〈最近の人民戦線の
重要基本文献集









毎年八月の恒例たる中国・韓国による日本叩きの反日歴史観もまた、非科学的・観念論的・民族主義的歴史観である!

  二〇一三年九月号の『文藝春秋』は特集を組んで「安倍長期政権への12人の公開質問状」を掲載した。その中でジャーナリストの櫻井よしこ氏は「靖国参拝・私との約束」と題して次のように言っている。
 〔「次にまた総理になられるとしたら、靖国神社に参拝されますか」
 安倍晋三首相にこう尋ねたのは二〇一〇年十二月二日、氏を中心にした日下公人氏と私との鼎談の席でのことだった。私はいまでもそのときの緊張感を思い出す。第一次安倍内閣で自身の言葉に反して参拝しなかった氏に、正面から靖国参拝について問うのは初めてだった。…
 …その中で氏は「靖国神社には当然、参拝します」「任期中に参拝すべきだった、ということは率直に申し上げて反省点です」と、明確に答えた。
 以後、「痛恨の極み」というコメントは複数回発信されたが、氏が明確に語ったのは恐らくこれが初めてだったと思う。
 圧倒的な支持を得て再び首相となり、参議院でも過半数に迫る議席を確保した氏は、誰よりも深く靖国問題の性質を理解している。「A級戦犯」合祀に中韓両国が当初、全く反対しなかったこともよく知っている。米国大統領がアーリントン墓地に詣でることが奴隷制度賛美を意味するわけではないように、日本国首相の靖国参拝も軍国主義の賛美などではないと、明確に国際社会に発信してもいる。
 首相は全てを理解し、状況も正確に把握し、英霊に尊崇の念を表したいという気持ちにも偽りはない。それ故に私は、首相が靖国神社を参拝することを全く疑っていない。
 国民は圧倒的に首相を支持している。釈迦に説法を承知で言えば、中韓両国は日本を批判するが、その他のおよそ全てのアジア諸国は日本を好感し、歴史歪曲の意図はない。彼らはむしろ、日本が指導力を発揮し、立派な良識ある日本人として振る舞うことを望んでいる。英霊に謙虚に敬意を表することは立派な日本人の振る舞いの一部である〕と。
 また、二〇一三年八月十四日付の『産経新聞』は『靖国考』の欄で、「首相、終戦の日も見送り」と題して次のように書いている。
 〔安倍晋三首相は野党時代の平成23年11月の産経新聞のインタビューで、第一次政権時(18年9月〜19年9月)に靖国に参拝しなかったことを悔いていた。
 首相は再登板後も第一次政権時の不参拝について「痛恨の極みだ」と繰り返し表明している。「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のことだ」とも強調している。ならばなぜ、首相は参拝を中止したのか。
 …背景にあるのはやはり、日本を取り囲む厳しい国際情勢だ。
 首相や閣僚の靖国参拝はあくまで日本の国内問題であるはずなのに、中国や韓国は「歴史カード」を振りかざし、執拗に干渉してくる。
 毎年夏が来る度に政治問題化する「靖国」とは何なのか。何が問題とされ、何を国民に問いかけているのか〕と。
 二〇一三年八月二十七日付『読売新聞』は「日本は正しい歴史認識を」「異例の韓国寄り発言」という見出しで次のように書いている。
 〔韓国出身の潘基文(バンギムン)国連事務総長は26日、ソウルの外交省で記者会見し、日本の憲法改正論議を巡り、「正しい歴史(認識)が、良き国家関係を維持する。日本の政治指導者には深い省察と、国際的な未来を見通す展望が必要だ」と述べた。韓国政府の立場に同調した安倍政権批判と言え、国連事務総長の発言としては異例だ。
 …潘事務総長はまた、日本が中韓と歴史や領土を巡り対立している現状に関し、「歴史について正しい認識を持つことが必要だ。そうしてこそ、他の国々から尊敬と信頼を受けるのではないか」と語った〕と。
 以上の事実に見られる通り、中国や韓国からの歴史認識を巡る日本叩きは凄まじいものだった。これに安倍首相はたじろいだのだ。そして対外関係を考慮して靖国神社への参拝を見送ったのである。特に、アメリカの要望に配慮して靖国参拝を見送ったというのが新聞報道である。中国や韓国に気を遣った、アメリカの要望に気を遣った、すべては外因論である。外因論に従えば、当然の結果として主体性がなくなってしまう。自分の持っている確固とした考えは後方に押しやられ、外交上は小手先外交にならざるを得ない。小手先外交は必ず敗北する。
 安倍首相の靖国参拝を取り止めた内因論の核心とは、日本の歴史についての科学的認識論がないということにある。第二次世界大戦で日本は悪いことをした、中国や韓国に迷惑をかけた。この歴史観があるから迷うのだ。
 歴史、戦争は歴史科学の必然の法則に従って動いている。この法則から見ればすべては明白である。毛沢東は歴史科学の立場から「日本は謝る必要はない。戦争は必然の結果だ。中国はあの戦争のお陰で革命を勝利させることができた」と訪中団が謝る度に言ったではないか。
 われわれは、もう一度歴史を科学としてとらえるよう、強く訴えたい。
 ▼「靖国参拝は私との約束」(櫻井よしこ)を破ってもこれを見送った安倍首相の政治的本質は、すべてが小手先であり、アベノミクスに前途はない!
 ▼毎年八月の恒例たる中国・韓国による日本叩きの反日歴史観もまた、非科学的・観念論的・民族主義的歴史観である!
 ▼歴史は科学である。科学的歴史観に目覚めよ!

