2024年11月25日 №543
《10月総選挙の結果とその本質について》
「自公 過半数割れ」「裏金 政権痛打」! 国民(人民)は腐敗堕落した自民党政治を否定し、新しい時代への転換を求め、歴史は「希望なき社会」をもたらす現代資本主義の退場を求め、新コミュニティ共同体社会への転換を迫っている!
「ナチズム前夜」(混乱のワイマール時代)は「遠い昔」のことではない。歴史は、議会主義と決別した、直接民主主義としての人民評議会・人民政府を求め、それを導く核・リーダーを求めている。先進的知識人・中核的リーダーは今こそ自己に課せられた歴史的使命をよく理解し、自覚せよ!
10月27日に投開票された第50回総選挙の結果は、新しい時代への新たな転換を告げる号砲となった。翌日、日本の大新聞の紙面には『自公 過半数割れ』『裏金 政権痛打』『「自民ノー」 不信極まる』『裏金 怒り投じた 変化 願う』等々の大見出しが躍った。
日本の国民(人民)は明確に自公政権に「ノー」を突き付け、古い自民党政治、朽ち果てた現代資本主義に対し激しい怒りを表明した。10月19日に発生した自民党本部・首相官邸襲撃事件もまたそうした国民(人民)の怒りの反映である。
「裏金問題」とは単なる「カネの問題」ではない。政治資金パーティー収入金の「不法処理」(無記載・無報告)によって巨額の使途不明金(裏金)を作るというこの醜い慣行は、右翼民族主義の安倍政権時代に始まったものであり、それは、法無視の強行突破による「安保関連法」採択、軍事費増加、「異次元の金融政策」たるアベノミクス、旧統一教会との癒着、公文書改ざんと地位不正利用の「森友・加計・桜問題」等々を象徴するスキャンダルであり、自民党政治・右翼民族主義たる安倍政権の本質そのものに根差している。「安倍なき安倍路線」を継承する岸田政権の「裏金議員の大甘処分」にへの転換は歴史必然の法則であることを明らかにした。
マルクス主義はその法則について、次のように明確に語っている。
(1)人類の世界は一貫して、生産力の発展が生産関係を規定していく。これは哲学歴史科学の必然的法則である。このような生産関係(国家と社会、政治対立と政治闘争)が思想・政治・イデオロギーを生み出していく。存在が意識を生み出す。
(2)生産力の発展は必然であり、無限である。そして生産関係の発展と変革も必然であり、無限である。人類の歴史は(原始時代を除けば)古代―中世―近世―現代を通じて、政治対立と政治闘争の歴史であった。この政治対立と政治闘争が歴史転換の原動力となり、闘争を通じて歴史は転換した。
(3)生産力の発展にもとづく生産関係の変革の到達点はコミュニティ共同体から社会主義への道である。この時点をもって人類の前史は終わり、以後人類は総力をあげて大宇宙の開発と開拓に取り組む。
この法則の正しさは多くの歴史学者・経済学者によって検証され、支持され、科学的真理として定着している。近年では、内外の多くの先進的知識人が様々な角度から「資本主義の終焉」を語り、新たな社会への前進と転換を訴えている。その代表的な著者が水野和夫氏(2014年当時は日本大学国際関係学部教授、2017年に法政大学法学部教授)であり、その著『資本主義の終焉と歴史の危機』(2014年 集英社新書)は資本主義の終焉と崩壊、その必然性を明らかにしている。
そして、何よりも、人民大衆のおかれている厳しい現実がある。第二次安倍内閣は「日本資本主義の危機」(長期にわたるデフレと低成長)を救うと広言し、「アベノミクス」(異次元の金融緩和)を打ち出し、「新たな成長戦略」(新たに産業が発展すれば賃金が上がり、税収が増え、経済が好転する)をぶち上げ、菅―岸田政権もそれを引き継いだ。だが、結果全て失敗に終わり何の成果も生まず、逆に激しいインフレと物価高騰、格差拡大、実質的な賃金低下、ブラック企業・職場の増加、不安定な派遣労働の増大、地方と農村の急激な過疎化、不登校・いじめ・自殺の増加、オレオレ詐欺と闇バイト犯罪の蔓延、「財政危機対策」名目の各種増税をもたらしただけだ。資本主義は既に終わっているのであり、死んでいるのであり、新たな成長など望むべくもない。
