2017年(平成29年) 12月25日付 460号


トランプ米政権は十一月二〇日、北朝鮮を「テロ支援国家」に再指定すると発表した。

 「テロ支援国家」
 国際テロ活動への支援を繰り返している国家に対し、米国務省が指定する措置。武器や関連品目の輸出・販売の禁止、金融制裁などが科せられる。北朝鮮は二〇〇八年、キューバは十五年に指定を解除された。今回の再指定によって、指定国は北朝鮮、イラン、スーダン、シリアの四カ国となる。
 トランプ政権はこれを大義名分にして、世界各国(特にロシアと中国)に働きかけ、北朝鮮に対する国際包囲網を形成させ、北への圧力をいっそう強化させるとした。まずは経済的に締めあげる、というわけである。特に北朝鮮の貿易の九割を占めている中国、そして北の労働力を大量に利用しているロシア、この二国の協力を得るために働きかける武器として活用したいと考えている。
 さて、トランプ大統領は十一月のはじめに北朝鮮の周りの国々を十日間にわたって歴訪し、北包囲網に参加するよう説きまわった。しかし当初計画したような成果は実現しなかった。特に期待したロシアと中国からは、実質的には何も得ることはできなかった。これは何を意味しているのか?
 つまり、現代世界、現代資本主義というのは、各個バラバラであり「自国第一主義」の時代であり、民族主義が爆発している時代であり、自分のことしか考えない時代なのであり、人のことなど気にもかけない時代である。そういう時代の産物として、こういう事態を生み出しているのである。トランプが悪いというのではなく、現代資本主義がバラバラとなり、共同して問題に取り組む、などという共同・協力、というものが通用しないという時代、そういう資本主義の崩壊、現代資本主義の破綻という歴史時代がこれを生み出しているのである。もはや資本主義に前へ進むエネルギーはない。民族主義という病魔によって資本主義は崩壊しているのである。


アメリカ民族主義の爆発が生んだトランプ!

「トランプ旋風」を生み出したアメリカの歴史時代とは何か。
 二〇〇八年十一月四日、世界が注目した米大統領選の結果、黒人の民主党バラク・オバマ上院議員(47)が、共和党のジョン・マケイン上院議員(72)を圧倒的大差で破り、新大統領に当選した。日本の大新聞はこぞって「共和党歴史的大敗北」「米国初の黒人大統領誕生」「保守時代の終えん」「変革、米国に到来」「米国現状拒否を選択」などなどの大見出しが踊った。まさにオバマ大統領の出現は大激震となってアメリカ国家と社会と政治を根底から揺さぶり、世界に衝撃が走ったのである。アメリカは変わらなければならない。歴史は動き、変化し、進歩していくという歴史科学の法則である。イラク戦争の敗北、米国発の金融危機、そしてオバマ大統領の出現が、一つの巨大な塊となり、歴史発展の梃子(てこ)となったのである。しかも「オバマ旋風」の原動力となったものは若者たちであり、彼らのエネルギーと正義感は、頭が高い「古いアメリカ」に一撃を加え、独占と帝国主義支配に引導を渡した。世界におけるアメリカの敗北は決定的であり、最後の帝国主義・アメリカ帝国主義の崩壊を決定付けたのである。大転換を求めた「オバマ旋風」という若者の反乱は、その集中的な事件であった。
 さて、オバマ大統領の二期八年のその結果はどうだったのか。三月十七日付、日本経済新聞は「経済格差、人種問題、政治不信に病める米国」と題して次のように論じている。
 「病めるアメリカとは何か。第一は経済格差のいっそうの拡大である。米国では上位5%の高所得層が富の63%を支配し、下位50%の低中所得層が抱える富は1%にすぎない。第二は人種問題をめぐる対立は益々深まっている。第3は政治不信である。既成政治集団は大企業、大口政治資金に頼り、一般大衆の声は無視されている。第4はオバマ大統領には失望した。大衆の怒りは頂点に達している」というものであった。
 ここにトランプ旋風を生み出したアメリカの歴史時代があり、トランプの「アメリカ第一」というスローガンはその象徴である。


北朝鮮の民族主義!