日・中・韓三国で繰り返される過去の歴史認識問題、論争の事実をみてみよう。ここに非科学的観念論の歴史観があり、民族主義と独占的支配をめざす国益主義があり、このままでは三国の衝突は、力関係か、内政(内因)にもとづく妥協かであり、真の正しい解決はありえない。

  中国、韓国、日本の三国間に繰り返されている歴史認識問題に関する言い分をまず聞くことにしよう。

中国の主張

 中国側の歴史認識とは何か。その核心部分は次のとおりである。
 日本は明治維新以後、資本主義が発展し強盛化したが、国内市場も狭かったため人民蜂起が絶えなかった。そこで日本の統治勢力はその活路を中国侵略を中心とする対外侵略に求めた。当時、世界の主要資本主義国は次第に帝国主義段階に向う過渡期にあり、日本の侵略政策は一定程度西側列強から理解が得られていた。欧州列強に東方を顧みる暇がなくなると、日本はこの機会を利用して中国を侵略した。これに対して中華民族は抗日戦争を闘って勝利した。この中国の抗日戦争は世界の反ファシズム闘争の重要な一部であり、世界の反ファシズム戦争に対して重要な貢献を果たし、中国の国際的な地位を高めた。これが中国の主張である。

韓国の主張

 韓国側の歴史認識とは何か。その核心部分は次のとおりである。
 日韓併合。これは日本に強制されたものであり、批准書がないのも、調印だけで条約が成立したと偽装したもので、条約は無効もしくは成立していない。また、植民地時代に日本は、韓国の民族意識を抹殺、変質させる「皇民化教育」を展開した。日韓国交正常化を定めた一九六五年の日韓基本条約と関連する協約については「ご都合主義的な政治的妥結」と批判し、再交渉の必要性を主張している。

日本の主張

 日本政府の態度は、すべて一九九五年八月十五日に発表された、当時の村山富市首相の談話に集中的に集約されており、これ以上でも、これ以下でもなく、これですべて終っている、という立場である。一九九四年六月に成立した自民党、社会党、さきがけの連立内閣は、村山富市社会党党首を総理大臣にして発足した。一九九五年八月十五日、村山氏は内閣総理大臣名を以って対外的に国家としての謝罪の談話を発表した。これが、村山富市首相の談話である。その要旨は次の内容である。
 「いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧(ささ)げます。
 敗戦の日から50周年を向かえた今日、わが国は深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません」
 以上見てきたとおり、中国と韓国は共通して過去の歴史は日本の侵略と収奪の歴史だ。自分たちは犠牲者だ。だから日本に対して謝罪と弁償を要求する。だから靖国参拝には抗議する、という。
 日本は村山談話で終ったことだ、これ以上言うのは内政干渉だ、という。
 ここに歴史を科学として認識できずに自国の運命を歴史科学の必然(これが自国の運命なのだ)の産物として認識できない観念論の悲劇(喜劇)がある。

戦争は人類史上国家が出現して以来必然的なものであり、帝国主義による侵略と戦争も歴史の必然性であり、帝国主義は帝国主義戦争を通じて崩壊していった。われわれの科学的歴史観でこれを確認し、これを止揚していくこと、ここに真の歴史論争がある。

