2017年(平成29年) 11月25日付 459号


運動と闘いにおいて根本的なものとは、核であり、中心部であり、政治思想問題である!

 エンゲルスは名著『自然弁証法』(1875―1876)の中で次のように説いている。

 「(ダーウインの進化論によって)無機的自然と有機的自然とをわかつ溝は最小限にまで縮小され、生物の進化論にそれまで対立していたもっとも本質的な難点の一つが取り除かれた。新しい自然観はその根本的な点において完成した。いっさいの硬化したものは解消され、いっさいの固定したものは消滅し、永久的なものとされていたいっさいの特殊なものは一時的なものとなり、全自然は永遠の流転と循環とのなかで運動することが証明されたからである。
 こうしてわれわれは再び、全自然は、最小のものから最大のものに至るまで、砂粒から太陽に至るまで、原生生物から人類に至るまで、すべて永遠の生成と消滅、たえまない流転、やすみなき運動と変化の中に存在するという、かのギリシャ哲学の偉大な創始者たちの見方に立ち戻ったわけである」と。

 歴史を転換させた哲学・科学的法則のモデルたるビッグバンから学ぶべきその原理。

(一)エネルギーの運動法則が生み出す遠心力と求心力(対立物の統一)の相互作用がビッグバンを引き起こした。その起爆剤が運動の核に集中した求心力である。
(二)求心力は運動の目的である必然性(古いものを破壊して新しいものを作る)をめざす核心への強化に作用する。
(三)法則として遠心力は最後に消滅する。反対に求心力は必然性をめざす核に向かって強力に作用する。
(四)遠心力の消滅、求心力の拡大、という相互作用が深まる特異点が爆発を引き起こし、相転移を実現させる。
(五)結局、すべては核であり、核なしの運動はあり得ない。そして核もまたエネルギーの運動法則の産物である。


ビッグバン宇宙が物質世界を作り出した。

ビッグバン(大爆発)の当初は高度な熱世界であり、多数の粒子が飛び交う世界であった。そのうちに陽子と中性子というまったく異質の二つの粒子が結合したまま離れなくなり、こうして原子核が形成。そのまわりに電子(粒子)が結合、こうして物質としての原子が形成。原子が色々な粒子と結びついて元素となり、現代世界(物質世界)が形成された。太陽は中心に水素核があり、地球には核としてのコア(鉄とニッケル)があり、六〇兆個の人間細胞にもみな細胞核があり、核なしの物質はあり得ない。
 天体活動にもすべて核が存在し、社会科学では中心部(核)が生まれ、その核が運動を支配していく。核抜きの運動はあり得ない。

 二〇一七年衆議院選挙で自民党の大勝利を生み出したものは、すべて野党の分裂、混乱、混迷であった。なぜこういうことになったのか。それは次のことが原因である。
(一)野党を取りまとめ、統一させるための核、中心部、指導力がなかった
そういう核があればここに求心力が作用する。
 核と求心力、これが力の源泉である。
(二)そして核たるものの最大の任務は、その運動と闘いの政治的、思想的意義を明確に示して内外に力強くアピールして全体を統一することにある。
(三)そして傘下の大衆団体、組織、グループに強く訴え、行動を組織する。思想が物質的な力となる。
(四)すべては権力闘争であることを認識し、政権に打撃を与えるためにあらゆる、必要な大衆行動を組織する。
(五)核たるもの、中心部は権力意識を確固として堅持し、確信をもって全責任を全うする。内因論。


歴史に学べ!

二〇一七年十月衆議院選挙が示した大衆運動や政治闘争の分野に関する課題についてはすでに歴史が回答している。それは「60年安保闘争」である。
 この闘いと運動は日本の大衆闘争と大衆運動、政治運動と政治闘争、そして権力をめぐる運動と闘いにおける巨大な教訓として大いに注目し、学ぶべき経験である。


60年安保闘争から学ぶべき核心は何か!