それはあの朝鮮戦争(1950―1953年)に具現されている。当時朝鮮民族は南北に分断されていた。南は「大韓民国」(1948年7月17日。李承晩大統領)。北は「朝鮮民主主義人民共和国」(1948年9月9日。金日成首相)。そして民族の悲願こそ、南北の民族統一であった。そして北朝鮮側は南を支配しているアメリカ帝国主義こそ統一を妨げている元凶だとみていた。こうして朝鮮戦争が始まった。最後は、南はアメリカ軍が、北は中国とソビエトが支援。一九五三年七月二十七日に休戦協定が成立、今日に至る。
 ここで留意すべきことは、この朝鮮戦争の事件からみて、北朝鮮に決定的な影響力を持っているのは中国とロシアである。この二国を動かしてトランプは北朝鮮を制圧しようと考えている。これは決定的に間違っている。というのはロシアや中国はもはや昔のままではないのだ。この両国は今は完全に変色して、アメリカと同じ資本主義の国なのである。だから当然この両国は完全にブルジョア民族主義が支配している。故にトランプの「アメリカ第一」と「ロシア第一」、「中国第一」という民族主義が激突するのである。トランプが「なぜロシアや中国は動かないのか」と腹を立ててもはじまらないのである。すべては資本主義の民族主義が激突しているのである。
 最後は各国民族主義が抱えているその内因論(国内情勢)が決するであろう。


ロシアと中国がどのようにして資本主義に変色したのか。その歴史的経過を知れ!

ソビエト社会主義の偉大な勝利とその成果が崩壊したのは、フルシチョフによる「スターリン批判」という、反マルクス主義的ブルジョア思想によって、ソビエトの党と国家がブルジョア的に変質した結果であった。そしてこれは、マルクスが予言し、レーニンが予告し、警告していたことであり、社会主義が最終的に勝利するため必要な全歴史過程における、必然性の中の偶然性であった!

 経済学については『学習のすすめ』第四節において、それは社会科学であることをくわしく論じた。あわせて、資本主義的ブルジョア経済学は、人間欲望の自由放任、個人主義的自由、盲目主義、無政府主義であること。反対にマルクス主義経済学は、科学的で目的意識的な計画経済、社会主義経済であることをくわしく論じた。
 そして同第五節の項では、マルクス主義経済学の正しさと、その偉大な成功と勝利の事実を、レーニン、スターリンのソビエト経済建設の四十年という歴史的事実を通じて正確に検証した。これは記録された経済統計、第一級の経済学者、知識人の証言でも確認されていた。そしてこれらの証明、証言を通じて、レーニン、スターリンの偉大な社会主義が崩壊したのは、実にフルシチョフの「スターリン批判」という名のブルジョア思想によって、ソビエトの党と国家が資本主義に変質し、変色した結果であったことも明らかにした。ソ連の社会主義がおかしくなり、崩壊していったのはフルシチョフ以後であったことを明らかにした証言はその他にもたくさんあるが、代表的なものの二、三についてここに紹介しておきたい。
 一九九〇年九月二十四日付『毎日新聞』は「どうなるソ連の経済改革」という特別記事を掲載したが、その中に次の一節があった。「戦後ソ連経済は目覚ましい発展を続けたが、ブレジネフ時代の後半から経済成長が止まり、生産設備の老朽化が進んだ」と。つまり、フルシチョフからはじまってブレジネフに続くソ連の変質と国家の崩壊をこう論じているのである。
 また一九九一年三月号の月刊誌『世界』は「社会主義はどこへいくのか」という議論を掲載しているが、そこにはつぎのような一文があった。「人工衛星・スプートニクを最初に打ち上げたのがソ連であったように、一九六〇年代の半ば過ぎ頃までは生産力の拡大という点に関しては、むしろ計画経済の方が、あるいはソ連型社会主義の方がより有効である、というふうに資本主義陣営の人間も等しく考えていた。その結果として生まれてきたのがケインズ理論であり、別の言葉で言い換えれば、それは修正資本主義であった。このような社会主義が七〇年代のいつ頃からか、経済がこのように崩壊し始めたというのはいったいどういうことか」と。ここでも同じように、フルシチョフ、ブレジネフという、ソ連の党と国家の変質以後におかしくなったことを証言しているのである。
 そしてまた一九九〇年三月六日付『日本経済新聞』は「ソ連経済の再建」と題する一文を掲載しているが、その中につぎの一節がある。「一九三〇年代は資本主義諸国が経済不況と失業、生産と貿易の不振という大混乱の間に、ソ連経済だけは高度成長を続け、後進国の希望の星となった。そしてアメリカ、ドイツにつぐ巨大な重工業を建設し、よくヒトラーの侵略に耐えたことは否定できない事実である」と。ここでも、レーニン、スターリンのソビエト経済建設の偉大さをたたえているのであり、これはまったく小泉信三の言質と一致している。
 ここでよく注意しなければならないのは、あらゆる論評、記事、文書に共通するのは、前はよかったのに、後でおかしくなったのはなぜか? ということ。つまり途中でおかしくなったのはなぜかと言いながら誰も答えが出せない、ということなのである。
 それがわからないから、解答が出ないから、その結果として一番手っ取り早い方法として「ソ連型計画経済の失敗だ」、「マルクス主義の誤りだ」などという、あの古い反共、反社会主義、反マルクス主義のスローガンを持ち出しているのである。ブルジョアジーが昔から使ってきたあの手法を新しい装いをこらして吹聴しているのである。
 われわれは一貫して、昔からこういう種類のブルジョア的言論とは闘ってきたので何もめずらしいことではない。われわれは思慮分別があり、時流に流されることもなく、科学的知識と歴史を科学として見る目をもっているから、この問題についても明確である。つぎがわれわれの見解であり、結論である。