 日本帝国主義崩壊、第二次世界大戦終結から学ぶ最大の教訓は、歴史は科学であり、歴史科学の発展法則の偉大さであり、帝国主義は帝国主義戦争を通じて崩壊するという歴史の必然性であった。
 人類の歴史を見てみよう。すべては科学ではないか。人間とは、約百万年前の原人、約二十万年前の旧人、約五万年前の新人、そして約一万三千年前の現人へと進んできた科学的進化である。そして人類の国家と社会も紀元前七世紀までの原始時代は戦争も支配もない平和な共同体であった。それが生産力の発展につれて変化し、紀元前八世紀の奴隷制社会から戦争と抑圧の時代へと移行。こうしてローマ帝国の成立と崩壊という歴史時代を通じて封建制から資本主義へと転換していった。そして生産力の発展は最高度に達し、十八世紀に人類社会は独占と帝国主義時代に移行した。十九世紀は帝国主義戦争を通じて帝国主義が崩壊するという資本主義の最後の段階に到達している。独占と帝国主義は最大限の利益追求、そのための生産第一主義、物質万能主義、弱肉強食、侵略と収奪、人間性そう失、戦争と殺りくの世界であり、このような歴史法則が植民地支配と民族抑圧へ駆り立てていったのである。このような歴史科学から歴史認識問題を考察していかねばならない。日・中・韓三国の歴史論争もここに根拠をおいて進めなければならない。
 日・中・韓三国の相互関係とは、まさに歴史科学の産物なのである。日本はアジアでただ一つの帝国主義国家として成長転化したが故に、ヨーロッパ帝国主義に対抗してアジア侵略に駆り立てられたのである。世界中の帝国主義がやったことを日本もやった。中国・韓国は世界中の植民地民族がやられた同じ運命(歴史の法則)に自分も押しやられたのである。良いとか、悪いとかというのはあくまでも感情論であって、科学の法則という世界には感情論は通用しない。

日・中・韓三国の歴史科学から見たその運命について

 すでに明らかにしたとおり、歴史科学から見たとき、三国の論争問題として出てくる謝罪だとか、侵略だとか、そういう主張はみな感情論であって科学的には通用しない、ということを歴史を振り返ってしっかりと見つめようではないか。
 十九世紀の世界は、帝国主義と帝国主義戦争の時代に到達したが、それはつまり、帝国主義国家による植民地支配と世界の再分割のための戦争の時代ということである。暗黒大陸アフリカは一九〇〇年代には、ヨーロッパ帝国主義によってすべて分割支配されていた。
 中国はどうか。イギリスはアヘン戦争(一八四〇−一八四二)を仕掛けて中国侵略を開始。これにつられて世界中の帝国主義が義和団事件(一八九九―一九〇〇)という中国の民族主義団体の排外主義運動を利用して一斉に中国侵略を開始した。イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、そしてロシアと日本も権益を求めて中国に侵入していった。特にロシア帝国は大陸続きを利用して強力な軍事力を中国東北地方に送り込み武力で制圧し、その最南端旅順には当時としては世界最大にして最強にして難攻不落の軍事基地を建設。ここをロシア極東艦隊の基地にして中国、朝鮮の支配から、日本の支配へと乗り出していった。つまり、中国、朝鮮にとっては帝国主義国家による支配は歴史上の必然であった。だが、日露戦争(一九〇四―一九〇五)によるロシアの敗北で、ロシアに変わって日本が支配した、というのが歴史科学の現実なのである。
 韓国はどうか。この国の歴史を綿密に調査すれば明らかなとおり、この国は地政学上からも、歴史的にも、帝国主義による支配は避けられなかった。最初は中国(韓・唐・清)、モンゴル、ロシア、そして最後には日本というように、ここは運命的な歴史科学の法則のもとにおかれていたのである。これが民族感情とは別の歴史科学の法則なのである。
 こうして歴史科学はやがて決着をつけた。それが第二次世界大戦の終結、帝国主義戦争を通じて帝国主義は崩壊する、というこの歴史科学が中国、韓国を植民地支配から解放したのである。第二次世界大戦後に発生した新たな歴史転換、民族の独立と民主主義の時代という新しい時代が世界中の植民地を解放した。その結果として中国と韓国は解放されたのである。中国と韓国は歴史に感謝すべきなのである。

