〈人民戦線実践論









生産力(人間が生きるために働く生産活動、生産能力)は常に発展する。その度合いと段階が、それに応じた生産関係(人間の相互関係、社会制度、国家形態)を規定する。このことが科学法則であり、社会科学であり、歴史科学である。人類の歴史とはこのことであり、ここに歴史発展の法則がある。

 ▼ 人類が出現して共同生活を始めた当初は、生産力はなく、従ってそこには共同と協力と連帯という原始的共同体、古代コミュニティが存在しており、もちろん権力も国家もなく、戦争もなかった。

 人類が地球上に出現したのは約百万年前の原人であったが、そこには生産力はなく、大自然からすべてを獲得しなければならなかった。採集、狩猟、漁労である。過酷な大自然、原始的な衣・食・住。飢えと寒さの恐怖は、必然的に人びとの協力と共同と連帯という共同体の生活を必要とした。これが原始共同体社会、原始共産主義時代であり、これが古代コミュニティである。このことが人類社会は生産力の発展の度合いが生産関係を規定するという科学法則の第一歩の証明である。この時代はヨーロッパでは紀元前八世紀の古代ローマ、ギリシャのポリス発足までであり、日本では約一万三千年前から二千年前まで続いた縄文時代である。だから当然のこととして、富も財産も権力も武器も国家もなく、戦争もなかった。本来の姿として人間は対立と抗争と戦争をしなかったし、必要でなかったのである。人間の性善説は本質的なのである。

 そしてこの時代宗教対立もなく、原始宗教は山岳信仰を中心にした大自然への恐怖と崇拝であり、それは多信教であり、宗教の混在と相互共存であった。

 ▼ 人類は農耕を覚え、そこから生産力が生まれ、発達した。それ(生産力)が必然的に新しい生産関係(人間関係の変化、余剰生産物・財産と富をめぐる対立と抗争の階級関係、権力と国家)を生み出した。人類史上最初の国家はすべてを支配する奴隷所有者(貴族)と、すべてを支配された奴隷という、奴隷制国家であった。

 人間が人間として生きていくためには食わねばならない。そして類を維持し種を保存するために住も衣も必要とした。この生きるための本能(その運動)が生産活動の源泉であり、生産力の原点であり、発展の原動力であった。

 人間の生産活動は農耕が出発点となった。より多く食い、増えていく類を養うために自ら作らねばならない。土地を求め、開発し、定住し、集団して農耕を覚えた。やがて労働の経験と英知は土地の拡大、開発、牧畜、器具の発明、水路の充実を獲得していった。こうした生産力の発展は当然余剰生産物を生み出す。この保管、管理、保持はやがて実力による私有財産化を生み出した。これはおれのものだ、というわけである。やがて生産物だけではなく、生産手段としての土地や、用具や、山や、林や、漁場まで、すべてが実力による私有物となり、結果として富と財産と人間まで、すべてを占有する者と、すべてを占有される者という、二つの階級を生み出した。この対立と抗争を解決する手段としての、武力、権力、国家が生まれた。これが奴隷制国家であり、物も、人も、すべてを占有する奴隷所有者(貴族)と、すべてを失った奴隷というこの国家が人類最初の国家である。こうして、大自然と労働によるその産物はすべて万民(働く人びと、大衆と社会)のものであるにもかかわらず、一部の実力にもとづく支配者のものになるという、私有制(階級制)が定着したのである。この制度は紀元前八世紀の古代ギリシャのポリス、古代ローマ帝国が始まりで、中国では殷、周などの古代王朝、日本では紀元前二世紀の弥生時代からである。私有財産制、富と人間をも占有する支配階級制、権力と国家の出現は、すべて生産力の発展がもたらした生産関係の変化という産物である。そして私有財産をめぐる争いは権力相互間、国家と国家の争いにまで拡大され、こうして人類史上に戦争と殺りくが始まった。古代ローマの物語、中国の春秋戦国時代、日本では大和政権成立の物語(中国の歴史書『漢書』『史記』『三国志』などにある通り、倭国大いに乱れ、百余国に分かれて争う)の時代はこの歴史科学の証明である。

 ここで確認しておかねばならないのは、人類最初の国家としての古代奴隷制国家、奴隷所有者(奴隷主、貴族)は、実力、武器、暴力と戦争を通じて彼らの社会制度と国家を作り上げたということである。古代ローマの侵略と略奪、そして古代ギリシャのトロイの戦争にもあるとおり、戦争と暴力・爆発と収れんは歴史転換の科学法則であった。

 なお念のために古代史に付きまとう神話について触れておかねばならない。人類史上の古代史に神話は付き物である。それは客観的事実をより高く権威付けるための装飾であり、また科学の未発達という歴史時代にはそれは必要であった。はっきりしなければならないのは、神話的装飾を否定するあまり、神話の元にある客観的事実そのものを否定してはならない、ということである。つまり、一つの建築物が存在しているという客観的事実と、それをより崇高で気高くするための装飾物、この二つを混同して、装飾物があまりにもおおげさだからといって、建築物そのものまで否定するのは非科学的な主観主義というものである。

 ▼ 農耕、農業の生産力の発展は、土地開発と農地の拡大を求め、道具と機械の発達は意欲的、習熟的労働を求めた。こうして生産力の発達が奴隷労働ではなく、人間的労働に転換させ、社会制度、国家形態としての封建制(農奴)への移行を促した。ここにも生産力の発展とその度合いが生産関係を規定するという歴史科学の証明がある。

 生産力の発展と前進は人間の生きる本能と生命力からしてそれは必然である。このことがよりいっそう土地の改良と拡大、水路の整備と充実、道具と機具の発明と発達、牧畜と漁労の習熟と集積を実現させた。