今、日本でも世界の多くの国でも少子化が大問題となり、「国家的危機」が叫ばれているが、これこそ、現代の「希望なき社会」―日本と世界を覆う失業と貧困、格差、差別と疎外、戦争と内乱、生活不安と前途への失望、政治不信の蔓延に対する若き世代の怒りの爆発であり、「反乱」である。「目先の利益」だけを追い求めるブルジョア政治には、未来に生きる世代に希望を与えることは絶対に出来ず、少子化問題など解決できるはずが国民の政権批判は増々深まり、岸田内閣は退陣に追い込まれた。そこで、自民党は「反主流」「異端」の石破政権を担ぎ、「看板の架け替え」を計った。だが、党の大勢に押された石破新総裁は、裏金問題再調査の前言を翻し、更に「祝儀相場」を当て込み、戦後最短での衆院解散を決断。新内閣は、裏金議員の「非公認」「重複立候補認めず」という見せかけの処罰を下し、総選挙を強行。そして、選挙戦中、劣勢に焦った自民党本部は投票日の直前に非公認候補者が代表を務める支部に2000万円の大金(選挙資金)を配るという失態を演じ、「自浄能力ゼロ」を満天下に示し、大敗を決定的にした。
一方、野党はどうか。立憲・国民は大幅に議席を伸ばしたが、「野党乱立」である。しかも、野党第一党となった立憲(野田佳彦代表)は中道保守路線にシフトし、、野党共闘など夢物語である。国民(人民)の根本的要求など実現されるべくもない。特に、議席を減らした「共産党」(田村智子委員長)は「裏金問題で自民党を追い詰め、選挙全体の状況に大きく貢献した」と「自画自賛」(言い訳)するのみで、反自民反権力勢力を結束させるという「前衛党」本来の使命を完全に放棄 している。今、与党政権は過半数割れし、政権内部はガタガタであり、国民(人民)の怒りは燃え上がっている。まさに「革命的情勢」の到来である。今こそ、野党・全人民を結集させ、戦いに立ち上がるべき時である。だが前衛党たる「共産党」は議会主義に転落し、闘うことを忘れ、「60年安保」のような人民闘争を展開することなど思いもよらない。これではダメである。
総選挙後の政局について、新聞・メディアは、「 政権流動化」「宙づり議会(過半数を占める政党がない)出現で与野党が政権枠組みの駆け引きを」と報じている。しかし、誰が首相になろうと、どんな政権枠組みになろうと、結局は同じ運命をたどらざるを得ない。今後やってくるのは、政局の「ジャングル化」であり、各党内部の醜い派閥対立、政党間の利己的な駆け引きであり、離合集散であり、行きつく先は「ナチズム前夜」(ワイマール時代)のような大混乱・大混迷である。結局、衆愚政治たる議会主義(選挙)によっては何も解決せず、混乱・分断を拡大するだけである。アメリカはその典型である。
今回の総選挙の本質とは何か。その核心は次の3点にある。
第1、自公政権大敗の土台にあるのは、現代資本主義(自民党政治)の腐敗堕落であり、国民(人民)の激しい怒りである。歴史は朽ち果てた資本主義の退場を求めている。
第2、「ナチズム前夜」(混乱のワイマール時代)は「遠い昔」のことではない。衆愚政治たる議会主義と決別し、人民闘争・人民戦線、そして人民評議会を追求しよう。
第3、資本主義の後にくる社会はコミュニティ共同体社会(社会主義)である。歴史は、新しい時代への転換を強く求めている。
やがて必ず革命的情勢と歴史的大転換の時は来る。その勝利のカギは、それを導く核、リーダー、ボリシェビキ的前衛党にある。すべては核が決定する。
自公政権大敗の土台にあるのは、日本と世界を覆う失業と貧困、格差、差別と疎外、戦争と内乱、生活不安と前途への失望、政治不信と社会への怒りである。歴史は、腐敗堕落した資本主義(自民党政治)の退場を迫っている。
「資本主義の終焉」と「コミュニティ共同体社会(社会主義)への転換」という歴史必然の科学法則を初めて明らかにしたのは偉大な革命家カール・マルクス(1818~1883)である。マルクスは『経済学批判・序言』(1859年)・『資本論』(1867年)等の哲学科学論文において、資本主義の崩壊と社会主義(コミュニティ共同体社会)への転換は歴史必然の法則であることを明らかにした。
マルクス主義はその法則について、次のように明確に語っている。
(1)人類の世界は一貫して、生産力の発展が生産関係を規定していく。これは哲学歴史科学の必然的法則である。このような生産関係(国家と社会、政治対立と政治闘争)が思想・政治・イデオロギーを生み出していく。存在が意識を生み出す。
(2)生産力の発展は必然であり、無限である。そして生産関係の発展と変革も必然であり、無限である。人類の歴史は(原始時代を除けば)古代―中世―近世―現代を通じて、政治対立と政治闘争の歴史であった。この政治対立と政治闘争が歴史転換の原動力となり、闘争を通じて歴史は転換した。