科学的哲学原理としての内因論によって世界を認識せよ。

 科学的哲学原理には外因論と内因論の二つがある。外因論とは、運動と発展と前進と転換と勝利の要因を外因(外側、外形、物質的)に求めることである。内因論とは、運動と発展と前進と転換と勝利の要因を内因(内部、内的条件、思想的政治的精神的な要因)に求めるということである。この二つは対立する世界観であり、歴史科学は内因論の正しさを証明している。
 この世(宇宙)をつくり出したのは、ビッグバンという内的運動が生み出した内部爆発(内因)であり、以後全宇宙はすべて、内因によって支配されるにいたった。地球もまた、鉄とニッケルによる内核(内因)から生まれた。人類とその社会もまた生きるための運動(内因)が生産力を作り出した。その生産力が原動力になって、この力(内因)が国家と社会を次々と変化させていった。運動と闘いの勝利は政治意識(内因)がその要因となる。一人一人の人生において、あらゆる困難を打開するのも結局は精神力(内因)である。
 国家間の戦争における勝敗を決めるのもすべては内因である、というその証明を日露戦争において見てみよう。一九〇四年から一九〇五年にかけて戦われたこの戦争は、外因論から見たときこれは完全にロシアが勝利するはずであった。当時、世界中の国々がそう見ていた。外因から見たとき、国力(国家予算)においてロシアは日本の七倍、軍事力(兵力)においては六倍のロシアであった。外因から見たロシアは強い国であり、日本は弱い国であった。その外因を制してロシアが負け、日本が勝ったのはその内因にあった。つまりその内因とは、その戦争の目的と意義についての国民的意識と政治認識において、そして戦争に対する民族的総意と国家としての団結において、そして指導者と指揮官の能力と意識性において、である。それは司馬遼太郎の『坂の上の雲』に具体的な歴史事実を通して証明されている。この内因が、ロシアを敗北させ、日本を勝利させたのである。
 日・中・韓の歴史認識論争は感情論ではなく、歴史科学から学んで自国の問題として、内因論を追求しよう。感情論ではなく、内因論から学んで国家と民族を奮い立たせて本当に強い国家と民族にする、という立場に立つことをわれわれは期待したい。

