になったのである。奴隷労働は非人間的であり、牛や馬のように、労働するだけの食物(や衣服)が支給されるだけで、もちろん家族も持てない。これでは労働意欲も湧くはずがない。これでは道具、機械の使い方、天候に応じた創意工夫も生まれない。こうして労働能力の向上のためには奴隷制ではなく、農奴制を必要としたのである。
 西紀三九五年にローマは東西に分裂、四七六年に西ローマ帝国は滅亡、五二七年には東ローマ帝国も終わった。以後ヨーロッパ各地に多くの封建王国が成立する。中国では西紀九七九年に宗が全国を統一、日本では一一九二年に鎌倉幕府が成立、奴隷制から封建制へ世界は支配されていった。ここに生産力の発展が生産関係を変化させ、発展させるという歴史科学の法則があり、ここに歴史科学としての経済学がある。

(4)生産用具(生産手段)のいっそうの発展は、手工業的家内工業から、大規模な工場制工業となる。その結果製品は大量となり、交換経済は商品流通を生み、すべては商品となる。そこから貨幣が登場し、貨幣の所有者(ブルジョアジー)が社会の主人公となる。同時に経済活動は自由な商品としての労働力(労働者)を求め、農奴解放(奴隷解放)を求める。近代自由主義、資本主義の到来である!

 生産手段(道具、機械、土地、交通手段)の改良、改革、発明、発見は生産物の爆発的増大となり、それは必然的に商品となり、商品交換と販売と販路を求め、そのための流通手段としての貨幣を生み出し、商品経済、貨幣経済を生み出していった。このような生産力の発展が、生産関係としての社会制度と国家形態の変更を求めていく。つまり、封建的な国境、関所、鑑札、身分制、土地に縛り付けられた農奴の解放を求めて動く。とくに商品経済は自由を求める。経済的自由、自由な商品としての労働力を求める。機械や道具を自由に使いこなすための労働力は自由に移動できる人間でないと、広く人材を求めることは不可能である。自由こそが商品経済と貨幣経済と工場制大量生産のためには絶対不可欠な社会制度なのである。自由を求めて歴史は動く。
 十四世紀からヨーロッパに激発した文芸復興運動(ルネッサンス)、一七八九年のフランス大革命と人権宣言の成立などはみな自由主義的ブルジョア革命の雄叫びであった。そして歴史は一六四一年のイギリスにおけるピューリタン革命、ロシアにおける一八六一年の農奴解放令の発布、アメリカの南北戦争と奴隷解放(一八六一年)、日本の明治維新(一八六八年)、中国の辛亥革命(一九一二年)を通じて、世界は封建制から脱却して近代資本主義へと転換していった。すべては生産力の発展が生産関係を変更していったのであり、これが科学的歴史観、科学的経済学の法則の正しさを証明する歴史科学である。

(5)自由主義から出発した近代資本主義、人間欲望の自由放任主義、その自由主義経済はもはやその頂点に達した。独占と帝国主義の時代は登り詰め、らん熟し、腐敗し、能力を失い、次の時代に移行せざるを得ない人類前史の最後の段階である。人類は大衆社会、人民の世界、近代的コミュニティへの転換を求めて激動しているという、現代の時代認識を知ろう!

 一七七〇年代から開始されたイギリスにおける産業革命によって近代資本主義は飛躍的に発展し、新たな時代、独占資本主義と帝国主義の時代に移行した。帝国主義とは、独占資本主義であり、同時に、最大限の利潤を求め、市場原理主義となって世界市場の独占のための、他民族と他国制覇をめざす侵略戦争である。独占資本と帝国主義とは、まさに戦争と暴力、略奪と虐殺、支配と収奪のための殺人マシンである。それは第一次世界大戦(一九一四―一八年)では死傷者三千万人、第二次世界大戦(一九三九―四五年)では民間人を含めた死傷者八千五百万人、そして第二次世界大戦以後の世界の戦争と内乱、テロと暴力による犠牲者はこの三十年間だけで二千万人を超えている。まさに独占資本と帝国主義、現代資本主義は一億五千万人を殺した大量殺人兵器であり、暴力機関であり、歴史はここから脱出しなければならない。そのために世界は激動している。
 現代世界に出現している戦争と内乱、暴力とテロ、民族紛争と国境対立、宗教と人種的暴動、あらゆる形の犯罪と殺人、腐敗と堕落はすべて、独占資本と帝国主義の経済法則が生み出したものであり、まさに哲学原理たる「存在(独占と帝国主義)が意識(社会現象)」を生み出す必然性なのである。
 「走れメロス」(太宰治の小作品)のように、欲望に憑かれた独占と帝国主義は、ただ、ひたすら、走りつづけてきた。そして最後の頂上に登り詰めた。もうその先はない。つまり、支配し、収奪し、略奪してしまったそこには、自分の意志とは無関係の世界、大衆的貧困と反乱と暴動と戦争と内乱、あらゆる形の犯罪と混乱と動揺の世界を出現させてしまった。最大限の利潤を求める無限の市場もなくなってしまった。
 独占資本主義と帝国主義とは、近代資本主義の最高度に発展した最後の段階である。もう老い朽ちてその先はない。その先に出現するものは、人類史の新たな時代、階級対立と階級闘争を終結させた新しいコミュニティの歴史時代である。こうして人類はつぎの新たな闘い、宇宙開発という新時代への移行である。経済学の新たな使命はこの闘い、大宇宙の開発に関する追求でなければならない。


結 び

 われわれの未来展望とそのスローガン

 われわれはすべてを哲学・歴史科学的世界観に徹するよう呼びかける。われわれは一貫して次のような科学的世界観、歴史科学観を提起する。
 ① 人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。
 ② 生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。
 ③ 物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。
 ④ 人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は必然を持って前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。
 ⑤ コミュニティーとは何か。人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。
 ⑥ 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。
 ⑦ 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。
 ⑧ 人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。
 ⑨ そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。
 ⑩ 人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の民主主義にもとづく人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。