フルシチョフとはマルクス主義運動の歴史上において、最大の修正主義者、変節者、最大の裏切り者であった。その理論上・思想上・政治上の本質を見よ。その結果、ソビエトの党と国家が変質したこと(内因論)によって、それ以後のソビエトは資本主義に転換したのである。社会主義の敗北ではない。

一九五六年二月二十四日、開催中のソビエト共産党第二十回党大会の席上、党の最高責任者たるフルシチョフ第一書記は、いわゆる「スターリン批判」という秘密報告を行ったが、その内容は六月四日にアメリカ国務省によって公表され、全世界に大きな衝撃を与えた。それは誠に驚くべきもので、まさにスターリンとは血の粛清による独裁者であった、というもので、すべての人びとをあぜんとさせた。フルシチョフはアメリカへ通告し、連絡を取り、アメリカはフルシチョフの了解のもと公表したのである。
 さて、このアメリカ国務省による「スターリン批判」の内容を知った全世界のあらゆる分野で大騒ぎがはじまった。右も、左も、中間も「これはどういうことだ」というわけである。しかしこのとき、われわれ正統マルクス主義者、真正共産主義者は誠に冷静であり、毅然たるものであった。なぜならわれわれは、マルクス主義の理論上の原則、科学思想の原則、万物を認識し支配する根本原理たるマルクス主義哲学を正しく認識し、この哲学からすべてを理解し、判断する能力をもっていたからである。そしてフルシチョフの如き人物はいつかは出てくるものであることを、レーニンが予告し、警告していたことも知っていたから、これこそソビエトにおけるブルジョア思想の出現であり、復活であることを知ったからである(レーニンの予告と警告の文献についてはあとで紹介する)。だからわれわれは覚悟を固めて闘争の準備をしなければならないと決意した。そしてもう一度哲学に立ち返ること、第一歩から哲学を学ぶよう呼びかけたのである。
 エンゲルスは『ドイツ農民戦争』(一八七五年)の中で「ドイツ哲学がなければマルクス主義は生まれなかった」と書いている。そしてレーニンは『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』(一九一三年)の中で「マルクス主義は十九世紀ドイツ哲学の正しい継承と発展、完成であった」と言っている。
 そのマルクス主義哲学とは「唯物論」であり「弁証法」であり「史的唯物論」である。そのくわしい内容は〈学習のすすめ〉の第三節で展開されている。それはつまり「弁証法的唯物論」である。その「弁証法的唯物論」の核心を集約すればつぎの三項目となる。
 第一は、宇宙と万物はすべて運動する物質である。ここに客観的事実がある。そして運動する物質の本質が人間の知的頭脳に反映し、頭脳を通して実現したものこそあらゆる政治思想であり、理念と理論であり、認識や自覚、という主観なのである。この客観と主観はまったく別のものであると同時に、運動するものの統一された二つの側面である。
 第二は、物質の存在とは運動であり、運動とは発展、前進、飛躍、転換である。そのためのエネルギーは、物質内部に内包された熱、電気、化学作用、生命本能である。人類と人間の生活と社会的運動においてはその主観としての政治思想、理念と理論、認識や自覚であり、これが内因としてその運動を支配していく。
 第三は、物質運動の基本法則(方法)は〝止揚〟である。止揚(しよう、揚棄、アウフヘーベン)とは、古いもの、過去、現在そこにあるものから出発し、それを引き継ぎながら、その中の発展的で、先進的で、革命的なものを引き出し、育成し、成長させ、こうして運動の飛躍と転換を通じて新たなものを獲得していく、ということである。
 以上の三つは、弁証法的唯物論の根本原理であり、その核心である。この原理と核心が現実に、この宇宙と万物の運動を支配し、貫徹している。


マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンはマルクス主義運動の一系列である。

マルクス主義哲学の第一原理と核心からフルシチョフの「スターリン批判」をどう見るか。それはまったくマルクス主義の否定、社会主義と共産主義運動の否定、そこから必然的に実現されるブルジョア思想への堕落、資本主義への転落、なのである。
 なぜか。宇宙と万物とは運動する物質であり、それが客観的存在である。この物質運動の存在が生み出すのが政治思想であり、理念と理論であり、自覚と認識である。故に存在と意識は統一された二つの側面である。この原理からマルクス主義運動、社会主義運動、共産主義運動をみるとき、その存在としての物質運動は明らかなごとく、それはまさにマルクス・エンゲルスと第一インターであり、レーニンとロシア革命と第三インターであり、スターリンとソビエト社会主義の建設とコミンフォルムであった。この一系列こそ、マルクス主義、社会主義、共産主義運動の物質的表現であり、その思想上、政治上の理念と理論がマルクス主義、レーニン主義なのである。
 この哲学原理と核心からみたとき「スターリン批判」とは、まさしく、マルクス主義運動、社会主義運動、共産主義運動の否定であり、その物質運動を否定することによって、その意識的表現としての思想と政治も否定してしまったのである。そしてその内容はまさに歴史のねつ造である。
 マルクス主義運動の物質的存在とは、マルクス・エンゲルスと第一インター、レーニン・スターリンとソビエト社会主義建設、こういう人間と運動体(組織)と国家・社会・権力なのである。歴史上、マルクス主義と社会主義と共産主義運動の物質的表現はこれしかなかった。この一系列以外に、哲学が示す客観的存在という物質運動は、他にはなかった。この物質運動としてのマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンというこの存在を認めるのか、認めないのか。フルシチョフは「スターリン批判」によってこの物質運動としての一系列を否定した。そのときフルシチョフは自己の属性を離れ、その系列から離れ、脱落し、他の属性と陣営(資本主義陣営)に脱走、脱落していった。こうしてソビエト社会主義は内部から変質し、変節し、資本主義に脱落していった。ソビエト連邦とソビエト社会主義のフルシチョフ以後の歴史はこのことの正しさを見事に証明している。
 なお、トロッキズムについていえば、そういう政治思想と理念や理論というものは、物質として、つまりは歴史上の運動としてはどこにも存在せず、空想に過ぎなかった。物質的運動の世界に、物質的運動としてはどこにも何もなかったのである。ただトロツキーという一人の人物が、個人的にいわゆるトロッキズムといわれる論理をとなえていたということだけのものである。
 なお、理論と実践の相互関係について明らかにしておきたい。思想・理論というものは実践(物質運動)が生み出すものであり、物質運動という実践が知的頭脳に反映して生まれる。だからその理論が正しいかどうかは物質運動という実践によって証明されていなければならない。また本当の正しい実践と行動は、正しい理論によって導かれないかぎり勝利しない。理論と実践は運動上の統一された二つの側面であることをはっきりと認識しなければならない。