歴史科学と内因論を堅持した毛沢東は日本に対して謝罪は求めなかった。

 ここで中国革命の指導者毛沢東が、このような問題についてどのような思想を堅持していたか振り返ってみよう。
 ここに一つの資料がある。一九九七年九月十三日付『日本経済新聞』に、初代東京駐在中国代表で、当時中日友好協会会長を努めた孫平化氏が『私の履歴書』を書いているが、その中で次のように言っている。
『(一九五五年十一月、片山哲元首相率いる代表団が訪中した)この代表団には、かつて中国侵略戦争に参加した関東軍の参謀副長だった遠藤三郎・元陸軍中将もいた。遠藤氏は戦争後期軍部の政策に反対し、罷免された。戦後は自ら日中友好運動に身を投じた。遠藤氏は翌五六年九月にも訪中し、毛沢東主席と会見したが、そのとき毛主席が次のように話したことは私も忘れられない。
 「あなたたちは私の先生です。……まさにあなたたちの戦争が中国人民を教育し、砂のような中国人民を団結させたのです」』と。
 また、東大近代中国史研究会訳の『毛沢東思想万歳』という資料によると、一九六四年(昭和三十九年)七月日本社会党の佐々木更三委員長を団長とする訪中団が毛沢東主席と会談した。佐々木委員長が謝罪をしたところ、毛沢東主席は「何も謝ることはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。おかげで中国人民は権力を奪取することができた。日本軍なしにわれわれは権力を奪うことはできなかった」と書いている。
 さらに、一九七二年に田中角栄首相が日中国交回復をしたとき、周恩来首相と大激論になった。翌日、田中首相が毛沢東主席を訪ねたところ田中首相の顔を見るなり「昨日は大喧嘩をしたそうですね。人間は喧嘩をして初めて仲良くなれるものですよ」と発言した。それに対して田中首相が中国大陸を戦場にして多くの方に犠牲を強いる結果になって、申し訳なかったと言ったところ、毛沢東主席はお詫びする必要はありませんよ。日本のお陰で共産主義革命ができたんですよ≠ニ言ったと後に田中首相は語っている。
 つまり、毛沢東は、歴史を科学として認識し、帝国主義論を正しく認識し、すべては歴史上の産物であることを自覚しているからこそ、こういう発言ができるのである。科学的哲学原理の内因論に立つと、個人的感情など拒否する。ここに偉大な指導者の人格と認識論がある。
 毛沢東の見解をわが人民戦線は完全に同意する。その証拠にわが人民戦線は一九九九年一月二十日付機関紙『人民戦線の旗のもとに!』に、『科学思想万歳!』を発表したが、ここでこの問題について次のように結論付けている。
 『戦争と平和の問題について。日本での最大の論争、最大の対立、最大の抗争になっているのは、あの太平洋戦争(大東亜戦争ともいう)は、侵略戦争だったのか、アジア解放戦争だったのか、という問題である。この点について、右翼的新保守主義派は「アジア解放戦争であり、日本民族防衛戦争であった」と主張する。これに反対してブルジョア自由主義派は「あの戦争は侵略戦争であった。日本は多くのアジア諸国に危害をあたえたことに深く謝罪すべきだ」というものである。
 「侵略戦争は悪だ、謝罪せよ」ということについて、これはまさに幻想と妄想と空想的平和主義の見本である。いったい侵略でない戦争というものがあっただろうか。人類二千年の歴史上発生した戦争と、今も発生し、発展しているすべての戦争はみな侵略戦争ではないのか。謝罪せよとは、いったいだれがだれに謝罪せよというのか。かつて毛沢東が日本人の訪中団に「日本が中国を侵略したことについて、中国人民は日本に感謝したい。なぜなら、そのおかげで中国人民は目覚めたのであり、中国革命にプラスになったからだ」と語ったのは有名な話である。この毛沢東の言葉はまさに歴史科学に従った正しい戦争観に徹している。人類の歴史に国家が生まれ、権力が生まれてから戦争はつきものだった。そして国家と権力が生まれて以後今日までの二千年以上、戦争によって歴史は発展し、前進してきた。戦争は人類社会を進歩させる助産婦であった。その証拠に戦争は休むことなく、一貫して続けられ、継続され、今も世界各地で盛んにおこなわれ、戦争を通じて人間の社会と歴史は発展し、前進してきたではないか。われわれ自身をみよ。現在の日本人、われわれ自身が軍国主義ファシズムから解放され「自由」であるのは、あの戦争のおかげ、あの戦争を軍国主義が引き起こし、そして軍国主義が敗北したおかげではないのか。そのおかげでアジア諸国民は西欧帝国主義の植民地支配から解放され、独立国家として生まれかわったのではないのか。すべては戦争のおかげであった。だからクラウゼヴィッツの『戦争論』が生まれたのであり、その内容は科学的に正しいのである。
 ただここで、誤解を解くためにいっておきたいのは、戦争そのものを抽象して評価すれば、それはまさに悪である。しかしこの悪は、歴史的には避けられないものとしては必要であった。それはちょうど、母体から新しい生命を生み出すための出産で、血を流し、苦しみ、うめき声を出さないわけにはいかないのと同じことである。また戦争においては、その目的と性格が正義かどうか、ということが大前提であって、侵略され、攻撃された民族と人民が防衛と自らの解放のために戦う戦争は正義であり、これは始めたのではなく仕掛けられたのであり、この場合にあっては戦争そのものがまさに必要なものである。
 謝罪に関していえば、帝国主義的侵略戦争においては、国家が国家に謝罪する必要はなく、帝国主義と独占資本が人民に謝罪すべきものであり、日本に関していえば、日本独占資本主義が日本人民とアジアの人民、世界の人民に謝罪すべきである。
 そして幻想と妄想と空想的平和主義に反対して、科学的平和主義は、「戦争によって戦争を消滅させよ。国家と権力を消滅させることによって戦争を消滅させよ。人類が最初につくり出した社会、それは権力も、国家も必要のない、協力と共同の社会、人民の共同体社会であった。これを取り戻せ。そのためにこそ、人民による、人民のための、人民の社会を!」というスローガンを高く掲げる。ここに歴史科学と、科学思想にもとづく真の平和運動がある。幻想と妄想と空想的平和主義は、まさに宗教と同じであり、それは「悩める者のため息であり、精神を失った状態の精神であり、非情な世界の情けであり、それは民衆にとってはアヘンである」ことにかわりはない。』