 このような生産力の発展が新たな人間関係、社会制度、国家形態の変革を求めた。つまり、新たな生産力を担うには、奴隷労働は不適当となったのである。奴隷制国家から封建制国家への移行とは「牛・馬的労働制」から「初期小作人制度」へという生産関係の転換であった。労働の意欲において、生産性の向上において、労働の能動性において、その創造性において、そして道具と機具の習熟について、もはやその奴隷的労働制は障害となった。同時にまた奴隷労働は労働者たちを決起させ、反乱がすべての地に発生した。その典型こそ、古代ローマにおけるスパルタクスの反乱であり、そしてローマ帝国を崩壊に導いたゲルマン民族の大移動であった。

 特にこのゲルマン民族の大移動とは、西紀三七五年代に発生したヨーロッパ北方民族が、南方の土地を求め、肥よくした地中海をめざし、河と海に向って起こした暴動である。同時にそれは、解放され、解放を望む奴隷たちの、自分の土地、自分の労働、自分の一族、自己の人間を確立せんとする解放運動でもあった。この大地の激動がローマの内外で帝国を揺さぶった。これが奴隷制を崩壊させ、新しい時代としての封建制を生み出したのである。

 西紀四七六年代からヨーロッパでは各地にローマ後の王制が成立した。中国では西紀九七九年に宗が全国を統一、官僚制を整備させ、日本では一一九二年に鎌倉幕府が創立された。

 ここでも確認しておかねばならないのは、中世における封建制国家の成立を実現させた封建領主(国王)たちは、ただその暴力、武器と兵力、戦争と略奪のみによって自らの世界を実現させたということである。ヨーロッパでローマ帝国の崩壊後、最初の王国(フランス、ドイツ、イタリアを含めた)フランク王国はゲルマン民族の実力による大移動と、ローマ崩壊後の戦乱のなかから生まれた。中国では春秋戦国以後の死闘を通じて成立した。日本では源平の乱と、平家物語にあるような悲しくも痛ましい悲劇のなかから生まれた。すべては戦争と暴力・爆発と収れんの科学法則の産物であった。

 ▼ 生産力の発展に伴う余剰生産物は私有財産となり、それは必然的に商品経済の土台となった。つまり、余剰生産物の占有者は交換を求め、交換経済は商品経済となり、交換の拡大はその流通手段としての貨幣を生み出し貨幣経済を出現させた。それは必然的に貨幣の所有者、商人、ブルジョアジーが経済の支配者となり、労働力も商品化し、近代資本主義の世界を出現させた。

 生産力の発展、余剰生産物の増大、私有財産制の出現、交換経済と商品生産の時代、そのための流通手段としての貨幣と貨幣経済制度の成立、つまり近代資本主義の時代、である。

 商品流通の拡大は国境を超えて世界的規模となる。その貿易の発達と発展はまずヨーロッパでは地中海貿易圏の成立、それはやがて東方貿易へと拡大をつづけていく。商品の大量生産と富の集中は都市を出現させ、ここには商品生産工場が発展していった。産業活動の出現は金融資本を生み出した。

 一方では、農業も、産業も、工業も、すべての生産力、労働力、労働者も商品化し、すべては商品となった。このことが人間関係を根本的に変化させた。つまり、労働力(労働者)は商品でなければならない。土地に縛り付けられた農奴ではなく、自由な人間、労働力しか売ることのできない労働者としての人間、一定の自覚と知識をもって働く能動的人間、これが近代プロレタリアートである。

 土地も、山も、河も、海も、すべての生産物(商品)と貨幣も、そして労働力としての人間も、一切を支配した近代ブルジョアジーはこうして世界(社会制度と国家そのもの)をその手にした。すべてを金(かね)の力で支配していった。その先頭に立ったのがイギリスであり、一六四一年のこの国に起こったピューリタン革命(清教徒による市民革命)によって近代資本主義は花を開いた。日本では一八六八年の明治維新である。

 十四世紀からヨーロッパに始まった人間性復興をうたいあげるルネッサンス(文芸復興運動)から一七八九年の人権宣言を世界に発したフランス大革命はブルジョア自由主義・自由人権主義の全面的な開花であった。つまり貨幣(かね)を持った人間(ブルジョアジー)はそのかねの力で世界を支配し、すべてはかねの世界にしたのである。人間もかねの奴隷になり、拝金主義の世界になってしまった。そして戦争と暴力、犯罪と殺人も、民族の分裂と宗教の世界の分化と争いも、みなかねが原因となった。生産力の発展が生産関係を変えてしまったのである。

 ここではっきり確認しておかねばならないのは、近代ブルジョアジーは自らの資本主義世界を維持し、保管するための権力、国家と社会を作り上げるためには戦争と虐殺を徹底させたということである。イギリスでは一六四九年一月のチャールズ国王へのギロチン処刑。フランスでも一七九三年一月のルイ十六世のギロチン処刑。十月には王妃マリー・アントワネットもギロチンに処せられた。日本では一八六八年の戊辰(ぼしん)戦争(旧暦の戊辰の年であったためこう呼ばれた)を通じた内戦を経て資本主義に達した。中国では一九一二年の辛亥(しんがい)革命による内乱と武力蜂起で中華民国が成立、近代に移行した。近代ブルジョアジーによる資本主義への移行は歴史科学の示すとおり、すべては血と涙の流血だったのであり、けっして議会だとか、民主主義だとかいうものではなかった。新しい世界を作り上げるための模範はブルジョアジーが自ら示したのである。ここにも歴史科学の法則が厳として存在している。