哲学的内因論を認識せよ。物質運動はすべてその内部、内因によって運命は決定される。

マルクス主義の弁証法的唯物論の第二の核心たる「内因論」から「スターリン批判」をどうみるのか。内因論とは、物質の運動(発展、前進、飛躍、転換)のエネルギーはその内部にあり、運動の過程から生まれ、内包する熱、電気、化学作用、生命本能である。人間と人類社会では物質運動の反映としての政治思想、理念と理論、自覚と認識である。人類史は対立する階級の相互作用(階級闘争)から生まれる政治思想がエネルギーとなる。まさに「思想が物質的な力となる」(マルクス)のである。外的条件(外因)はすべて内因(内部のエネルギー)を通じて作用する。
 一八五三年(嘉永六年)七月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦四隻を率いて浦賀に来航し、日本の開国を迫ったというこの外圧(外因)が、日本国内の政情を刺激した。それが「尊皇攘夷」という統一スローガンによる徳川幕府打倒の内圧(内因)を引き起こし、明治維新が一八六八年(慶応四年)四月に実現したという歴史的事実も、歴史科学が教える内因論の見本である。
 あとで紹介するレーニンの文書にあるとおり、独占資本と帝国主義の包囲下では、常にブルジョアジーの思想的・政治的外圧があり、それがソビエト内部の弱い部分に影響して、ついにフルシチョフを通じて爆発した。それが「スターリン批判」という名のブルジョア思想の展開であり、以後ソビエトは資本主義への道をばく進していく。
 フルシチョフは一九五七年七月に各国共産党の代表を集めて国際会議を開き、そこで世界の各国の共産党はそれぞれ独自の道を自由に(自由化)進むことを確認し、新しいモスクワ宣言を採択した。このとき、マルクスの『共産党宣言』の精神と、「万国のプロレタリア団結せよ!」とのあの気高いプロレタリア国際主義は完全に放棄されてしまった。そして一九六二年十月に発生した、あの世界を震撼(かん)させた「キューバ危機」において、アメリカ帝国主義に屈服してキューバから撤退。わずか十年で一九六四年十月、フルシチョフは党から追放された。
 しかしフルシチョフの「反スターリン主義」はそのまま引き継がれていく。ブレジネフ時代はいよいよ本格的にソビエト社会主義が崩壊する時代となる(前項・序論を見よ)。一九七三年六月にはブレジネフが訪米、米・ソ和解の共同声明を発表して、ソビエトを資本主義陣営の一員たることを確認。一九七六年六月には全ヨーロッパ共産党代表者会議を開催、いわゆる社会主義の多様性と自由化を確認してマルクス主義的本質を放棄。一九八五年三月にゴルバチョフが登場するが、その十月には党中央委員会総会を開催「ペレストロイカ」(改革開放というブルジョア自由化)を採択。一九八九年にはアメリカとの間で東西冷戦の終結を宣言。一九九〇年十一月にはソビエト最高会議にて社会主義という制度を放棄することを決定。一九九一年八月にはソビエト共産党を解散、自らも党最高責任者としての地位を退いた。こうしてそのあとのエリツィンによって十二月二十六日、ソ連邦最高会議の席上、ソ連邦の解体を宣言し、各共和国(各民族)は別々の道を進むことになった。
 以上の歴史的事実が示すとおり、すべては内因論であり、すべては思想と政治であり、すべてはソビエト内におけるブルジョア思想の復活とブルジョア支配の実現、それにもとづく資本主義の復活であった。
 はっきりしているように、マルクス主義の敗北や、社会主義の失敗ではなく、すべては内部の裏切りによるマルクス主義と社会主義の放棄が根本原因であり、マルクスの予言、レーニンの予告したことの出現であった。


万物の運動法則は〝止揚〟である。その反対は〝否定〟である。そして否定は否定される。

弁証法哲学の発展と前進に関する運動法則の第三の核心と原理たる〝止揚〟という認識論を正しく理解しなければならない。つまり、古いもの、過去、現在そこにあるもの、そのことを確認し、認識し、そこから出発し、これを引き継ぎながら、その中から新しいもの、先進的なもの、革命的なものを認識し、育成し、成長させ、飛躍させ、こうして新たなものを作り出していく、というこの法則は万物を支配する鉄の法則である。
 宇宙と人類世界も止揚の法則による産物であった。最新の物理学が教えているとおり、約百四十億年前のビッグバン(大爆発)によって宇宙は誕生した。しかしそれは、その以前の世界、つまり無の世界、見ることもできない真空のエネルギー(暗黒物質)の運動が引き起こしたインフレーションによるビッグバンであった。宇宙とはまさに止揚の世界である。そしてこの宇宙は、過去と現代を引き継ぎながら、今なお、無限の世界で膨張し続けている。止揚は無限である。
 われわれ人類、人間もまた止揚の産物である。地球が生れ、生命が生まれ、生物となり、動物(猿)から人間は進化していった。そして人類世界、その社会もまた、生産力の発展に応じた生産関係のなかで成長、転化しつつ、今日の時代を迎えている(くわしくは〈学習のすすめ〉第四節・経済学、をみよ)。
 われわれ一人一人の人間個人を見てもわかるとおり、親があってわれわれがある。親を否定すればわれわれの存在自身が否定される。マルクス主義もまた止揚の産物である。レーニンは一九一三年に書いた『マルクス主義の三つの源泉』の中で「マルクス主義とは人類が十九世紀にドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義という形でつくりだした最良の英知の正統な継承であり、その完成であった」と言っている。つまり、止揚することによって完成させたのである。
 そしてマルクス主義は、その物質的運動として、ヨーロッパにおける共産主義運動、第一インタナショナル。レーニンのロシア革命と第三インタナショナル。スターリンのソビエト連邦社会主義建設とコミンフォルム、へというふうに、その一系列として存在しつづけたのである。故に、真のマルクス主義は、弁証法的唯物論の運動法則の第三の原理たる止揚の法則にもとづいて、この一系列を引き継ぎ、これを発展させ、前進させるため、内因論にもとづき、その運動の中で闘いつづけることである。これを否定すること、「スターリン批判」という名の否定をすることは、マルクス主義の否定であり、自己否定である。結果として、ブルジョアジーへの屈服であり、社会主義から資本主義への脱落である。現実にフルシチョフ以後のソビエトは、そのあとを引き継いだブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィンらによって、完全に資本主義に脱落したではないか。フルシチョフに従ったユーロコミュニズムも、中国の鄧小平とその後の党と国家も、日本の宮本顕治とその党も、みなフルシチョフと同じ運命をたどっているではないか。
 マルクスは『ヘーゲル法哲学批判・序論』(一八四四年)で、レーニンは『哲学ノート』(一九一四年)のなかで「否定するものは必ず否定される。否定の否定である」と言っている。現実にフルシチョフはスターリンを否定したが故に自分もまた歴史によって否定されてしまった。彼がその後存在したのはたかが十年であり、その最後は誠にみじめなものであったという歴史がこのことを証明している。