過去の歴史にこだわったり、そこに立ち止まったり、いつまでもしがみつくことなく、歴史を確認し止揚≠キること。ここに真の国家としての進む道がある。そしてこの問題は、最終的には人民による、人民のための、人民の権力のみが科学的歴史観によって解決するであろう。

 わが人民戦線は次のように断定する。日・中・韓三国間の戦争状態はもうすでに終結している。国交回復がそれを証明しているではないか。朝鮮民主主義人民共和国との間には戦争は終っていない。国際法上では休戦状態である。だから一日も早く、日中、日韓と同じように戦争を終らせ、国交を回復することがすべての大前提である。そしてお互いの国家間の関係は、「相互不可侵、内政不干渉、紛争の平和的解決、平和共存、連帯と協力」という外交五原則にもとづく正常な国家関係の実現である。 

日中関係について

 日本と中国の関係は、一九七二年九月の日中国交回復によってすべて解決されている。
 一九七二年にアメリカのニクソン大統領が訪中し、朝鮮戦争以来の米中対決に終止符を打った。これに続いて日本国内でも日中国交樹立への動きが加速した。一九七二年九月、世論の高まりのなか日中国交正常化を公約に田中角栄が自民党総裁となり、新しく首相となった田中角栄と大平外相が共に中国を訪れ、毛沢東主席や周恩来首相と会見。日本は中華人民共和国を承認して外交関係を結んだ。日中国交正常化に際しては、共同声明が発表され、このなかで日本側は「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と謝罪した。中国側は「日本に対する戦争賠償の放棄」を宣言した。
 日中友好平和条約は一九七八年八月北京において両国の外相が調印し、十月にケ小平副主席の来日により批准手続きが完了して発行された。この条約は前文と五ヵ条からなり、その第一条では、両国間の関係は平和五原則を基礎に、国連憲章に基づく武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認し、さらに第二条では、両国は、アジア太平洋のみならずいずれの地域においても覇権を求めず、覇権を確立しようとするいかなる国の試みにも反対することを表明した。第三条では、経済、文化関係の促進について規定。第四条には、この条約は第三国との関係に関する各締結国の立場に影響を与えるものではない、とする第三国条項を盛り込んだ。そしてお互いの国に大使館を開設して人事往来、経済協力、文化交流などを活発に推進している。 

日韓関係について

 日本と韓国の関係は、一九六五年六月に締結された「日韓基本条約」にもとづく国交正常化によってすべて解決されている。
 日韓基本条約は、日本と韓国の国交を正常化するため一九六五年六月二十二日に東京で調印された日韓基本条約と、これに付随する@請求権および経済協力A漁業B在日韓国人の法的地位C文化財と文化協力、の四協定の総称である。交渉で最も難航したのが請求権問題であった。
 韓国側は植民地支配時代の未払い給与や預金、被徴用者の被害に対する補償などを要求。日本側は、韓国内に建てた建物などの権利保全を求めると共に、国家賠償や個人補償には応じられないと主張した。
 最終的に一九六二年十一月に当時の大平正芳外相と金鍾泌中央情報部長が「金・大平メモ」を作成。この政治合意を基礎に、日本側は経済協力として無償三億ドル、有償二億ドル、民間協力資金三億ドルを供与する一方、韓国側は個人の未払い給与を含む一切の対日請求権を放棄することで決着した。その背景にはアメリカ側の強い働きかけもあった。 

日朝関係について

 日本と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との関係ついては、まずはっきりさせねばならないことは、両国関係はまだ国際法の上からは戦争状態(休戦状態)にある、という大前提に立たねばならないということである。いわゆる拉致問題なるものは、戦時に発生したことであり、戦争の産物である。悪いとか、良いとかいう問題ではなく、戦争なら何でも起こるのである。だから問題の根本的解決のためには、日中、日韓関係と同じように、戦争状態を終らせ、その上でこの問題を解決するというのが正道であり、王道である。そうしないとこじれるばかりである。したがって次のことを実践することである。
 第一に、いわゆる拉致問題を闘うすべての幹部と活動家、被害者と家族会、拉致議連、そしてこれを支援するすべての人々が何よりも政府に対して次の要求をかかげてその実現を迫ることである。
 北朝鮮との戦争状態を終結させよ。人事往来、経済交流、文化交流の自由活発化を実現せよ。いわゆる拉致問題の全面的解決を実現せよ。
 第二に、いわゆる拉致問題を、日本人民が闘うすべての生活と権利、自由と民主主義、人間の尊厳と人間性の擁護をめざす闘いと運動として位置づけ、共闘し、連帯し、統一していくこと。
 第三に、この世界に独占と帝国主義の国家と権力が存在するかぎり戦争はなくならないし、本当の平和は実現しない。人民にとって本当の安全と平和を実現することができるのは、人民による、人民のための、人民の国家と世界だけである。闘いと運動を通じて人民闘争、人民戦線、人民権力を構築することである。