(3)生産力の発展にもとづく生産関係の変革の到達点はコミュニティ共同体から社会主義への道である。この時点をもって人類の前史は終わり、以後人類は総力をあげて大宇宙の開発と開拓に取り組む。
この法則の正しさは多くの歴史学者・経済学者によって検証され、支持され、科学的真理として定着している。近年では、内外の多くの先進的知識人が様々な角度から「資本主義の終焉」を語り、新たな社会への前進と転換を訴えている。その代表的な著者が水野和夫氏(2014年当時は日本大学国際関係学部教授、2017年に法政大学法学部教授)であり、その著『資本主義の終焉と歴史の危機』(2014年 集英社新書)は資本主義の終焉と崩壊、その必然性を明らかにしている。
そして、何よりも、人民大衆のおかれている厳しい現実がある。第二次安倍内閣は「日本資本主義の危機」(長期にわたるデフレと低成長)を救うと広言し、「アベノミクス」(異次元の金融緩和)を打ち出し、「新たな成長戦略」(新たに産業が発展すれば賃金が上がり、税収が増え、経済が好転する)をぶち上げ、菅―岸田政権もそれを引き継いだ。だが、結果全て失敗に終わり何の成果も生まず、逆に激しいインフレと物価高騰、格差拡大、実質的な賃金低下、ブラック企業・職場の増加、不安定な派遣労働の増大、地方と農村の急激な過疎化、不登校・いじめ・自殺の増加、オレオレ詐欺と闇バイト犯罪の蔓延、「財政危機対策」名目の各種増税をもたらしただけだ。資本主義は既に終わっているのであり、死んでいるのであり、新たな成長など望むべくもない。
今、日本でも世界の多くの国でも少子化が大問題となり、「国家的危機」が叫ばれているが、これこそ、現代の「希望なき社会」―日本と世界を覆う失業と貧困、格差、差別と疎外、戦争と内乱、生活不安と前途への失望、政治不信の蔓延に対する若き世代の怒りの爆発であり、「反乱」である。「目先の利益」だけを追い求めるブルジョア政治には、未来に生きる世代に希望を与えることは絶対に出来ず、少子化問題など解決できるはずがない。もはや現代資本主義
には人類社会を豊かにする能力はない。『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫)という経済的土台が、現代世界のあらゆる政治的危機を生み出しているのである
「ナチズム前夜」(混乱のワイマール時代)は「遠い昔」のことではない。歴史に学び、衆愚政治たる議会主義と決別し、人民闘争・人民戦線を展開し、直接民主主義としての人民評議会を至るところに打ちたてよ。
最近、鳴門教育大学大学院・原田昌博教授が、『ナチズム前夜』(集英社新書)という本を出版し、「これは『遠い昔』や『遠い場所』の話ではない」という注目すべき見解を提起している。当時ドイツに滞在していた職業外交官・加瀬俊一も『ワイマールの落日―ヒトラーが登場するまで―』(1998年 光 人社)を著し、その冷徹な目で、「ワイマール時代」(第一世界大戦でドイツ帝国が敗北した1918年11月からヒトラーが権力を握る1933年までの時代)を正確に描きだしている。
ドイツ国民は、「歴史上もっとも民主的」と讃えられ、「自由と民主主義の経典」と称された「ワイマール憲法」の下、屈辱的なベルサイユ条約と膨大な戦後賠償によって貧困のどん底に突き落とされ、政治的大混乱と超インフレに苦しめられていた。こうした当時の状況を背景に、ドイツ金融独占と結びついたファシスト・ヒトラーとナチス党は、選挙と投票(大統領選・総選挙)を利用して右翼民族主義を煽り立て、政治的暴力を繰り広げ、支持を拡大。「全権委任法」の承認を求めたヒトラーは、1933年11月の総選挙において、ドイツ国民の92.2%の支持(投票率96%)を獲得し、ドイツ議会の満場一致の支持でファシズム支配体制を確立した。
因みに、ヒトラーに抗して選挙闘争に参加した左翼陣営の指導部は議会主義と左翼一揆主義という左右の対立に悩まされ続け、多くの人民の支持があったにも関わらず、人民評議会は構築されず、全国ゼネストと人民蜂起も決行されず、敗北を喫した。
ここには、選挙と議会と投票制に関する重大な教訓がある。改めてマルクス主義の「選挙と議会と投票制」に対する原則を明らかにしておこう。
第1、投票とは、大衆の後れた部分、社会と切り離され、孤立した個人、個人的幻想と錯覚と夢想にもとづく行動であり、ギリシャ時代に生まれたこの制度は、大衆支配の手段、ブルジョア自由主義の装飾物として、より巧みに引き継がれ、ブルジョア政治の根幹になった。つまりは大衆の理性・自覚ではなく、その本能を利用し、本能を駆り立て、自由主義を叫びたで、風の吹くまま気の向くまま、行き当たりばったり、そのときの個人的感情によって誰かに投票するというものであり、まさに無政府主義、愚民主義、衆愚主義であ