レーニン、スターリンの偉大なソビエト社会主義が内部からの変質によって崩壊したこと。それはフルシチョフや鄧小平の裏切り者が出現したからだということ。こうして社会主義は一度、はじめから再出発するに至ったこと。これらはみな、マルクスやレーニンがはやくから予言し、予告し、警告していたことであり、その歴史的意味をよく理解しなければならない!

『学習のすすめ』第五節「社会主義経済学と社会主義的計画経済について!」の序論と(一)で、マルクス主義経済学の理論を実際にこの世の中に実現させたレーニンとスターリンのソビエト社会主義の偉大な勝利と発展の歴史的事実を、あらゆる記録と証言と歴史を通じて明確に立証した。人類の歴史とその将来は、近くはっきりとこのことを歴史として確認するであろう。現代の歴史時代がその遠くないことをわれわれに確信づけている。
 そして歴史は、このようなソビエト社会主義の偉大な勝利とその成果が崩壊したのは、フルシチョフによる「スターリン批判」という、反マルクス主義的ブルジョア思想によって、ソビエトの党と国家がブルジョア的に変質した結果であったこと、つまりは哲学的内因論にあったこと。そしてまたこのことは早くからレーニンが予告し、警告し、マルクスもまた予言していたことでもあった。そしてなおこのことは社会主義が最終的に勝利するために必要なステップであり、全歴史過程における必然性の中の偶然性であったことも歴史が確認するはずである。


フルシチョフの出現を予告、警告したレーニンの言葉。

レーニンは一九一九年十月に執筆した論文『プロレタリアートの独裁の時期における経済と政治』のなかでつぎのように論じ、われわれに強く予告した。
 「社会主義とは、階級をなくすることである。プロレタリアートの独裁は、これをなくするために、できることはなんでもやった。だが、階級をいっきょになくすることはできない。そして、階級は、プロレタリアートの支配する社会主義の時期を通じて残っており、また今後も残るであろう。階級が消滅すればプロレタリアートの独裁は不必要となるであろう。そして階級はプロレタリアートの独裁なしには消滅しないであろう。階級は残っているが、プロレタリアートの独裁の時期には、どの階級も変形をとげた。階級間の相互関係も変わった。プロレ夕リアートの独裁のもとでは、階級闘争は消滅しないで、別の諸形態をとるだけである。……
 搾取者、地主、資本家としての階級は、プロレ夕リアートの独裁のもとでも消滅しなかったし、またいっきょに消滅することはできない。資本家階級は、うち破られたが絶滅されてはいない。彼らには、国際的な基盤が、そして国際資本が残っており、彼らはこの国際資本の一支店である。彼らには部分的にいくらかの生産手段が残っており、金も残っており、そして巨大な社会的つながりが残っている。彼らの反抗力は、まさに彼らが敗北したために、百倍にも千倍にも増大した。国家行政や、軍事行政や、経済行政の〝技術〟は、彼らにきわめて、大きな優越性をあたえており、そのために彼らの力は、人口総数のうちに占める割合とは比べものにならないほど大きい。旧社会への復古の願望はいっそう強くなるばかりであり、旧社会の古い残りかすは根強い。倒れた搾取者と、勝利した被搾取者すなわちプロレ夕リアートの階級闘争は、はるかに激しいものになっていく。……
 われわれの任務と責任は階級闘争を闘いぬくことであり、プロレタリアートと大衆を正しく指導すること、彼らに強い影響力をおよぼすために闘うことであり、動揺する者、ぐらつく人びとをひきいて前に進むことであり、これこそがプロレタリアートとその党がなすべきことである」と。
 レーニンは世界革命が勝利するまで、階級闘争の手をゆるめてはならず、裏切り者の出現に備えて、常に党と大衆の闘いに磨きをかけておけ、と予告している。
 レーニンはまた、一九二一年六月に開かれた「共産主義インタナショナル第三回大会の基調演説」において全世界の共産主義者に向ってつぎのように呼びかけ警告している。
 「われわれは革命に勝利したからといってけっして安心してはならない。まだわれわれの内部、社会主義国家の内部には、旧世界の生き残り組や、旧思想を捨てきれない者たちや、旧支配層の子孫や、社会主義に移行しきれない落ちこぼれや、国外の資本主義と通ずる裏切り者たちはいくらでも存在している。彼らは常に資本主義の復活をねらっている。世界革命が終了するまでは国際資本主義の圧力と攻撃は終わらず、故にプロレタリアートとその国家と党は絶対に油断してはならず、階級闘争を忘れてはならない」と。
 このようにレーニンは世界革命の勝利の日まで、原理・原則どおりに闘うこと。プロレタリア国際主義、インタナショナルを忘れるな、と強く主張している。レーニンのこの血を吐くような叫びを忘れてはならない。