靖国問題について

 靖国神社参拝問題が毎年論争になる。これは真に人民の立場に立った権力のみが解決できる問題である。人民政府と人民権力は次のようにこのことを確認する。
 第一、宗教と国家権力の分離の原則を確立すること。靖国神社とは、宗教施設であり、参拝とは宗教行事である。誰がどういう方法で対応するかは、思想信条の自由という立場から人間性としてその行動の自由を認めなければならない。国家が介入してはならない。
 第二、内政不干渉という国家間の外交原則からいって、こういう問題を外交上の道具につかってはならない。その国には、その国のやり方がある。
 第三、この種の意見の対立や論争を政治的に利用したり、物理的運動に利用してはならない。わが人民戦線と人民政権は宗教に対する態度と同じように靖国問題については対応する。
 
 以上のような人民戦線の政策と方針、われわれの立場というものは権力が決定するものであって、現在のブルジョア権力、独占をめざす権力での実現は不可能である。人民戦線運動と、そのなかから生まれてくる闘いと、最終的には人民政府と人民権力のみが解決することを確認したい。
 しかし、いつの日かそれが実現できるというものではなくて、このアピールをかかげて運動し、闘っていくという、そういう歴史的な情勢と、条件と、力関係のなかで一歩、一歩実現と達成の芽が生まれ、育っていくものである。ここに課題実現への必然性がある。人民闘争、人民戦線、人民権力というこの歴史の運動は、すべてを実現する歴史そのものである。歴史科学は到達すべきところに必ず到達するであろう。

結  び

 一九四五年(昭和二十年)の八月十五日は「日本のいちばん長い日」であった。この日に日本は連合軍に無条件降伏して敗北した。こうして日本軍国主義ファシズム(日本帝国主義)は、自ら起こした帝国主義戦争を通じて崩壊したのである。ここに帝国主義は帝国主義戦争を通じて崩壊する、という歴史科学の鉄の法則がある。
 同じように第二次世界大戦もまた、この戦争を通じてヨーロッパ帝国主義(ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)が次々に崩壊していった。こうして帝国主義の後に出現したのはまったく新しい時代という世界であった。アジア、アフリカ、中南米諸国の植民地は次々に解放され、独立を実現し、あの第三世界をつくり出した。そして社会主義陣営は、地球上の四分の一の地域、人口にして三分の一の東側陣営を形成させた。ここに、帝国主義は帝国主義戦争を通じて崩壊し、新しい時代へ移行するという、歴史科学の鉄の法則が貫かれているのである(社会主義陣営はマルクスが予言したとおり、自らを振り返り、始めからやり直すという歴史科学の法則が出現している)。
 そしてこの間、八月がくるたびに、日・中・韓三国間には、過去の歴史認識問題と靖国問題に関して論争が繰り返されているのである。この論争は一体いつになったら解決するのであろうか。この三国がブルジョア民族主義と独占的支配を目指すものである限り、そして観念論的歴史観に支配されている限り、解決はありえない。このままでは、結局は、三国の力関係か、経済的妥協によるもの以外にないであろう。そして外交は内政の反映であるがゆえに、結局は三国の内政状態(内因)によってことは決するであろう。
 歴史科学が教えているとおり、帝国主義時代に発生した諸問題は、帝国主義戦争による帝国主義の崩壊を通じてのみ解決してきたし、これ以外に解決はなかった。現在展開されている日・中・韓三国の懸案事項の最終的解決は、帝国主義の崩壊と新しい歴史時代の到来がすべてを解決するであろう。
  • 一時的な仇花にすぎない空想的観念論と、主観主義的歴史観を投げ捨てよ!
  • 敗北と消滅にさらされた独占的欲望と、民族主義的歴史観を投げ捨てよ!
  • 歴史は科学である。歴史科学にもとづく未来展望を確立し、人類の未来をしっかり見つめよ!