る。結局のところ、投票は単なる世論調査の一つにすぎない。
第2、選挙と議会と投票制はブルジョア独裁(武力と強権と買収)を覆いかくすものであり、その独裁を覆い隠す衝立(ついたて)、 装飾品、よろいを隠す衣 (ころも) に過ぎない。ブルジョア権力は常に議会の外で政治を執行する。すべては権力が決定する。間接民主主義である「選挙と議会と投票制」に対する幻想を捨てよ。選挙・議会はあくまでも暴露の演壇として人民闘争の強化に奉仕させる目的で利用するものでしかない。革命的激動期においては、選挙・議会はボイコット・破壊の対象となる。
第3、真の民主主義とは、意識的な人民大衆の共通の意志、共通の理解、協力的な行動に基づく政策の確立と確認である。人民大衆は、生産と生活の領域、すなわち労働と生活の領域で互いに協力し、共同し、共通の要求に基づく運動と闘争における連帯と交流を通じて、自らの共同体を構築する。ここに真の民主主義があり、その集大成が評議
会である。最後を決するのは人民の力、人民闘争・人民戦線・人民評議会であり、決定的瞬間におけるゼネストと人民の蜂起である。
この歴史の教訓、この血の教訓を絶対に忘れてはならない。
朽ち果てた資本主義の後にくる社会は人民の世界であり、人間が人間らしく生きられる人間的社会、即ちコミュニティ共同体社会(社会主義社会)である。歴史は新しい時代への転換を求めている。
先に明らかにしたように、頂点たる独占と帝国主義に上り詰めた現代資本主義とその政治権力は、今や完全に腐朽・腐敗し、統治能力を失い、堕落・衰退し、歴史からの退場を、近代コミュニティ社会への転換を求められている。
人類が最初につくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。その原始共産主義社会は「生産力が生産関係を決定する」という法則に基づいて、封建制社会から資本主義へと移行し、こうしていくたの回り道をしながら、その間により大きくなって、もとの共同と共生と連帯の人間的社会へ、共産主義的社会へ帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティ国家と社会へ。ここから本当の人間的社会、人民の社会が生まれる。
近代的コミュニティ社会とは何か。それは最大限利益追求第一主義・ 物質万能主義・拝金主義・自由競争という名の弱肉強食・非人間的格差社会である現代資本主義を真っ向から否定する。そして、人民の人民による人民のための世界、共同生産・共同分配・協力・共同・連帯の人間的社会、大自然と共に生きる豊かな人間生活を実現する。またそれは、国家・社会・生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求に注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・ 安全・安定のために注ぐ。金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。共同・協力・連帯こそ人間の本質である。人間はコミュニティ共同体の中でこそ初めて人間らしく生きることが出来る。
結び
革命はいつ起こるのだろうか。革命は何年何月に発生するのだろうか。あるいは革命は議会にどれだけの議員を当選させたら勝利するのだろうか。こういう質問は昔からあった。そのときマルクスやレーニンはいつもこう答えている。『革命は計算づくで勝利するものではない。そうではなく革命は歴史的情勢と条件が生み出すのだ』と。そして、その歴史的情勢と条件とは何かという質問に、『最後に決するものは革命の主体的力量である』と答えている。
革命の主体的力量とは何か。それは、第一に、マルクス主義的な前衛政党(核、リーダー、ボリシェビキ的前衛党)の存在。第二に、正しい路線に基づく統一戦線たる人民戦線と人民闘争の力量。第三に、評議会(ソビエト)を至る所に確立する。これである。
一言で言えば、革命はやってくる。それに備えた準備、これが現代のわれわれの心構えであり、闘いである。ここに最大の任務がある。
(以上)
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