マルクスの「一度、はじめからやり直せ」という予言をよく知り、その歴史性を認識せよ。

 マルクスもまた、社会主義運動と共産主義運動はその歴史上において、一度は途中で立ち止り、はじめからやり直すことも必要であり、そのような歴史時代が必ずあることを予言していた。
 マルクスはエンゲルスと共同執筆した『ドイツにおける革命と反革命』(一八五一―五二年)において、そして同じ年にマルクス自身が執筆した有名な論文『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の中でつぎのように書いている。「歴史を見ればわかるとおり、革命にはいろいろあるが、その多くは短命である。しかしプロレタリア革命は人類史上では最後の革命であり、プロレタリアートは人類史における最後の階級であり、最後の勝利者である。故にこの革命は、どんな勝利の時代、平和な時代にも有頂天になることなく、むしろ中途で一度立ち止り、勝利と敗北から深く学び、ときには徹底的に破壊し、ぶち壊し、はじめからやり直す。ときには迷い、尻ごみをし、動揺する。しかしこれは歴史が解決する。歴史がプロレタリア革命を要求し、プロレタリアに決断を求め、プロレタリアはこれに答えて最終革命にむかって立ち上がる」と。
 マルクスが言っているのはつぎのことである。つまり、科学的に正しい法則といえどもすべてが一直線で進むものではない。多くの実験、検証、失敗や敗北の中から真の勝利への道は開かれていく。プロレタリア(人民大衆)の運動と闘いもまた、その法則から免れることはありえない。最後の勝利者であるだけに、有頂天になることなく、一度は、はじめからやり直すことも必要なのだ、という。学びながら前進せよ、とマルクスは予言している。この意味を深く、高く認識し、理解しなければならない。そして現代のマルクス主義、社会主義、共産主義運動は、マルクスの予言どおりに進んでいることを確信しなければならない。


社会主義建設と社会主義の勝利の要(かなめ)は党であり、それは理論上(思想上)の原理・原則に忠実な党、理論と実践の統一的指導力の党、社会主義国家を正しく運営する方法としての二本足の権力を執行することができるような党である。