一九五九年から一九六〇年にかけて闘われた巨大政治闘争であった。当時岸信介首相(現首相安倍晋三の祖父)が実現しようとした「日米安全保障条約」(一九五一年九月八日、日米平和条約と合わせて成立した初期のもの)を改訂しようとしたが、これに反対する運動と闘いである。
 ① 反対運動の中心(核)には日本共産党と日本社会党、そしてこの二つの党の指導下にあった労働組合総評議会、原水爆禁止全国協議会、などがすわった。当時はまだこれらには旧余韻があった。
 ② 核と中心部が強く主張したのは「岸内閣がめざすのは、日米平等の立場をはっきりさせるためのもの」というのは言い訳であって、基本的には日本の立場を強く主張し、再び日本軍国主義の復活をめざす反動的な目的のためのものであり、危険そのものである、ということ。ここに問題の政治性・思想性、の基本があった。
 ③ 岸信介はその経歴が示す通り(太平洋戦争を開始した東条英機内閣の閣僚であったし、戦争責任者でもあった)ということでもわかるとおり、それは確固とした右翼民族主義者であり、昔の日本、軍国主義をめざすのは当然であった。
 ④「60年安保闘争」の本質は、基本的には岸信介に代表される日本の右翼民族主義復活をめざすものとの闘いであった。このこと、問題の政治的、思想的本質を認識した日本人民の権力闘争であったのである。
 ⑤ その結果として日本の大衆運動は昇華していった。たとえば、この運動に参加した各種大衆団体は「60年安保闘争共闘会議」という全国的規模の統一組織(統一戦線)をつくりあげ、権力闘争という意識のもと、国会へのデモ、国会包囲闘争、首相官邸に向けたアピールの嵐、などの行動を展開。
 そして何よりも注目すべきことは、これらの大衆団体は自発的、自主的に地方的・全国的に共同体を作り上げ、地域的、全国的に共同、協力、統一体としての行動、統一行動と統一闘争を連続して展開したことである。
 一九五九年四月一五日に実施した第一次全国統一行動には一七万人が参加、一九六〇年六月一五日の国会包囲デモにあわせて全国的に五八〇万人が参加、軍国主義の復活に反対する思想と政治性の高さを証明した。
 そこから国会警備の警官隊とデモ隊の衝突が発生、その中で東大学生の樺美智子さんが死亡した。あまりにも激しい反政府運動についに岸内閣は六月二三日総辞職。一二月八日、池田勇人内閣が成立。
 こうして反政府・岸内閣打倒の大衆行動という実力の前に政権は崩壊したのである。アメリカは黙視した。


60年安保闘争が生み出した教訓は何か!

(一)運動と闘いの中では必ずその中心となるべき、核、中心部、前衛集団は生まれてくるものである。それは歴史の必然である。
(二)核、中心部、前衛というものは、歴史が生み出すものであるが、それは運動の中で偶然性が作用する。その偶然は運動と闘いの量的なもの、質的なもの、あるいは地政学的要素など、総合的な産物として生まれる。
(三)偶然は必然である。それを必然性に転化するのは自然発生的ではなく、核、中心部、前衛の目的・意識性であり、その能動性であり、これもまた歴史の必然性である。


結び
二〇一七年一〇月衆院選挙の結果についての教訓とは何か!

(一)核となる中心部が存在しなかった。核があればここに求心力が集まる。核がないからバラバラになる。
(二)核たるものの最大の任務は、その運動と闘いの政治的、思想的、歴史的本質を明確に示し、この政治的、思想的本質を力強く訴える。この本質的意識で中心部を統一させる。
(三)傘下の人、組織、団体にも強く訴え、全体の政治・思想統一を実現する。
(四)思想が物質的な力となる。ここに哲学的原理がある。
(五)核たるもの、中心部のものが、まずこの政治、思想に確信と信念を堅持し、責任を全うする覚悟を持つこと。哲学的内因論がここにある。
                                    (以上)