ここでわれわれが特に留意すべきは、レーニンの予告と警告である。レーニンは強く呼びかけている。社会主義建設期においては、形の違った階級闘争がますます激しく、きびしくなる。党は断固として階級闘争の手をゆるめてはならない、と主張する。そのような党が存在しなければならないのである。歴史上初めて社会主義を実現させたレーニンは、自らの実践と行動から学んで強く主張する。社会主義建設時代のマルクス主義党の歴史上の任務について、その党としての責任について、前記のとおり、社会主義の時代には必ず変節者、変質者、裏切り者が出現するものだと、われわれに強く警告した。だからレーニンは、そのためにこそ党建設を、党の強化を、党活動の原則性を強く、強く主張した。その党とは何か、党はどうあるべきかを、レーニンの有名な論文『何をなすべきか? われわれの運動の焦眉の諸問題』(一九〇一―二年)でくわしく論じている。その核心は、マルクス主義の理論上の原則を守り、基礎理論を離さず、すべては理論を導きにして実践活動を律せよ、理論の導きなしに革命運動の勝利はない、ということであった。
 そしてレーニンは、理論闘争、政治闘争、思想闘争は、軍事闘争や、経済闘争とは別の、独自の分野の闘争であり、この闘争は党の独自闘争、独自の任務として実践し、行動せよ、と強く主張した。
 そしてレーニンはその具体化、具体的実践として示したのがソビエト赤軍内の「軍事コミッサール」である。外国干渉軍と国内反乱軍との死闘の中で、ソビエト権力の主柱たる赤軍を維持し、その能力を高めるためにレーニンはコミッサール制を確立した。軍事機構(行政機関)としての上から下までの指揮命令系統の機関とあわせて、それに併行して党(思想・政治司令部としての党組織、党機関)を代表するコミッサール(政治委員)を配置(組織)した。このことについて、フルシチョフ出現前の正式の『ソビエト連邦共産党(ボリシェビキ)歴史小教程』(一九三八年)の第八章では「軍事コミッサールがなかったならば、われわれの赤軍はなかったであろう、とレーニンは語っている」と記している。そしてレーニンはその後ソビエト社会主義建設期を通じて、国家行政機構と機関に併行して、ソビエト共産党(ボリシェビキ)の党とその組織と機関を独自に作り上げ、その独自活動(思想闘争、政治活動、人民大衆の中での社会主義と共産主義運動)の展開を進めた。つまりは社会主義国家における二本足の権力執行である。この二本足の権力執行というレーニン的原則が崩れたとき、権力はブルジョア化し、社会主義は崩壊していく。フルシチョフ以後のソ連邦は完全にこれは崩壊してしまった。
 ここに一つの参考文書がある。株式会社新潮社発行、中村逸郎著『東京発モスクワ秘密文書』(一九九五年六月十五日発行)である。著者は一九八八年から九〇年にかけてモスクワ留学をしたソ連問題研究家であり、氏はソ連共産党の実態を調べるべく、下部機関、地区委員会に接近し、内部文書や資料を手に入れて検討を加えた。結論は、ソビエト共産党は、実は日本でいえば町内会(自治会)の世話役であり、日常業務のすべてが、日本の区役所、村役場のような仕事であった、という。
 これはもう完全に党ではなくなっている。
 社会主義建設期におけるマルクス・レーニン主義党の任務は何か。それはさきに明らかにしたとおり、一方には国家行政機関がある。人類全体(世界的規模)で社会主義が勝利するまでは、一国における国家と行政機関は、経済建設と社会秩序の維持のため、法律と制度にもとづく実務行政機関として機能しなければならない。一方にはこれと分離した、まったく別の、人も、場所も、組織も、完全に分離した思想・政治組織としての党があり、党はもっぱら実務から解放された政治組織として機能しなければならない。その主要な任務は、マルクス主義の理論上の原則のもとでの社会主義建設、人民へのマルクス・レーニン主義に関する宣伝と教育活動。内外情勢とソビエト人民の任務、ソビエト社会主義建設における課題と当面の行動計画についての宣伝・教育。および全党員に対する思想教育、である。党と行政機関は、お互いにその任務を分離しつつソビエト社会主義の勝利のための統一目標に向かって補完しあいつつ前進するのである。
 マルクス主義的前衛党にして、科学上の核としての政治・思想組織たるわれわれの日常活動(大衆運動と大衆工作、政治運動と政治工作、直面する闘争と課題、団体と組織への指導工作等)においては、その独自的任務と責任を完全に全うしなければならない。とくに経済建設、組織建設、社会建設など、常に緊急課題の遂行を任務とする行政執行機関と組織の活動とは併立した独自性を発揮しなければならない。これは権力執行の二本足であり、その一方における決定的な側面である。レーニンが確立した社会主義建設期の党とはまさに二本足の中の思想・政治部門(コミッサール)であった。ソビエト社会主義がフルシチョフの裏切りを防止できず内部から崩壊したこと。そして中国革命も鄧小平の裏切りで内部から変質して敗北したということ。歴史科学からみて避けられなかったとはいえ社会主義と共産主義運動上の教訓と課題がここにもあったのだという原理と法則を忘れてはならない。


結 び

マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の中で、「歴史上の大事件は二度現れる。最初は悲劇として、二度目は喜劇として」と言っている。そのとおり、フルシチョフが最初で、二度目が中国の鄧小平である。そして、この二人はまったく同じことをやり、結果も同じであった。
 だからトランプは同じ資本主義仲間の間で激突しているのである。そしてその運命はすべて、お互いの内因によって決定する。その結果、法則通りに、歴史によってこの問題は解決される!